高森顕徹

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高森 顕徹(たかもり けんてつ、1929年2月6日[1] - )は、富山県氷見市生まれ、射水市在住[2]宗教家浄土真宗親鸞会(以下親鸞会)の創設者・会長[1]龍谷大学専門部卒業。

人物[編集]

「一親鸞学徒に過ぎない」として自らについて多くを語らず、自伝なども出していないため、来歴(特に幼少期)や思想形成の経緯には不明な点がある[1]

1929年昭和4年)2月6日、富山県氷見市の浄土真宗本願寺派遠景寺に次男として誕生[1]太平洋戦争末期には海軍特攻隊に志願したが、出撃寸前に終戦を迎える[1]

復員後、高岡仏教学院に半年通ったのち、龍谷大学専門部に進学[1]。在学中から活発に布教活動を行い、伊藤康善一派の信仰活動にも参加したとされる[1]。また在学中の1947年(昭和22年)に「信心決定」を体験したが、その具体的な内容は語られていない[1]。同年本願寺派寺院で得度し僧侶となったが、「親鸞聖人の本当の教えを伝えていない」として本願寺教団に反発し、1952年(昭和27年)に「徹信会」(のちの親鸞会)結成と同時に本願寺教団から事実上離脱、1970年(昭和45年)に正式に帰俗した[1]。親鸞会の詳細については当該記事を参照のこと。

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 森葉月「<研究ノート> 浄土真宗親鸞会 ―「ファンダメンタリズム」論の再検討に向けて―」『国際基督教大学学報Ⅲ-A,アジア文化研究』第24号、国際基督教大学アジア文化研究所、1998年、173-188頁、doi:10.34577/00002676 
  2. ^ a b c 1万年堂出版公式サイト

外部リンク[編集]