出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "銅輪太子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年1月) |
銅輪太子(どうりんたいし / トンニュンテジャ、生年不詳 - 572年)は新羅の第24代王真興王の長男。母は朴氏の思道夫人。第26代王真平王の父。
566年に太子に立てられるが、572年3月に父に先立ち亡くなった。
- 祖父(父方):立宗葛文王金仇珍(第23代国王、法興王の弟。)
- 祖母(父方):只召太后(法興王の娘。)
- 父:真興王 第24代国王
- 母:思道王后
- 弟:真智王 第25代国王
- 弟:金仇輪(第30代国王、文武王の王妃である慈儀王后の父方の祖父。)
- 正室:万呼夫人(立宗葛文王金仇珍の娘で真興王の妹。父方の叔母に当たる。)
- 側室:美室(第2代風月主、未珍夫と母の姉の妙道夫人の娘。母方の従姉妹に当たる。)