ノート:カール・グスタフ・ユング

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「破門」の記述について[編集]

破門云々は必要ですか?--Gogo 08:26 2003年10月16日 (UTC)

必要ないと思います。--こいつぅ 08:23 2004年1月19日 (UTC)

「グレートマザー理論」への疑問と「布置」に関する記述をコメントアウト[編集]

「グレートマザー理論」など、どこにあるのですか? エリッヒ・ノイマンには、『グレート・マザー』という著作があり、確かにこれは、グレートマザーの現象論とも言えますが、ユング自身には、そういう特殊な呼び方をされる理論はないはずです。また「布置」について、信憑性のないことが書かれているので、コメントアウトしました。心理療法の臨床/理論概念として、「布置」は提唱されているので、シンクロニシティ概念などを通じての超常現象との連関は二次的なものです。--Maris stella 2005年5月23日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

本項の記述について[編集]

  • この項目の記載は、何を述べているのかよく分からないのであり、訂正するにせよ、加筆するにせよ、書き直すにせよ、何のことか分からないので困るのである。望ましいのは、一旦、全文を削除するか、コメントアウトすることであるが、それはいささか過激であるので、実行できないが、この項目説明を読んで、誤解する人などが出てくることを考えれば、それも必要かも知れない。例えば:
欧米ではユングの考えはニューエイジ運動の一因となり、日本では河合隼雄らによって導入されたが、河合はむしろJ.ヒルマンらによる「元型心理学」の立場に近いとされている。
  • このようの記されているが、これは何のことなのか。「ニューエイジ運動の一因となり」とはどういうことか。また、河合隼雄は分析心理学を日本に紹介・導入したのであり、必然的にユングを紹介したことになるが、河合もヒルマンも、ユンギアンであり、ユング派心理療法家である。彼らはユングの後継者であり、当然、ユングとは違う考えを持ち、別の理論を立てることもあるが、ユングの理論の延長としてあるのであり、もしそうでないのなら、彼らは、「ユングの分析心理学に影響を受けた心理学者」等々となるであるであろう。あるいは「ネオユンギアン」というような位置付けになるかも知れない。また、そもそも「元型心理学」とは何か? ……ユングについての客観的な記載がまずあり、それに加えるに、ユングの思想の後継者を記したり、ユングに対する批判などを記すのが順序である。--Maris stella 2005年5月25日 (水) 12:47 (UTC)[返信]
  • なるほど、「元型心理学」というものはありますね(無知でした)。ジェイムズ・ヒルマンが提唱して、エリッヒ・ノイマンなどを批判しているようですが、それは、ヒルマンの項目を立てて記すべきことでしょう。また、上でも述べているように、この項目は「カール・グスタフ・ユング」であって、ユングについて、満足な解説も書かないで、ユングは時代遅れだとか、西欧ではもはや流行していないとか、無意味でしょう。(とまれ、ヒルマンについて、新しいというか、そういう話があったのかという認識ができました。わたし自身がアナクロニズムでした)。--Maris stella 2005年5月26日 (木) 02:01 (UTC)[返信]

スタイルについて[編集]

日本語文献・書名などは、『 』で囲み、英文等の署名等は、「弱い強調」つまり、''Book of Jung''などで囲むというのは、Wikipedia:スタイルマニュアルに記されているスタイルの「推奨」で、「多くの利用者の賛同を得ている」とは言え(ただし、わたしはこの書名の弱い強調は賛同していません)、強制のルールではありません。英語版とか、その他、ラテン文字を使う外国語版において、「弱い強調」つまり実質的な「イタリック体」はそれほど不自然に思えません。

しかし、日本語版では、イタリック体にすると、綴りが見づらくなる、元々小さなローマ字が更に小さくなって見づらく、また垂直線が斜線になるため、綺麗なラインが得られないと言う問題があります。そのため、英文等のラテン文字での書名などの場合も、日本語の署名同様に、『 』で囲むというような方法で、イタリック体の使用を避けています。「スタイルマニュアル」は「推奨」ですが、英文等の書名の表現の場合は、「弱い強調にする人もいるが、そうでない人もいる」程度の「推奨」にするのが望ましいです。いずれにしても、推奨であって、理由があって、イタリック体から、普通の字体に変えているものを、あたかも、絶対に守らねばならないルールのような主張で書き換えるというのは、問題です。--Maris stella 2006年6月15日 (木) 09:46 (UTC)[返信]

反ユダヤ主義やナチスの勃興に対する姿勢[編集]

英語版から翻案した反ユダヤ主義との関わり・ナチスへの協力についての記述が内容がそっくり消されていましたので、(両論併記の)記述を復活の上で事実確認についてコメントを広く求めます。 --杉山真大 2007年2月22日 (木) 08:47 (UTC)[返信]

ユングとナチスの関係については長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人ヤッフェの証言が残されています。私は未見ですが、「ユングはナチスの熱心な支持者であった。」というのは違うようです。ただし、後述するようにヤッフェは「ナチスへの対応に甘いところがあった」とは批判しています。
「アドルフ・ヒトラー『我が闘争』を支持する内容のパンフレットの編集に携わっているし、」というのは、出典が必要でしょう。少なくとも私は、この話を知りません。
「ナチスが設立した国際精神療法学会の会長を務めている。」というのは、事実誤認。国際精神療法学会をナチスが設立した事実は無い筈です。事実関係からいうと、ナチスが政権を取った1933年、ヒトラーに反対したクレッチマーが国際精神療法学会の会長を辞任し、その後任にユングが就いたのです。これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたかのように言われたようですが、後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと弁解しています。ユングはナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移しますし、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れていますし、機関紙にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図っていますので、「ナチスの熱烈な支持者」というのは当たらないでしょう。しかし、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニュフェストが学会誌に載ったために会長のユングは激しく非難されています。ヤッフェの言う。対応の甘さはこのあたりを指しているのでしょう。そしておそらくは、これが「ユングのナチス協力」の元ネタと思われます。ユングはこの非難に対しては即座に反論していて、その文書も残っています。
上記の話は河井隼雄『ユングの生涯』にまとめられていました。
ユングの弟子のリッククンは息子をナチス占領下のウィーンに潜入させ、フロイトの亡命の手助けをしようとしたことがあるのですが、フロイトは「私は敵の恩義にあずかることはできない」と断ったという話があります。自分から離れて別の学派を立てたユング達はフロイトにとって「敵」でした。ユダヤ人サークルから始まった精神分析学にとって、非ユダヤ人で大学教授のユングが加わったことはフロイトにとって大歓迎だったのですが、ユングが独立するに及んでそれが憎悪に転じたのはよく言われていることです。ユングがナチス協力者として非難される背景には、そうした事情があると言われています。
--おーた 2007年3月19日 (月--) 14:57 (UTC)
本文を書き直してみました。--おーた 2007年3月25日 (日) 14:32 (UTC)[返信]

POVテンプレート除去-議論終結_2007年4月[編集]

編集が行われてから、4週間近くが経過しましたが、特に反論もないので、「POV」テンプレートは除去しました。この問題はとりあえず、終了したとします。なお、反対意見として紹介されていたウェブ・サイト「心のノート ガラガラポン」 については、内容を確認しましたが、逆に偏見と歪曲の多い、人を惑わす文章であるので、リンクは外しました。両論併記の原則という場合には、ユングがナチズムに必ずしも協力していた訳ではないという主張の書籍と、ナチズムに協力していたとする書籍の二種類のものを挙げることとしてください。現在、ユングがナチズムに協力したかどうか「論争がある」という記述は記されており、中立性はこれによって確保されているとも考えます(少しユングに肯定的な記述ですが、そういう疑惑や論争があるという記述にはなっています)。

「心のノート」とかのウェブサイトは、何を論じたいのか、主張したいのか焦点が非常に曖昧であり、一冊の書物を典拠に、ユングはナチズムに協力していたと述べています。ケストラーの逸話についても、その本より引用しており、それとは異なる立場の書籍の主張を紹介しておらず、これでは客観的な批判とは言えません。レギーネ・ロコット『想起と検討-ナチズムにおける精神分析と精神治療の歴史について』(1985, 2002)を(及び、その翻訳または部分訳等を……あるならば)批判文献として、記事に記載するのは構わないと思いますが、同時に、ユングのナチズムとの関係を反論する書籍も記載する必要があるでしょう。

なお、河合隼雄氏の「ユング心理学」とかは、分析心理学というより「河合隼雄心理学」であり、河合の『ユング心理学入門』はわたしも読んでいますが、「分析心理学」の記事では、参考文献・参考書籍に入れることを拒否しています。わたしの偏りではなく、ユングの理論は、ユング自身が著書でどう書いているかが第一であり、またアニエラ・ヤッフェのような、ユングの理論を忠実に理解している人の書籍が参考文献となるものだからです。(例えば、河合氏は、「日本人の自我は、西欧人に較べ、より無意識に近く女性的である」などと、最初の著書からして主張しているのですが、これでは分析心理学になりません。「ユング心理学の日本での第一人者」などというのは出鱈目なのですが、わたしが、そう云っても、世のなかでそういう「肩書き」が河合氏に冠せられているのは事実で、違うというと「独自の研究」等になります)。--Maris stella 2007年4月22日 (日) 14:35 (UTC)[返信]

上記の「日本人の自我は、西欧人に較べ、より無意識に近く女性的である」(※1)という河合氏お見解に関してですが、分析心理学においては、「観念」等としてあらわれる男性的心性「アニムス」、「気分」等としてあらわれる女性的心性「アニマ」という考えがあったのは御存じでしょう。さて、これに従って河合氏の意見を便宜的に(※2)、「日本人の『理性』は、西欧人に比べ、『前面に出てこず』、『気分というものの方を重んじる』」と置き換えるとします。すると、古典的な日本人論で概して言われる次のような見解と、類似点がみられます。「西欧人は議論を好み、感情よりは理性を重視するが、日本人は議論よりは和を好み、論理よりは感情を重視する」。現代でも「フンイキ」「場の空気」を読むことを重要視する日本人は多くみられるでしょう。
(※1河合隼雄氏は日本文化を「母性原理」という語で説明することが多かったと私は記憶しています。『家族関係を考える』『母性社会日本の病理』等。能力に応じた扱いを公平とする西欧の「父性原理」に対して、能力差に着目しない平等を強調する日本の風潮を表現する際等に、使われていました。
※2「便宜的に」と書いたのは、ユングの「自我」では、「知的機能」の他に「感情」等も含まれているからです。)
--意見の試み 2008年4月4日 (金) 05:41 (UTC) --以上の署名のないコメントは、Enefproe会話投稿記録)さんが 2008-04-04 05:41:43 (UTC) に投稿したものです。

ユングとナチスについて編集報告_2008年4月[編集]

本文をさらに書き直させていただきました。(削除いたしました部分、「更に、ユダヤ人のフロイトやアドラーを批判したユングをナチスは利用した。」に関しては、ナチスが精神分析に関する内容をあまり把握していなかったというアンナ・フロイトの証言から、精神分析派内の対立といった内部事情にナチスが通じていなかったと思われたために、こちらへ移しました。) 付け加えた記述に関する出典は、ピーター・ゲイ『フロイト』、ユング『現在と未来』等です。また、中立的な見方という観点からして、表現を変えた部分もあります。 また、後半の議論の詳細は以下に移しました。

[政治的な宣伝のために、プラトンや二ーチェもナチスによって利用されたのであり、この際の問題として、利用する側の政治的思惑から、著作者本人の意図していない意味が付与されてしまうことがあげられる。歪曲されたメッセージの責任はあくまで歪曲した側にあると言えるだろう。 フロイトからの元弟子の離反は、多かれ少なかれ怨恨沙汰を引き起こしており、それは既にアドラーの離脱の際にも見られる。言うまでもなく、人種で言えばアドラーはフロイトと同じユダヤ人である。双方の学問的な主張における対立に個人的な感情も絡んでいたのだが、人種の問題はからんでいない。ユングの離脱の場合も、ユングはフロイト個人に方向性の違いを明かし、互いにしだいに険悪なやり取りをするに至ったのであるが、この点までは上と同じ、学問的かつ個人的な対立である。しかし、フロイト派の方では、ユングがスイス人であってユダヤ人でないことも取りざたされ、ここで人種の問題が持ち上がった。ユングの方は沈黙を守っている。 ユングの個人観には、個人の背後にある歴史にも着目するものなので、異なる歴史を持つ異なる人種間では異なる心理を持つということも、後に考慮するに至ったのであろう。しかしこれを発表するとフロイト派から非難の声があがった。彼らが、ナチスの解釈したかったであろう意味でユングがそう発言した、と受け取ったためである。] --Enefproe 2008年4月4日 (金) 05:24 (UTC)[返信]

編集ご苦労様でした。参照文献を脚注でつけておいた方が良いかもしれませんね。私が書いた部分の脚注は数日間のうちにつけておくつもりです。--おーた 2008年4月4日 (金) 15:46 (UTC)[返信]

本文の最後の部分は以下に移しました。

 [ユダヤ人のフロイトが創始してユダヤ人仲間が集まって発展した精神分析学にとって、非ユダヤ人でチューリッヒ大学の講師であったユングの離反は大きな失望を生み、それがフロイト派からユングへの憎悪につながったとされる。]

また、中立性の観点からして、本文に若干の変更を加えました。

以前の記述に関して、参考文献の参考個所とともに書かせて頂きます。

「ナチスが精神分析に関する内容をあまり把握していなかったというアンナ・フロイトの証言」についてですが、以下のように訂正させていただきます。 [尋問で呼び出されたアンナ・フロイトは所属していた国際団体について相手が知りたがっため、彼女は「国際精神分析学会がおよそ政治的な団体などではなく純粋な学術団体であることを説明」する必要がありました。(ピーター・ゲイ『フロイト(2)』、p722)]

フロイトからのユングの離脱のいきさつは、ピーター・ゲイ著『フロイト(2)』第五章において、書かれていました。(ユングを「敵対者」と見なすフロイト側の立場に立って描かれているものです。)

ユングが戦前から人びとの暴力衝動や群衆心理について警告を発していたことに関しては、例えば1928年の『自我と無意識の関係』(C.G.ユング著、『自我と無意識の関係』、人文書院,p51,52以下)に見られ、1933年はドイツのケルンとエッセン、1937年はイエール大学において行った同内容の講義に関し、1940年にドイツ語訳が出るや、ユングは「要注意」人物としてゲシュタポのブラックリストに載せられ、ユングの著作は廃棄の対象とされるようになった、とユングは述べています。(C.G.ユング、『現在と未来』p89-94)。 「国家奴隷制」や、群衆の一部となった人びとの「狂乱」について警告していたユングの主張は、当時見られたそうした現象に対する批判にもなっているでしょう。 --Enefproe 2008年4月5日 (土) 03:01 (UTC)[返信]

本文に加筆しましたが、より適切な表現ができる部分、修正すべき個所や補足事項等もこれから見いだされるかもしれません。お任せします。 --Enefproe 2008年4月7日 (月) 23:37 (UTC)[返信]

4月15日の加筆報告[編集]

中立的記述の観点から本文を変更させていただきました。 気になるのは、ユングに関する記述に意図的にネガティヴなトーンを加えようとする姿勢が伺えたことです。歴史的に負の印象が強いナチスへ関連づけようとするのも、その一つではないでしょうか。(「ナチスと反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢」は「ナチスと反ユダヤ主義との‘関わり’」に再び書き変えられていました。これだと読者は、ユングがナチスの反ユダヤ主義に積極的に加担した罪人であるような印象を受けませんか。ナチス台頭後もユングがユダヤ系の医師の受け入れを図っていたという事実が無視されている気がします。ヒトラーの危険性についてはユングは戦前から警告していました。)

記述ではいったんユングの人道的支援を取り上げたかと思えば、「しかし」と続けてそのイメージの破壊が試みられていました。しかし、厳密に言えばその後に挙げられた証拠も、ユングの人道的支援を支持するもので(フロイトは人種でいえばナチスの攻撃対象であったユダヤ人であるが、ユングはというとフロイトの支援を試みた)批判者としては意に沿わなかったらしく、「拒否された」「亡命先(略)で死去するのを見届ける結果となった」といった表現が用いてありました。そうした表現には刺があり、ことさら「失敗」を強調するような表現に感じられます。フロイトを亡命に追いやったのはナチスのもたらした状況であり、ユングではありません。


ユングをナチス賛同者で反ユダヤ的であったと見なす人の論拠としては:

  • ナチス台頭後、ユダヤ人であるクレッチマーが職を辞し、その後釜にユングが就いた。ユングはクレッチマーを追い落としたのではないか。
  • ユングが率いた国際精神療法学会でナチス寄りと目される論文が掲載された。
  • ユングが対立したフロイトは、ユダヤ人だった。


一方、ユングがナチスの姿勢に反対だった考える論拠としては

  • ユングは既に戦前から、ヒトラーとその周りを取り巻く状況を危険だと公に警告していた。
  • フロイトとの対立はあくまで学問的・個人的なものであった。直前にユダヤ人アドラーもフロイトと決別している。
  • ユングの友人には人種で言えばユダヤ人の人も多くいた。
  • ユングがクレッチマーの後に国際精神学会の会長についたのは、精神療法という学問領域を守るためだった。
  • ナチス寄りとされる論文の掲載は、ナチスの干渉によるものであり、ユング個人の自発的な意志に基づくものではない。
  • ユングはナチスの影響の及ばないスイスにわざわざ本拠地を移した。
  • ナチス台頭後もユングはユダヤ系の医師の受け入れや脱出を支援したという証言が残っている。その証言は彼のユダヤ人の秘書によるものだ。
  • ユングは戦前も戦後も、暴力性の発現に関して警鐘を鳴らしていた。

以上の論点を公平に扱う必要があると思います。 --Enefproe 2008年4月15日 (火) 03:45 (UTC)[返信]

Wikiでの書式にまだ不慣れなご様子でしたので、このノートでのEnefproeさんの記述を書式修正させていただきました。ご了承ください。
それはともかく、精力的な編集ご苦労様でした。ずいぶん良い記述になったと思います。一年以上前に杉山真大さんが「英語版にもある記述だから」という理由で書き加えられた「ユングとナチズム」に対して、応急処置的に編集対応した記述が、きちんとしたものに整えられたと思います。
一点弁解させていただくと、章のタイトルを「ナチスと反ユダヤ主義との関わり」に戻したのは私ですが、それは長すぎるタイトルは不適切であるという判断からです。タイトルは簡潔なものが良いです。ナチズムとの「関わり」という表現では、ユングがナチズムに積極的に関わったという印象を与えるのではないかというEnefproeさんの指摘ですが、私はそうは思いません。英語版をみていただくと分るように(そしてその英語版を元そのまま日本語版に持ち込もうとした杉山真大さんのように)、ユングとナチズムの「関係」についてはかなり強い噂として定着しています。それならば、そのナチスとユングの関係については章タイトルを掲げて、はっきり「ユングはナチズムを支持しなかった、反対していた」とずばりと書くほうがすっきりとしているのではないでしょうか。--おーた 2008年4月15日 (火) 13:13 (UTC)[返信]

私はより中立的な記述、及び事実により近い記述を心がけたのですが、お分かりいただけたでしょうか。

おーたさんは英語版にそういう「噂」があるし、短く適切なので、「ナチスと反ユダヤ主義との関わり」という題名になさったそうですね。

あなたは否定されましたが、「ナチズムとの関わり」といった題名の元に、ナチスとユングを並べて書き、まるでユングの行動がナチスの意に沿ったものであるかのような記述ばかり並べたら、やはり読者にどぎついネガティヴなイメージを与えることになるのではないか、と思います。

反対の根拠もあがっている以上、ユングがナチスや反ユダヤ主義へ進んで加担したと連想されるような題名は、避けるべきだと思います。私は人に罪をなすりつけるような一面的な情報の発信を避けたいのです。

英語版に関してですが、元の題‘Nazism’は「ナチズム」であり、「ナチズムとの関わり」とはまでは書いてありません。噂はかなり強く定着しているとおっしゃいましたが、英語版のノートをご覧になればわかるように、一人の人間が執拗にユングのイメージの破壊を試みており、提出している証拠は他のサイトからの引用であり、情報源が信頼できないと繰り返し却下されています。よって、私はそれを確たる根拠だとは見なしません。

逆に私の提出した証拠『自我と無意識の関係』『現在と未来』は英語版でも採用されました。(私は英語版でも‘Enefproe’として投稿しました。)履歴によれば反対者は無断で証拠を消し去った上、「ユングの黒い噂」の情報源だけを残したのですが、第三者がそれを見て私の証拠を再び掲載し、その上「ユングはナチズムに賛成というより、反対であったようだ」と付け加えています。

あなたは、いくつかの現象を挙げてユングがナチスと反ユダヤ主義に関わりがあったとした一方で、ユングがユダヤ系の医師の受け入れを図っていた証拠も挙げました。私はユングが戦前からヒトラー及びその取り巻きの状況を危険視して公に警告していた証拠を挙げました。 もし私の題名が長すぎて不適切であるならば、上の見解 を包合する、より適切で短い題名を考えていただけませんか。 --Enefproe 2008年4月15日 (火) 23:32 (UTC)[返信]

誤解していただきたくないのですが、私は「ユングがナチスと反ユダヤ主義に関わりがあった」とは考えておりません。だから、杉山真大さんが、英語版の該当部分を日本語に入れるべきだと主張したときに反対したのです。ただ、ユングの伝記を書いた人が(たとえば参考文献に挙げた河合隼雄のユング伝、あるいは本人口述のユング自伝を編纂したヤッフェなどが)必ず紙幅を割いてこの件に触れざるを得ない程度には世の中に「ユングはナチスの協力者だった」と考える人が居たことは確かですし、今もまことしやかにこの件を書く人はちらほら居られます。となれば百科事典という媒体の性格上、そこからスタートするしかないんじゃないか、つまり「ユングについてはこういうことを言われているが、それは事実に反している」というスタイルで書くしかないのではないかと考えました。従って、Enefproeさんが修正した現在の記事で構わないですし、素晴らしい記事だと私は思ってます。
ただ、「ユングの擁護に一生懸命な余りタイトルがくどく(長く)なってませんか」、そう思ってそれを指摘しただけです。より短いタイトルですが、、、「ユングのナチス問題」なんかで私は構わないと思いますけどね。
最後になりますが、英語版の編集ご苦労様です。--おーた 2008年4月16日 (水) 23:04 (UTC)[返信]

「ユング擁護に一生懸命になっちゃってるよ」、とおっしゃりたいのかもしれません。 私としては、噂を根拠とした露悪的な記述より、事実を元にした中立的な記述を心がけたのです。 もちろん、そんなことは知ったことではなく、そもそも初めから記事の内容をぶちこわしにしてやろう、という意図が元の作成者にあったのなら、さぞ不愉快だろうとも思うのですが、おーたさんは噂に事実をもって反対なさろうとしたようですし、「黒い噂」寄りになっていた本文を私が修正し、根拠となる事実も記事に加えるよう心掛けたところ、おーたさんも肯定的な判断を下されるような結果になって何よりです。 --Enefproe 2008年4月17日 (木) 10:12 (UTC)[返信]

で、章タイトルはどうしましょう?--おーた 2008年4月17日 (木) 12:54 (UTC)[返信]
「ナチズムと反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢」→「ナチズムに対して」とかなら二十文字→八文字になります。 --Enefproe 2008年4月17日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

グレートマザーと『人間と象徴』[編集]

ノート冒頭の「グレートマザー」に関してですが、ユングは『人間と象徴』(河出書房新社)のp.119,144,149,において、「太母」(すなわち「グレートマザー」)について言及しており、元型に関連づけられて語っている箇所もあります。 --Enefproe 2008年4月5日 (土) 03:04 (UTC)[返信]

編集報告_「唯一」の除去[編集]

夢=元型の唯一の表出というわけではないので「唯一」を消去しました。--やましたやすひろ 2013年5月6日 (月) 13:54 (UTC)[返信]

理論という言葉[編集]

>分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した<

の「理論」という言葉を消していいですか?

ユングには理論という言葉が似合わない。弟子たちは理論化を試たかも知れませんが。

--やましたやすひろ 2013年5月9日 (木) 12:35 (UTC)[返信]

個人で似合う似合わないと考えるのではなく、参考文献でユングが分析心理学の理論創始者とされているかどうかを確認すべきでしょう。--203.148.113.63 2013年5月12日 (日) 15:40 (UTC)[返信]