吉川芳太郎

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吉川 芳太郎(よしかわ よしたろう、万延元年4月13日1860年6月2日[1] - 昭和11年(1936年2月19日[2])は、明治時代の銀行家。伊那銀行取締役、百十七銀行取締役などを歴任。長野県多額納税者。

経歴[編集]

長野県の酒造業・吉川邦治の長男として生まれる。

1887年(明治20年)家督を相続する。

八幡商業銀行頭取、伊那銀行取締役、百十七銀行取締役などを歴任した。

家族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、よ29頁。
  2. ^ 『官報』第2779号、1936年4月10日。