スティーブン・オルフォード

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スティーブン・F・オルフォード(Stephen F. Olford, 1918年3月29日 - 2004年8月29日[1])は、アメリカ合衆国キリスト教指導者[2]。彼の親友であるビリー・グラハムは彼を評して「私の伝道に最も影響を与えた人物」と述べている[3][4]。ニューヨークにおいてテレビ番組「エンカウンター」を通じてテレビ伝道を行っていた。また、日曜朝には全米でラジオ説教も行っていた[2]。オルフォード・ミニストリーズ・インターナショナルの設立者でもある。日本ケズィック・コンベンションにも講師として複数回招かれている[4]

経歴[編集]

アフリカ南部のザンビアで生まれる[5]。両親はプリマス・ブレザレンの宣教師であった[6]。その後アンゴラで幼少期を過ごし、イギリスの大学へ留学した。その後バイク事故をきっかけとして教役者を志し、フロリダ州ジャクソンビルにあるルーサー・ライス神学校で神学博士号を取得[5]第二次世界大戦中は主に軍人向けの宣教を行い、ウェールズ南部のニューポートでヤング・ピープルズ・クリスチャンという若者向けの働きを始めた。さらに戦後もイギリスや海外において精力的に宣教活動を行う[2]

1953年ロンドンリッチモンドにあるバプテスト教会で牧師となる。その後1959年にニューヨークのカルバリー・バプテスト教会へ赴任し1973年まで牧師を務めた[2]。その後自身の説教方法を体系化したオルフォードは、1976年に宣教団体オルフォード・ミニストリーズ・インターナショナルを設立[7]。1980年には聖書講解セミナーを開始し、1988年にはテネシー州メンフィスに聖書講解センターが完成した[5][7]

妻のヘザー・ブラウンとは56年間連れ添い、ジョナサンとデビッドという2人の息子がいた。ホイートン大学、ホートン大学、リッチモンド大学から名誉神学博士号を授与されている[3]

著書[編集]

日本で翻訳されているもののみ。

  • 増田誉雄 訳『聖なる大路の道しるべ』いのちのことば社、2000年。ISBN 978-4264018117 
  • 増田誉雄 訳『キリストが私のうちに』いのちのことば社、1997年。ISBN 978-4264016335 

脚注[編集]

  1. ^ Stephen F. Olford Memorial Page”. 2017年4月16日閲覧。
  2. ^ a b c d Life & Legacy of Stephen F. Olford”. ユニオン大学スティーブン・オルフォード・センター. 2009年7月17日閲覧。
  3. ^ a b Stephen F. Olford Memorial Page – Biography – 1983”. ホイートン大学 (2005年1月5日). 2009年7月17日閲覧。
  4. ^ a b “クリスチャンの霊的成長を助ける説教を目指して 「オルフォード講解説教セミナー」東京で初開催”. クリスチャン・トゥデイ. (2019年11月21日). https://www.christiantoday.co.jp/articles/27411/20191121/stephen-olford-expository-preaching-seminar-in-tokyo-2019.htm 2020年10月16日閲覧。 
  5. ^ a b c Dr. Olford”. GMF's Stephen Olford Ministry Legacy Project. 2020年10月16日閲覧。
  6. ^ Only One Life: The Biography of Stephen F. Olford”. pastorrickypowell.com (2011年4月8日). 2017年4月16日閲覧。
  7. ^ a b Olford Ministries International Institute for Biblical Preaching”. 2020年10月16日閲覧。

外部リンク[編集]