シティベニ・ランブカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シティベニ・ランブカ
Sitiveni Rabuka
フィジーの旗 フィジー首相
就任
2022年12月24日
大統領ウィリアメ・カトニヴェレ
前任者フランク・バイニマラマ
任期
1992年6月2日 – 1999年5月19日
大統領カミセセ・マラ英語版
ペナイア・ガニラウ英語版
前任者カミセセ・ララ
後任者マヘンドラ・チョードリー英語版
フィジーの旗 フィジー暫定軍事政府議長
任期
1987年10月7日 – 1987年12月5日
後任者ペナイア・ガニラウ
個人情報
生誕 (1949-09-13) 1949年9月13日
フィジーカカウドローヴ州英語版ドレケニワイ村(バヌアレブ島
政党人民同盟党
配偶者スルウェティ・ツイロマ
子供3
宗教クリスチャン
兵役経験
渾名スティーブ[1]、ランボー[2]
所属組織フィジー共和国軍英語版
軍歴1968–1991
最終階級少将
部隊フィジー陸軍
戦闘レバノン内戦
受賞大英帝国勲章
レジオンドヌール勲章

シティベニ・リンガマンマンダ・ランブカ英語: Sitiveni Ligamamada Rabuka1949年9月13日 - )は、フィジーの元陸軍軍人、政治家。元国軍司令官。現在、4度目の同国首相兼外務大臣を務めている[3]1992年から1999年にも首相を務めた。1987年10月に君主制であったフィジーで共和国宣言をし、イギリス連邦を離脱させた。

経歴[編集]

カカウドローヴ州にあるドレケニワイ村の出身である。クイーン・ビクトリア・スクールで教育を受け、1974年度英連邦競技大会では十種競技代表選手として出場した[4]1973年サンドハースト王立陸軍士官学校で専門能力開発コースを修了後、9年間はイギリス連邦内にある各地の士官学校の職員として勤務。1982年に帰国後、フィジー陸軍訓練将校として任務に携わる傍、レバノン内戦多国籍軍監視団のメンバーとしてシナイ半島に配置された。多国籍軍を勝利に導いたとして、1981年エリザベス2世から大英帝国勲章を授与される[5][6]

1987年にはフィジー人の覇権を主張するために軍事クーデター英語版では当時の総督であったペナイア・ガニラウを解任させ、クーデターを成功させた。当時、インド系政府を打倒したとして先住民のフィジー人から英雄として崇められ、ランボーの異名でも呼ばれた[7][2]。しかし2006年にはクーデターを実施したことを謝罪し、治療のためにインドを訪れた際にクーデターのことを悔やんでいると報じられている[8]

民主的な選挙で1992年から7年間、首相に就任。2022年には野党3党の連立政権を組み、首相に返り咲いた[9]

脚注[編集]

  1. ^ Electoral Transparency Lessons for the US from Fiji”. 2023年2月11日閲覧。
  2. ^ a b “フィジー首相、訪中を急きょ中止 血の付いたシャツ姿で理由を説明”. AFPBB News. フランス通信社. (2023年7月26日). https://www.afpbb.com/articles/-/3474224 2023年7月31日閲覧。 
  3. ^ フィジー共和国(Republic of Fiji)基礎データ”. 外務省公式サイト. 2023年2月11日閲覧。
  4. ^ Islanders at the Games”. foxpulsesport.com. Fox Sport. 2016年12月10日閲覧。
  5. ^ http://www.saxton.com.au/sitiveni-rabuka/"He was awarded the French Legion D'Honneur for bravery by the French Government for saving a French officer during an attack on the UN Headquarters in Lebanon in 1980."
  6. ^ http://www.saxton.com.au/sitiveni-rabuka/" For outstanding leadership in Lebanon, Rabuka was awarded the OBE (Military Division) by Her Majesty Queen Elizabeth II in the Queen's Birthday Honours list in 1981."
  7. ^ http://www.corbisimages.com/stock-photo/rights-managed/0000230154-020/sitiveni-rabuka-at-fijian-military-training-ceremony" In April 1987, Rabuka became a hero when he overthrew Fiji's first Indian dominated government in order to install an indigenous Fijian ruling class"
  8. ^ Fiji's SVT party says office break-in was political, Radio New Zealand International, 28 March 2006
  9. ^ フィジー、16年ぶり政権交代 元首相返り咲き、連立へ”. 2023年2月11日閲覧。