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パタゴニアの手の洞窟。
パタゴニア手の洞窟

アルゼンチンの歴史では、アルゼンチン共和国歴史について述べる。

アルゼンチンの最初の住民は、紀元前11000年にアジアからベーリング海峡を渡ってやってきた人々だった。彼等はパタゴニアに「手の洞窟」を残している。

先インカ時代の15世紀以前からも、山岳地帯には、ケチュア系、アイマラ系の先住民(インディオ)が、ケチュア語パンパと呼ばれた草原地帯や、同じくケチュア語でチャコと呼ばれた北部のサバンナ地帯にはチャルーア族や、グアラニー族といった狩猟民族や、原始的な農耕を行う部族が居住していた。

アルゼンチン領域は、インカ皇帝トゥパク・インカ・ユパンキワイナ・カパックの遠征によって征服され、タワンティンスーユ(インカ帝国)の一州であるコジャスーユに組み込まれたものの、北西部のアンデス山脈地方においてさえもインカ帝国の権威は強くなかった。インカ時代においてもアルゼンチンは辺境の地であったといえる。アルゼンチンにおけるインカ帝国の領域は現在のフフイ州サルタ州トゥクマン州カタマルカ州ラ・リオハ州サン・フアン州サンティアゴ・デル・エステロ州メンドーサ州北西部にまで及んでいた。

16世紀のスペイン人による発見直前の現在のアルゼンチンの地域には、草原地帯、山岳地帯共に約12の部族、合計24の部族を併せておよそ340,000人のインディオがいたと推計されている。インカ帝国の一部であった北西部のアンデス地域が最も発展しており人口が多く、パンパには30,000人、パタゴニアには10,000人ほどのインディオがいたとされている。パタゴニアの名はフェルディナンド・マゼランが遭遇したインディオの足の大きいことに驚いたことから来ているが、パンパはケチュア語からであり、この草原地域にまでインカ帝国の影響があったことが窺える。アルゼンチンにおけるインカ文明の影響は、現在もアンデスのフォルクローレの代表的な曲『ウマウアカの男』に歌われるフフイ州ウマウアカ村のカルナバルなどに見てとれる。

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