Category‐ノート:自然哲学者

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方向性[編集]

(自然科学に没入してしまっている人は気付いていないようですが)実は、今西友信の著書などでも指摘されているように、現代においても、自然について考察する時にはその思考法を自然科学的な思考に限定したりせず、もっと人間的なこと・社会的なこと・意味にかかわること、など重用なことと関連づけながら、哲学的に、総合的に自然を考察しようとしている人々は大勢いる、つまり現代でも自然哲学を行っている人々はいる、現在でも自然哲学は行われているので、カテゴリーの方向性としては、古代の人々から現代の人々まで(例えばドイツ語版のde:Kategorie:Naturphilosophに掲載されているような現代の人々も)含むような形になってゆくはずです。日本語版でも、ドイツ語版ウィキペディアのように、そうした人々の記事も増えてゆくでしょうから。-- 222.146.127.181 2011年8月29日 (月) 03:39 (UTC) --222.146.127.181 2011年8月29日 (月) 04:33 (UTC)[返信]

pathnavi[編集]

Pathnaviを修正した。つい150年ほど前まではphilosophiaというのは「学問」とほぼ完全に同義でした。つい150年前まで、philosophia=学問であり、また学問=philosophiaだったのです。ほんの150年前まで、哲学は人文学の一分野などではなかった。学問の全てだったのです。学問という概念を「philosophia」=「知を愛すること」と呼んでいたのです。そしてわずか200年前には、この世に「科学」などというものは無かった。科学なるものの歴史は浅く、ほんの150~180年ほど前に、母親である《philosophia=全学問》から、鬼子のように生まれた。それ以前の人々は、自然を対象に探求している人たちは皆、自然哲学者です。自然科学者などではない。科学を軸にした現在の学問分類は、ほんの150年もさかのぼると全然有効ではない。自然哲学を人文科学に分類してしまうような行為は、大きな間違い。学問の歴史を知らない、あまりに無教養な見方。あえて分類構造を記すとしたら、「学問 > 自然哲学」とするよりしかたない。--222.146.165.230 2011年9月21日 (水) 16:18 (UTC)[返信]