ノート:あさが来た

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番宣番組の列挙について[編集]

ノート:まれでも書きましたけれど、番宣出演だけの番組の列挙は不要だと思います。数年前から朝ドラだけの特別が段々エスカレートしてきたみたいですけれど、たとえば月9出演者がビストロやめざましに出たとか、日曜劇場の出演者がブランチに出たとかと同じです。他の民放ドラマでもNHKドラマでも大河ドラマでも、ただ番宣に出ただけの記録などはありません。--Haatouki会話2015年10月1日 (木) 06:30 (UTC)[返信]

PJ:DRAMA#NHK連続テレビ小説に関する特別ルールに追記が必要かもしれませんね。状況によってはPJ:DRAMAに議論移行してもいいのではないでしょうか。--Don-hide会話2015年10月1日 (木) 07:38 (UTC)[返信]

「白岡よの」について[編集]

私が見落としているのか、よのが女中の名前を間違えたのは第何回のどのシーンでしたか?--Haatouki会話2015年11月1日 (日) 01:46 (UTC)[返信]

こんにちはHaatoukiさん。そして、編集、ノート議題立ち上げ、お疲れ様です。クマの名前をわたしが最初に聞き間違え、よのさんが間違えていたと思っておりました。自宅録画を昨日見直しましたら、きちんと「おくま」と呼んでましたね。失礼いたしました。なお、該当記事は昨日削除いたしました。どうかご確認のほど、よろしくお願いいたします。--シロクマスイッチ会話2015年11月7日 (土) 23:38 (UTC)[返信]
確認しました。シロクマスイッチさん、ありがとうございました。--Haatouki会話2015年11月8日 (日) 07:38 (UTC)[返信]

最終話で描かれた時代について[編集]

本作では、作中の登場人物の生没年とモデルとなった人物の生没年が必ずしも一致していません。また、最終回の舞台となった時点の年月日が具体的に描写されたわけでもないのですが、以下の条件からおよその終期が推測できるのではないかと考えました。

1.白岡新次郎のモデルである広岡信五郎氏が1904年に死去していること。
2.白岡千代のモデルである広岡亀子氏が1907年に第4子(長男、広岡喜一氏)を出産していること。
3.物語が新次郎が亡くなった6年後で完結していること。

などの条件から、本稿冒頭部にある大正時代ではなく明治40年代前半がストーリーの終期と考えたのですが、いかがでしょう? 信五郎氏の没後6年後(1910年)と喜一氏の誕生年(1907年)が3年ずれるので、あくまでも推測ですが。--陸奥の水素分子会話2016年4月2日 (土) 04:32 (UTC)[返信]

本作はフィクションであると断りがありますし、別荘の勉強会が最初に開かれたのは1914年らしいので、史実との比較は無意味だと思います。なので、検証してみました。日露戦争が始まった1904年に新次郎が死去し、その6年後の春1910年に勉強会が開かれたと推測されるので、はっきり何年と放送されなかったので断言はできませんが、明治後期ではないかと推測できると思います。--Haatouki会話2016年4月4日 (月) 16:54 (UTC)[返信]

平塚らいてうの登場について[編集]

平塚らいてうは次作『とと姉ちゃん』にも登場することになりました。そのことについて触れる必要はあるでしょうか?--陸奥の水素分子会話2016年7月19日 (火) 09:27 (UTC)[返信]

トリビアでしかないので、必要ありません。--Haatouki会話2016年7月20日 (水) 16:47 (UTC)[返信]

記事が荒らされてました(外部リンク)[編集]

--Gqjp会話2020年12月1日 (火) 11:49 (UTC)[返信]

差分:あさが来た 2020年7月16日 (木) 15:51 利用者:Haatouki会話 / 投稿記録