楠本正継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楠本 正継
くすもと まさつぐ
研究室で
人物情報
生誕 (1896-12-29) 1896年12月29日
日本の旗 日本 長崎県針尾島
死没 (1963-12-23) 1963年12月23日(66歳没)
日本の旗 日本 福岡県 福岡市
出身校 東京帝国大学
両親 父:楠本海山 母:坂本氏
学問
研究分野 朱子学陽明学
研究機関 九州大学
学位 文学博士(昭和17年)
称号 九州大学名誉教授
主な業績 宋明時代思想の研究
影響を受けた人物
朱子(宋学全般)・王陽明
影響を与えた人物
岡田武彦
主な受賞歴 西日本文化賞(昭和38年)
朝日文化賞 (昭和39年)
テンプレートを表示

楠本 正継(くすもと まさつぐ、生没は明治29年(1896年)12月29日 - 昭和38年(1963年)12月23日。)は、大正~昭和時代の中国哲学者[1]

経歴[編集]

長崎県針尾に生まれる。

儒学者楠本海山の長男として生まれ、祖父に高名な儒学者楠本端山をもつ。

大正11年(1922) 東京帝国大学支那哲学科卒業
大正12年(1923) 浦和高等学校教授
大正15年(1926) 九州帝国大学法文学部助教授
昭和 2 年(1927) 同 教授
昭和 3 年(1928) ドイツ・イギリス・中国に留学
昭和17年(1942) 文学博士 学位論文は「陸王学派思想の発展」
昭和19年(1944) 同大学図書館長
昭和35年(1960) 定年退官・名誉教授。 この後は福岡で研究生活。
昭和37年(1962) 11月5日『宋明時代儒学思想の研究』上梓(広池学園出版部)
昭和38年(1963)12月23日 死去
昭和39年(1964) 『宋明時代儒学思想の研究』 第二版出版(広池学園出版部)
昭和50年(1975) 論文集「楠本正継先生中国哲学研究」国士舘大学附属図書館編 同大学出版

人物[編集]

楠本正継は晩年の昭和37年に『宋明時代儒学思想の研究』という畢生の名著を出版した。
この書は孔孟に始まる儒学の概説と、宋代に始まった新儒学(宋学)の発生から明代の陽明学までを、その学派の著名な人物の思想と事跡をそれぞれに例を挙げて詳述したものであるが、筆者楠本はこの著書刊行後も補訂を欄外に記していたとのことで、昭和39年に発行された改訂版には、これらも追加された。
このことを編者岡田武彦備考(あとがき)から転記しておく。

楠本正継(中央)と門下生たち①
昭和9年春 九大法文学部玄関前
楠本正継(中央)と門下生たち②
  昭和35年5月 定年退官記念
 本書の著者楠本正継先生は、この書が出版されてから約七ヶ月後病床に臥す身となられ、爾来一意療養につとめられたが、その効もなく命尽きて旧臘二十三日この世を去られた。本書は著者の生涯に於ける唯一の著述であるが、著者自身が「精力此の書に尽く」といふ司馬温公の語を掲げて述懐して居られるように、これは著者の生涯に於ける全精力の結晶ともいふべきものであった。この著述に対して、昨年西日本文化賞、次いで朝日文化賞が授与せられたが、著者が逝去されたのは朝日文化賞の授与が内定して間もなくのことであった。その後御遺族の間で本書の改訂版を発行したいといふ希望があったので、荒木見悟、佐藤仁、猪城博之諸氏の協力を得てその準備を進めて来たが、この度亦広池学園の御好意によってそれが実現を見ることになった。改訂版の初に掲げた筆者の筆蹟は本書出版直後の著者の述懐の詩であり、「補遺一」は本書の出版に当たって著者が省略して活字にしなかった草稿の中から、後学の参考の資に供する所があると思われるものを抄録したのである。この書が出版されてから病に斃れるまで、著者は絶え間なく之に補訂の筆を加え、それを欄外に書き記して居られたが、「補遺二」はこれをまとめて梓に上せたものである。「索引」は人名と書名とに止めることにしたが、その作成に当たっては荒木・佐藤両氏を始め、熊本宏氏及び九大文学部中国哲学大学院学生疋田・高橋両君の手をわづらはした。殊に佐藤氏からは本書発行の計画以来始終協力を得、又広池学園の高橋太一氏には何かと御配慮を受けたが、これら諸氏に対し、御遺族に代って深謝の意を表する次第である。

      昭和三十九年九月一日
                    岡 田 武 彦


上記の「精力此の書に尽く」とという司馬光の言葉は楠本正継の直筆墨書にあり、改訂版の巻頭扉に掲載された(右掲写真)。読みの手引きが『岡田武彦述─わが儒学者への道』思遠会発行 276頁~にあったので付けておく。

 恩師の名著『宋明時代儒学思想の研究』が出版されたのは、恩師の定年退官一年後であった。この書物は恩師が想を練りに練り上げて書かれたものである。だから、その後記のの中で、
 楠本正継(蒼茫齋主人)直筆
『宋明時代……の研究』改訂版掲載
 「宋明時代儒学思想の研究は、ついに熟果の落ちるように、おのずから著者の手を離れる日がきた。然し若し季節に応じた養護と刺激とを欠き、またこれを拾い上げる人が無かったならば、梢の果物は十分に熟さなかったか、熟して落ちても、そのまま路傍で萎んでしまったかも知れないのである。」
と述べられたのである。
 出版後、恩師は常にこれに訂正と補正を加えられた。そこで私は再版のときにこれを付加した。
恩師はこの出版を非常に喜ばれたとみえ、そのときの感想を詩箋四枚に書き記された。この中の二枚は私宛てのもので、語句は他の二枚とほぼ同じであった。再版のとき、この中の一枚を影印して巻頭に掲げた。
穏愜於心矣(朱晦庵)    心に穏愜(おんきょう)す
精力盡此書(司馬温公)   精力この書に尽く
両賢存道語         両賢、道語を存す
穹蒼付譏譽         穹蒼譏譽に付す
   昭和壬寅冬日書成有感
         蒼茫齋主人
 宋明の儒学思想研究書としては、この恩師の著書に優るものはないであろう。日本の中国思想研究は、中国よりも早く西洋の科学的手法を摂取したので、こういう面では今までは中国よりも進んでいたかもしれない。しかし、宋明のような体験を本とする思想の研究は、伝統的な手法を忘れるならば、その神髄は体得しにくい。恩師の学風には西洋の科学的な手法をとりながら、家学を継承してこれを越えたところがあるから、こういう点では内外の学者の追随を許さない画期的なものであったといわなければならない。私はこれを英訳にして世界の識者に紹介すべく努力したが、それも費用の点で実現をみなかった。今、中国語に翻訳してもらうよう努力しているが、これも覚束ない限りである。
 今の学者は、果たして体験を本とする恩師の学風をどれだけ理解しているであろうか。東洋から新しい哲学思想が創造されるとすれば、必ず恩師のような学風を通過しなければ不可能であろう。(この欄『岡田武彦述─わが儒学者への道』思遠会発行より転載)

著作[編集]

  • 『宋元理學史的「心即理」思想』北京近代科学図書館発行 中国語 19--年
  • 『宋明両思想の葛藤』楠本正継著 楠本正継個人出版 1957年1月
  • 『九州儒学思想の研究』楠本正継等著 楠本正継個人出版 1957年
  • 『宋明時代儒学思想の研究』楠本正継著 広池学園出版部 1962年11月

論文[編集]

  • 「莊子、天籟考」
  • 「全体大用の思想(朱子学の発展)」
  • 「熊本実学思想の研究」
  • 「宋明思想家の考えた教育の本質」

脚注[編集]

  1. ^ https://tksosa.dijtokyo.org/?page=collection_detail.php&p_id=248&lang=ja

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

楠本正継』 - コトバンク