ノート:アダム・スミス

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出典明示のお願い[編集]

利用者:ヒスタミン会話 / 投稿記録さんをはじめとするこのコメントをご覧になった方へ。一般的なウィキペディア以外の百科事典(日本大百科事典、世界大百科事典、ブリタニカ日本語版)及び、一般的な国語辞典(広辞苑、大辞林、大辞泉等)によれば、自由放任主義重農主義者と共に、アダム・スミスが主張していた(詳しくは、重農主義者が初めに主張した「自由放任主義」を、アダム・スミスが完成した、)とするのが一般的な見解のようです。アダム・スミスは「自由放任主義」(レッセ・フェール)を主張していない、とする見解が誰のものなのか、出典を明示の上で加筆し、NPOVにも配慮した記事の充実につながることを期待しています。--Anonymous000 2007年1月13日 (土) 09:30 (UTC)・lk追加--Anonymous000 2007年1月17日 (水) 15:59 (UTC)[返信]

  1. >それでも一般に、アダム・スミスは、「自由放任主義」を体系化した経済学者として知られている。
    国語辞典等にアダム・スミス=自由放任主義とあることは僕個人は確認できましたが、その国語辞典等の明記が本文にありません。
    「一般に知られている」という根拠もありません。
  2. >ただスミスは、イギリスの港に他国の船舶が入港することを制限する政策は擁護し、また、著書で積極的に国家の役割を論じるなどした。
    これも出典の明記がないために消しました。僕個人はこれが正しいかどうか知りません。
  3. >アダム・スミスは「自由放任主義」(レッセ・フェール)を主張していない、とする見解が誰のものなのか
    根井雅弘の著作「経済学のたそがれ」に「アダムスミスの国富論には自由放任主義の文字はない。」「アダムスミスが自由放任主義を主張したという人は、アダムスミスの国富論を読んだことがあるのだろうか」とある。(一期一句正しくはありません。)
    僕個人が国富論を読んだわけではないために、これが出典になるかわからないので自発的には記述しません。
    許されるのであれば出典を明記した上での記述の提案。
    根井雅弘の著作「経済学のたそがれ」には、アダム・スミスの自著の国富論には自由放任主義にあたるものがなく、自由放任主義を主張したことが否定されている。
    国語辞典等多くの辞典にはアダム・スミスが自由放任主義を主張したとされている。
    国語辞典等多くの辞典にはアダム・スミスが自由放任主義を体系化したとされている。
ヒスタミン 2007年1月15日 (月) 06:05 (UTC)・インデントと番号を付記の上、br除去--Anonymous000 2007年1月17日 (水) 15:59 (UTC)による[返信]
コメントの便宜と可読性向上のためにインデントと番号を追加しました。また、brタグの使用は推奨されていませんので、除去いたしました。ご了承ください。以下コメントです。--Anonymous000 2007年1月17日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
  1. 中高生向けの学習参考書を調べてみましたところ、中学生向けの少し詳し目の複数の学習参考書(『中学全学習プラス発展学習・歴史中学事典』(教学研究社)346p.、『中学社会自由自在』(受験研究社)307p.)で、「アダム・スミスが、重商主義に反対して、国富論の中で、自由放任主義を主張した」という旨の記載を確認しました。また、高校生向けの政治経済の参考書には殆ど全て掲載されていました。なお、小学生向けの参考書には記載を確認できませんでした。このような、義務教育中の中学生が勉強するような事項は、出典不要の常識(「 普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識」(広辞苑5版による)に属するもの、つまり、「一般に知られている」こととして、出典不要で掲載可能であると、私は考えます。
  2. この部分は私が加筆したものではありませんので、詳しいコメントは差し控えます。しかし、この一文だけを取り立てて除去する必要があるとは、私は考えません。
  3. 根井雅弘さんの著作を「出典」としてあげていただいたことに感謝します。しかし、ヒスタミンさんは、根井雅弘さんの記述について、誤った理解をされているように思います。上げていただいたところについて、私は、「アダム・スミスは、国富論の中で、「自由放任主義」という言葉を、直接使っていないので、アダム・スミスが「自由放任主義」を主張したという一般常識に疑問を持って、原著を読むといい」と、根井雅弘が主張されているという風に読みました。つまり、アカデミックな分野でよく言われる「原著(いわゆる一次情報源)を読むべき」という主張をしているに過ぎないのではないでしょうか?これを、「根井雅弘は、アダム・スミスが自由放任主義を主張したことを否定している」と捉えるのは、ヒスタミンさん独自の解釈、つまり論理的に飛躍した誤読であるばかりか、場合によっては、著作権者である根井雅弘さんの著作権や著作者人格権の侵害にも当りうる重大な問題にも発展しかねませんので、ウィキペディアの記事の中にそのような記述を行うのは不適切であると私は考えます。
  4. 4点目。以上の通り、ヒスタミンさん独自の解釈に基づく記事の記述提案には賛成できません。
以上の理由で、「意味のある記載」を除去する編集は不適当と考え、リバートしました。色々思うところがあるので、続きはuser_talk:ヒスタミン#警告に書きます。お知らせいただいた根井雅弘さんの著作は、そのうち入手して私も読んでみることにします。お知らせいただいたことには感謝します。--Anonymous000 2007年1月17日 (水) 15:59 (UTC)[返信]

示された本を読んでいないけど、ヒスタミンとやらの見解が誤認であるということがわかるとは詭弁ですな。著作権、著作者人格権の侵害になるというのも意味不明で詭弁ですな。220.99.48.44 2007年1月20日 (土) 15:48 (UTC)[返信]

私はAnonymous000の意見に一理あると思います。確かに上記の言い方は少々きついかも知れませんが、言っている内容は納得できます。というより、普通は自由放任経済(レッセフェール)という言葉を聞けばすぐに神の見えざる手を連想するものだと思いますが、いかがでしょうか。まぁ尤も、原点とは言えると思いますが体系かしたかどうかはまた別ですね。Kuro-hato 2007年1月20日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
経済学に詳しいわけではありませんが、とりあえず手許の
  • 八木紀一郎『経済思想』日経文庫 pp.46-47
  • 関本安孝『改訂新版・経済学史』梓出版社 pp.140-141
でも、実質的に自由放任主義を主張したとまとめられています(以下で触れる制限についてももちろん言及はありますが)。なお、「自由放任主義」という言葉でなくて、「自然的自由の体制 (System of natural liberty)」という言葉と結び付けて論じられていますが、こういう概念の場合、きっかり同じ言葉を使っているべきというのでなくて、内容的に同じことを言っていれば問題ないのではないでしょうか。
ついでに申し上げておきますと、ヒスタミン氏が一度削除した「ただスミスは、イギリスの港に他国の船舶が入港することを制限する政策は擁護し、また、著書で積極的に国家の役割を論じるなどした。」ですが、貿易の制限は『国富論』第4編第2章「国内でも生産できる財貨を外国から輸入することに対する制限について」において、また、国家の役割については第4編でも出てくる他、第5編「主権者または国家の収入について」で論じられています(編題、章題は中公文庫版より)。削除するのは論外ですし、出典を求めなければならないような特異な主張でもないだろうと思うのですが、いかがでしょうか。
(追記)根井氏の著作は未読ですが、おそらく(スミスは貿易の制限なども視野に入れているので)無条件な自由放任などは主張していない、ということなのではないでしょうか。--Sumaru 2007年1月21日 (日) 03:21 (UTC)[返信]
(追記)手に入ったのでざっと目を通してみたのですが、大意、そう言う感じでした。それと、「キーワード主義」(例えば「アダム・スミス」=「自由放任主義」、「ケインズ」=「財政赤字主義」etc.)、つまり、「丸暗記主義の受験勉強」に対して特に批判し(同書10p.)、原著をしばしば引用の上で、単純な割り切りをせずに、背景の思想を追求するという、学者の書いた啓蒙書(カルチャーセンターでの講座と並行して書いた原稿だそうです)らしい、読み応えのありそうな本でした。ただ、経済学の素養に乏しく、経済学分野における「通説」をよく知らない私にとっては、少し難しくも感じ、「もっと勉強しなければなぁ。。」と思いました(^^;;。--Anonymous000 2007年1月27日 (土) 05:31 (UTC)[返信]


検証可能性を読んでください。要出典が張られていましたが出典が明記されることがないために消したのではないでしょうか。検証可能性は公式な方針であるためにこれを満たすことは義務です。Sumaruさんが上で書かれたことは出典になります。出典が不要であるのにそう書かれるということは矛盾します。得意な主張であるかないかではありません。知識ある記述者が理解できていても、閲覧者が理解するかどうかは別ですから明記する必要があります。

>出典を示す責任は掲載を希望する側に を特に読んでください。

根井雅弘さんの経済学のたそがれの141ページにはケインズの「自由放任の終焉」からの引用で、「スミス、リカードマルサスの著作に自由放任という言葉は見当たらない」としています。また、146ページから147ページには「フリードマンの書いたエッセイの類を読むと、国富論への言及があり、自由放任主義者スミスという誤解を与えやすいイメージを植えつける引用がされている」とした後で、「規制緩和を主張する人の文章にも見られるが、彼らが本当にスミスを読んでいるかどうかは疑わしいのではないだろうか」とし、国富論第五編で国家の義務を示していることを引用しています。根井さんがこう書いたということは「スミス=自由放任主義」の一般的な普及と同じく事実性を満たすものです。つまり検証可能です。アンガージュマン 2007年1月21日 (日) 04:22 (UTC)                              [返信]

>Sumaruさんが上で書かれたことは出典になります。出典が不要であるのにそう書かれるということは矛盾します。得意な主張であるかないかではありません。
本文の「国富論』の大部分は」以降では、国富論の意義や内容について書かれているのですから、一連の国富論の中に普通に書かれていることのなかで、ヒスタミンさんが削除なさった部分だけに出典が求められるのはおかしいのではないか、と思い上のように書きました。国富論の話をしているときに逐一「国富論の中に書かれている」と書くのは煩瑣になるだけですし、「出典がない」という理由でこれを削除してよいのなら、これを含む前2段落は丸ごと削除されねばなりません。言うまでもなく、私にはWikipedia:検証可能性を否定するつもりなど、元よりありません(ただ「国富論」の記事が立っている現状で、記事の末尾に参考文献として国富論を挙げる意義は薄いように思ったまでです。記載に反対はしませんが)。
なお、アンガージュマンさんが引用して下さった根井氏の主張の内容を見る限りでは、現状の本文の
>ただスミスは、イギリスの港に他国の船舶が入港することを制限する政策は擁護し、また、著書で積極的に国家の役割を論じるなどした。それでも一般に、アダム・スミスは、「自由放任主義」を体系化した経済学者として知られている。
で特に問題はないように思いますが。--Sumaru 2007年1月21日 (日) 05:20 (UTC)[返信]
(追記)「公式な方針」ではなく「考慮すべきガイドライン」ではありますが、wikipedia:事実を確認する#事実かも知れない記述を除去しようとするときというものがあります。少なくとも『国富論』そのものに載っている内容や多くの概説書に載っている見解を、国富論を読んだことがないと公言する方が一方的に削除したことは、軽率の謗りを免れえないのではないでしょうか。また、その正当化として、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にが持ち出されたことには違和感を表明しておきます(繰り返しますが検証可能性それ自体に反対するものではありません)。--Sumaru 2007年1月21日 (日) 08:42 (UTC)[返信]
Kuro-hatoさん、Sumaruさん、コメントありがとうございます。なかなかご納得いただけず、困っていましたので、大変助かりました。お二人のご意見に全く同感です。<要出典>テンプは私が貼ったものなのですが、原著に記載されているということから、私の方で除去しておきました。ご教示ありがとうございました。--Anonymous000 2007年1月21日 (日) 10:18 (UTC)[返信]


ソックパペットによる議論攪乱の疑いについて[編集]

このページで議論に参加している、利用者:ヒスタミン会話 / 投稿記録氏、IP:220.99.48.44会話 / 投稿記録氏、アンガージュマン氏は、下記に示すとおり、Wikipedia:荒らし#ソックパペットであることが強く推認される投稿履歴を有しています。そうだとすると、自作自演による議論攪乱という、無期限ブロックの対象ともなる悪質な投稿といえることから、user_talk:アンガージュマンで質問の上、お返事を待っているところです。ただ、同一人物だとすると、「ヒスタミン」氏は、user_talk:ヒスタミン#警告を行った後に、アンガージュマンさんのアカウントを作成して、「警告逃れ」を行うような方ということになるので、余りお返事を期待することはできないように思います。おそらく意固地になっているのでしょうが。。。

ただ、私の経験上、こういう悪質な投稿態度を示す方は、コミュニティを長期にわたってかき回すことになることが強く懸念されるため(ノート:中京圏参照)、CU依頼をした上で、ブロック依頼を行った方が良いようにも思っています。もしよろしければ、Sumaruさまをはじめ、皆様のお考えをお聞かせください。--Anonymous000 2007年1月21日 (日) 10:18 (UTC)[返信]

お疲れ様です。コメントが遅くなりまして申し訳ありません。アンガージュマンさんがどう出るかを見た上で判断しようと思っていたためですが、既に会話ページにて多重アカウントを認めた上での活動停止宣言が出ていますね。とりあえず本人がAnonymous000さんの調査を全肯定しているのですから、CUの必要はないと思います。上記でのIPでの発言は議論の撹乱だけでなくAnonymous000さんへの暴言にも当たり、ブロック相当であるようにも思えますが、活動停止を宣言している以上、ブロック依頼を提出すべきかは微妙なところだと思います(活動を再開するまで静観というのもひとつの手かと)。ただし、利用者:アンガージュマン名義は、議論の撹乱を目的としたソックパペットであることを本人が認めていることから、無期限ブロックで問題ないと思います(議論当事者であることから私によるブロックは控えますが)。--Sumaru 2007年1月22日 (月) 09:50 (UTC)[返信]

あれま。確かに認めているようですね。対応はSumaruさんのおっしゃるように無期限ブロックでいいと思います。Anonymous000さん大変おつかれさまでした。Kuro-hato 2007年1月22日 (月) 12:22 (UTC)[返信]

Sumaruさん、Kuro-hatoさん、ご意見ありがとうございます。確かに、ソックパペットを用いた悪質な議論攪乱は無期限ブロックの対象となる悪質な行為で、無期限ブロックが妥当とするというご意見について、私ももっともだと思います。ただ、もう少し評価してあげてもいいかな、と思うところがあります。つまり、ヒスタミンさん(のソックパペット)ご本人から多重アカウント等を認めて謝罪いただいたおかげで、(これまでに件の一行を記載するために、散々の迷惑をコミュニティに広げたことをさておくと)、多忙なCU係さんの手を煩わせることなく、問題が収拾しつつあるところです。
僭越な「そもそも論」になりますが、投稿ブロックは、本来、「懲罰」のためではなく、今後の「被害拡大の防止」のために行うものと私は理解しています。ヒスタミンさんは、今回が3度目の「辞めます」宣言ですが、これまで2回は、すぐに投稿を再開されるほど、ウィキペディアがとてもお好きな方のようです。とすると、仮に無期限ブロックになったとしても、新たにブロック逃れのソックパペットを作ってまた編集するようになるかもしれません。それよりむしろ、きちんと謝罪いただいて、今後同様の事を行わないでいただく方が、はるかに「被害の予防」になるように思います。
そこで、ブロック依頼をする前に、ヒスタミンさんに、このページで謝罪していただくようにお願いしてみたいと思い、もう一度user_talk:アンガージュマンで呼びかけを行って見ました。甘すぎるかなぁ、とも思いつつ、謝罪している方相手に、すぐにブロック依頼を行うよりも、もう少し寛容さのあるコミュニティであって欲しいなぁ、という私の個人的な好みの問題なのかもしれません。僭越なコメントをいたしましてすいません。2〜3日待ってみようと思います。--Anonymous000 2007年1月22日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
第三者立場からの意見として申し上げます。ご本人の自認もありますので、CU依頼については取り下げをお願いしたいです。ブロックについては、本体(という表現は好ましくないかもしれません)である利用者:ヒスタミンさんのIDを残し、ソックパペットである利用者:アンガージュマンのIDへのブロックとすることを提起します。うまく表現できないのですが、かつて私自身が関わったブロック依頼事案のあとの後味の悪さを思い出し、ブロックすべきは本来目的外の利用のためのIDに留める、という解決策があってもよいのではないかと考えている次第です。--田英 2007年1月22日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。CU依頼の提案は取り下げます。というより、不要ですね。こちらのページに書き忘れていました。ブロックについては、難しいところです。Wikipedia:多重アカウントの使用自体は、必ずしも禁止されているわけではないため(もっとも、正当な理由がない限り、望ましくはないですが。。)、両者(ヒスタミンさん、アンガージュマンさん)の利用者ページに表示いただく(例としてuser:ks_aka_98user:ks_aka_99〜変なところで例を出してすいません>ks_aka_98さん)ことで、私としては、あえてブロックにしなくてもいいのかも知れないと思っているのですが、甘すぎるでしょうか?もちろん、きちんとした謝罪をしていただくことが前提ですが。。。--Anonymous000 2007年1月22日 (月) 15:39 (UTC)[返信]
暴言、不当な検証可能性の要求、多重アカウントを用いた議論撹乱と数々の罪、失礼いたしました。今後はこのようなことがないよう誓います。申し訳ありませんでした。
多重アカウントはヒスタミンとアンガージュマンのふたつです。
ヒスタミン、アンガージュマンそれぞれの利用者ページに多重アカウントであることを表示しました。ヒスタミン 2007年1月22日 (月) 23:41 (UTC)[返信]
下の「同一人物による投稿であることが疑われるアカウントとIP」にありますIP:220.99.48.44、IP:220.111.54.208、IP:221.187.84.242も自分です。申し訳ありませんでした。お許しください。ヒスタミン 2007年1月23日 (火) 00:10 (UTC)[返信]

(インデント戻します)sumaruです。私が上で提案していたのは田英さんが仰っていることとほぼ同じで、

  • (メインアカウントの?)ヒスタミン名義 - 別途依頼提出の必要性を検討する必要あり
  • アンガージュマン名義 - 本人がソックパペットと認めていることから即時無期限ブロック

という意図を述べたつもりでした(名義の話では敬称略にて御海容を)。誤解があったかもしれないと思い、念のため申し上げておきます。

ご本人が率直に謝罪なさっていることから、もはやブロック依頼の必要はないと思います。また、アンガージュマン名義が再び不正な目的で使用される可能性はないと思いますので、今はそちらのアカウントをブロックする必然性も感じません。ヒスタミンさんが真摯に謝罪なさっていることは分かりましたから、利用者ページには「同一人物である」ということだけ書いておいて頂ければそれでよいのではないかと思います。「ソックパペット」などというレッテルを自ら引きずったままでは、今後活動しづらいでしょうし--Sumaru 2007年1月23日 (火) 14:03 (UTC)[返信]

田英です。sumaruさんが既に示されていたご意見を読み誤っていたようで申し訳ありませんでした(恥ずかしい)。利用者ページに明記いただくだけでCU・ブロックともに不要とのご意見に同意いたします。(ブロック不要により、靴下テンプレを貼付されることも回避できますね)--田英 2007年1月23日 (火) 14:21 (UTC)[返信]
皆様、僭越な愚見への賛同を頂き、ありがとうございました。今回は皆様に助けていただき、私もほっとしました。ソックパペットとは、「不正な多重アカウント」(の使用)を指すので(最近、ガイドライン化された際に、用語定義されました)、私も、Sumaruさん、田英さん同様、「同一人物」ということが分かるようにするだけで十分だと思います。いちばん下に、少し#まとめとともに、ログ化の提案(予告)、私信をuser_talk:アンガージュマンに書きました。(田英さんへの私信)恥ずかしい>全然大丈夫ですよ(^^) 田英さんにも加わっていただいたお陰で、前の事案のような後味の悪さが続かなくて、良かったなぁと私は思ってます。投稿いただき、ありがとうございました。--Anonymous000 2007年1月23日 (火) 23:56 (UTC)[返信]


ソックパペットが疑われる理由[編集]

  1. IP:220.99.48.44会話 / 投稿記録は、ヒスタミン氏が使用を自認しているIP:220.111.54.208会話 / 投稿記録と、同一プロバイダー・同一市町村です。他に、「アダム・スミス」へのコメント依頼)を行ったIP:221.187.84.242会話 / 投稿記録も同一プロバイダーです。
  2. いずれのIPも、多数の出典を示してもなお納得せず、WP:Vを持ち出して執拗にそれを求めることや、「アダム・スミスが自由放任主義(レッセフェール)を主張していない」という奇妙な主張に固執する点が酷似しています(アダム・スミスノート / 履歴 / ログ / リンク元参照)
  3. 編集分野や方針が類似しています。(アダム・スミスノート / 履歴 / ログ / リンク元新自由主義ノート / 履歴 / ログ / リンク元レッセフェールノート / 履歴 / ログ / リンク元、その他芸能関係の人名記事などの「削除」が主体。また、しばしば、議論の相手がWikipedia:検証可能性を否定しているかのような決めつけをしたり、相手とけんか腰になる点なども類似。)
  4. ヒスタミン氏がuser_talk:ヒスタミン#警告を受けた2007年1月17日 (水) 16:00 (UTC)、IPの活動時期、アンガージュマン氏のアカウント作成時期(ログ)である2007年1月20日 (土) 08:05が近似しています。[返信]

以上より、警告逃れに新規アカウントを作成した上で、議論攪乱を行っていることが強く推認されます。--Anonymous000 2007年1月21日 (日) 10:18 (UTC)[返信]

同一人物による投稿であることが疑われるアカウントとIP[編集]

以上Anonymous000による。(--2007年1月21日 (日) 10:18 (UTC)[返信]

アダム・スミスが自由放任主義を体系化したという記述は正しいと思います。スミスがフランスに2年間滞在した時期にケネーらの影響を大きく受けたことはスミス自身の書いた手紙などからも窺い知れる事実として残っているようですから。それ以外のコメントは現段階では差し控えさせていただきます。Kuro-hato 2007年1月21日 (日) 15:54 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

ご反対がなければ、数日した後、私の方でこのページを過去ログ化しようと思います(もちろん、別の方にしていただいても、「ホリデー中」(のはず。。)の私は、歓迎です(^^)。)。以下は、ログ化後に残す予定の、今回の議論のまとめです。ご意見等があればご自由にご修正ください。また、コメント依頼は、私の方で除去しました。--Anonymous000 2007年1月23日 (火) 23:56 (UTC)[返信]


私は異論ありません。本当にお疲れ様でした。--Sumaru 2007年1月24日 (水) 03:55 (UTC)[返信]
色々ありがとうございました(>ヒスタミンさんも含めた皆様)。--Anonymous000 2007年1月27日 (土) 05:31 (UTC)[返信]

過去ログ内で行われた議論について[編集]

アダムスミスの「自由放任主義」について議論が為されたようですが、アダムスミスは、自由放任主義者ではありません。わたしも、教科書の世界史(山川出版社)などでこの誤解は見ています。しかし、これは日本の大學の専門教育では現在否定されております。根拠は、高島善哉著、アダムスミスに簡潔に記載されています。スミスの専門家及び学んだ者はこの立場をスタンダードとしています。故、高島氏は、日本のスミス研究を世界レベルの水準に引き上げた方として知られた学者です。故、大河内一男(東大学長)や故、内田義彦教授、他、研究者の代表的な文献で自由放任主義を否定することはあっても、記載することはあり得ません。せっかく、日本の研究レベルは世界レベルに達しているので、ここで、レベルを落とす必要もないのではないでしょうか。専門家、第一人者(高島氏)の研究でも疑う事は大切ですがですが、高校歴史教科書を疑うことが本筋だと思うのですが、議論された方は如何でしょうか。--このコメントは、2007年9月10日 (月) 09:03にIP:202.33.78.108会話 / 投稿記録さんによって投稿されました。(履歴[1]より署名付記)

今年1月に過去ログで行われた議論に疑問を持たれたとのことで、私の会話ページでIP:202.33.78.28会話 / 投稿記録さんからのお呼びかけ[2]がありましたので、コメントしておきます。ウィキペディアは、(厳密にいえば)Wikipedia:信頼できる情報源を満たす「出典」に記載されている「事実」を、全てボランティアであるそれぞれの執筆者(ウィキペディアン)が執筆することによって、共同で、百科事典を作っていく場所です。そして、(信頼できる)出典がある限り、その出典に記載されているという「事実」(この記事の場合、「アダム・スミスが『自由放任主義』を主張もしくは体系化した経済学者と、教科書を含む多数の一般書に記載されている≒一般には知られている、という事実)が誤りや誤解であるかどうか、言い換えれば、信頼できる出典に記載されている「事実」が真実であるかどうかを議論する場所ではありません。例えば、山川出版の教科書に記載されている事実が「誤解」であるか否か、等の「意見」について論じる場所ではありません。(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」Wikipedia:中立的な観点(NPOV=neutral point of view、特にWikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け??だが意見は書くなの節も参照)。
ウィキペディアで望まれているのは、「アダム・スミスが自由放任主義を主張していない」という「意見」について、それぞれのウィキペディアンが、自ら調べた文献に記載されている、という「事実」を、(Wikipedia:著作権にも配慮しつつ)、その文献を明記した上で(Wikipedia:出典を明記する)、執筆することです。この点は、「専門書等に基づいて、さらに加筆・修正することは、もちろん歓迎されます。」という、今年1月の「合意事項」そのものであり、最初の#出典明示のお願いに書いていることとも同じです。IPさん(可変IPを用いておられるため、この呼称をお許しください)は、たくさん専門的な文献をご存じのようですので、それに基づいて、アダム・スミスの記事を加筆修正(執筆)されてみてはいかがでしょうか。
なお、私の会話ページとの重複となり、この記事の本文をどのように記載するか、とは直接の関係はありませんが、ウィキペディアは、誰でも編集できる、百科事典を作るためのサイトですが、色々と細かい決まり事があります。その決まり事に沿って、ウィキぺディアの記事の量及び質の充実を図っていただきますと幸いです。以上お示しした方針文書(Wikipedia:ではじまるリンク先)をお読みいただいた上で、今後の執筆に生かしていただくよう、僭越ですが、お願いしておきます(>IP:202.33.78.28会話 / 投稿記録=IP:202.33.78.108会話 / 投稿記録さん、IP:220.111.61.190会話 / 投稿記録さん(、及び私を含む皆様)。
(署名)--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2007年9月16日 (日) 00:24 (UTC)[返信]

事実について訂正しなければいけません。

  1. 事実とは、スミスが自由放任主義を主張も体系化もしていない。その著作物に記載の事実もない。これは、既に研究者によって検証されている事実である。
  2. 歴史の教科書に記載されているというのは、それをもって事実ではない。
    教科書の記載を事実とするならば、その証拠を必要とする。
  3. 論述、論証の記述をする場合に、引用をおこなうことがあります。この引用の出典が求められることがあります。しかし、事実に出典は必要ありません。事実と論述、引用は同一ではないからです。
  4. ここで(上記)、事実と出典、意見とを混同しないでください。これらの混同を意図的に情報操作しています。
  5. 議論の過程からは、事実に基づく判断が、行われず、心理的バイアス(錯覚、罠)によって結論が導き出されている。教科書が事実であるという思い込み。教科書、百科事典という手に入りやすいものの記載が事実であるという思い込み。事実と出典、意見を混同させ、事実自体をゆがめようとする。これらのことがみてとれます。ここでの議論では、「自由放任主義」の記述は削除すべきが正論ですから、それのみが対象であって、出典を示す必要はあいません(そういう意見が出されている)。
  6. 自分の知らないことは、判断せず、保留すべきでした。事実を検証する気がないことを明言しているのですから。

--この署名のない投稿は、 IP:210.170.12.114会話 / 投稿記録氏により、2007年9月24日 (月) 04:22にされました。Snafkin000(旧称Anonymous000)によりインデント変更(#により番号付け)とともに、履歴より署名補完。

IP:210.170.12.114会話 / 投稿記録さんも、IP:202.33.78.28会話 / 投稿記録=IP:202.33.78.108会話 / 投稿記録さん、IP:220.111.61.190会話 / 投稿記録さんと同一人物かどうか、はっきりしませんが、ウィキペディアに関する基本的な理解ができていません。
繰り返しになりますが、最低限、Wikipedia:検証可能性(WP:V)、Wikipedia:信頼できる情報源 (WP:RS)、Wikipedia:中立的な観点(NPOV)の3つの文書類の全文を、熟読の上で、これらに記載されている内容を理解された上で投稿をされてください
「スミスの著作物」=『国富論』という「一次情報源」≒原著の中で、<スミスがどのような主張しているか>、ということは、「事実」ではなく「主張」(見解)です。つまり、「アダム・スミスが自由放任主義を主張もしくは体系化した経済学者であること」が「事実」であるか否かを争っているというIPさんのご見解は、「真実性」を問題としている点で、「WP:V」に照らして、全く失当なご見解です。(『国富論』に「自由放任主義」という用語の記載がないという「事実」については、私をはじめとする先行議論に参加したユーザーは争っていません。しかし、だからといって、<自由放任主義を主張、もしくは体系化した経済学者である旨の記載が、多くの「信頼できる情報源」に記載されている>、という「事実」について、IPさんは、争わないでください。NPOVも参照してください。)
さらに、『ブリタニカ』などの百科事典は、ウィキペディアの編集を行う上では、「信頼できる情報の宝庫」である三次情報源とされています(WP:RS)。もちろん、これらだけに頼って執筆するのでは、記事の内容として不十分であることは確かですが、だからといって、複数の三次情報源に記載があるという「事実」(=アダム・スミスが自由放任主義を主張もしくは体系化した経済学者である旨の記載があるという事実)について、記事に記載してはいけないであるとか、「知らないことを判断した」とかいうことには、なりません。
ウィキペディアは「演説場所ではありません」。方針文書に反する「自説の開陳」で議論を挑むのはおやめになられて、方針文書に則った、まともな編集を行ってください。また、署名の仕方も覚えてください(Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする)。--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2007年9月30日 (日) 16:55 (UTC)[返信]

Wikipediaは事実とか学説とかを検証したり掘り下げたりする場所ではないというより、むしろそういった行動は基本的に御法度なのです。事実や学説や客観的状況を「紹介」するモノとしてお考え下さい。Kuro-hato 2007年9月30日 (日) 20:10 (UTC)[返信]

Kuro-hatoさん、コメントありがとうございました。Kuro-hatoさんのおっしゃられている通りですね。「専門の学者に照会する(のが正しい)」云々という、IP:202.33.78.28会話 / 投稿記録さんによる私の会話ページでの「ご自説」についても、「不要」([3])というより、むしろ、「WP:Vの明文で禁止されている」、つまり、「御法度」というのが、より正確でした。
方針文書に関するご理解の乏しい初心者と思われるIPユーザーさんの編集([4])では、文意が通らなくなっていると思われたため、私の方でリバートしました。(リバート後の文章ではまだ改善の余地があると思われるので、アダム・スミス#国富論の節の改稿を試みようともしたのですが、コメントアウト部分が含まれていることなどもあって、手間等がかかりすぎるので、当面はやめておきます。)あとはどなたか別の方にお任せします。はぁ。議論は面倒。。(^^;;ともあれ、今回も助けていただき、ありがとうございました m(_ _)m(>Kuro-hatoさん)。IPさんは、他人に「故人、高島教授の人となりも調べて御覧になることが良いでしょう。」などと求める前に、ご自分で、高島善哉氏の赤リンクからお埋めになってはいかがでしょうか?大河内一男内田義彦の記事は既にありますので。)よろしくご検討くださいますよう、お願いいたします。--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2007年10月9日 (火) 23:47 (UTC)[返信]

フランスから帰国した理由について。[編集]

自身が家庭教師を務めていた生徒の弟がパリで病没したことをきっかけに(暗殺事件だと思われていたが、スミス自身の手紙により病没と判明)イギリスに戻った。 — 2011-09-26 18:15:39 (UTC) の版より

上記の括弧内について質問があります。この時の生徒とはヘンリー・スコット (第3代バクルー公爵)なのですが、Dictionary of National Biographyにおけるバクルーの記事には病死した旨書かれています。1世紀前の時点ですでにもう病没と判明しているとすると、「暗殺事件だと思われていた」というのはいつの資料を元に書かれたのでしょうか?―霧木諒二 2011年10月4日 (火) 14:03 (UTC)[返信]