ノート:メイス・ウィンドゥ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

DVDの監督コメントについて[編集]

利用者:ShuBraque会話 / 投稿記録さんの編集[1]に関することです。

私はNasqnと申しまして、当記事でcite videoのテンプレートを使ってDVDに収録されているジョージ・ルーカス監督のコメントの引用を加筆した者です[2]。この箇所は出典のDVDに“Japanese (Director Comments), English (Director Comments)”とあるように、監督の発言の日本語字幕および英語字幕が引用元です。

これについて、二つお尋ねしたいことがあります。ShuBraqueさんの編集では、DVDの日本語字幕から引用した「この戦いの展開については最初から考えてあった」「実力で圧倒的に勝るメイスが議長の放つパワーをライトセーバーではね返す」という箇所が、「最初はメイスがパルパティーン議長を圧倒するが、パルパティーンは特別なパワーでメイスを倒そうとする。メイスはそのパワーをライトセーバーで跳ね除けるんだ」という内容に変更されています。この変更後の内容は、DVDの字幕では確認できておりません。これに出典はありますでしょうか。例えば、この英語字幕の内容は、DVDとは別の媒体で和訳されていて、ShuBraqueさんはそれをご参考にされたとか。もしそうであれば、DVDでない媒体を出典として加筆して、DVDを出典とする箇所とDVDでない媒体を出典とする箇所に区別し整理しようと考えておりますが、いかがでしょうか。

また、その上部にShuBraqueさんは「公式設定であるかの判断には注意を要する」と加筆されていますが、この箇所に出典はありますでしょうか。--Nasqn会話2015年9月30日 (水) 13:37 (UTC)[返信]

こんにちは。当該の和訳は私が掲載されていた英語を読んで訳したものです。なぜなら私の訳と以前の訳を比較すればわかるように、以前の和訳では訳されていない部分が多く、そこが気になったからです。英と日の字幕は1対1の訳には必ずしもなっていません。出典には使えそうにないですが、参考としてこういう解説もあります[3]日本語版字幕作成には色々制約があるわけです。そのため日本語版の字幕はあくまで「日本語版の字幕」であって「英語字幕の和訳」とするのは誤りだとおもいます。もちろん他にもっといい訳があればそちらを使うべきだと思いますが、以前の訳は「英語字幕の和訳」としてちょっとどうかと思ったので編集しました。
公式設定についてはNasqnさんとIPユーザーさんの間でそのような話し合い(諍い?)が以前に持たれたようなので、それを元に追記しました。--ShuBraque会話2015年9月30日 (水) 20:11 (UTC)[返信]
提案 日本語版字幕の表記のほうは「和訳」として載せるのではなく「日本語版字幕の表記」として載せてはいかがでしょう。先述のとおり字幕の作成には色々制約がありますから「英語字幕の和訳」には必ずしもなっていません。よって「英語字幕の和訳」と「日本語版字幕の表記」は分けて載せてはどうでしょうか。
これが公式設定かどうかについては、高次出典がほしいところですが、それも難しいでしょうし、この辺の私の記述はまあ消してもいいでしょう。--ShuBraque会話2015年9月30日 (水) 20:33 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。当該部分にDVDの日本語字幕を引用した際には、Template:Quoteを使いつつ出典に日本語字幕と英語字幕を示したことで、Nasqnによる和訳ではなくDVDからの引用であることを明示したつもりになっていました。しかしShuBraqueさんのお話を聞くと、当該部分はDVDの「日本語字幕」というより、編集者による「英語字幕の和訳」に見えるような形になっていたのであろうと思います。
ですので、「この戦いの展開については~ライトセーバーではね返す」の出典を「ジョージ・ルーカス (2005年) (Japanese (Director Comments))~」とし、原文の「Ok, well~his lightsaber」の出典を「ジョージ・ルーカス (2005年) (English (Director Comments))~」とに分けようと考えています。
ShuBraqueさんによる和訳は、脚注に移動させようかと思っています。なお、「公式設定」に関してですが、『スター・ウォーズ』シリーズにおける「公式設定」とは何かを定義した信頼できる情報源が当記事にも私の手元にも無いこと、WP:VWP:RSを見る限り基本的に、Wikipediaが要求しているのは公式の情報というより信頼できる情報源の情報であることから、今まで「公式は次のように述べている」「公式設定では以下の通りである」等とは書かずに「ジョージ・ルーカス監督は次のように述べている」としておきました。ですが、いずれは当記事を無出典の記述がなるべく無い、二次資料中心の状態に変えていければと思っております。
ご意見やご指摘等ありましたら、お願いいたします。--Nasqn会話2015年10月2日 (金) 15:17 (UTC)[返信]
こんばんは。ネットカフェからなのでIPで失礼しますが、ShuBraqueです。なお、今後はきちんとログインしますので、このIPを使うのはこの一回きりです。さて、Nasqnさんの返信についてですが、私はあれがNasqnさんの和訳だと思っていたわけではありません。私が言いたいのは日本語字幕の内容と英語字幕の内容は必ずしも一対一の訳になっていないこと、字幕の作成にはいろいろな制約があること、つまり日本語字幕の内容は通常の「和訳」ではないということです。Nasqnさんの「(ShuBraqueの和訳が)DVDの字幕では確認できていない」とか、「DVDとは別の媒体で和訳されて」などの発言を見るにDVDでは和訳されていると考えていたようですがいかがでしょうか。訳を脚注に移動させるというのもちょっと意味が分かりません。私の訳よりもいい訳があるということで訳の差し替えがされた例は今までにもいくつかありましたし、それは私も大歓迎ですが、差し替えられる訳が見つかっていないにもかかわらず脚注に移動させるというのはなぜでしょうか?--118.238.237.227 2015年10月2日 (金) 16:28 (UTC)[返信]
(追記)もちろん、訳が間違っているとか。訳が低質だとか理由があればいいのです。私も結構間違えますので。しかし、どうにも理由が見えません。--118.238.237.227 2015年10月2日 (金) 16:35 (UTC)[返信]
(再追記)さて、これ以降はもうこのIPは使いません。--118.238.237.227 2015年10月2日 (金) 16:51 (UTC)[返信]

私は利用者:ShuBraque会話 / 投稿記録さんの編集を支持します。DVDの字幕はあまりに不完全であって、少なくともそれを併記する必要性はあると思います。正確には、この発言の引用自体を取りやめる選択肢が一番良いと私は思っています。どちらの翻訳であっても「メイスが序盤圧倒する」という部分は一致していますが、能力に追記されているように、序盤はむしろメイスの方が部屋から押し戻されています。監督の発言が実際の映画自体にどの程度反映されているのかが不透明である以上、引用の必要性が感じられません。過去、何度かこの発言が削除された事がありましたが、意図はともかくとして、ある意味一番正しい対処だと思います。--RANWAM会話2015年10月2日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

こんばんは。ShuBraqueです。上のネットカフェのIPの発言は確かに私の書いたものです。
RANWAMさんの言うように発言の引用をそもそも取りやめるのもいいかもしれませんね。--ShuBraque会話2015年10月3日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
こんばんは、Nasqnです。自分としては、日本語字幕は”通常の「和訳」ではない”と考えておりました。その理由としては、日本語字幕の構造が原文の構造とまったく違うこと、冒頭からして「Ok, well」が訳されていないこと等があります。もしNasqnが訳すとしたら「よし、えぇと、この一連(シークエンス)はパルパティーンを圧倒しているメイス、それからメイスを滅ぼそうと力を使っているパルパティーンとその光線郡をライトセーバーでそらしているメイスでいつも始まり出していた」となるかと思います。
ShuBraqueさんの追加なさった記述(ShuBraqueさんの和訳であると後に教えていただきました)はDVDの字幕を再度確認しても見つからなかったので、監督の発言が「DVDとは別の媒体で」和訳されていたのだろうか?と考えていました。
脚注にShuBraqueさんの和訳を移動させようかとNasqnが言い出した理由ですが、DVDの日本語字幕と、編集者による和訳とを、どのように扱ったら良いか迷ったためでした。ShuBraqueさんがご自分の和訳を置くべきと判断なさった箇所があれば、それに従わせて頂きたいと思っています。
この引用を取りやめることについては、賛成できかねます。WP:Vは”私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけです”と定めています。ですから、出典のある記述を除去することはWP:Vにそぐわないと思われます(特に当記事は無出典の記述が多く、尚のこと出典のある記述が必要と思われます)。--Nasqn会話2015年10月3日 (土) 09:41 (UTC)[返信]
RANWAMさん、コメントありがとうございます。
> DVDの字幕はあまりに不完全であって、少なくともそれを併記する必要性はあると思います。
お尋ねしたいのですが、「DVDの字幕」は「DVDの日本語字幕」のことで、「それを併記する」というのは「ShuBraqueさんの和訳を併記する」ということでしょうか。そういった意味でしたら、仰る通りと思います。
> どちらの翻訳であっても「メイスが序盤圧倒する」という部分は一致していますが、能力に追記されているように、序盤はむしろメイスの方が部屋から押し戻されています。監督の発言が実際の映画自体にどの程度反映されているのかが不透明である以上、引用の必要性が感じられません。
それにつきましては、前提に疑問があります。まず、「能力に追記」されたという箇所はおそらく「なお、実写版におけるダース・シディアスとの戦いでは、序盤はプライベート・オフィスから公式会議用儀礼オフィスまで後退させられており、必ずしもメイス自身が短期決戦を得意としているわけではなく、長期決戦を苦手としているわけでもない」[4]という文のことと思われますが、これには出典がありません。ですから、「なお~わけでもない」という文は裏付けがない、言い換えれば、WP:Vが定めている”信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容”ではないと思われます。
次に、「序盤」の意味に食い違いがあると思います。具体的には、「戦闘の序盤」と「引用箇所の序盤」の違いです。RANWAMさんの仰る「序盤」は、おそらくDVDでのチャプター27でのメイス対パルパティーンの戦闘序盤のことと思われますが、これは引用にある監督の発言(01:13:04-01:13:20)よりかなり前の場面です。パルパティーンがライトセーバーを取り出したのが01:11:21で、パルパティーンとメイスとの一対一の戦闘になるのが01:11:39、そこから01:12:04にかけて戦闘が議長室の外に移っていきます。その後にアナキンの場面、それから戦闘の続きの場面と続いて、監督の例の発言が来ます。
> 監督の発言が実際の映画自体にどの程度反映されているのかが不透明である以上、引用の必要性が感じられません。
上記でお伝えしましたように、その前提に疑問があります。また、DVDの音声・字幕メニューを見ると、監督の発言は「音声解説」の中に含まれています。ですので、映画自体に反映された(もしくはされていない)監督の発言が存在するというより、映画自体を監督が解説しているということかと思います。
それと、お伺いしたいのですが「引用の必要性が感じられません」というのは、引用がWikipediaに反しているという意味でしょうか。もしそういった意味でしたら、具体的にどの方針やガイドラインに反しているかをお聞かせ願えるでしょうか。--Nasqn会話2015年10月3日 (土) 09:41 (UTC)[返信]
こんばんは。Shubraqueです。さて、Nasqnさんは新たな主張をしていますが、出典がある記述だからと言って除去してはいけないわけではありません。例えばWikipedia:検証可能性には「他の原則との兼ね合い」の節に「ある事柄が単に『検証可能』だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません」と書かれています。つまりは議論で合意を形成すれば記述は除去できるわけです。Nasqnさんが言うような「検証可能な出典があるから」記述が除去するべきでないというのは誤りです。記述を除去したくないのであれば私たちの意見に対して合理的な説明をしてください。Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へにも示されているように、出典を示さなくてはいけないのは除去を求める側ではなく書きくわえようとする側であり、この場合はこの監督の発言の重要性やさらなる解説の高次出典が求められています。さらに言えばNasqnさんの記述がウィキペディアの方針に反するかどうかをここで話し合っているのではありません。NasqnさんはWikipedia:法律家ごっこをご覧ください。Nasqnさんはこの発言を除去する反論の根拠として「この引用を取りやめることについては、賛成できかねます。WP:Vは”私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより『検証できる』内容だけです”と定めています」とウィキペディアの方針に反していないことを示しただけですが、これでは不十分なのです。私たちを荒らし扱いするのは結構ですが、きちんと反論の根拠を示してください。--ShuBraque会話2015年10月3日 (土) 12:03 (UTC)[返信]
要約すればNasqnさんの記述が大枠のルールに反していないという事実はその記述の特筆性を説明するわけではないということです。--ShuBraque会話2015年10月3日 (土) 12:23 (UTC)[返信]
もちろん何らかの出典が示されるか、出典が示されなくても編集者の理解・合意が得られれば記述はそのままでもいいし、以前の記述に戻してもいいと思います。現時点では私は除去がいいかなと思います。--ShuBraque会話2015年10月3日 (土) 12:51 (UTC)[返信]
こんばんは。Nasqnです。出典がある記述も除去され得るという点では、Shubraqueさんが仰る通りかと思います。しかし、
> Wikipedia:検証可能性には「他の原則との兼ね合い」の節に「ある事柄が単に『検証可能』だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません」と書かれています。つまりは議論で合意を形成すれば記述は除去できるわけです。
これにつきましては疑問があります。その文は「ある事柄が単に~とは限りません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご覧ください~」となっており、合意形成(およびそれによる記述除去)については扱っていないのではないでしょうか。また、その文を含む節自体も、合意形成については扱っていないのではないでしょうか。
記述を除去すべきでないとNasqnが判断した理由は、まず一つは上記の2015年10月3日 (土) 09:41 (UTC)に申し上げた、「出典のある記述を除去することはWP:Vにそぐわないと思われます(特に当記事は無出典の記述が多く、尚のこと出典のある記述が必要と思われます)」というものです。簡潔に言い換えれば、Wikipediaの記事は方針に反していない、つまり方針に「従う」内容であるべきという意味です。
> Wikipedia:「要出典」をクリックされた方へにも示されているように、出典を示さなくてはいけないのは除去を求める側ではなく書きくわえようとする側であり、この場合はこの監督の発言の重要性やさらなる解説の高次出典が求められています。
確かにその案内には「出典を示す義務を負うのは、除去を求める側ではなく、書き加えようとする側」とあります。今回の件では出典を示しているため、その点は問題ないかと思われます。そして、「監督の発言の重要性やさらなる解説の高次出典」を求めているのはShuBraqueさんとRANWAMさんのお二人と思われますが、「高次出典」とは「二次資料」のことでしょうか。二次資料でしたら、申し訳ありませんが今は提示できません。しかし、当記事は結果的に独自研究が大部分であるため、一次資料(例えば監督の発言)であっても今の段階では比較的重要性があると思われます。ただ、上記の2015年10月2日 (金) 15:17 (UTC)で申し上げたように、いずれは当記事が独自研究の無い、二次資料に基づいた内容―すなわち”信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけ”―となることが、Wikipediaの方針によりよく準拠していると思われます。
法律家ごっこ」は「私論」であり、「内容の是非については慎重に検討してください」とありますが、それは一旦脇に置かせて頂きます。Shubraqueさんが、「法律家ごっこ」の具体的にどういった点にNasqnが該当すると判断なさったのかは分かりかねますが、一応お答えいたしますとNasqnとしては、Nasqnが合意形成を圧殺して方針(法律)を押し付けてやろう、というような意図はございません。理由としては、「主要な方針とガイドライン」という枠組の中で、「合意形成」がガイドラインとして含まれているためです。それでは何故Nasqnが「検証可能性」(WP:V)のような方針を引用して理由説明を試みたかといいますと、Wikipediaが方針を「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と定義しており、またWP:VWP:NPOVWP:NORについて「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」としているためです。
Nasqn自身としては、お二人を荒らし扱いしたつもりはございません。理由としては第一に、お二人について「荒らし」という言葉を使って形容してはおりません。第二に、WP:R Vanにあるような荒らしへの対処法をお二人に行ったり、進行中の荒らし行為としてお二人の行為を報告する等もしておりません。ですから、Shubraqueさんがそのように判断された理由をお聞かせ願えるでしょうか。
なお「特筆性」に関してですが、これは「独立記事として作成、あるいは収録するだけの価値」のこととされています。今回の件は独立記事を作成・収録するか否かということではないと思いますが、「特筆性」を取り上げられた理由は何でしょうか。--Nasqn会話2015年10月4日 (日) 13:15 (UTC)[返信]
えーと、結局記述するのも問題なし、削除するのも問題なしという事なんだと思います。私は削除するのが一番問題を生まないと感じたので提案しました。ただ、過去の編集や会話を見るにNasqnさんはこの監督発言に相当執着されているようなので、削除で一致するのは難しそうですね。なんだか余計にややこしい議論になってしまったようなので、私の意見は無視して議論を続けてください。--RANWAM会話2015年10月4日 (日) 13:32 (UTC)[返信]
この映画の字幕は一次資料。。ですね。これ以上の出典は示されていません。二次資料が全く見つからず、特筆性もなければ除去も選択肢のひとつです。他のシーンの監督の発言だって特筆性を考えずにどんどん収録していけば収拾つかないでしょう。自身も認めているように出典があるイコール記述不可ではありません。さらに特筆性には「もし対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及があった場合、その話題は独立記事として作成、あるいは収録するだけの価値を有すると推定されます」と書いてあります。また「取り扱う対象が、独立記事としてウィキペディアに作成、収録するだけの価値、つまり特筆性を有するかどうかの目安を提供します」とあり、これは記事作成だけでなく収録にも適用される考え方なのは明白です。「今回の件は独立記事を作成・収録するか否かということではないと思いますが」などと仰っていますが、これは監督の発言をこの記事に収録するかどうかという議論ではないのですか?それでNasqnさんが特筆性についてどんな反論をするかといえば、方針の細かな説明のみに留まるのみであり二次資料の提示や特筆性があると判断した理由はほとんど語られていません。これこそが本題なのだと思いますが。。荒らし扱いという言葉についてはNasqnさんの意見は私が方針や手続きの細かな部分を理解していないという趣旨の批判がほとんどだからです。
それから残念ではありますが、リアルの方の状況がかなり忙しく長文の返信を返すのが負担になりつつあります。よって、私は議論継続が困難であるため、問題の部分に関してはNasqnさんに一任しようと思います。私の意見は無視して結構ですが、ただ、少なくとも私の書いた和訳については除去してはいただけないでしょうか。よろしくお願いします。--ShuBraque会話2015年10月4日 (日) 22:04 (UTC)[返信]
すいません、特筆性は独立記事のみに適用されるものなのかもしれませんね。うーん、編集内容には特筆性がいらないとは知らなかったですが。。とにかく私の意見は無視して結構です。Nasqnさんに一任しますのでよろしくお願いします。--ShuBraque会話2015年10月4日 (日) 22:24 (UTC)[返信]
こんばんは。Nasqnです。
まず、RANWAMさんにお返事いたします。Nasqnが「この監督発言に相当執着」しているのはある意味、仰る通りです。ただ、2015年10月4日 (日) 13:15 (UTC) に申し上げたように、それは当記事に独自研究が多いためでして、今後二次資料が強化されれば不要となると考えております。なお、「私の意見は無視して議論を続けてください」と仰っているので、それにご変更がなければ、これ以降の言及は控えさせて頂きます。
次に、ShuBraqueさんにお返事いたします。現段階では一次資料の提示が適切と考えた理由は、上記でも申し上げたように、独自研究の多さのためです。ですが、Nasqnの返信を説明不足とご判断されているようですので、補足いたします。「独自研究は載せない」によると「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です」とあります。そのため、当記事に「事実について率直な記述を行う」ことを目的として一次資料を提示しました。
「荒らし扱い」につきましてですが、Nasqnとしては、お二人が方針「Wikipedia:荒らし」の何かに抵触しているとは思えません。ShuBraqueさんによる和訳は、除去を望まれるのであればそれに従わせて頂きます。「特筆性」につきましてですが、これは(リダイレクト先にあるように)「独立記事作成の目安」であるため、やはり今回の件には関連しないと思われます。なお、「私の意見は無視して結構です」と仰っているので、それにご変更がなければ、今後は問題の部分の引用と出典の表示を厳密化するつもりですが、独自研究や一次資料の代替となり得る二次資料を探そうとも考えております。--Nasqn会話2015年10月6日 (火) 13:30 (UTC)[返信]
少なくとも私の当初の編集の意図はご理解いただけたようなのでよかったです。私の和訳は出典のあるものではないですし、個人的には除去してほしいなと思います。--ShuBraque会話2015年10月11日 (日) 02:47 (UTC)[返信]
それからちょっと感情的になってしまってすみませんでした。--ShuBraque会話2015年10月11日 (日) 03:23 (UTC)[返信]
こんばんは。Nasqnです。一週間ほど経過して、今のところShuBraqueさんとRANWAMさんのお考えにご変更が無いようでしたので、ShuBraqueさんの和訳の除去および当該部分の引用・出典の厳密化を行わせて頂きました。
「感情的」と仰る事柄については、どうぞお気になさらないでください。いずれにせよ、Nasqnとのやり取りで感情を害されたようでしたら、謝罪いたします。--Nasqn会話2015年10月11日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

掲載すべきは専門的学術情報です[編集]

制作物や制作者の言などの一次資料が出典として使用されていますが、ウィキペディアの出典は学術的な二次資料、三次資料が前提です。

この記事は大部分が出典に欠けていますが、「出典のない記述は除去されても文句は言えません」。

ウィキペディアの記事の出典には、信頼できる公刊された情報源を使用するべきです。
情報源を使う必要性について議論している2つの方針ページ、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性も参照してください。
一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。
参考:「Wikipedia:信頼できる情報源


【査読】
学術誌に投稿された学術論文を専門家が読み、その内容を査定すること。

参考:『デジタル大辞泉

出典を示す責任は掲載を希望する側に
出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。
信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。

参考:「Wikipedia:検証可能性

情報源
一次資料
ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝などになるでしょう。権威ある機関によってまとめられた統計も一次資料と考えられます。一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。

二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。

三次資料
通常は二次資料を要約したものです。例えば、百科事典は三次資料です。
ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。
ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。

参考:「Wikipedia:信頼できる情報源

掲載すべきは専門家たちの共通見解です

参考:「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか


【専門家】
ある特定の学問・事柄を専門に研究・担当して、それに精通している人。

参考:『デジタル大辞泉

ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability) と呼んでいます。
出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。

参考:「Wikipedia:検証可能性

--203.136.235.195 2017年12月5日 (火) 04:00 (UTC)[返信]