ノート:タチソ

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記事名への疑問[編集]

素晴らしい記事を作成してくださりありがとうございます。唐突ですが私が少し気になったことが一点あります。それはこのページのページ名です。確かに高槻市成合に存在する戦争遺構は「タチソ」と呼びならされていますが、あくまでも正式名称は「高槻地下倉庫」であり、「タチソ」は旧軍の暗号カードです。検索エンジンで「タチソ」より「高槻地下倉庫」を用いたページ数の方が圧倒的であることと、Wikipediaの戦争遺跡のページでも「高槻地下倉庫」と表記されており、こちらのページと整合性を取ることから、「高槻地下倉庫」へと改名するのはどうでしょうか。(現在は転送ページになっております)--沢庵師匠会話2020年8月16日 (日) 00:18 (UTC)[返信]

(レスを二つ投稿しましたが、コメントアウトします)

あくまでも正式名称は「高槻地下倉庫」でありという見解に首肯しかねるので、記事名変更のご提案には賛成できません。また、「検索エンジンで「タチソ」より「高槻地下倉庫」を用いたページ数の方が圧倒的であること」とも主張しておられますが、私もGoogleにてタチソ高槻地下倉庫で検索をかけてみたところ、高槻地下倉庫が圧倒的とはちっとも思えません。この2語の検索で引っかかってきたページを実際に閲覧してみますと、1980年代初頭にタチソの資料集を出版して保存運動を開始した市民団体<詳細は記事の注釈1を参照>による説明(成合の地下複合施設を「タチソ」と称し、「高槻(タカツキ)地下(チカ)倉庫(ソウコ)の頭文字をとって陸軍が命名した暗号名」と紹介)をそのままなぞった記述か、この市民団体に取材した報道しか見られません。この市民団体の資料集に収録されていない典拠を示してこの施設の何らかの「正式名称」を示したサイトは一つも見当たりません。
タチソ高槻地下倉庫という呼称についての現時点での私の理解をまとめますと、
  1. 陸軍省はこの施設のコードネーム(暗号名)として「タチソ」と定めた。
  2. このコードネーム「タチソ」は「高槻(タカツキ)地下(チカ)倉庫(ソウコ)」の頭文字を取って命名された。
  3. この施設は秘密の地下司令部/工場として建設されていたので、「正式名称を定めて、周知する」などということは行われなかった(そのため敗戦後に陸軍から施設の管理を引きついだ大蔵省理財局の史料、建設に動員された人々や地元住民の記録や回想などで呼称が一定していない)
となります。コードネームも戦時中に公開・周知されるような名称ではありませんが、当事者(=陸軍省)によって公式に制定された通称ではある。つまり「タチソ」こそが、記事の名称にふさわしい呼称であるという結論となります。上記のように考える根拠資料を、記事本文の注釈部分にたくさん増補しましたので、そちらもご覧ください。--Dalaibaatur会話2020年8月18日 (火) 02:25 (UTC)[返信]
注釈1に未収録の史料のうち、建設当事者の記録(回想)および米国の報告書などに見える呼称の数々:
  • 「地下工場」(大阪府高槻,神戸川崎航空機製作所用)
  • 「地下工場」
  • 「The Takatsuki underground plant of the Kawasaki Aricraft Co.」
など(「第1部 文献資料」pp.3-15)。もと陸軍防空技術大佐の回想、国鉄建設隊のタチソ従事者の回想、工事を受注した間組の社史、米国戦略爆撃調査報告書などの表記。本文の注釈1に記載済みの呼称も含め、普通名詞でしか呼ばれていないように見えます。戦中から、戦後の1980年代初頭にいたるまで、この施設には「名前なんかなかった」のではないでしょうか。保存運動の人々が陸軍のコードネームの「タチソ」を発掘し、自分たちの保存運動で施設名の呼称として積極的に使用、その語源の「高槻地下倉庫」とセットで40年近くにわたり紹介し続けたことで、この2名称の認知度が高まっていったものと思われます。--Dalaibaatur会話2020年8月22日 (土) 16:59 (UTC)[返信]
関連文献に挙げている3つの書物のうち、「タチソ物語」の現物が手元に来ました(近所の公立図書館にリクエスト、大阪市立図書館の蔵書が到着)。これによると、「むくげの会」による1981年の現地調査に朝日新聞の記者が同行、1981年7月17日の記事が、タチソがふたたび世に出るきっかけとなったこと。この記事をみた高槻市民の有志により保存運動「戦争の記録を残す高槻市民の会」が結成、同団体は保存運動と資料集・関連文献の刊行、映画の作成などに取り組んだことなどが紹介されています(pp.6-7)。保存運動の団体が、この史跡の呼称として陸軍のコードネーム「タチソ」を採用した理由については、資料集の1集か3集に記載があるのかもしれませんが、「タチソ」とその語源「高槻地下倉庫」が、他の呼称を圧して認知されていくきっかけが、この保存運動グループによる選択にあったことは、ほぼ確実とおもわれます。--Dalaibaatur会話2020年8月28日 (金) 14:04 (UTC)[返信]