コナン (プロレスラー)
コナン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
コナン コナン・エル・バルバロ コナン・ザ・バーバリアン セントゥリオン レランパゴ マックス・ムーン(初代) ラテン・フューリー |
本名 | チャールズ・アシュノフ(カルロス・サンティアゴ・エスパダ・モイセス) |
ニックネーム | K-Dawg |
身長 | 187cm |
体重 | 115kg |
誕生日 | 1964年6月6日(59歳) |
出身地 |
キューバ サンティアーゴ・デ・クーバ |
所属 | AAA |
トレーナー |
レイ・ミステリオ・シニア ネグロ・カサス スペル・アストロ |
デビュー | 1987年1月6日 |
コナン(Konnan)のリングネームで知られるチャールズ・アシュノフ(Charles Ashenoff、1964年6月6日 - )は、キューバのプロレスラー。サンディアゴ出身[1]。
来歴[編集]
6歳でキューバからアメリカに亡命。幼少期をフロリダ州マイアミで過ごす。1982年に地元の高校を卒業後、ストリートギャングの一員となった。更生後にアメリカ海軍に4年入り、ボクシングをしていた。
キャリア初期[編集]
アメリカ海軍除隊後、カリフォルニア州のサンディエゴに移住しボディビルを始める。同地のプロレス団体のプロモーターに見出され、1987年1月6日にバハ・カリフォルニア州ティフアナのインディー団体でプロレスラーデビュー。以降、1989年よりメキシコのUWA、1990年にはEMLLと転戦し、2月にはコナン・エル・バルバロ(Konnan el Barbaro)なるリングネームのマスクマンとしてFMWに初来日。当時FMWにコナンを紹介したレッド・バスチェンは「第二のマスカラスになりうる男」とコナンを評価。
1992年、AAAに移籍。サイボーグをモチーフとしたマスクマン、マックス・ムーン(Max Moon)なるギミックでWWFに登場するが、短期間で離脱(後任としてポール・ダイヤモンドが2代目マックス・ムーンに扮した)。
1994年11月、新日本プロレスのAAAルチャ・ワールドに参戦するため再来日している。
1995年、ECWに参戦。当時ブッカーを務めていたポール・ヘイマンに見出されスポット参戦するようになり、PPVであるNovember to Remember 1995に出場した際にはスカッシュマッチでジェイソン・ナイトから圧勝した。
WCW[編集]
1996年、WCWをアメリカでの主戦場に活動。参戦早々の1月29日、ワンマン・ギャングを破りWCW USヘビー級王座を獲得。7月にはUS王座をリック・フレアーに奪取された後に、ケビン・サリバン率いるモンスターユニット、ダンジョン・オブ・ドゥームに加入。
1997年7月14日、一世を風靡した大型ユニットとして知られるnWoに加入。バフ・バグウェルらと中堅としてのポジションを確立し、またやられ役としても活躍。1998年にはnWoが分裂し、ベビーフェイス側となるケビン・ナッシュがリーダーを務めるnWoウルフパックの一員となり、11月30日にはクリス・ジェリコからWCW世界TV王座を奪取している。
1999年、白nWoと赤nWoが一つにまとまるタイミングでnWoから追放される。その後はマスター・P率いるノー・リミット・ソルジャーズに加入するがこれといった活躍ができずに脱退。そしてエディ・ゲレロ、レイ・ミステリオ・ジュニア、ビリー・キッドマンといったルチャドーラーたちとフィルシー・アニマルズ(Filthy Animals)なるユニットを結成。10月18日にミステリオ・ジュニアとのコンビでハーレム・ヒートからWCW世界タッグ王座を奪取し、11月25日にはキッドマンとのタッグで再びハーレムヒートから同王座を奪取するなど活躍。2000年にはナチュラル・ボーン・スリラーズ、ジェネラル・レクション率いるミスフィッツ・イン・アクション、クロニック(ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク)などといったユニット間の抗争が起こり、タッグ王座を巡って激闘した。この抗争は2001年まで続いたが、最終的にWCWがWWFに買収されることになった。
TNA[編集]
WCW崩壊後、TNAに2002年6月のPPVに参戦したことをきっかけに、2003年に正式に入団。BG・ジェイムス & ロン・キリングスとスリー・ライブ・クルー / 3LK(3 Live Kru)なるユニットを結成し、タッグ戦線で活躍。11月には3人でタッグ王座を保持していると主張するなどリング内外を暴れ回った。また、同年には古巣であるAAAに復帰。
2005年、BGのWWF時代の相方であるキップ・ジェイムス(ビリー・ガン)が入団し、3LKにメンバー入りしたことで4人となり、ユニット名を4LKへと改称。しかしBGとキップが二人で行動するようになり仲間割れが起きるようになり、結局BGとキップは4LKから離脱し、ジェイムス・ギャングとして活動。結局4LKは解散となった。
4LK解散後、ジェイムス・ギャングとの抗争中、コナン一人では抵抗できなくなってきたことから12月31日にアポロ、ホミサイドを呼び寄せてラテン・アメリカン・エクスチェンジ / LAX(The Latin American Xchange)なるヒスパニック系プロレスラーユニットを結成。後にヘルナンデス、マチェーテなどが加わり、LAXは一大勢力となった。2007年には人工関節置換術を受けたことから長期欠場。これをきっかけにTNAから退団することになった。
AAA[編集]
TNA退団後、AAAと単独契約を交わし完全移籍。多国籍大型ユニットであるラ・リージョン・エクストランヘラ(La Legión Extranjera)を結成し、リーダーとして君臨。2007年より人工関節置換術を受けていたこともあり、マネージャー的な役割をしていたが、2013年4月より再び試合に出場している。
得意技[編集]
- 変型ボストンクラブ。フィニッシャー
- 変型DDT
- 変型フェイスバスター
- ジップロック
- スタンディング・レッグロック
- スコット・ホールのアウトサイダーズ・エッジと同型のパワーボム
獲得タイトル[編集]
- CMLL
- CMLL世界ヘビー級王座 : 1回
- WCW
- WCW USヘビー級王座 : 1回
- WCW世界TV王座 : 1回
- WCW世界タッグ王座 : 2回
- w / レイ・ミステリオ・ジュニア
- w / ビリー・キッドマン
- WWCユニバーサル・ヘビー級王座 : 1回
- WWC世界タッグ王座 : 1回
- w / カーリー・コロン
- TNA
- NWA世界タッグ王座 : 2回
- w / BG・ジェイムス、ロン・キリングス
- その他
- LAWAヘビー級王座 : 1回
- IWAS世界ヘビー級王座 : 1回
- IWC世界ヘビー級王座 : 1回
- AAAアメリカヘビー級王座 : 1回
- CW US北西タッグ王座 : 1回
- w / アート・バー
- IWAS世界タッグ王座 : 1回
- w / レイ・ミステリオ・ジュニア
入場曲[編集]
- Eye of the Tiger - Survivor
- In Yer Face - Howard Pfeifer
- Dead Man's Trousers
- Dungeon of Doom - Jimmy Hart
- Tear It Up - Jimmy Hart and H. Helm
- Rockhouse" - Jimmy Hart and H. Helm
- Wolfpac
- Psycho
- Bow Wow Wow - Konnan featuring Madd One
- Filthy
- Reason
- 3 Live K - 3 Live Kru
- Beware - 3 Live Kru
- Dawgz - Konnan
その他[編集]
- 1996年にプロモ・アステカなるインディー団体を旗揚げしたが、2004年に崩壊している。
- ブレット・ハートに対して後にハートのフィニッシュ・ホールドとなるシャープ・シューターを教えた人物である。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- Konnan - Luchawiki