ノート:バーナード・ジャン・ベッテルハイム

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明らかに日本に偏った記述になっており、国際的視野に欠けます。「ベッテルハイム夫妻とフランス人宣教師が、圧力に不満をいだく群集に首里の入口で取り囲まれて殴打された」と記述し、政治的圧力にのみ殴打の原因を求め、あたかも、殴打が正当であったかのように書くのは中立性に欠けます。自然法に基づく基本的人権である信教の自由に関する記述をしつこく削除し、「ただ医療宣教師としての来琉であったため、医療活動での評価はたかかった」と、宣教師としての宗教活動を否定し、医療活動のみを評価するが如き記述も中立性に欠けます。また、議論となりうる記述でありながら、出典もありません。--Evangelical 2010年3月16日 (火) 16:39 (UTC)[返信]

勘違いをされては困ります。歴史に基づいて客観的な事実を記述するべきであり、現在の「国際的視野」とか「基本的人権である信教の自由」など、当時の人の世界観には必ずしも当てはまらない、現代人であるEvangelicalさんの主張を書き込む事こそが間違いだと思います。ですから私の加筆は、ベッテルハイムの行動と背景と結果だけであり、宗教活動や功績を否定するものではありません。だいいち「ただ医療宣教師~」などは私の加筆じゃないですよ。
参考にしたのは、このページ上の出典(Evangelicalさん提出のものも含めます)と「まれびとたちの沖縄 与那原恵」と沖縄関係の歴史書(すいませんが、参考と言える本は数百冊を越えますので列挙は遠慮させて下さい)です。--あああやめて 2010年3月16日 (火) 19:20 (UTC)[返信]
コメント
歴史に基づいて客観的な事実を記述
確かにそれは大事です。「信教の自由」「基本的人権」云々の記述は必要ないでしょう。
(以下余談ですが)そもそも初代教会時代から、キリスト教徒達は信教の自由の無いところに伝道して致命していったのであり、そこにこそキリスト教の伝統と神の光栄が示されていた筈です。キリスト教を弾圧したフランス革命で確立した基本的人権を持ち出して当該地域での迫害を指弾しても、実りはありません。(余談ここまで)
他方、琉球側には「丁重な退去要請」といったプラスイメージの修飾語、ベッテルハイム側には「強引に上陸した」といったマイナスイメージの修飾語を加えている現状は、「客観的な事実」のみと言い得るか微妙なところです。論文レベルでは許容範囲かもしれませんが、事典の記述的には単に「退去要請」「上陸した」とすればいい筈で、このような点からの修正は必要でしょう。そういう箇所は多くは無いですし、それほど困難な作業では無いと思います。あるいは「高額な贈答品をつけて退去を要請した」とか「役人の制止を振り切ったり役人を押しのけて上陸した」といった具体的事実があればそのような修飾語も正当かもしれませんが、それならそのような具体的事実を書けば良いだけです。
それと、「医療活動での評価はたかかった」についてですが、誰からみて高かったのかを書かなければWP:AWWのガイドライン「意見の持ち主を明示する」に抵触するでしょう。キリスト教徒からみれば聖書の琉球語翻訳もまた評価は高いものなのであり、「医療活動のみは評価した」のが誰なのかの明示は行われてしかるべきです(王府なら王府と明示する必要があります)。--Kinno Angel 2010年3月17日 (水) 01:36 (UTC)[返信]
Kinno Angelさんは確認されておられると思いますけど、Evangelicalさんが書き込まれたこちらを見てあんまりだとの判断で修正を加え始めたので、当然ご指摘の部分なども私の加筆ではないと表明した上で、ご意見には賛成です。まあ「丁重」「強引」ってのは、Evangelicalさんも参考にされている資料に基づいているんじゃないかなあと思います(項目「図書ベッテムハイム:19世紀の琉球に伝道した英宣教医」の「C」行)。--あああやめて 2010年3月17日 (水) 07:04 (UTC)[返信]

中立性などについて、Evangelicalさんから問題提起を頂きましたが、その後、20日近く議論の進展が御座いません。これ以上、放置もなんですので、30日を持ちましてこちら側の出典提示の上、タグの除去を行いたいと思います。--あああやめて 2010年4月4日 (日) 14:39 (UTC)[返信]
出典として外部リンクを2つを参考にしました。解釈の違いなどがあるかも知れませんが、そのあたりはご容赦の上、問題があれば修正願います。--あああやめて 2010年4月16日 (金) 16:25 (UTC)[返信]

「圧力に不満をいだく群集」とする記述は、宣教師らが殴打された理由が列強の政治的圧力のみにあったかのようにとらえられるものであり、出典も無く中立的ではありません。全体として宗教的な理由についての記述が無く、国際的視野にも欠けます。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 13:26 (UTC)[返信]
他の問題点は、この人物の思想や活動が紹介されず、当時の社会情勢についてより詳しく記述されていることです。それは周辺事項であってこの項目のメインではないはずです。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 14:32 (UTC)[返信]

検証しやすい出典として利用した2つのHPを推考した結果の表現であり、当時のイギリスとフランスの行動が琉球王国に対する圧力でないとの資料とかあるんですか?ベッテルハイムと琉球側の歴史的関係だけを述べています、宗教的動機などはEvangelicalさんがお詳しいでしょうから記述をお願いします。Evangelicalさんの言う「国際的視野」ってなんでしょうか、もう少し説明願います。--あああやめて 2010年4月23日 (金) 14:53 (UTC)[返信]

英語版wikiとHPのみを出典としてあげたのは、不十分であったと思い、反省しておる次第でございます。イギリスやフランスの行動が理由の一つであったであろうことについては否定しておりませんし、イギリスやフランスの行動については日本人の一人として言いたいことは山ほどありますが、それだけを理由とするのは不十分です。フランスの宣教師の中には「聖なる福音の為」ナポレオン三世に日本の軍事占領を上奏したカトリック宣教師がいたそうです。とんでもないと思います。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 15:36 (UTC)[返信]
答えになっていませんが。問題は宗教的功績の記述が少ないと言うことですよね、では下の加筆依頼節でご自身が述べられている通り、加筆するか加筆依頼で十分ではないでしょうか。ご自身の構想に合わないからと言っても、私は反キリスト教POVを行っているわけではありませんよ。またEvangelicalさん「国際的視野」に付いてご説明下さい、そうでないと世界的観点タグの根拠が分かりませんし、これ以上の返答のしようが御座いません。--あああやめて 2010年4月23日 (金) 22:16 (UTC)[返信]

「到着当時、琉球王国ではキリスト教は禁教であった。それにも関わらず、琉球側はベッテルハイムへ退去要請を行った。それはベッテルハイムの数年前(1844年)に来琉したフランス人宣教師の、フランス海軍の武力を背景とした布教への対応に苦慮した経験からであるしかしベッテルハイムは、自分にもフランス人宣教師と同様の権利があると主張して上陸した。最初の1年半、琉球側のある程度の黙認から比較的自由に行動することができたが、布教や通商のさらなる自由化を要求し、イギリスも加わった軍事的圧力を続けた。1847年10月、国王尚育王の国葬に参加しようとしたベッテルハイム夫妻とフランス人宣教師が、圧力に不満をいだく群集[要出典]に首里の入口で取り囲まれて殴打された。この事件により琉球側は宣教師達の自由行動を不安視、その後は厳しく監視して行動にも制限を加えるようになった。医療活動での評価はたかかった(仲地紀仁に種痘を伝授したという)。また聖書を琉球語(その内当時琉球王国の共通語とされていた沖縄方言)に翻訳し、それを配布した」

日本-琉球王国-フランスという対立する国家のうち、日本の視点からのみ書かれているように見受けられることが問題です。禁教であった、それにも関わらず、(丁重に)退去要請を行った理由として、フランス海軍の武力をあげています。それは日本とフランスあるいは琉球王国とフランスの問題であって彼個人の記事のメインではないはずです。「禁教であった」「それにも関わらず」という結ぶ時点で日本的POVであると考えられます。「イギリスも加わった軍事的圧力を続けた。」とありますが、宣教師個人が「軍事的圧力を続け」る政治的権力など有するわけがありません。また、私が以前に読んだ資料は政治的理由に殴打の原因を求めるものではありませんでした。削除しましたが「ただし医療活動での評価はたかかった」としか書いてありませんでした。
この記述によると、バーナード・ジャン・ベッテルハイムは禁教の琉球に、武力で脅して強引に上陸したにも関わらず、琉球は丁寧に対応した。宣教師は「イギリスも加わった軍事的圧力を続けた。」ベッテルハイム夫妻とフランス人宣教師が群集にとりかこまれて殴打された理由は政治的圧力に対する(正当な)不満からのものである(理由がそれしかかいてない)。宣教活動はこの通り否定するが、医療活動では貢献したので評価する。です。---Evangelical 2010年4月23日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

前にも言いましたけど、ベッテルハイムが来琉した行動と背景と結果ですので、なんら日本的POVではありません。それに指摘の大部分がKinno Angelさんの指摘の焼き増しではないですか、それは私の加筆ではないと既に申し上げましたよ。フランスやイギリスは宣教師の後援者として通商要求と共に布教への便宜も要求(それも大砲や銃器で脅して)していましたので無関係とは言えません。実際本人も、布教の権利があるとして琉球側からの最初の退去要請を無視した分けですからね。
琉球側がペリーへ出した手紙も確認されています。
要約しますと「ベットルハイム一家が勝手に住みつき、滞在の糧を要求して苦慮しています~連れ出して下さい~彼が留まることは琉球にとって迷惑で災いです」(出典、ペリー提督日本遠征記、NTT出版)。イギリスが退去要請を聞かないので、最後はアメリカに頼んだわけですね。

つまり英政府、琉球政府の思惑とベッテルハイムの意志は違ったというわけですね。違うなら分けて書くべきです。ベッテルハイムの意図と宣教活動と背景と結果と影響についての記述がされていません。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 01:25 (UTC)[返信]
いいえそうとは限りませんよ、彼はイギリス海軍主催の琉球海軍伝道会に所属してたんですからね、まあ私は内面をそこまでは捉えきれてませんが。なんにしても私はこれ以上加筆する気はないですが、「信教の自由」「基本的人権」「国際的視野」を使われるのは現在POVです、ウィキペディアの百科事典との趣旨に反しある種の道徳を教える為の説教としかいえませんので明確に反対しておきます。--あああやめて 2010年4月24日 (土) 01:53 (UTC)[返信]

「一方な殉教者的表現を修正追記」[1]として、ある種の見解のみを書かれれたのは、あなた様でございません。「それは私の加筆ではない」のはもちろん存じています。履歴をチェックしています。これでは両論併記になっていませんが、自分が書いた記述でなければ関係ないですか。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 01:54 (UTC)[返信]

ええ義務じゃないですから。--あああやめて 2010年4月24日 (土) 01:56 (UTC)[返信]
履歴を見ればわかりますが、私が信教の自由という語を入れたのは、スミス16号氏の記述を見てからであり、信教の自由という記述をいれたのは、スミス16号氏の記述を削除せずに、両論併記にすることを意図していましたが、別の問題があったようです。いずれにしても、ネット上の資料と現時点での私の手持ちの資料による記述だけでは、不十分です。さらに調査します。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 02:05 (UTC)[返信]

現在の視点ではなく当時の視点では、ペリー提督が『日本遠征記』で、「ベッテルハイム博士の経験から推すと、自由に放任されれば平民は喜んでキリスト教教師の教を傾聴するだろうと考えられ得るのである」と述べています。琉球政府の圧力が自由な伝道を妨げたとする見解についての記述も原状では一切ありません。ペリー提督の本にはさらにベッテルハイムの活動についての詳しい記述があるようですが、この本もいま手元にないので探します。海軍琉球伝道会は名称に軍とはついていますが、退役軍人が作った伝道団体です。この伝道団体については項目を作れるだけの資料が見つかれば書きます。--Evangelical 2010年4月24日 (土) 02:29 (UTC)[返信]

「~自由に放任されれば~」で何らかの制限があったことは推測できますね。今後の加筆はお任せしますのでよろしくお願いします、では。--あああやめて 2010年4月24日 (土) 02:53 (UTC)[返信]

世界化タグについて[編集]

議論が蓄積してしまっていますので、まず限られたリソースで参加出来る事のみ申し上げます。
世界化タグはこのような場合に使うものではないでしょう。たとえば土葬のような場合(世界中にあるものについて、日本のものだけを説明しているような場合)に使われるものです。このタグは除去されるべきと思います。日本の視点・フランスの視点という面からの指摘であれば、中立的観点タグのみで十分です。--Kinno Angel 2010年4月26日 (月) 00:06 (UTC)[返信]

中立的観点タグについて[編集]

現状では、中立的観点タグは必要無いと考えます。相当記述は改善されています。--Kinno Angel 2010年4月26日 (月) 00:22 (UTC)[返信]

改善されつつあると考え、タグをひとまずはずします。ただし、加筆の必要性はあると考えられるので、加筆はそのままにします。--Evangelical 2010年4月29日 (木) 04:22 (UTC)[返信]

加筆依頼[編集]

Wikipedia:加筆依頼を提出しました。伝記や研究結果に基づく加筆を広く求めます。現状はネットの出典に偏っています。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 14:32 (UTC)[返信]

Evangelicalさんより批判を受けた者です。Evangelicalさんが示されたネットを出典として利用しておりますが、否定されるのはダブルスタンダードと思います。--あああやめて 2010年4月23日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
手元にないので出典にあげませんでしたが、私は出版物でこの人物について知りました。その資料が手元にあれば、出典にあげております。この項目の新規作成者は私で、英語版を参考に作成し、ネットをリンクしましたが、初版からスタブを付けており、加筆は当然の前提です。ネットの出典を否定していません。不十分だと申しております。--Evangelical 2010年4月23日 (金) 15:30 (UTC)[返信]