手子后神社 (神栖市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
手子后神社
手子后神社の一の鳥居 (茨城県神栖市)
所在地 茨城県神栖市波崎8819
位置 北緯35度44分53.26秒 東経140度49分34.88秒 / 北緯35.7481278度 東経140.8263556度 / 35.7481278; 140.8263556 (手子后神社 (神栖市))座標: 北緯35度44分53.26秒 東経140度49分34.88秒 / 北緯35.7481278度 東経140.8263556度 / 35.7481278; 140.8263556 (手子后神社 (神栖市))
主祭神 手子比売命
社格 旧村社
創建 神護景雲年間(767年-770年
別名 手子崎神社
天宮社、神遊社、常陸原明神
例祭 旧暦6月15日周辺土日(大潮祭)
主な神事 鎮守祭(旧暦2月1日
地図
手子后神社の位置(茨城県内)
手子后神社
手子后神社
テンプレートを表示

手子后神社(てごさきじんじゃ)は、茨城県神栖市波崎にある神社。神遊社の古名があり、鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。古い地誌は手子崎神社の表記を使っている。常陸原明神という俗称を記した観光地誌もある[1]。港町の鎮守であり、漁師の崇敬が厚い。旧社格は村社。

本殿

祭神[編集]

手子比売命
  • 漁師の崇敬が厚く、鎮守祭(旧暦2月1日)には出漁を避けることで、この時期の時化から逃れてきたという。古くは初出漁船や遠隔地に出漁する漁船は、船出前に利根川の明神下で無事を祈った[2]
  • 鹿島志に、旧記に「神遊社」ともいい、「大神の御女の神」が祭神とある。
  • 鹿島神宮伝記に、「本社の巽に当り、天宮社あり、手子妃と申し、大明神の女と申す」と記述がある(大日本地名辞書)。
  • 新編常陸国誌は、祭神は鹿島神宮の御女ではなく、常陸国風土記の「海上の安是の嬢子」ではないかとする考察を付している。手子は女子の愛称であり、万葉集に真間手児奈、石井の手児、左和多里の手児等の例があり、また地名とした例に、駿河の手児の呼坂や手子の浦(田子の浦)等を挙げている。
  • 大日本地名辞書は、「海上の安是の嬢子」を祀る社であり、童子女の松原の遺称地であることは疑いないとしている。また童子女が松樹になったという部分は、その墓を意味すると考察している。

常陸国風土記の記述[編集]

常陸国風土記香島郡の条に、昔、童子女の松原というところに、俗にかみのをとこ、かみのをとめという年少童子女がいたという話が記されている[3]

童を那賀の寒田の郎子(いらつこ)、女を海上の安是(あぜ)[4]の嬢子(をとめ)といった。容姿端麗で郷里に名声を響かせ、互いにそれを聞いて惹かれるようになった。月日を経て、嬥歌で二人が偶然出会い、歌を交わし、人目を避けるため松下に隠れて相語らった。やがて夜が明け、二人は人に見られることを恥じて、松の樹になった。郎子を奈美松、嬢子を古津松という。

波崎には、常陸国風土記の物語に因んだ「童子女の松原公園」がある[5]

境内社[編集]

境内にある厳島神社

茨城県神社写真帳には下記の7社が記載されている。

境内案内板には厳島神社、浅間神社、稲荷神社、天満宮、金刀比羅宮の5社のみが記載されている。

歴史[編集]

神護景雲年間(767年770年)創建。

社伝では、古くより息栖神社大洗磯前神社とともに「鹿島神宮の三摂社」と称されてきたとしている。元は鹿島神領に鎮座していたことから、その境外末社に属し、近世には大宮司以下が毎年鹿島神宮で祭典を行なっていた[6]

大日本地名辞書は、近世に鹿島神宮末社に属したことを踏まえつつも、「近世何者か、是社の縁起を偽造して、息栖神と一体とし、其由来を注すれど、信用するに足らず」としている。現在はさらに大洗磯前神社が加わっているが、この括りは疑わしいとしている。

鹿島志、新編常陸国誌、大日本地名辞書等の地誌は、「手子崎神社」の表記を使っている。

明治維新後、近代社格制度で村社に列した。

主な祭事[編集]

神輿殿
大潮祭
旧暦6月15日付近の土日に行われる。江戸時代中期から行われてきたとされる[7]、大漁祈願の祭りである。鳴物は神栖市の無形民俗文化財指定。旧暦6月15日付近では対岸の銚子市の側でも、川口神社・渡海神社の大潮祭が行われ、その日は休漁となる。

現地情報[編集]

利根川河口空撮
左岸が境内のある神栖市波崎地区、右岸が銚子市

利根川河口近くの茨城県側に鎮座する。国道124号銚子大橋から北へ向かうとたもとで左にカーブするが、そこを真っ直ぐ行くと当社になる。

所在地
交通アクセス
周辺

脚注[編集]

  1. ^ 常山総水。常陸原は、旧波崎町あたりの近世の地名である(大日本地名辞書)。
  2. ^ 境内案内板。
  3. ^ 以下の大略及び訓は、標柱古風土記に依拠した。境内案内板は嬢子を「いらつめ」と読ませている。
  4. ^ 大日本地名辞書は、「安是」を銚子口(銚子漁港)に比定している。
  5. ^ 神栖市観光協会「童子女の松原公園」(神栖市波崎9591番地)。2017年3月6日閲覧。
  6. ^ 茨城県神社写真帳。
  7. ^ 茨城県観光物産協会「大潮祭(観光いばらき)」。2017年3月6日閲覧。

参考文献[編集]

  • 神社案内板。
  • 中山信名、栗田寛編「新編常陸国誌」。積善館。明治32-34年(1899-1901年)。
  • 吉田東伍「大日本地名辞書 二版」。冨山房。明治40年10月17日(1907年)。
  • 柳沢鶴吉編「常山総水名勝古蹟」。柳旦堂東京出張所。明治41年10月(1908年)。
  • 栗田寛、藤蔵四郎補註「標註古風土記 : 常陸」。大岡山書店。昭和5年(1930年)。
  • いはらき新聞「茨城県神社写真帳」。いはらき新聞社。昭和16年(1942年)。
上記の文献は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。2017年3月6日閲覧。


外部リンク[編集]