ゲオルク・マルティン

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ゲオルク・マルティン(Georg Martin、生没年不詳)は、明治時代にお雇い外国人として来日したドイツ薬学者である。

経歴・人物[編集]

1874年(明治7年)1月日本政府の招聘により来日した。横浜及び東京試薬場(後の司薬場)に勤務し薬品の実験指導及び監督を務めた。また、同時期に文部省内の医療局のお雇いとなり、足柄県(現在の神奈川県)での出張において鉱泉実験を創始した。

この業績により、同年11月からは東京医学校(現在の東京大学医学部)の製薬学科学生の専属教師となり、1876年(明治9年)9月から1879年(明治12年)に満期で退職するまで、同学校で薬学等の教鞭を執った。

出典[編集]