ノート:劉邦

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>なおも「その次は?」と聞く呂雉に「お前はいつまで生きるつもりだ。その後はお前にはもう関係ない」と言っている。 この記述は、 >>呂后復問其次 上曰 此後亦非而所知也(高祖本紀) のことでしょうか。 原文より、若干言葉が増えているようですが。--124.44.152.43 2008年8月20日 (水) 10:31 (UTC)名無し[返信]

>また、の「」は『史記』では詳しくは記されておらず、史記の注釈にいたって初めて登場する。一応、出土史料から諱が「邦」であったことはある程度正しいと思われる。ただ、「邦」の語義は、元々『』(ピンインは“bāng”、意味は兄貴)という意味の一般名詞ではないかと推測されている(司馬遼太郎・佐竹靖彦の説)。また、字の「季」も「末っ子」のことである。また父母の名前も「太公」はある程度年を取った男性の事であり、「媼」(は不詳)も同じく“おばさん”と言った程度の事で、長兄の伯(伯は字)にしてもこれは長男を指すものに過ぎない。このことから、劉邦一家の本名は不明であり、司馬遷が『史記』を書く際に判らないので、思い切ってこのように簡単な名前を付けたという説もあり(ただし、次兄の仲及び弟にはそれぞれ「喜」、「交」という名が伝わっている。)、また避諱のため、わざとぼかした記録にしたという説もある。

  • 今に残る文献で劉邦の名を記した最古のものは荀悦『漢紀』です。史記、漢書の注は『漢紀』の引用です。
  • 『漢和大辞典』の「邦」字には確かに「真臘国の方言」として兄の意味がありますが、「幇」字には兄の意味は見えません。中日大辞典の「幇」字もそうです。古代~近代にも、現代中国語にも、「幇」字に兄貴という意味は無いのではないでしょうか?
  • 本文中にもあるように、劉邦兄弟で諱が不明なのは長男の劉伯一人であり、「劉邦一家の本名は不明であり」という一文には根拠がありません。また「伯」「季」といった兄弟順を字としているのは楚の貴族の末裔とされる項伯のような例もありますので、本名不明の根拠にはなりません。

司馬遼太郎氏の小説に見える推測は、学問的にはほぼ価値が無くとも有名な話ではありますので、削除せず脚注に記すに留めるのがよろしいと思います。--てぃーえす 2008年6月20日 (金) 15:52 (UTC)[返信]