ノート:シギショアラ歴史地区

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2013年8月31日の取り消しについて[編集]

Googleマップで測ったら140m という記述にこだわる方がいるようですが、必要性が全くわからなかったので再び取り消しました。隣接という割には意外と離れているということをいいたいのかもしれませんが、ヘルマン・オーベルト広場のところに最初から掲げてあった出典に "les trois places voisines" (p.13)(隣接する3つの広場)と明記されているように、ルーマニア当局が提出した推薦書でそのように位置づけられているのですから、ウィキペディアウィキペディアン個人が「僕はそう思わない」式の情報を加筆することは意味のないことですし、Wikipedia:検証可能性にも反します。どうしても書きたいのなら「隣接していると位置づけられがちだが、実際には少々離れている」というようなことが書いてある信頼できる情報源を示すべきでしょう。「Googleマップで僕が調べた」などというのでは話になりません。

別にそういう意図ではないというのなら、距離関係が他に一切記載されていないこの記事において、なぜこの140mだけにこだわるのか全く不可解です。--Sumaru会話) 2013年8月31日 (土) 06:10 (UTC)2箇所修正--Sumaru会話2013年8月31日 (土) 06:19 (UTC)[返信]

「隣接」という言葉はかなり曖昧ですが、ヘルマン・オーベルト広場が他の二広場に較べ、かなり離れていると感じたのが加筆の動機です。そこで、「近い」「遠い」などの感覚的言葉より、具体的距離を加筆した方が良いと考えました。いまからすると、距離を加筆するならば、三広場すべてに対するものを書き込むべきだったかと考えています。なお、「「隣接していると位置づけられがちだが、実際には少々離れている」というようなことが書いてある」情報源はないでしょうし、そんなものを探すことは無意味でしょう。「「Googleマップで僕が調べた」などというのでは話になりません。」などと判断するのは構いませんが、取り消すならばそんな恣意的なものではなく、明確で客観的な論拠を示して下さい。。--小金井猫会話2013年9月1日 (日) 00:30 (UTC)[返信]

ですからルーマニア当局が「隣接」していると明記しているのですから、これ以上の「明確で客観的な論拠」はないでしょうに。隣接していると明記している文献はある、だがその逆を示す「情報源はないでしょう」というのであれば、Wikipedia:検証可能性に照らして、あなた個人が「かなり離れていると感じた」からというのは無意味な主張です。「Googleマップで僕が調べた」が好まれないのはWikipedia:独自研究は載せないに抵触する可能性があるからです。それを「恣意的」などと否定されるいわれはありません。--Sumaru会話2013年9月1日 (日) 02:18 (UTC)[返信]

いつもながら論点がずれて行くのが苦痛です。私が求めている「明確で客観的な論拠」は時計塔からの距離を削除した行為に対するものです。これが示されないのであれば、追加を投稿します。--小金井猫会話2013年9月1日 (日) 03:21 (UTC)[返信]

Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する可能性がある、と明記していますよね。論点がずれているのではなく、あなたがこちらのコメントをきちんと読んでいないだけでしょう。--Sumaru会話2013年9月1日 (日) 03:27 (UTC)[返信]
さて、逆に問いたいのですが、こちらが取り消したことをわざわざ差し戻した以上、その「行為に対する」「明確で客観的な論拠」はお示しいただけるんでしょうね。ウィキペディアでは「出典を示す責任は掲載を希望する側に」とあるように、本来客観的な論拠は情報を加筆する側が示すべきです。どの文献にも書いていない(らしい)情報をわざわざWikipedia:独自研究は載せないに抵触するリスクを犯してまで書かなければならない「明確で客観的な論拠」とは何か、きちんと示していただけませんか。--Sumaru会話2013年9月1日 (日) 08:34 (UTC)[返信]

私の加筆は、「独自研究」ではないと考えています。なるほど、「時計塔から広場までの距離は約140メートル」であると記載した文献はないでしょう。しかしこの距離は「グーグル地図で計測」と明記していますから誰でも検証できます。グーグル地図を使用せずとも、各種の地図で検証可能です。日本で発行されているガイドブックでもできます。それを「独自研究」であると独断し、削除されたことは到底納得できません。--小金井猫会話2013年9月3日 (火) 01:14 (UTC)[返信]

明記してあるものを「論点がずれている」だの「示されていない」だのと詰ったことへの侘びは無しですか。ご自分の苦痛ばかりを言い募る前に、ご自分の姿勢が他人にどういう苦痛をもたらすかくらい配慮していただきたいものですね(苦笑)。
さて、Wikipedia:独自研究は載せないをきちんと読んだ上でものをおっしゃっていますか。そこのジミー・ウェールズの言葉にこうありますよね。「もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない」と。要するに、ウィキペディアは事実であれば何でも書いていい場ではないということです。
かなり離れていると感じたのが加筆の動機」とのことですが、それを支持するような文献はないというのであれば少数派とすら言えません(というか、140mって大人の足なら2分もかからず歩ける距離ですよね。それを「かなり離れている」と感じるかどうかは相当程度主観に左右されるでしょう)。「事実を提示しただけで『実は離れている』という観点は明記しなかった」とおっしゃるかもしれませんが、あの文脈にわざわざ埋め込めばそういう観点を推進しているとしか読めませんよね。
で、ひとの行為には「明確で客観的な論拠」を求めておきながら、ご自分の行為の論拠には「到底納得できません」と主観を提示することしかなさらないのですか。--Sumaru会話2013年9月3日 (火) 02:35 (UTC)[返信]

広場と時計塔との距離は「隣接」と云う言葉で既に言及されています。確かに距離を数値として言及した文献を探すのは困難でしょう。しかしそれだけを根拠に、「それを支持するような文献はないというのであれば少数派とすら言えません」と断定するのは乱暴だし短絡的です。独断ではないと主張されるならば、云い方を借用して、「それを支持するような文献はないというのであれば少数派とすら言えません」と明記してある、信頼できる文献を出典として提示して欲しいです。 なお広場と時計塔との距離を具体的に示すにあたっては三広場すべてに対するものを書くべきだったかとは思っていますが、それは既に9月1日に書いた通りです。 以上ですが、これを持ってこのノートへの書き込みは最後にするつもりです。これ以上続けても実りのある結果に至るとは考えられないし、それでも議論を続けるような時間の浪費はこれで終わりにしたいです。--小金井猫会話2013年9月6日 (金) 03:58 (UTC)[返信]


Wikipedia:ウィキペディアは何でないかには「単に真実であるだけでは、たとえ検証可能であったとしても、百科事典に収録するのに相応しい内容であるとは限りません」「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです」と明記されています。
>「それを支持するような文献はないというのであれば少数派とすら言えません」と明記してある、信頼できる文献を出典として提示して欲しいです
論点がずれていると苦痛を感じるという方が、どうしてこういう論点逸らしを仕掛けるのでしょうね(苦笑)。こういう幼稚な切り返しに多言を費やす時間があるのなら、方針文書をもう少しきちんと読むべきでしょう。あなたがすべきは、一般的に具体的な数値が言及されることがない広場と時計塔の距離をわざわざ言及すべき必然性がどこにあるのかを、「明確で客観的な論拠」とともに示すことでした(それは一広場だろうと三広場だろうと同じことです)。
あなたが「明確で客観的な根拠」を示せと要求したことに対し、こちらは具体的な文献や方針文書をお示ししました。それに対して、あなたは「自分はこう思った」「自分はそう考えない」「自分は納得できない」等々とご自分の側の客観的な論拠は一度も挙げずじまいでした。これで実りのある議論にならないのは当然ですし、それはいったい誰のせいなのか冷静にお考えいただきたいと思います。
なお、時間の浪費云々については、方針文書もろくに読まないままゴネ続ける方の相手をせざるをえなかった私の側の言い分だと思うんですけれどね(苦笑)。--Sumaru会話2013年9月6日 (金) 04:36 (UTC)[返信]
(追記)「幼稚な切り返し」についても一応ひとことコメントしておきますが、そういう返しが出てくるということは、あなたは「出典を示す責任は掲載を希望する側に」を全く理解していませんよね、ということです。--Sumaru会話2013年9月6日 (金) 04:50 (UTC)[返信]