ノート:キリストの墓

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戸来村のキリストの墓ですが、竹内巨麿の作った捏造というか単にうそっぱちな話だというのが定説ですよね(って、ほとんどの人は信じていないとは思いますが(笑))。そのあたりのことをはっきりと書いておかないと引用されちゃうときにまずいような気がします。--Oga 10:25 2003年4月29日 (UTC)

  • ボクは知らないんですけど、Ogaさんが記事に そういう風に加筆したら良いんじゃないですか?
ボク個人としては、日本の話をカシミールの話と並べじゃうと、カシミールの話がウソ臭く見えちゃうので :( ですが。
インドのカシミールくらいならイスラエルから簡単に移動できる距離ですし、もともと交流もあったと思います。それにカシミールにユダヤ人がいたって言うのは本当らしいです。エッセネ派のグループがインドにあって、そこに若いときのイエスが来たってはなしもあるそうです。でも、日本となるとそこまでイエスが行かなくちゃならない理由は見付からないので。まあ「骨の一部をユダヤ人が持って移住した」くらいの事ならあるかも知れないと思います。これは、ゴータマ・ブッダの骨の事を思い出して思ったこと。
また、キリストの教えも12使徒の一人が直接インドに布教したって話もあるそうです。
--Setu 11:40 2003年4月29日 (UTC)

さっき資料を捜していたんですが、部屋がかたづいてなくて、資料をみつけることができませんでしたが、今度まとめてみます。

たしかに、死海周辺で生活をしていたクムラン教団(=エッセネ派ってことでいいと思いますが)ですし、周辺の地域ともかなりの交流があったと思うので、ちょっと遠いですがカシミールってのは、そんなに「とんでも」な話ではないと思います。ただ、新約聖書には当然書かれていませんから、一般的な学説にはなりづらいと思います(だからカシミール説がダメだというわけではありません)。

ちなみに戸来村にキリストの墓があるという説は、超古代史ファンには有名な話なんですが、その話は竹内巨麿--竹内文書という超古代史ファンにはたまらないんだろうけど、ふつうの人には単なる捏造としか思えない古代文書を「発見」したという人--が話を作ったところから始まっているとのことです。たしか新郷村の郷土誌だったかに、新郷村にはキリストの墓伝説があるが、それは嘘である(かなり意訳です)ということが書かれていたはずです。

こんな資料もWebで公開されています[1]。--Oga 13:44 2003年4月29日 (UTC)

  • まあ、竹内文書の記事に置いても良いですね。ボクは真偽のほどは知りませんが、記事を書いて置いといたら数ヵ月後には信用できる記事に仕上ってるかも(何をどの程度信頼していいかが記事に表現されると言う意味)。
カシミール説はまあ別に学説にならなくてもいいですが、あっても不思議じゃないし好きな話です。十字架で死ななかったというだけでも良かったねって感じです。
--Setu 20:39 2003年4月29日 (UTC)

戸来小学校の校章について[編集]

https://www.google.co.jp/maps/@40.4649453,141.1697624,3a,17y,331.29h,125.46t/data=!3m6!1e1!3m4!1s5eIWSfS9CoItkd6LF0Kmqg!2e0!7i13312!8i6656!6m1!1e1?hl=ja 「戸来小学校の校章は現在でもダビデの星」とありますが、ストリートビューで見る限り、三つのペン先を図案化した全く異なるものですので、当該記述を削除します。 --Karimenrider会話2016年4月26日 (火) 01:54 (UTC)Karimenrider[返信]