古谷光広
古谷 光広(ふるや みつひろ、1973年〈昭和48年〉8月13日 - 2024年〈令和6年〉2月27日)は、大阪・京都・神戸を中心として活動する、日本のジャズミュージシャン、サクソフォーン奏者。大阪府生まれ。
祖父はジャズクラリネット・サクソフォーン奏者の松野国照、父親はジャズサクソフォーン奏者・ボーカリストの古谷充。
自身の演奏活動以外では、大阪音楽大学・大阪音楽大学短期大学部にてジャズサクソフォーン講師[1]を務める。
2024年2月27日、大阪府内のスタジオでリハーサル中に心肺停止となり死去。
略歴[編集]
幼少の頃より父・古谷充の影響で洋楽を聴くようになり、ヤマハ音楽院幼児科で音楽の基礎とピアノを、小学校時代にクラブでトランペットを吹くようになるが、中学校の吹奏楽部でサックスに転向し、活動開始。
1989年に大阪音楽大学短期大学部音楽専攻ウインド・アンサンブル・コース ジャズ・クラスに入学し、本格的にジャズサクソフォーンを赤松二郎、奥田章三、宗清洋、理論を田中克彦に師事。
また同時期からプロとして活動開始し、東原力哉(dr)神田芳朗(b)高橋達哉(ts)松本英彦(ts)中山良之(ts)土岐英史(as)田中ひろし(pf)村上秀一(dr)クリヤ・マコト(pf)金澤英明(b)佐山雅弘(p)バカボン鈴木(b)堀尾哲二(dr)田中武久(pf)塩次伸二(gt)らと演奏。海外アーティストでは、ポール・ジャクソン(b)マーティー・ブレイシー(dr)マイケル・レイ(key)クリスティン・グレイ(ブーツィー・コリンズ・バンドvo)エディー・ヘンダーソン(tp)Booker T. Williams, Jr.(ts)デイヴ・リーブマン(ts.ss)ハンク・ジョーンズ(p)エリック・マリエンサル(as)ニューマン・テイラー・ベイカー(ds)等、数多くの一流ミュージシャンとのセッションを経験歴があった。
EWI(ウインドシンセサイザー)の奏者としても活動し、高校生の頃からEWIを研究し、書籍を出版している。
1996年、フュージョン・バンド「LAMMTARRA(ラムタラ)」を結成(後に「KHAMSIN(カムシン)と名称変更)。
1998年9月、野々村明とグローバル・ジャズ・オーケストラ(ビッグバンド)でモントレー・ジャズ・フェスティバルに出場。
2002年、IAJE(国際ジャズカンファレンス)に参加し、多くのミュージシャンと交流を深める。
2023年9月、デトロイト・インターナショナル・ジャズ・フェスティバル[2]にKHAMSINとして参加。メンバーは、古谷光広(sax)清野拓巳(g)柳原由佳(p)、白石宣政(b)、松田”GORI”広士(ds)。
2024年2月27日、リハーサル中に心肺停止し、死去。
2024年3月1日、古谷に師事していた大阪音楽大学の学生がX(Twitter)[3]で古谷の哀悼を含む発言をしたところ拡散し、まいどなニュースを経由して[4]、その後Yahoo!ニュース[5]にも古谷を偲んだ記事としても掲載される。
著書[編集]
- 古谷光広『EWI BEST Maniax! 演奏+カラオケCD付楽譜 (EWI BESTシリーズ) 楽譜[6]』アルソ出版、2011年。ISBN 978-4873122236。
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ “大阪音楽大学 教員紹介>古谷光広 ”. 2023年3月27日閲覧。
- ^ “September 3, 2023 Khamsin – Japan Exchange”. 2023年9月6日閲覧。
- ^ “そこそこちゃんとした服で撮るなら教えてくれよ ”. 2024年3月1日閲覧。
- ^ “「街頭インタビューみたいな服装」 音大の卒業演奏会チラシ、ジャズ科首席がまさかのTシャツ姿に爆笑|まいどなニュース”. まいどなニュース (2024年3月1日). 2024年3月13日閲覧。
- ^ “お世話になった恩師を偲んで ”. 2024年3月1日閲覧。
- ^ “EWI BEST Maniax! 演奏+カラオケCD付楽譜 (EWI BESTシリーズ) 楽譜 ”. 2023年3月27日閲覧。