ノート:サラーフッディーン

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改名提案[編集]

というわけで、サラディンがより適切な表題であると思われます。 Takabeg 2012年1月29日 (日) 12:57 (UTC)[返信]

どういった検索方法を採られてのことか、自分には今ひとつ理解出来ていませんが、Googleで普通に検索すれば「サラーフッディーン」でここの項目や「サラーフッディーン県(本項目であるアイユーブ朝のサラーフッディーンに由来した地名)」以下2万件以上検索出来ているようです。そもそも「サラディン」という読みは、ギヨーム・ド・ティールの年代記(Historia rerum in partibus transmarinis gestarum)などサラーフッディーンと同時代のラテン語資料に Salahadinus や Saladinus と書かれ、これらを本源とした現代英語などの現代のヨーロッパ系の諸語での表記や発音によったものです。
少なくとも2000年以降のイスラーム史関係の日本語の論文や著書では本項目のような「サラーフッディーン」か「サラーフ・アッディーン」などの形で表記されていますが、これはアラビア語の語彙である صلاح الدين Ṣalāḥ al-Dīn の読みについていずれも(少なくともサラーフッディーン存命中も通用しその以前から現代でも通用する)正則アラビア語による発音に依拠した日本語・仮名転写であるため、歴史研究の分野では「サラディン」よりもこちらの表記が主流になっている観があります。Ṣalāḥ al-Dīn という単語は、「宗教/信仰(al-Dīn)(つまりイスラームのこと)」と「救い(Ṣalāḥ)」というふたつの単語からなり、さらに al-Dīn は定冠詞の al- と Dīn に分解出来ます。正則アラビア語の音韻法則では、アラビア文字#太陽文字の項目で説明されている通り、定冠詞の al- に後続する単語で、語頭に「太陽文字」と呼ばれる t, d, r, z, s… などの歯音歯茎音後部歯茎音を持つ単語が来ると、逆行同化して促音化する、という特徴があります。そのため、al-Dīn は「アッディーン」(addīn)と発音されます。「サラーフ・アッディーン」と表記されるのはこういう理由からですが、これに加え、正則アラビア語の音韻法則ではさらに定冠詞の al- に前接する単語の格語尾が主格(-u)の場合、al- の語頭の a が順行同化して -u-l- となります。これら二つの音韻上の現象・法則が働くため、Ṣalāḥ al-Dīn は実際の発音では「サラーフッディー(ン」(Ṣalāḥuddīn(- )となるのです。この種の話しはアラビア語を習う時の初期に教わる物でして、フランス語のリエゾンの扱いとほぼ同じものと見て良いと思います。これらの理由のため、ラシードゥッディーン(Rashīd al-Dīn)やクトゥブッディーン・アイバク(قطب الدين أيبك (Quṭb al-Dīn Aybak) のクトゥブッディーン(Quṭb al-Dīn)や、シハーブッディーン・ムハンマド(شهاب‌ الدين محمد Shihāb al-Dīn Muhammad)のシハーブッディーン(Shihāb al-Dīn)などに現れる訳でして、アイユーブ朝のサラーフッディーンにのみ現れるものではありません。セルジューク朝以降に一般化する、「宗教/信仰(al-Dīn)のなになに」というラカブ(尊号)を冠する人物全てに言えることです。
現行の辞書では、平凡社『新イスラム事典』(2002年3月)が「サラーフ・アッディーン|Ṣalāḥ al-Dīn」(佐藤次高)で立項しており、『岩波イスラーム辞典』(2002年2月)では「サラーフッディーン 〔al-Malik an-Nāṣir Ṣalāḥ ad-Dīn Abū al-Muẓaffar Yūsuf ibn Ayyūb al-Ayyūbī〕」(太田敬子)で立項されており、「サラーフッディーン」という現在の項目上の表記には学術的コンセンサスは十分に取れております。(執筆者の佐藤次高先生は日本におけるマムルーク朝やイクター制研究の第1人者で主著のひとつにサラーフッディーンの伝記をものされておりますし、太田敬子先生も初期イスラーム時代からのシリア方面の歴史研究では有名な方です)そのため、(どういう検索基準のものかは理解出来ていませんが)ネット検索のみで現在の状態から「サラディン」へ改名すべきとの趣旨を持っておられるやに思われるTakabegさんの提示された理由だけでは、改名の要件を十分に満たせているとは看做し難いと個人的に考えます。--Haydar 2012年1月29日 (日) 23:13 (UTC)[返信]

まずはじめにWikipedia:記事名の付け方をよんでいただけないでしょうか? 「どれがより正確か」、「どれが最も原音に近いか」という議論であれば、Haydarさんの言っていることには一理あるのでしょうが、ウィキペディアでは、日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称を探して記事名とすることになっています。もちろん、Haydarさんのお気持ちもわかります。わたしも、この人物のことをサラディンと呼んでいませんし、「サラディンなんてオリエンタリスティクでいやだなぁ~」と思っています。しかし、これはあくまでも個人的な感情・意見であって、ウィキペディアのガイドラインに沿うものではありません。また、ウィキペディアの編集で最も不毛なのは、記事名をめぐる論争です。おそらく、多くの利用者がウィキペディアのガイドラインを理解していないからだと思います。ノートにはたくさんの情報が書かれているのに、本文を読むとお粗末な記事がたくさん見受けられます。記事名を、ガイドラインにしたがいながら、可能な限り機械的・自動的に選択されることにより、そうした問題が解決されるものと信じます。Haydarさんがうえに書いてくださった情報も、記事名を巡る論争のソースとしては全く無意味なのですが、ノートにではなく、本文に盛り込んでいただけば、読者の方々のためにも有益であると思います。なにがよりコモンなものかという点でひとつ例を挙げておきますと、Haydarさんが「日本におけるマムルーク朝やイクター制研究の第1人者で」ということで引用された佐藤次高先生の講談社選書メチエというところから出版されている著書のタイトルは、『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』です。佐藤さん本人の希望でサラディンが選択されたのか、出版社様の意向でサラディンが選択されたのかは知りませんが、Haydarさんもこの人物のコモンな名称がサラディンであることは理解できたと思います。端的に申し上げますと、サラーフッディーンを記事名として選択するためには、サラーフッディーンが'サラディンを凌駕するか、Wikipedia:記事名の付け方を改定する必要があるのです。Takabeg 2012年1月30日 (月) 01:03 (UTC)[返信]

Takabegさん
 早速のコメントありがとうございます。さて、上記のTakabegさんのご意見から推察しますと、Wikipedia:記事名の付け方に基づいて「ウィキペディアでは、日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称を探して記事名とすることになって」いるため、現行の「サラーフッディーン」という記事名から、より「日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称」であると思われる「サラディン」へ改称すべきである、と主張されているものと理解致します。
もしそうであるならば、Takabegさんが提起をされた本節ノート:サラーフッディーン#改名提案の冒頭で、まずそのような改名提案の趣旨をしっかり説明される必要があります。
  • サラーフッディーン1件ヒットしましたが別人です。
  • サラディン ミニマムで258件。
というGoogleを用いた検索結果を提示しただけでは、どういった基準での検索なのか説明が無いため、これだけでは閲覧者にとってどういった根拠でこの結果が出ているのか、にわかには理解するのは難しいでしょう。(ちょっと見ただけでは分かりませんでしたが、Googleの書籍検索の結果だと後で分かりました) 具体的な改名趣旨の説明の有る無しでも大分文面が違って見えると思うのですが、上記のような説明らしい説明がない短過ぎる提起では、閲覧者にはなはだ不親切な印象を与えます。(少なくとも自分はそのように感じました)
 また、Wikipedia:記事名の付け方から「ウィキペディアでは、日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称を探して記事名とすることになっています。」と仰っていますが、Wikipedia:記事名の付け方ではそのような文言はなされていません。冒頭部分で、
記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります 
と書かれています。さらに続くWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはというWikipedia:記事名の付け方の基本方針となる節では、

ウィキペディアにおいては、あらゆる記事にはひとつ題名を付ける必要があります。記事名は理想的には次のような基準を満たすのが望ましいです。

  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  • 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。
  • 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
  • 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)。
  • 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
と、5つの基準が提示されています。これらのうち、今回の改名提案に関わりそうなのは、1番目の「認知度が高い- 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」と、2番目の「見つけやすい- 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)」のふたつであろうかと思われます。
このうち、Takabegさんの主張された「日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称」に該当しそうなものは、1番目の認知度が高いに当たるであろうと思われます。しかし、冒頭で「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とあり、その基準の1番目にあたる認知度が高いは「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」とありますが、これはつまり、wikipediaにおける記事名にすべき案件が「最も一般的に使われて」いる範囲が「信頼できる情報源において」と限定されており、さらに「その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」と続いています。文言内容の解釈はひとまず置くとして、Wikipedia:記事名の付け方で提示されている基準の「信頼できる情報源において最も一般的に使われて」いる、という表現と、Takabegさんの主張された「日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称」とでは、「最も一般的に使われ」る、あるいは「最もコモンな名称」として用いられている範囲が微妙に異なっていることに注意せねばなりません。この1番目の基準での眼目は「信頼できる情報源」の範囲がどこまでなのか、という問題であって、そこをまずある程度定めた上で記事の立項をせねばならない、と留意する必要があると思われます。
従って、自分としましては、「ウィキペディアでは、日本語で書かれたものの中で最もコモンな名称を探して記事名とすることになっています。」というご主張は、Wikipedia:記事名の付け方を一読した限りでも基準の範囲が茫漠としており、にわかには同意いたしかねます。
サラーフッディーンを記事名として選択するためには、サラーフッディーンが'サラディンを凌駕するか、Wikipedia:記事名の付け方を改定する必要があるのです。
とのことですが、日本における学術文献でも一般的な書籍刊行物でも、サラーフッディーンよりも'サラディンが圧倒している点は自分も重々認知しております。しかしながら、上記で述べたように、Wikipedia:記事名の付け方の基準は「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。」とあって、「信頼できる情報源」という限定がされている訳でして、「信頼できる情報源」がどういったものであるのかについての具体的な支持までは書かれていません。自分は「信頼できる情報源」の範囲は記事名に関連する辞書や事典類の項目名や関連論文や著作の内容に従っており、可能な限り新しいもの、専門家の表記に依拠するものと解釈してまいりました。「信頼できる情報源」の範囲の選定は編集者の裁量に任されているようにも思われ、「サラーフッディーンを記事名として選択するためには、サラーフッディーンサラディンを凌駕する」ことは現状では無さそうですが、Wikipedia:記事名の付け方の上げられた基準の解釈からは強いてサラディンへ改名する必要性は無いと判断することも出来ると思われます。TakabegさんのWikipedia:記事名の付け方の基準に依拠すると思われるご主張は、基準の文言そのものと比較した場合十分には合致しておらず、現行のWikipedia:記事名の付け方の基準を改訂せずとも、現行のサラーフッディーンをサラディンへ移動する必要性は感じられません。
また、「記事名を、ガイドラインにしたがいながら、可能な限り機械的・自動的に選択されることにより、そうした問題が解決されるものと信じます。」と仰られますが、「ガイドライン」の基準範囲は編集者の個人裁量が効く余地が十分あり、「可能な限り機械的・自動的に選択される」というのもどこまで客観性を保って出来るものか甚だ怪しく、「問題が解決される」かも怪しいと個人的に思います。むしろ、それらの問題点をあまり考慮せずに「機械的・自動的」に行った場合、かえって記事編集上の意見対立を激化させるのではないかと懸念いたします。
 翻って本項目は、2003年4月9日 (水) 10:01に、203.140.69.40さんが立てられ、一時間半後の2003年4月9日 (水) 11:34アラビア語ちゃんねるさんが「サラーフッディーン」と改められて2012年1月現在まで8年余り現行の項目名となっているようです。2003年4月9日以降の編集履歴を一通り見返してみましたが、(ちなみに[2005年12月28日 (水) 14:38]の編集で「同時代の十字軍側のラテン語資料などではSalahadinusまたはSaladinusなどとと称し、これを受けて欧米では慣習的にSaladin(サラディン)と呼ばれる」云々の部分と「サラディン」の呼び方についての部分は、まだ利用者登録をしていなかった時期の自分の編集です。203.138.21.117) 自分が記憶する限り、自分が加筆した2005年12月から現在までの項目名はずっと「サラーフッディーン」だったと思いますし、その間に改名提案がされたようにも憶えておりません。(一応、現在の記事の履歴も、ノートの履歴も見ましたが、改名提案が提出された痕跡は確認出来ませんでした。自分の記憶違いなだけで、過去に改名提案が出されていたという証拠や記憶がある、という方がおられればお教え願います。) 
>Haydarさんがうえに書いてくださった情報も、記事名を巡る論争のソースとしては全く無意味なのですが、ノートにではなく、本文に盛り込んでいただけば、読者の方々のためにも有益であると思います。
とのことですが、本項目の冒頭部分ではこのように2005年12月28日の段階から本項目の「サラーフッディーン」がアイユーブ朝の始祖サラーフッディーン・ユースフ・ブン・アイユーブのことであり、いわゆる「サラディン」のことであると説明がされています。「サラーフッディーン」や「サラーフ・アル=ディーン」、「サラーフ・アッディーン」などの表記が存在することは、同じ時期に加筆した「サラディン」の呼び方についてで説明もしています。また、サラーフ・アッディーンサラディンからこちらのサラーフッディーンの項目へリダイレクトがされており、ここ6年程は編集者や閲覧者から改名提案がされていなかったことを考え合わせれば、現状の体制でも閲覧には特に支障がなかったとの判断も出来るかと思われます。「本文に盛り込んでいただけば、」と仰いますが、現状でも既に本文で書かれており、なぜそのように仰るのか、本文を見ずに仰っでもいるのかとご発言の内容をいささか理解し難く感じます。

 

>わたしも、この人物のことをサラディンと呼んでいませんし、「サラディンなんてオリエンタリスティクでいやだなぁ~」と思っています。しかし、これはあくまでも個人的な感情・意見であって、ウィキペディアのガイドラインに沿うものではありません。
とのことですが、自分はむしろオーラルでは「サラーフッディーン」よりも「アイユーブ朝のサラディン」と言った方が発音し易いですし、イスラーム史以外の人たちのオーラルでの意思疎通には便利です。しかし、文章で表した場合、(アイユーブ朝の)「サラーフッディーン」の方がより正確ですし、上記の通り現状も「ウィキペディアのガイドライン」に抵触する物とは考えません。
 また、Wikipedia:記事名の付け方の5つの基準の話しに戻りますが、現状日本語版wikipediaで検索すれば「サラーフッディーン」は「サラーフッディーン県」以外ではアイユーブ朝の始祖の「サラーフッディーン」でアイユーブ朝やザンギー朝、ファーティマ朝などの関連項目に記述されており、5つの基準のうち、5番目の「首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。」に適合出来ていると判断出来、2番目の「見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)」もリンクが出来ているためクリア出来ていると看做す事も出来ます。3番目の「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」も、サラーフッディーンという人物はアイユーブ朝の始祖以外にも史上多数おりますが、目下日本語wikipedia内部では本項目の人物以外に名が挙がってる人物は殆ど居ないようですし、Googleなどの検索でどれだけヒットするか分かりません。よって現状では3番目のも大凡クリア出来ている物と判断出来ると思います。
4番目の「簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)」は、「サラーフッディーン」よりも「サラディン」の方が字数が少ないですので、この点は意見が分かれるでしょう。
5番目の「首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。」について補足するものとしては、上記で書きましたが、ラシードゥッディーン(Rashīd al-Dīn)やクトゥブッディーン・アイバク(قطب الدين أيبك (Quṭb al-Dīn Aybak) のクトゥブッディーン(Quṭb al-Dīn)や、シハーブッディーン・ムハンマド(شهاب‌ الدين محمد Shihāb al-Dīn Muhammad)さらにはサラーフッディーンの上司であったヌールッディーン・マフムードといったようにサラーフッディーンと同じ12-13世紀に生きた他の人物たちとも同じ正則アラビア語の音韻に基づいた表記がされておりますが、これは「他の似たような記事においても、同じように使われているもの。」という部分の首尾一貫性が保たれており5番目の基準もクリア出来ていると判断出来ます。
>佐藤次高先生の講談社選書メチエというところから出版されている著書のタイトルは、『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』です。佐藤さん本人の希望でサラディンが選択されたのか、出版社様の意向でサラディンが選択されたのかは知りませんが、Haydarさんもこの人物のコモンな名称がサラディンであることは理解できたと思います。
とのことですが、自分も佐藤次高先生の『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』はメチエ版(講談社 1996年)も昨年2011年11月に出版された講談社学術文庫版も両方持っていますが、講談社学術文庫版の凡例にて、「・人名、地名はできるだけ原音にしたがうが、すでに慣用となっている表記法はそれを採用する。 例 サラーフ・アッディーン→サラディン」として、本書では一貫して「サラディン」表記を採用されておられます。しかしながら、『中世イスラム国家とアラブ社会―イクター制の研究』(山川出版社 1986年)や『マムルーク―異教の世界からきたイスラムの支配者たち』(東京大学出版会 1991年)、『イスラームの国家と王権』(岩波書店 2004年)では「サラーフ・アッディーン」の方を多く採用されています。アイユーブ朝の始祖サラーフッディーンについての日本語で読めるまとまった評伝は現状では『イスラームの「英雄」サラディン』しかない状態ですが、だからといって上述で長々書いたようにWikipedia:記事名の付け方での記事名作成の5つの基準についての解釈や現状のwikipediaでの閲覧状況を見る限り、主張されているような現行の「サラーフッディーン」から「サラディン」へ移動すべき強い必要性があるとは感じられません。
 また、[2012年1月29日 (日) 07:52]の編集で、冒頭定義部分のサラーフッディーンに{{要出典}}のタグを貼られたようですが、上記のように「サラーフッディーン」という表記は既に十年前に出版された『岩波イスラーム辞典』(2002年2月)で「サラーフッディーン 〔al-Malik an-Nāṣir Ṣalāḥ ad-Dīn Abū al-Muẓaffar Yūsuf ibn Ayyūb al-Ayyūbī〕」(太田敬子)と立項されており、正則アラビア語に基づいた音韻にも適った表記であって、わざわざ出典を要すべき事案とは考え難いものです。タグの性質に沿ったものとは思わない不当なタグの付加ですので直ちに除去すべきです。他の項目でも似たようなことをしておられるようですが、項目名に対する安易な{{要出典}}タグ付加は編集者間の無用な紛糾を誘発する恐れが十分あり、控えるべきかと思われます。 --Haydar 2012年1月30日 (月) 15:50 (UTC)[返信]

結局のところ、日本語で受け入れられているものは、サラディン であるので、それが記事の名前になります。本文で、「せいそくアラビア語に即して○○と表記される」「××と表記されることもあ」と書くしかないですね、現行のガイドラインに即して。また、要出展に関しては、もしソースをお持ちならば、とりあえず付け加えればいいいんじゃないですか ?Takabeg 2012年1月30日 (月) 22:24 (UTC)[返信]

>結局のところ、日本語で受け入れられているものは、サラディン であるので、それが記事の名前になります。
そういうことではありません。
上で長々と書いたのは、現行のWikipedia:記事名の付け方に書かれている基準の解釈範囲では現行の記事名は許容範囲以内である可能性があるのにもかかわらず、Takabegさんはご自分の理解されている範囲の「現行のガイドライン」基準にのみに依拠してそれ以外の意見は聞き入れないという態度にしか見えず、端的に申し上げて、共同作業を旨とするwikipediaの編集方針に適っていないと申し上げているのです。wikipediaではWikipedia:ガイドブックでもWikipedia:編集方針でも共同編集作業を通じて記事をより良くしよう、という方針というかマナーというか編集の心得が述べられていますが、Wikipedia:記事名の付け方云々以前にTakabegさんはそちらは考慮されているのでしょうか?
>本文で、「せいそくアラビア語に即して○○と表記される」「××と表記されることもあ」と書くしかないですね、現行のガイドラインに即して。
wikipediaにおける記事編集上の「現行のガイドライン」であるWikipedia:記事名の付け方#人名の「4.アラブおよびその他のイスラム系諸国の人名」において、「アラブ諸国のアラビア語名は標準アラビア語の発音に準ずるが、現代人(第一次世界大戦以降に活躍した者)はその国での呼び方を優先する。」と書かれてあること「に即して」勘案すれば、「サラーフッディーン」表記は「アラブ諸国のアラビア語名は標準アラビア語の発音に準ずる」に当てはまり得ます。Takabegさんの仰る「現行のガイドライン」とは、Wikipedia:記事名の付け方のどこの文面をどう解釈しているものなのでしょうか?
現行の「サラーフッディーン」は少なくとも「サラディン」でも検索出来る体制が出来ており、特に問題があるとは個人的に思われません。(Wikipedia:記事名の付け方の基準を勘案しつつ)Portal:歴史などの歴史記事編集の趨勢はこうこうである、とか同じくPortal:イスラームなどイスラーム関連の記事編集の趨勢はこうこうである、あるいはwikipediaの現行の記事名や記事編集では人名などの固有名詞の記事作成の際には(佐藤次高先生の著書でも書かれていましたが)可能な限り慣用に従うようになっている、そのため現行の記事名もそれに沿うように調整すべきではないか? というご意見ならば理解もできますが、Takabegの仰りようは「現行の(Wikipedia:記事名の付け方の)ガイドライン」ではなく、「現行の(Takabegさん個人の)ガイドライン」にしか聞こえていません。最初の改名提案以来、はなはだ説得性を欠いているという印象を強く受け、ご主張は受け入れ難く思います。
>、要出展に関しては、もしソースをお持ちならば、とりあえず付け加えればいいいんじゃないですか ?
サラーフッディーンにしろサラディンにしろ、アイユーブ朝の初代君主という12世紀後半の西アジアやヨーロッパ史でも重要な人物について、wikipediaの百科事典としての性格から出典に使えそうな主要なソースが公刊されているにもかかわらず、ご自分で調べようとか実際に確かめるなどして、記事をより良くしようとは思われないのでしょうか? 自己基準だけ押し付けて具体的な記事内容の編集にはタッチするつもりはない、と表明されているようにしか思われず、甚だ無責任な印象を強く受けます。--Haydar 2012年1月31日 (火) 09:33 (UTC)[返信]
改名提案が出されてから2、3日くらいしか経っていませんが、この調子ですと移動の可否について良好な結論が出るのか難しいように思われます。本項目の人物は中世史、イスラーム史では大変に有名で重要な人物であり、上記のテンプレートでもある通りプロジェクト:イスラームの評価基準でも「重要度・最高」となっています。可否はどうであれ、その改名をするとなると慎重な議論を経た上でされなければならないと思いますが、現在議論をしている編集者は自分を含めて2人しかいない状況であり、このまま移動の可否が決定されるのはいささか好ましい状況とは言えません。Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼Portal:イスラーム、あるいはPortal:歴史にコメント依頼を出して、広く他の編集者や閲覧者の方々からのご意見を募るべきではなかろうかと考えます。--Haydar 2012年1月31日 (火) 10:44 (UTC)[返信]

反対 「サラディン」は(好きです)適切な題であることは言を待ちませんが、「サラーフッディーン」は(好きではありませんが)適切な題である事は、これまた言うまでもありません。WP:MOVEによれば、「適切ではないとき」には改名できます。一方、ガイドラインにありませんが、両方適切な場合は、結局改名が繰り返されるのは明らかですので、改名を認めるべきではないと思います。リダイレクトがありますので、問題は感じません。

ところで、記事の中で「サラディン」が日本でも普通の呼称である事の言及がありません。また『「サラディン」の呼び方について』の節は、本来「呼称」という節であるべきです。アラビア語の技術的な説明の詳細は、多くの人名、地名に共通しますので、アラビア語あたりにゆずるべきで、本記事の中ではバリエーションを列挙すれば十分です。私自身は正しく編集するだけの知識はないので、よろしくお願いします。--Ahora 2012年2月21日 (火) 07:26 (UTC)[返信]

反対 上の方でHaydarさんが複数の情報源をあげてらっしゃいますので、ちょっと視点を変えて紙の百科事典をみたところ、平凡社『世界大百科事典』11巻 p.384では「サラーフ・アッディーン」で項目が(項目執筆者は佐藤次高氏)あり、「サラディン」項には「→サラーフ・アッディーン」との誘導が記載されておりました。また『ブリタニカ百科事典』での項目名は「サラディン」でした。(小山皓一郎 訳。文中に「アラビア語ではサラーフ・ウッディーン」との説明あり。)平凡社の例から、「サラーフ・アッディーン」(サラーフッディーン)も "日本語の百科事典の項目名" としては問題ではないと言えるかな?と思いました。

私としては、本来「認知度が高い」が記事名の条件として優先されるべきではと考えますので、本項は「サラディン」を記事名にし本文中で「サラーフッディーンなどと表記される」と説明していただく方が理想です。が、現状イスラム系人物記事の記事名は「Wikipedia:記事名の付け方#その他の慣例」にある「人名 4.アラブおよびその他のイスラム系諸国の人名」に従うのが日本語版ウィキペディア編集の慣例かと思います。、改名の前にこの項目に、例えば佐藤氏著作のように「すでに慣用となっている表記法はそれを採用する。 例 サラーフッディーン→サラディン」の一文が加えられる必要があるのではないでしょうか。本件につきましてはHaydarさんご指摘のように、しかるべき場所で少し時間をかけて当該分野の編集をされている方々と意見を交わしていただく方が結局は近道かと思います。私はTakabegさんのご指摘・ご意見にはうなづくところも多いのですが、個別ページの改名提案で改名され、重要な項目名が "慣例" と違ったものになると、後で他の利用者の方々との軋轢が生まれることが懸念されます。一旦改名提案はとりさげて段階を踏むべきと思いますので、今回はあえて反対票投じます。--ぽん吉 2012年2月21日 (火) 09:11 (UTC)[返信]

Ahoraさん、ぽん吉さん、コメントと可否の表明ありがとうございます。
先月までの議論では、「サラディン」「サラーフッディーン」のいずれが記事名として妥当か、という問題の以前に、Takabegさんの改名の趣旨と方法に、性急さと今後の関連項目に影響する上での危険さを強く感じたため、自分でもやや強い語調となってしまった感が否めませんが改名に至る前に(現在の「サラーフッディーン」表記にも正当性がちゃんとあるという理由もあって)現状に留めたかった次第です。サラーフッディーン#「サラディン」の呼び方については自分が大分前に執筆した箇所ですが、Ahoraさんもご指摘されている通りでして、これは本記事に書くよりも人名表記の部分(Wikipedia:記事名の付け方/アラブ人等イスラム系の人名)などにあった方が相応しい内容ですね。こちらも合わせて対処して行ければと思います。佐藤次高先生の著作『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』は恐らく唯一まとまった日本語で読める伝記で講談社学術文庫版が去年の11月に刊行されたばかりですが、初版のメチエ版(講談社)は1996年刊行ですから、その辺も加味しないと行けないかも知れません。いずれにしろ、何分中世史では重要な人物ですし、ぽん吉さんも仰る通り「サラディン」に改名されるにしても、他の関連記事の表記との兼ね合いを考慮した措置や記事作りを他の利用者の方たちとも議論や改名の可否を進めて行ければと自分も思います。--Haydar 2012年2月22日 (水) 20:08 (UTC)[返信]
>「アラビア語ではサラーフ・ウッディーン」との説明
確かに「なになに・ッディーン」という表記が2000年前後くらいに(場合に寄っては今でも)あります。例えば杉山正明先生も著書の中で『集史』の編者ラシードゥッディーンについて「ラシード・ウッディーン」と表記している例を何度か見ました。これもいくつか解説する必要が有るかと思いますが、 صَلَاحُ الدّين Ṣalāḥ al-Dīn の例で言いますと、 Ṣalāḥ al-Dīn はアラビア文字の文字の綴りに合わせたラテン文字表記と言えますが、発音に近い表記に大分近づけてみますと上述のように Ṣalāḥuddīn/Ṣalāḥu-d-Dīn くらいになります。恐らく、これを Ṣalāḥ ud-Dīn で区切って「サラーフ・ウッディーン」や「ラシード・ウッディーン(Rashīd al-Dīn→Rashīduddīn→Rashīd ud-Dīn)」としたものだと思われます。一応「サラディン」よりも大分アラビア語に近い表記になってます。
しかし、これはアラビア語に準拠した転写表記としては構造的な問題があります。صَلَاحُ الدّين Ṣalāḥ al-Dīn が Ṣalāḥuddīn と発音される場合に حُ -ḥu-となるのは、 Ṣalāḥ の主格単数語尾(-u)だからでして( صَلَاحُ Ṣalāḥu)、Dīnに直接従属するものではありません。Ṣalāḥ ud-Dīn ですと、Ṣalāḥ に従属するはずの主格単数語尾(-u)が、後続する名詞(Dīn)に無理矢理くっ付けられる形になるため、Ṣalāḥ ud-Dīn という分割の仕方はいささか不合理なやり方と言えます。一方、al-Dīn は上述しましたように、定冠詞 al-に「太陽文字」と呼ばれる子音群が後接すると、そちらに音が吸収されて「アッディーン」الدّين ad-dīnと発音されます( -dīn の د -d- の上のシャクル(発音記号)に二重子音・(日本語で言えば)促音を表すシャッダ ّ が付いて دّ -d-d-/-dd- となっているのはこのためです)。欧米のサイトや著書・論文などで Ṣalāḥ ad-Dīn などの表記がみられ、佐藤先生その他が「サラーフ・ッディーン」がされているのは、アラビア語の構造と文法などを踏まえた表記と言えます。(もうちょっと細かい文法的な問題もあるのですが一先ず措きます)
小山皓一郎先生は佐藤次高先生よりも一世代前で1980年代まで活躍されたオスマン朝やトルコ関係の先生という印象でして、百科事典類もアラビア語のカナ転写問題が議論される90年代以降のものが良いかなあと思うのですが、取り敢えずは、文献の執筆時期や執筆者がどういう方なのかも吟味した上で議論や調査を進めた方が良いかも知れませんね。--Haydar 2012年2月22日 (水) 20:50 (UTC)[返信]

コメント ポータルノート歴史から来ました。消極的反対の立場からのコメントをします。Ahoraさんの意見前段で簡潔に語り尽くされておりますが、「サラディン」、「サラーフッディーン」両者とも適切な記事名であり、リダイレクトがあるので問題はないことから、個人的にはサラディンの方に聞きなじみがあるものの、あえて改名する必要を認めません。--ろう(Law soma) D C 2012年2月23日 (木) 01:43 (UTC)[返信]

コメント 良く調べてはないですが、サラディンはヨーロッパの文献に出てくる表記で、歴史教科書などでは「サラーフ・アッディーン(サラディン)」のような表記をしていたと思います。記事名の付け方のガイドラインにおいて、「認知度が高い」のは「信頼できる情報源において最も一般的に使われており…」とあります。歴史的人物の記事名としては、信頼できる情報源に基づくという点から、学術的な文書で用いられている表記であることも求められるでしょう。その中から、最も正確で一般的なものを選択することになると思います。--有足魚 2012年2月23日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

反対 ちょっと調べてみたのですが、

  • 「サラディン」:『アジア歴史事典』4巻64頁(鯖田豊之執筆, 平凡社, 1959年)
  • 「サラー・ウッディーン」:『世界皇帝人名辞典』134頁(三浦一郎編, 執筆者不明, 東京堂出版, 1977年)
  • 「サラーフ・アッディーン」:『新編東洋史辞典』340頁(京大東洋史辞典編纂会編, 執筆者不明, 「サラディン」に誘導あり, 東京堂出版, 1980年)
  • 「サラーフッ・ディーン」:『世界伝記大事典 世界編』4巻408頁(エヴァレット.U.クロスビー執筆、訳者不明, 「サラディン」に誘導あり, ほるぷ出版, 1981年)
  • 「サラディン」:『新編西洋史辞典』308頁(京大西洋史辞典編纂会編, 藤本勝次, 「サラーフ・アル・ディーン」に誘導あり, 東京堂出版, 1983年)
  • 「サラディン」:『新版世界人名辞典 西洋編 増補版』309頁(執筆者不明, 東洋編には項目なし, 東京堂出版, 1993年)
  • 「サラーフ・アッディーン」:『角川世界史辞典』374頁(梅田輝世執筆, 「サラディン」に誘導あり, 角川書店, 2001年)
  • 「サラーフッディーン」:『岩波イスラーム辞典』418頁(太田敬子執筆, 「サラディン」に誘導あり, 岩波書店, 2002年)
  • 「サラーフ・アッディーン」:『新イスラム事典』246頁(佐藤次高執筆, 平凡社, 2002年)
  • 「サラーフ・アッディーン」:『ラルース図説世界史人物百科』1巻(樺山紘一監修、加藤正翻訳, 原書房, 2004年)

と、事典類の項目名で「サラーフ・アッディーン(もしくはサラーフッディーン)」の表記は意外?に多く使用されています。なので、わざわざ改名する必要は無いと考えます。--オオミズナギドリ 2012年2月24日 (金) 07:56 (UTC)[返信]

(追加コメント) 先の「何度も改名するといけないから」の追加です。英語版のガイドラインには、一定の期間、定着していた記事名で、論争があるものを、変えるべきではない、頻繁に変えられたり、合意がないものは、最初にスタブでない記事だった時点での名前を使用せよ、とあります。やはり今回は変えるべきではないでしょう。
サラーフ・「アッ」ディーン系は嫌いでしたが、イダーファで区切りを入れないと、日本語の表記ではいくらでも長くなりますから、サラーフッディーンより勝るかも知れません...この議論はこれ以上、ここ(今回の改名提案の議論)ですべきではなく、「アラブおよびその他のイスラム系諸国の人名」で行ったのち、必要ならば再提案とするべきですね。(個人的には、「ウッ」は正しいから、次第にそうなるのかも知れませんが、時期尚早かも、とだけ述べておきます。「アル」は昔は多かったように思いますが、これは個人的にはイヤです。基準はどこにあるんだ、と聞かれたら答えられません。)--Ahora 2012年2月24日 (金) 09:21 (UTC)[返信]
ろう(Law soma)さん、有足魚さん、オオミズナギドリ さん、Ahoraさん、早速のコメントありがとうございます。また、オオミズナギドリ さんも新たな調査報告重ねてありがとうございます。1980年版の『新編東洋史辞典』で「サラーフ・アッディーン」表記があるのはちょっと驚きですね。もしかしたら案外佐藤次高先生が関連箇所の執筆を担当されたかも知れませんね。Ahoraさんもご指摘の通り、西洋文献系の「サラディン」表記とイスラム文献系の「サラーフッディーン」表記との間の妥当性以外にも、アラビア語転写方法の問題(「サラーフッディーン」「サラーフ・アッディーン」「サラーフ・ウッディーン」)もやはり出て来た感じですね。特にAhoraさんのご指摘を見ますと、今回は一先ず改名の可否については見送り、本記事名の改名を議論する前にWikipedia:記事名の付け方/アラブ人等イスラム系の人名の検討など周辺の議論を詰めた上で、新たに改名などの発議をし直した方が良いのでは、と思えて参りました。(自分も「アッディーン」はあんまり使いたく無いなあと思うんですが、「サラーフ・アッディーン」は佐藤次高先生が『イスラムの英雄』以外の論文や著書で使われてますし、例えば ""al-Malik al-Nāṣir" みたいなラカブ(尊号)をカナ転写する時は「アル=マリク・アンナースィル」みたいにして表記を揃えるためには「サラーフ・アッディーン」表記の方が便利なのかなと。ニザームルムルクみたいに「アルマリクンナースィル」だと何処で単語が区切れるのか一瞬分からなると言いますか。)発議者のTakabegさんは議論からもう撤退気味に思えるのですが、現在の本記事のタグやテンプレートの処理などはどうしましょうか…(汗 --Haydar 2012年2月24日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
賛成 上の方で一旦改名に反対しましたが翻意して「サラディン」への改名へ賛成しておきます。現在の記事名・およびコメント依頼後のご意見はWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。」に反するものと思いましたので。『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』で専門家が「サラディン」を採用しながら、日本語版wikipediaが「サラーフッディーン」…なんか間違ってると思います。--ぽん吉 2012年2月24日 (金) 23:27 (UTC)[返信]
コメント 『イスラームの「英雄」サラディン―十字軍と戦った男』を執筆された佐藤次高先生が関わった書籍のうち、以下のもので「サラディン」の表記が使用されていることを確認しています。
  • 『イスラーム世界の興隆』(世界の歴史, 中央公論社, 1997年9月)
  • 『西アジア史 1 アラブ』(新版世界各国史, 山川出版社, 2002年3月)
ここと同じように「正式な名称か認知度の高い名称のどちらを採用するか」が問題となった(あるいは関連性のある議論が行われた)記事はこのあたりでしょうか。
そして、項籍に倣って「項目名はサラーフッディーンとし、(一般的な利用者の関心を惹くとともに、可読性を考慮して)本文では認知度の高いサラディンの表記を使用する」妥協案を選択肢に入れてもいいのでは? 正直なところ、ウィキペディアと性質の近い辞典・事典の類でも項目名に表記が分かれ、佐藤先生のような専門家であっても表記を統一していない事象について延々と議論をして、双方が納得する結果が出るとは思えないです。--オオミズナギドリ 2012年2月25日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
オオミズナギドリさんへ。資料追加ご確認ならびに過去の議論ご案内ありがとうございます。ひとつ、私の認識では、佐藤先生は「表記を統一していない」のではなく、「一般向けと専門家向けで表記を使い分けている」ものと考えておりました。なお先に指摘した「専門家よりも一般的な利用者の関心~」は、導入時の経緯など見る限り、昔からあって決着がついてない(あるいは事実上「正式名称」で決着した?)議論のようですね。私の提案は結局のところ「記事名の付け方」ガイドラインをどう解釈するかが問題でありまして、ここではなくWikipedia‐ノート:記事名の付け方で提起すべきであったかもしれません。失礼しました。オオミズナギドリさんがおっしゃる通り、現状で延々と議論をしても結論でないかもしれませんので、私の方からはこれ以上「サラディン」を推すことは控えたいと思います。--ぽん吉 2012年2月25日 (土) 19:56 (UTC)[返信]
皆さんお疲れ様です。オオミズナギドリさん、他書籍の表記と過去の記事名についての議論のご紹介ありがとうございます。中央公論の「世界の歴史」シリーズや山川の「新版世界各国史」シリーズもありましたね、有名過ぎて見落としていました(汗 ぽん吉さんも仰るように佐藤次高先生の場合は「一般向けと専門家向けで表記を使い分けている」のかと自分も思ってましたので、「やはり慣例的な一般性を重視して『サラディン』の方にした方が良い」という意見が多数であればそれも止むなしかな、と議論の当初から考えていました。なので、オオミズナギドリさんの「項籍(記事本文中では「項羽で統一」)」の例に倣って「項目名はサラーフッディーンとし、(一般的な利用者の関心を惹くとともに、可読性を考慮して)本文では認知度の高いサラディンの表記を使用する」妥協案はとても魅力的に感じられます。自分が議論に参加した当初は、いずれも正当性があるのでムハンマドメッカ以上に解決が難しい問題と思って覚悟していたのですが、(また何年か経って記事名と本文での表記が不一致だと改名が議論されることも考えられますが)当面の議論の糸口になりそうなひとつの案に思えました。
あと、これはWikipedia:記事名の付け方/アラブ人等イスラム系の人名の方で別途に議論すべき話題だと思いますが、アイユーブ朝ザンギー朝マムルーク朝の人名について、表記方法が大分バラバラなのもある程度整備・改名を考える必要がありそうです。具体的には「アル=マリク・アル=なになに・だれそれ」系の「マリク」号を持つ王族やスルターンたちで、実際の歴史的な呼称の以前にカナ転写で定冠詞の「アル(al-)」が付いたり付かなかったり、場合に寄ってはWikipedia:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについて#応急処置の草案で触れたザンギー朝ヌールッディーンの遺児アッサリフ・イスマイル・アルマリクのように誤表記が疑われる人物も居るようですので。--Haydar 2012年2月25日 (土) 22:59 (UTC)[返信]
私は高校でサラーフ・アッ=ディーン(サラディン)と教えられました。サラーフッディーンではないです。教科書は山川で、15年ほど前の話です。改名するとしたらサラーフ・アッ=ディーンにするべきだと思います。--RJANKA会話2014年11月26日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

要出典・出典の明記タグへの対応[編集]

上の節で、Haydarさんが 2012年1月29日 (日) 23:13 (UTC)などで既にご指摘された通り、「サラーフッディーン」は『岩波イスラーム辞典』で使用されている表記ですので、要出典タグを外し出典を付加させていただきました(差分)。なお『イスラームから見た「世界史」』(紀伊國屋書店、2011年8月)なども「サラーフッディーン」表記ですが、この本の訳者注に「表記は岩波イスラーム辞典に従った」旨説明があり、出典はこれひとつで十分かと思いました。上の話の腰を折るのがイヤで節分けさせていただきました。時間がとれましたら、出典の明記タグも外せるよう試みたいと思います。--ぽん吉 2012年2月27日 (月) 10:48 (UTC)[返信]

「両性愛の人物」への対応[編集]

本項目「サラーフッディーン」は「両性愛の人物」として挙げられています。 よってサラーフッディーンの少年愛ないし男色に関する逸話か史譚を出典とともに明記しておくべきかと存じます。 日本の戦国武将や古代ギリシア・ローマなど地中海世界の男性と同様に、歴史時代のイスラーム社会の男性は、男女両色を愛でる場合が通例とされていますが、やはり典拠付きのエピソードがあるのと無いのとでは、全く読み手の印象が異なります。  --以上の署名のないコメントは、124.255.0.75会話投稿記録)さんが 2010年6月2日 (水) 08:15 (UTC) に投稿したものです。併せてガイドラインに従い、個人攻撃的な文章を除去。--119.148.204.9 2012年5月8日 (火) 14:38 (UTC)[返信]