ノート:哲学史/過去ログ1

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ヨーロッパ哲学

西洋哲学という用語が一般的だと思いますが、ヨーロッパ哲学って用語は誰が使っているのでしょうか。その他の内容も講座哲学の基礎的な理解からかけ離れていると思います。荒れないように、これだけ気を遣って細かく出典をつけているのだから、そこに一般の本にあまり載っていない独自のことを書き加えたいのなら、せめて出典をつけてください。--Nyurutan 2010年6月22日 (火) 01:28 (UTC)

愚問ではありませんか。敢えて私に聞く必要のある内容とは思えません。検索サイトで調べても見つかるものだからです。あなたが何を規準に「一般的」と言っているか知りませんが、ヨーロッパ哲学という語を用いる専門家は幾人も居ます。例えば『現代のヨーロッパ哲学』(桝田 啓三郎 訳)。
勿論、ご指摘の箇所に関しては、出典は付けましょう。しかしながら、「一般の本に載っていない独自のこと」というのは誤解ではないですか。出典の明記に伴い、多少修正しました(面倒な作業を省いた為です)。
あなたが全ての規準であるかのようなコメントであり、遺憾です。私は単にヨーロッパ哲学史を哲学史とすること、その内容を大きな項目として立てることが宜しくないとおもったから編集したのであり、それをあなたが安易にリバートしたことよりは、配慮のある編集をした積もりです。この為に、それ以外を設けただけですが、必要があれば多少加筆するという労は厭いません(が、時間はかかるかも知れません)。あなたの編集スタイルを根拠に自己を正当化して頂いては困ります。--Onyx 2010年6月22日 (火) 16:01 (UTC)

Onyxさん。わざわざ検索サイトで調べていただいてありがとうございます。ある文脈でヨーロッパ哲学と使う人が多々いるのはもちろん存じ上げているのですが、厳密にヨーロッパというと西洋から米英を除くという意味です。ここでは既にイギリス経験論も書いてあるし、これからアメリカ哲学も加筆する予定なので、昔から一般的に使われている西洋という用語のほうが誤解がなく、よろしいかと思いまして。また、出典もつけていただきありがとうござます。ただ、ご指摘の内容は中島先生個人の見解です。そもそも哲学史の本でなく、大衆向けの本ですので、哲学史の参考文献としては不適切と思います。--Nyurutan 2010年6月23日 (水) 13:17 (UTC)

わざわざ検索サイトで調べずにご返答いただいてありがとうございます。またしても誤解ですね。コンチネンタル、大陸と言った語がある現在、ヨーロッパ哲学は英国を含める場合があるようです。例えば、[1]。他の件も同様と言えましょう。中島さんの著作と言えども出典でありえることは確かであり、私がここに書いた記事のレベル (世俗的な話を書いているのみ)からしても問題ない程度のものと考えます。その記事の目的は既に述べました、ヨーロッパ以外の哲学を網羅する困難を考え、簡便に対応したまでです。シュヴェーグラー、シュネーデルバッハ、ラッセルであっても個人の考えの域は出ないのであって、安易に「ご指摘の内容は中島先生個人の見解です。」と言い切ってしまう態度は甚だ疑問ですね。見識を疑います。ヨーロッパ哲学を絶対視するシュヴェーグラーの考えこそ個人の考えでしょう(同様の考えに立つひとの数は多いかも知れませんけれど)。ご自分で大部分を書いた記事を他人に弄くられるのは不愉快かも知れませんが、ウィキペディアでは当たり前に起こるべき事です。--Onyx 2010年6月26日 (土) 13:48 (UTC)

Onyxさん。ご多忙中のところ、ご返答ありがとうございます。私は以前にも申し上げたとおり哲学に関しては専門家ではないので、シュヴェーグラー、シュネーデルバッハ、ラッセルといった専門家の文献を引用する程度の能力しかありません(それすら誤解の余地があるので、細かく引用しているのです。)。Onyxさんは、上記の専門家の見解を個人の見解と断じるだけの根拠を有しているのですね。素晴らしいことだと思います。Onyxさんにはご理解いただけなかったようでございますが、もちろん私は自分個人の見解を開闢するつもりまったくなく、きちんと出典があり、それを基準にしています。多々出典を挙げることはできますが、全部を挙げることはできませんので一例を挙げます。岩波講座哲学14巻「哲学の歴史」(岩波書店、2009年)のはしがきに「哲学はその誕生の経緯から著しくヨーロッパに偏った歴史を形成しており、現在でも哲学史といえば西洋哲学史を意味している」と書いてあります。この一文は非常に含蓄のある一文で日本の哲学会の現状を示しているのですが、そこを議論する意味は現時点ではないと思うので留保しておきます。ただ、百科事典の哲学史の項目ではやはり哲学史の文献を参照に書くべきかと思います。もちろんOnyxさんが中島先生の見解が学界の共通認識であるとの主張をなさり、それに出典をつけていただけるのであれば何の異議もございません。ただ、一個人の大衆向けの本と哲学者の論文とは一応区別されてしかるべきかと思う次第です。ちなみに私はきちんと論文を読んでいるので、いちいち検索サイトで調べたりしませんので、その点はご寛容のほどお願い申し上げます。Nyurutan 2010年6月26日 (土) 14:37 (UTC)

1週間近く経ちましたが、Onyxさんから返答がないので、提案させていただきます。イスラム哲学、東洋哲学を関連項目に残すことは異議ありません。ただ、哲学史は「西洋哲学」を中心に記載すべきと考えますので、中島先生の見解は戻させてください。3日経ってもご返事がなければ実行させていただきたいと思います。宜しくご検討ください。--Nyurutan 2010年7月1日 (木) 08:04 (UTC)
こたらも議論になっているようですが、私は西洋哲学を中心とする編集方針に賛成です。理由は三つあります。第一に現状の記事の動向を見る場合、最低限の水準として西洋哲学に関する加筆が必要だという理由があります。この項目はまず早急に加筆を加えて分量的に発展させなければいけません。第二に私は哲学史を執筆する上で西洋哲学に限定したほうが便利だという理由です。研究の争点も語彙の体系も文献の蓄積も異なる哲学研究を同一の研究として論述することは執筆の上で大変難しいことだ思います。第三に東洋哲学が西洋哲学に与えた影響が明らかではないという理由があります。私はイスラム哲学に限定するならば、中世ヨーロッパ哲学への影響を認めることができますが、中国やインドなどの地域における哲学的研究は歴史的にどのような到達点を示し、どのような影響があったのでしょうか。影響を与えていないならば、それらが同じ地平に立った研究と見なして整理することは誤解を招かないのでしょうか。私は「哲学史」の項目だからといって、全ての哲学の研究史を体系的に網羅する必要性はないと主張したいです。それは現状では不要で困難であるばかりでなく、関連性がよく分かりません。百科事典的な書き方で基本的な要点がまとめられ、詳細については関連する項目から情報が得られるようにしておけばそれで十分だと思います。仮に東洋哲学について加筆することがあったとしても、それは現状を見れば今するべきことではないように思えます。--Kazu 62 2010年7月1日 (木) 09:48 (UTC)
Onyxさんから返答がありません。仕方ないので、とりあえず実行しました。--Nyurutan 2010年7月6日 (火) 01:28 (UTC)

議論に間隔が空いたのは私の不備ですが、強引なリバートですので差し戻します。Nyurutanさんの編集スタイルには興味はありませんから、ネット上に転がっている見解を古くさい出典のみでまったく退けられるなどという見解を絶対的な信仰のもと差し出されても迷惑極まりありません。加えて、いちいち検索サイトで調べたあげく、いちいち検索サイトで調べたりはしないなどと、虚言を弄するのはお控え下さい。自己の出典のみを正当化する強引な主張をするのはお控え頂かないと他の方の編集や閲覧者に差し支えます。--Onyx 2010年7月12日 (月) 19:48 (UTC)

Onyxさん。ご返答ありがとうございます。2010年6月26日から突如活動が全く途絶えていたことからご心配申し上げておりました。上記に「絶対的な信仰」とあるとおり、OnyxさんもIonianWindさんと同様に私を狂信者・原理主義者とお考えなのですね。大変うれしいです。哲学史のノートでIonianWindさんと私の間で合意が形成されるまでは本文の編集を控えようとの提案があった後に、本文をリバートをされたのは大変残念です。私としては、あれで会話が可能になれば矛を収めようと考えていたのですが・・・--Nyurutan 2010年7月13日 (火) 13:12 (UTC)

あなたのリバートの方がよほど残念です。そもそも衒学的という指摘に対して衒学的なコメントを弄する人間が独断的でないなどという評価に期待するような愚かな真似を私がしないというだけです。投稿記録でも検討して良く考えて頂きたいのですが私は単純に忙しかっただけですが、悪意をもって解釈している時点で他編集者の意志を削ぐものだと自覚されるのが宜しいのではないでしょうか。--Onyx 2010年7月20日 (火) 11:26 (UTC)

Onyxさん。こんにちわ。IonianWindさんとの会話の中でも申し上げたのですが、私は、「現時点」では貴殿の「投稿記録」に興味はありません。私は現時点でIonianWindさんとの間で暫定的な一種の紳士協定が成立していると考えております。協定違反がない限り既に分析の終わった貴殿の投稿履歴に言及する必要は微塵も感じません。--Nyurutan 2010年7月20日 (火) 13:29 (UTC)

あなたの下らない考えや価値観は無価値です。くだらない事を書かないで下さい。既に述べたように、Nyurutanさんの頑固さと考えの誤りの故に、Nyurutanが批判されただけのことです。協定など存在しないし、あなたが「タリバン」であることの方が遥かに明白です。--Onyx 2010年8月2日 (月) 03:01 (UTC)

編集上の注意点

ノート:哲学#編集上の注意点」のほうに、Wikipediaを編集する上で一般的に注意すべきこと、および特に哲学史の加筆時に気をつけなければならないことを書き込んでおきましたので、この記事を編集をするつもりの方はそちらのほうも読んでおいて下さい。--IonianWind 2010年7月6日 (火) 16:18 (UTC)

哲学史に関係する具体的な点

上のように誘導したものの、哲学史に関する注意点があちらにばかり書かれていては、いちいち参照するのが面倒な人もいるでしょうから、特にこの哲学史に関係する点をあらためてピックアップし掘り下げて書くことにします。IonianWind 2010年7月6日 (火) 17:03 (UTC)

Wikipediaの公式ルール「Wikipedia:中立的な観点」を守りましょう

シュヴェーグラーの本の扱い方には、気をつけなければなりません。中立的な記述をしなくてはいけません。基本的に地の文に組み込まないように気をつけて下さい。特に人種偏見に駆り立てられた、他者攻撃の文章はしっかりカッコにくくって、中立性の確保には充分留意して下さい。

シュヴェーグラーの本は、原典が1847年刊(!!)で、19世紀の文献 !! であってすでに恐ろしく古いもので、どちらかというと古典の部類に分類されてもよいような文献、1939年(!!) の岩波文庫の翻訳本の「序」に「(ずっと昔に)すでに古典となっていた」と書かれています。 Wikipediaでは、古典となってしまった本の取り扱いにはそれなりの注意が必要だ、作法がある、とされています。古典の中に見られる見解や文章はそのまま地の文に組み込んでしまうのではなく、カッコに入れて、中立的に(=距離を置く形で)扱いましょう。

平凡社の世界大百科事典の【哲学】の項目を確認していただくと分かりますが、かつて、西洋人らが哲学史においてヨーロッパ中心主義(という人種的な偏見)に基づいて単線的な進歩史観をつくりだしてしまった、歴史の歪曲を行ったことが指摘されています(「<哲学史>のとらえなおし」)。また『新カトリック大事典』第三巻の【哲学】の項にも同様の問題が指摘されています(【哲学と哲学史】)。シュヴェーグラーの本はまさにその例です。最近の文献ではシュヴェーグラーのような人種偏見に満ちた記述は避ける傾向があります。西洋哲学至上主義に陥らないように気をつけているのです。

(例えば平凡社『世界大百科事典』の【哲学】の項では、"哲学史"に関する上記のような注意点の指摘をしっかり行ったうえで、記事末尾で、「イスラム哲学」「インド哲学」「西洋哲学」「中国哲学」を同列で並べる形で(=西洋哲学至上主義を避ける形で)各論へと誘導しています。『岩波 哲学・思想事典』の【哲学】の項目なども確認してみて下さい。記事を西洋哲学だけで塗りつぶすような愚は犯していません。)

Wikipediaのルールのとおりに中立性に留意しなければなりません。シュヴェーグラーの文章は、しっかりとカッコでくくり、次のようなスタイルで記述するべきです。

シュヴェーグラーは「ヨーロッパが最高だ」と述べた。「東洋はクズだ」とした。

あるいは、人によっては次のようなスタイルを好む人もいます。

(ヨーロッパ人の)シュヴェーグラーは「ヨーロッパが最高だ」と主張した。「東洋はクズだ」と主張した。

「述べた」「とした」「主張した」の違いです。ただし、「主張した」という表現では書き手のある種の断定、否定的な決め付けが入りすぎてしまいますので、Wikipediaのルールページには「<<~と主張した>>という言い回しは避けるべき」といったことが書かれている箇所もあります。中立性の確保という点では「~と述べた」あたりにとどめておいたがよいのでしょう。

さらに人種偏見や西洋人中心主義に凝り固まった文章、特にヨーロッパ以外の文明をけなしているような文章は、本文に表示しておくのもいかがなものかと思われますので、できるだけ脚注部に送りこんで、末尾に小さく、あくまで参考程度に表示する形にするべきでしょう。

ただし、シュヴェーグラーの文章を完全消去してしまう必要もないであろうとは思われます。Wikipediaでは「意見・考え方(の変遷)に関する事実は記述せよ」[1]という方針があります。つまり、「XさんがAのことを○○○と考えていた」という事実は記述しましょう、という方針があるのです。その方針によって、Wikipediaは薄っぺらな科学事典に成り下がらずに済んでおり、百科事典として様々なことが記述可能で、思想史なども記述することが可能になっているのです。

シュヴェーグラーの本の記述を中立的な形式である程度残すことはWikipediaの方針に一応沿ってはいます。そのような愚かな意見を表明する人が20世紀19世紀のヨーロッパにはいた、ということ(=まさに意見に関する事実)を記述できるということです。

Wikipedia:中立的な観点を熟読のこと。

--IonianWind 2010年7月6日 (火) 17:03 (UTC) --IonianWind 2010年7月8日 (木) 16:02 (UTC)(←IonianWind加筆時の署名)


それと、電子辞書類に入っているマイペディアの記事というのは、あくまで無料のおまけ的なもの、電気店にやってきたお客に電子辞書を衝動買いさせるために装飾的につけられているので、その中身とくると、「ぺディア」と謳っていながらもコストを下げるために、また小さい画面の都合に合わせて、記事ごとの文字の割り当て数を限定してしまっており、(哲学の記事に限らず一般に)首をかしげたくなるような無茶で乱暴な要約をしているものも多いので、取り扱いは要注意です。あまりWikipediaでまともに取り扱うような種類のものではありません。--IonianWind 2010年7月6日 (火) 23:25 (UTC)


要約すると三点の指摘をなされたものだと受け取ることができます。現在の記述はシュヴェーグラーの研究に依拠しすぎている。東洋哲学についても包括的に記述するべき。電子辞書の記事を参考にするには注意が必要。まず一点目の指摘に対する可能な改善策は哲学史の概要の部分に哲学史そのものの歴史について記述することで達成できるかもしれません。アリストテレスの古代での哲学史研究からはじまり、近代のヘーゲルの哲学史、そして現代ではラッセルやローティの哲学史などの個々の哲学史研究を哲学史の歴史として網羅することが必要かと思われます。二点目についえは以前にも議論があったので、蒸し返すようで気が引けますが、これは目次案で改善してみることを一応提案しておきます。
  • 前近代の哲学
    • ギリシア・ローマの哲学
    • 中国の哲学
    • インドの哲学
    • イスラムの哲学
    • 中世ヨーロッパの哲学
  • 近代の哲学
    • ルネサンスの哲学
    • 17世紀の哲学
    • 18世紀の哲学
    • 19世紀の哲学
  • 現代の哲学
これは哲学史に関する英語版のいくつかの記事を参考に作った案ですが、出来栄えにはあまり自信がありません。必要とあらば認識論や形而上学など分野によって細分化することも可能ではありますが、ここでは行っていません。一応東洋哲学史を包括した書き方に修正できているとは思います。誰か西欧の特定の哲学者を使って時代区分することもしておりません。体裁としてはあまり美しくはありませんが、これが無難で書きやすい形の目次ではあると思います。三点目については出典を一次史料に限定しようというご意見ですね。以上が提起された議論に対する私の応答ですが、また皆様のご意見によって修正が必要かもしれません。--Kazu 62 2010年7月7日 (水) 03:07 (UTC)

IonianWindより、Kazu 62さんへ返答させていただきます。

指摘内容の要約について

どうしてそういう要約になってしまうのかな?? と首を傾げるような点がありますので、私自身で要約してみます。(文章を要約する、ということと、ある文章を読んで自分が連想したり意識したことは、できれば区別するようにしていただけますか。)

私が上で指摘したことを要約させていただきますと次のようになります。

  • Wikipedia:中立的な観点のルールを守るべし
  • シュヴェーグラーの文章は、数十年以上前の150年ほど前の、すでに歴史的な見解であり、地の文に組み込んではいけない。Wikipediaでは、古い文献、歴史的な文献を扱うにはそれなりの作法がある。
  • すべての文章で中立性が必要ですが、中でも人種偏見的な文章はしっかりとカッコにくくるなどして、中立性の確保には特に留意しなければならない
  • 電子辞書の記事は質が低いので参考にするには注意が必要。(←ここは合っていると思います)

さて、上の私の指摘を読みつつ、2010年7月6日 (火) 13:44の版を読めば、Kazu 62さんが挙げた次のようなことは、意識することと思います。その意味では、Kazu 62さんが「要約」として挙げた文章には、おおむね同意します。

  • 現在の記述はシュヴェーグラーの研究に依拠しすぎている。
  • 東洋哲学についても包括的に記述するべき。

さて、個別に見てゆきます。

  • 現在の記述はシュヴェーグラーの研究に依拠しすぎている。」

その通りだと思います。ウィキペディアの3大公式ルールを守るには、傾向の異なった文献を複数用意することが好ましいのです。カッコでくくって対処していても、著者1人の文献一冊ばかりを出典として使っていては、その個人の偏見の色が前面に出すぎてしまいます。どんな学者であろうが、ひとりひとりは多かれ少なかれ偏見の中に生きていますので、中立的に書くためには、複数の文献を用意しなければなりません。

Wikipediaの記事は、できれば最初に投稿する段階で、傾向の異なる文献、あえて視点の異なる文献を3~4種類用意しておいて、複数の見解を、それぞれできるだけカッコにくくって中立性を確保しつつ投稿することが望ましいのです。 (ただし、「ある日、とりあえず文献Bを手に入れられたから、Bばかりを出典としてまとめて加筆してしまった。」というくらいなら、しかたないでしょう。ですが、そのような状態は、あまり望ましくないので、当人なり他の人ができるだけすみやかに他の論調の文献A、C Dにもとづいた文章も加筆することでバランスをとるべきでしょう)

ちなみに、図書館に行き、百科事典を3~4冊も読めば、その項目に関する根本的な見方としてA説、B説、C説、D説....と多様な説があると簡単に分かるのに、自分が個人的にB説を好きだからと言ってB説の立場で書かれた文献1冊だけを用意して、ある項目全体をB説で塗りつぶすようなことはしてはいけません。百科事典にA説、B説、C説、D説が似たようなバランスで書かれていたら、WikipediaでもA説、B説、C説、D説のいずれについても、バランス良く言及するべきでしょう。

  • 東洋哲学についても包括的に記述するべき。

確かに、明言はしませんでしたが、おおむねそのように考えていますし、客観的に見てそうするべきでしょう。岩波思想哲学事典でもインド哲学に同量割り当てているのですから。東洋哲学の歴史については、東洋哲学の歴史を研究している学者の本に基づいて、全体に対するバランスに配慮しつつ記述をするほうがよいでしょう。東洋哲学は東洋哲学で広大な分野でして、それはそれで半生や一生をかけて研究している研究者、学者、大学教授がいます。そういう研究者のまともな文献に基づいて、(包括的かどうかは分かりませんが)西洋の哲学とバランスが良くなるように記述するべきでしょう。

くれぐれも東洋哲学をロクに読み込んだこともないままに(東洋哲学について論文を一篇も書いているわけでもなく、それどころか東洋哲学の原典の翻訳本を読んだ形跡もないまま)誹謗中傷をおこなっている、ヨーロッパ人による感情的なレッテル貼りの文章を真に受けてここにベタベタと貼り付けることは止めましょう。

ご提案の目次案について

まあ、さほど悪い内容だとは思いませんが、いくつかよろしくない点があります。

まず第一に、そもそも目次をノートにおいて数人の編集者で勝手にガチガチに決めてしまおうという発想がWikipediaの基本方針に反しています。検証可能性の確保独自研究の禁止中立性、などのルールを守るということは、編集者たちが自分たちの考えだけで、ある項目(概念)をガチガチに、勝手にトップダウンに概念規定するべきではない、ということも間接的に意味していることにも気づいてください。必ず参考文献(出典)は用意し、同時に参考文献に対しては中立的な態度をとり中立的な記述する、すると様々な出典のほうが我々を導き、目次に関する様々な案を提示してくれるわけです。もしも複数の出典を見てみたところ、複数の目次の立て方が競合していて判断に困るならば、「文献Aでは....という見出しの立て方をしている」「文献Bでは....という見出しの立て方をしている」というように、中立的に記述しましょう。これによって、読者に見解が複数あるという実態を理解してもらい、かつ、特定のドグマだけが我が物顔でWikipedia本文でのさばってしまうことを防止できます。

そもそも目次をトップダウンで少人数で専横的に決めてしまおうということがWikipediaのダイナミズムに反している、目次の立て方に影響するのはWikipedia編集者の意見ではなくて、多くの出典に見られる様々な目次だ、ということを認識していただいた上で、個別の内容に具体的に言及するならば、Kazu 62さんの目次案で危なっかしいと思われるのは「前近代の哲学」、「ギリシャ・ローマの哲学」、「現代の哲学」などです。

  • 「前近代」というのはどちらかというと否定や誹謗中傷のレッテルで使われる用語ではありませんか?へたに「前近代」などという大きな項目名、レッテル貼り的な項目を用いると、特定の歴史観(=ドグマ)が記事全体を概念規定してしまうことになります。それはできればやめましょう。ある時代のことを「前近代だ」とする視点、レッテルをやたらと主張する論者がいるならば、その主張をカッコに括って、本文に参考程度に記述すればよいのです。
  • 「ギリシャ・ローマ」とくくっていますが、ひとくくりにしてよいものか。様々な文献をよく調べてみてはどうですか。最近の文献でギリシャはギリシャ、ローマはローマと分けているものが多かったら、最初から分けておいたほうがよいでしょう。「ギリシャ・ローマ」とごちゃまぜにするのは、特定の派閥による歴史の歪曲やドグマである可能性があります。これも、Wikipediaの編集者が数人で勝手に決めることではなく、最近の文献(出典)に基づいてゆけば自然にあるところに落ち着くことなのです。
  • 「現代の哲学」について。「現代」という言葉は要注意です。当然のことですが「現代」という言葉が指す内容は、年ごとに変化していってしまいます。この言葉「現代」は要注意です。1900年代初頭~1970年代の文献は、「現代思想」「現代美術」「現代....」などと、やたらと1900年代前半のことを指して「現代」「現代」「現代!」という調子で「現代」という言葉がオンパレード状態でしたが、最近はかなり下火になっています。ところで、今はすでに2010年です(いいですか。2000年代に入って、すでに10年も! 経てしまっているのですよ)。1900年代初頭の出来事はすでに100年前です。 第二次世界大戦も経験していない70年前の世界がはたして「現代」でしょうか??? さらに言えば、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時代が「現代」ですか? これも冷静に判断すると怪しいでしょう。まあ、そうだと強引に言えばそうだと言えないこともないでしょうが、(様々な文献を冷静に観察してみると)最近の文献では1930年代1940年代の出来事を「現代」と呼ぶことはかなり減ってきています。1920年代、1930年代、1940年代の出来事はすでに過去の時代の出来事です。同時代の出来事ではありません。そしてすでに「前世紀の出来事」です。岩波の哲学講座シリーズにおいても、20世紀前半の哲学の状況と20世紀終わりの哲学の状況ではすっかり変わってしまった、という主旨のことがかかれていたと記憶しています。つまり、1900年代前半~中ごろの哲学の出来事は、もうすっかり過去の出来事なのです。それを無理やり「現代の哲学」などという項目に入れるよりも、「20世紀の哲学」としておいたほうが安全でしょう
ちなみに、「20世紀の哲学」という別項目をしっかり立てて、「哲学史」の項目からそこへリンクも貼っておいたほうが、20世紀の哲学に詳しい人が、自分の知っていることを書きたくて、ついこの【哲学史】という項目(=全時代、全地域の哲学にまんべんなく言及すべき【哲学史】という項目)に、20世紀哲学の視点ばかりを大量に書き込むというスパムまがいのことを防止できます。また、「20世紀哲学」という項目を作れば、20世紀哲学に詳しい方の地知識を思う存分のびのびと発揮していただく場となり、同時に読者にとっても有益な情報が得られる場となり、歓迎されるでしょう。--IonianWind 2010年7月8日 (木) 16:02 (UTC)

こんにちわ。IonianWindさん。時期を同じくして奇しくもOnyxさんとほぼ同一の見解にたどり着かれたようですが、とりあえず一度深呼吸をして落ち着いて本文と今までの議論を最初から読んでいただければ、ご指摘の点はいずれも単なる誤読だとご理解いただけるはずです。
まず、IonianWindさんが問題視しているシュベーグラーの1文ですが,それは、ソクラテス・プラトンから始まりヘーゲルによって完成する近代的な意味での「哲学」とは、原理的思考であるとの現在でも通じる当たり前のことを言っただけのことです。その限りでは、古典的な見解でもなんでもなく、もちろん西洋文明優位の自民族中心主義の表明, 人種偏見でも何でもありません。
次に、私は、ご指摘のように、シュベーグラーの見解が絶対的に正しいと思っていませんし、本文も極めて中立的に書いています。本文中には、キルケゴールがヘーゲルを批判したこと今までの哲学の議論をひっくり返すような議論で、これが批判としての哲学ないし反哲学に繋がった旨の記載があります。シュベーグラーはヘーゲル学派なので、批判哲学の立場からすると、ヘーゲルもシュベーグラーも間違っていることになるときちんと両論を併記して書いてあります。しかもヘーゲル学派はある時期以降との条件付きながら学問の世界から放逐されたとまで書いているのです。
ただ、ここからが誤解を受けやすいところなのですが、批判哲学も哲学が立てた西洋的な土俵を離れてはいないのです。ヘーゲル以降の批判哲学の人がソクラテス以前の哲学者を重視するのは、このような理由があるのです。その意味でシュベーグラーの哲学に関する上記の見解は単なる古典でも古典的見解でもありません。
少し離れて、イスラム哲学史や東洋哲学史を哲学史に含めるかは、哲学史をどのようなものと哲学的に考えるか、というメタ哲学の議論になってしまいます。その限りで、本来別項目を立てるか、少なくとも哲学の項目で書くべきもので、哲学史の本文に書くべきものであるとも思えません。もっとも、私は、Onyxさんとの議論の中で、そのようなメタな議論であるということを明示していただけるのなら、両論併記でもかまわないと考えていました。そこで、書籍も明示してOnyxさんに問題提起をさせていただいたのです。しかし、残念ながらOnyxさんから返答がなかったのです。
なお、シュベーグラーの見解の中には確かに古典的になった部分も多々ありますが、それは、ヴィンデルバントやジルソン以後の「哲学史」の学説を補うことで徐々に修正すればいいだけの話しで、すべてを両論併記で同時に行なわなければならないとは考えていません。必要ならラッセルも追加するつもりです。--Nyurutan 2010年7月7日 (水) 11:41 (UTC)

こんにちは。IonianWindより、Nyurutanさんへ。

一言注意しておきたいのですが、Wikipediaでは、誰であれ、どの項目においてであれ、次のような論理展開をしてはいけないのです。

「100年前のB説(特定のドグマ)は△△△の理由から正しいと僕は思う。 → だから記事全体をB説一色で塗りつぶしたい。B説以外は消去したい。B説以外は言及するとしても罵倒すればいいのだ」。

上のようなことを言っているようではWikipediaの基本方針がまったく理解できていないとしか言いようがありません。個別の項目で「いやこの項目だけは特別なのだ。実際にB説だけが正しいのだから! 僕はこの項目だけは、各論併記は拒否したい!」とか「僕はこの項目では認めたくないから、認めないぞ! B説以外は消去してやる! 」などという主張は認められません。はっきり言えば、そんな論理展開を認めると、ほとんど全ての項目で教条主義者同士の衝突、ただの消去合戦になってしまい、記事の記述がまったく成り立たなくなります。ですから、Wikipediaでは各論併記は、個別でどうのこうのという問題ではないのです。あらかじめ警告しておきますが、Wikipediaは、表紙に書かれているように、基本方針や公式ルールを守る人だけが参加することを許される媒体です。ですので、ルールを破って他説を消去するような傾向が続くと投稿ブロックなどの対象になります。ルールを守らないのならWikipedia以外の、複数存在する「×××ぺディア」へ移動して、そちらで勝手に投稿してください、ということです。

ちなみに、「B説は正しいと思う。 → だから言論をB説一色で塗りつぶしたい。B説以外は消去したい。B説以外は言及するとしても罵倒すればいいのだ」という論理展開は、原理主義の思考パターン狂信の思考パターンそのものです。(まあ、本人には自覚がないでしょうから、ピンとこないでしょうが)。この手の狂信の思考パターン・原理主義というのは、分野にかかわりなく存在し、多くの分野で複数の原理主義が存在しています。人間の思考というものが持つ病理です。認識上のトラップです。こういう主張はどれであれ認めているとWikipediaではまともな記述を育てることができなくなります。どこからともなく原理主義者が舞いこんできて、自分の信奉するドグマ以外を消去しようとするからです。実際、Wikipediaでは過去に無数の項目で、無数の原理主義者がそういうことをしようとしました。'Wikipediaでは3大方針を採用し、各論併記を採用しています。これによってこれは誰にとっても、多少不便ではありますが、同時に非常に安心のできる状態をもたらしています。'Wikipediaでは3大方針を採用し、各論併記の方針によって結果として、どの分野にでも、どんな主張もカッコではさんだり引用文にしなければならないという多少の不便がありますが、反対に、どんな記述も原理主義者によって片端から消去されてしまうというような理不尽な状態を防止できているわけです。いいですか、Wikipediaでは、意見に関する事実も記述するという方針で、様々な見解を重層的に記述してゆくことが可能になっているのです。

ちなみに、この中立的な記述のシステムはとても大きな包容力があり、原理主義ですら、カッコにつつめば、それなりに表示しておくことが可能なのです。(ただし、くれぐれも、カッコの外、つまり地の文に織り込んではいけません。特定のドグマの中に入っていって、それに心酔して(=自分の思考のエンジンそのものにしてしまって。つまり原理主義になってしまって)ある特定の視点から見た文章だけで記事を塗りつぶそうとするようなことはしてはいけないのです。Wikipediaを執筆する時は、自分の好みをすっかり捨てなければならない、というくらいの覚悟でいてください。)

繰り返しになりますが、Wikipediaは三大ルールを守って執筆・加筆しなければなりません。まずは参照しておいたほうがよい出典として、既存の百科事典があります。大手の出版社発行の百科事典は多数の学者の査読を経ています。まず、大手の百科事典を3冊~4冊よく読むべきなのです。百科事典というのは、勝手に独自の視点ばかりを原理主義的に深掘りしてゆくことが許されてしまう単行本とは異なっています。注意しなければならない点があるのです。まずは、近年の百科事典を素直に参照することで、学者たちが、どのようなバランスでさまざまな要素に言及するのがよいと判断しているかを汲み取ることです。Wikipediaの編集者はひとりひとり、複数の百科事典を熟読することで、自分が無自覚のうちに持ってしまっている偏った視点を自覚しておく必要があります。

長文になりましたので、今回はこれくらいにしておきます。くれぐれもWikipediaの公式ルールを守って下さい。 --IonianWind 2010年7月8日 (木) 16:02 (UTC)

こんにちは。IonianWindさん。おっしゃっていることが抽象的でよく理解できませんが、結局「自らを知れ」ということですね。ところで、東洋哲学もイスラム哲学も全部含めた哲学史というIonianWindさんが主張なさっている執筆部分の出典は、具体的には、誰が書いた論文ないし教科書なのですか?ご教示ください。上記の書き方だとまるでIonianWindさんが複数の百科事典を読んで考えついた独自研究のように読めてしまいます。--Nyurutan 2010年7月9日 (金) 06:01 (UTC)

出典として使えそうな文献について

出典は、各分野最低でも2冊以上は必要です。できることなら6冊程度あるとよいと思われます。たとえば西洋哲学 x 3冊、東洋哲学 x 3冊、これだけでも6冊になります。参考までに、とりあえずとっかかりとしていくつか紹介しておきます。質や語り口はまちまちです。ご自分で書店や図書館で手にとって確認して下さい。 よい文献に気づいた方は下に追加して下さい。--IonianWind 2010年7月11日 (日) 07:18 (UTC)

西洋哲学歴史の文献について

  • 小学館『日本大百科全書』の【哲学】の項に5ページにわたって「哲学の歴史」という節が掲載されています。(百科事典で参考にしやすいサイズです。)
  • 岩波新書(赤版)から熊野純彦著『西洋哲学史』(上・下 2冊)が2006年に刊行されています。ISBN 4004310075 および ISBN 4004310083
  • 今道友信『西洋哲学史』講談社学術文庫、1987初版 ISBN 4061587870(講義録、口語形式)
  • 新田義弘『哲学の歴史』講談社現代新書、1989 ISBN 4061489771
  • 『原典による哲学の歴史』公論社、2002、ISBN 4771420025

--IonianWind 2010年7月11日 (日) 07:18 (UTC)

東洋哲学史の文献について

  • 金倉圓照『インド哲学史』 平楽寺書店、1987、ISBN 4831300446

(また次回に紹介します)--IonianWind 2010年7月11日 (日) 07:18 (UTC)

  • 小学館『日本大百科全書』の【哲学】の項の「哲学の歴史」節に哲学史年表が掲載されており、そこに東洋哲学の要素も織り込まれています。


IonianWindさんへ

こんにちは。IonianWindさん。いろいろ出典を挙げていただき、ありがとうざいます。ただ、残念ながら、これらはいずれも「東洋哲学もイスラム哲学も全部含めた哲学史というIonianWindさんが主張なさっている執筆部分の出典」にあたらないと思います。そのものずばりの記載がある出典を知りたいのです。私は、そのものずばりの記載がある論文を知っているのですが、それは、岩波講座哲学14巻『哲学の歴史』(岩波書店、2009年)に掲載されている嶋田義仁「世界哲学の可能性」です。これは『哲学の歴史』のはしがきに「哲学はその誕生の経緯から著しくヨーロッパに偏った歴史を形成しており、現在でも哲学史といえば西洋哲学史を意味している」との現状を前提に、イスラム哲学や東洋哲学を含めた世界哲学の可能性を拓こうとする一試論で、まだまだ評価は未知数です。IonianWindさんのご主張は、もしかしたら100年後には広く理解されているかもしれませんが、現状の百科事典における記載としては不適切だと思います。また、これだけ相互に関連性の薄い本を出典としてあげること自体自分が情報の合成を行っていると自白しているようなものですよ。現状哲学が西洋中心主義を反省しだしていることは、おっしゃるとおりですが、シュヴェーグラーの本が人種偏見に満ちたものであるなんて研究などあるはずありません。深呼吸を数回して落ち着かれてから文章を読む習慣をつけてみてはいかがですか。独自研究は載せないというのもウィッキペディアの公式ルールだったと記憶しております。--Nyurutan 2010年7月11日 (日) 13:56 (UTC)

まあ、あまり先回りして心配しないでください。(^ ^ 私は、すでにウィキペディアンが苦労して出典明記で投稿して下さっているものに関して記述を(原則的に)消すことはありませんし、私の投稿スタイルは基本的に複数の説を併記してゆくもので、ひとつの説でドカドカと塗りつぶすようなものではありません。公式ルールWikipedia:中立性のルールに従ってカッコでくくったり、脚注へと場所を移動させることはありますが、せっかくの記述は、ともかくどこかの位置で、残そうとするのをポリシーとしていますから(ただし出典付きのものに限る。検証可能性は公式ルールのため、出典が3~4週間以上提示されないものはいずれ削除するのはいたしかたない。と、厳しいことは言うものの、私は忍耐づよく2~6ヵ月ほどは待つことのほうが多い)。私自身が東洋哲学史の加筆をするかどうかは分かりませんが、仮にするとしても、ごく少量に留まると思いますよ。

ウィキペディアでは公式ルールの中立性を確保するために、出典を複数用いることが推奨されています。というか、ほとんどルールのようなものです。文献がひとつの場合は、通常{{観点}}タグを誰かが貼ります。複数の出典を用いても、独自の研究にならない記述のしかたがあります。通常は皆さん、うまく記述しています。たしかに、複数の出典の用い方によっては「独自の研究だ」との指摘が出ることがあるのですが、それは用い方次第です。例えば、複数の事実を挙げて、それらの事実の因果関係を断定するようなことをしてはいけない、ということなどがあります。独自の研究と独自の研究ではないものの線引きの詳細については、「独自の研究」のページを熟読して下さい。(ちなみに、ほとんどのルール体系でルール同士の競合というのは起きます。ですが、「矛盾があるから、あの法律は無効だ」などということにはならないものです。一般の法律でも法律同士の競合という複雑なことは起き、裁判官や弁護士らは始終頭を悩ませ、苦労しながら解決策を見出しています。ウィキペディアでも似たようなことが起きているわけです(^ ^ 。まあ、じっくり解決策を見出してゆけばよいでしょう。基本的にはウィキペディアの三大ルール(検証可能性、独自研究の禁止、中立性)に各論併記の原則を加えたもの、に参加者全員が立ち戻りつつページを構成してゆくと、いつのまにか議論は静まり、落ち着くところに落ち着いてゆきます。まあ、一緒に解決策を見つけてゆきましょう (^ ^ --IonianWind 2010年7月11日 (日) 16:52 (UTC) --IonianWind 2010年7月11日 (日) 16:52 (UTC)


IonianWindよりNyurutan様へ。

Nyurutan様が、一生懸命 記事を良くしようとしてくださっていることに、心から感謝しております。

Nyurutan様が引用した『岩波講座 哲学 14 哲学の歴史』は、2009年発刊で、近年の学問の成果を反映しており、適切な文献です。良い文献を選択なさっていますね。

( (^ ^ ) なので、私も同書を所有していますよ。

一点、惜しかったのは、こういう場合は、一文だけを引用せず、できれば前後の文もきちんと引用していただくとさらによかったと思われます。文の意味というのは、どのような文脈の中で書かれているかによって、その意味が変化することがあり、一文だけ切り出してしまうと、一文を提示した意図が誤解されてしまうことがあるからです。

より適切な方法で引用してみますと、以下のようになります。

さらに、政治や経済の領域におけるグローバル化の奔流は、文化や思想の領域にまで及ぼうとしている。そうしたなかにあって、アジア地域やイスラーム圏からの眼差しを哲学の自己認識の鏡として取り込むことは、今日避けては通れない課題ではないだろうか。哲学はその誕生の経緯から、著しくヨーロッパに偏った歴史を形成しており、現在でも哲学史と言えば西洋哲学史を意味している。しかし、20世紀末に登場したオリエンタリズムへの批判的考察やポストコロニアルな視点からする言説の見直しは、哲学的思考における西欧中心主義の根深さや弊害を白日の下に晒してきた。哲学が自己認識の学であるとすれば、他者の眼差しを欠いたところに自己認識がありえないことも自明であろう。私たちが「哲学の他者」からの視線を不可欠と考えたゆえんである。 (後略)

(出典:『岩波講座 哲学 14 哲学の歴史』はしがき vii)

前後の文がもう少し判りやすくなるように、下線をつけて表示してみましょうか。

さらに、政治や経済の領域におけるグローバル化の奔流は、文化や思想の領域にまで及ぼうとしている。そうしたなかにあって、アジア地域やイスラーム圏からの眼差しを哲学の自己認識の鏡として取り込むことは、今日避けては通れない課題ではないだろうか。哲学はその誕生の経緯から、著しくヨーロッパに偏った歴史を形成しており、現在でも哲学史と言えば西洋哲学史を意味している。しかし、20世紀末に登場したオリエンタリズムへの批判的考察やポストコロニアルな視点からする言説の見直しは、哲学的思考における西欧中心主義の根深さや弊害を白日の下に晒してきた。哲学が自己認識の学であるとすれば、他者の眼差しを欠いたところに自己認識がありえないことも自明であろう。私たちが「哲学の他者」からの視線を不可欠と考えたゆえんである。 (後略)

(出典:『岩波講座 哲学 14 哲学の歴史』はしがき vii)

文脈の中に正しく置いて、前後の文も含めてしっかり読めば、「現在でも哲学史と言えば西洋哲学史を意味している」という一文は、「それでいいのだ」という意味で書いているのでは全然なくて、「それではいけない」という気持ちをこめてこの一文が書かれている、「(ヨーロッパ人の中には)、"哲学史"と言っておきながら、何のことはない"西洋哲学史"のことしか語らない方々が多い」「だが、それではいけない」「だから、この本は望ましい視点で書いた」という主旨であることが理解できることでしょう。大抵の人には理解できるはずです。これは、平凡社の世界大百科事典の「哲学史の見直し」の節と、類似のことを述べているとご理解いただけると思います。近年の日本の哲学研究者の見解は、おおむねこういう見解に落ち着いてきていて、すでに平凡社『世界大百科事典』や『岩波 哲学・思想事典』などに見られるように、百科辞典類、哲学・思想事典の類の記述にもそういう視点が採用された上で記事の章立てが構成されているという事実がある、ヨーロッパ哲学以外の哲学の視点もとりこみながら哲学史を編んでゆくことが半ば当たり前になってきている、ということなのです。

IonianWind様。ありがとうございます。ご指摘のとおり上記論文の趣旨は『「現在でも哲学史と言えば西洋哲学史を意味している」という一文は、「それでいいのだ」という意味で書いているのでは全然なくて、「それではいけない」という気持ちをこめてこの一文が書かれている』のです。私はそれを最初から知っているので、Onyxさんとの対話で「この一文は非常に含蓄のある一文で日本の哲学会の現状を示している」ときちんと言っています。これは現状ではいけないという意味です。また、IonianWind様にも「IonianWindさんのご主張は、もしかしたら100年後には広く理解されているかもしれませんが、現状の百科事典における記載としては不適切だと思います」と最初から言っています。これは最先端のことだけを主張して現状を無視しているという意味です。私は、当初からイスラム哲学と東洋哲学を西洋哲学より価値の低いものとみる気は全くありません。ただ、百科事典としては、とりあえず現状を書くことと分類が明確で整理されていることが基本である。すると、西洋哲学史とイスラム哲学史と東洋哲学史は同じところにごちゃごちゃと書くのは妥当でないと極めて単純なことを最初から繰り返し言っていたのです。ご指摘の岩波の哲学事典でも哲学や哲学史はなんぞやというメタな議論はさておき西洋哲学とイスラム哲学と東洋哲学は別の項目になっているでしょう。それと同じことで百科事典としてはとりあえず現状をきちんと書いてそれから最先端の議論を書くべきではないですかと極めて単純なことを繰り返し言ってきたのです。お願いです。IonianWind様は美大の先生で社会的な地位もある立派な方なのですから、落ち着いてきちんと文章を読んでから書き込みをなさってください。--Nyurutan 2010年7月15日 (木) 14:58 (UTC)
コメントええっ?? 私IonianWindは美大系の人間ではありませんよ。もしかして、私と同一人物だと誤解されてしまっているOnyxさんが美大の方なのですか?? それも知りませんでした。"絵の具がどうとか" と利用者ページに書いてあることくらいは見たような気もしますが、あまり興味がなくて・・・、しっかり読んでいませんでした。何度も念を押しておきますが、Onyxさんは別人です。そこを履き違えると、話が混線するばかりです。そろそろご理解ください。--IonianWind 2010年7月15日 (木) 16:44 (UTC)
IonianWind様。私はOnyxさんが美術系の人間であることは知っていますが、大学の先生であるとまでは知りません。上記はIonianWind様が学識があり、下にようにギュンター・シュルテ著の『絵で見る哲学の歴史』を引用なさっているので、そのように考えただけです。気分を害されたのであれば謝罪します。ただ、いずれにせよ社会的地位のある方だと考えました。はずれでしょうか。続きは連休明けになると思いますので、ご挨拶させていただきました。--Nyurutan 2010年7月16日 (金) 08:40 (UTC)
IonianWind様。こんにちわ。上の続きです。連休を使って図書館に行き、平凡社の『世界大百科事典』の哲学の項などなどを確認してきました。当初から予測していたことですが、結論からいうと、IonianWind様が主張なさっているようなことは書いてありませんでした。
当該項目は、「ギリシャにおける哲学」、「近代西欧の哲学」、「西欧哲学の現在」、「現代における哲学の課題と任務」の4章からなっており、「哲学史のとらえ直し」は第4章の下位の節の一部です。当該節では近代的な意味での哲学とは原理的思考であるとの従来の伝統的見解を要約した上で、これが「学界でも思想界でも定説とされ、常識とされてきた」とあり、これに「しかし」と逆説でご指摘のような内容につながります。また同様に第4章の下位節である「哲学概念の再構成」でも「今日一般の定説では」で始まり、これが「しかしながら」と逆接でご指摘のような内容につながります。要するに、逆接以下の内容は、定説に対する執筆者の山崎正一先生の個人的な見解なのです。ここであえて「定説」とか「常識」などと極めて強い意味の言葉を使っていることからもそれは明らかです。当然のことながら、平凡社の『世界大百科事典』も哲学とは別に「イスラム哲学」、「インド哲学」等の項目が別に立てられております。
現状、哲学史の項目は、いわゆる「定説」と「最先端の評価未知数の議論」を、そのレベルを区別せず両論併記をしているため、全く意味不明の内容になっており、その内容もいわば「世界哲学史」というべきものになっています。IonianWind様は、本当に、こんな内容の記事を「最初から」書きたかったのですか?私には、そうは思えません。
そこで、お願いがあります。Wikipedia:コメント依頼/IonianWind 他にご自身のお考えをコメントをしていただけないでしょうか?下の「節を新設することを提案させていただきます」の項にあるとおりIonianWind様はきちんと議論して合意を形成することができる方です。これ以上、IonianWind様がコメントをしなければ、ご自身に不利益な結果を招くだけであり、ひいてはOnyxさんにもその影響が及びかねません。最初にOnyx=IonianWind説を言い出した私が言うと信じられないかもしれませんが、私は両者の同一性にはあまり興味がありません。ただ私も含め皆さんの願いは、議論を通じて静かに執筆ができる環境を確保したい。それだけなのです。宜しくご検討ください。
なお、誤解があるといけないので一応言っておきますが、私は哲学に関しては専門外で別に何のプライドもありませんので、誰かに記事を修正されても何の痛痒も感じません。また、自分に挨拶をしないで記事を編集したから、気にくわないなどとヤクザのようなことも全く考えておりません。ただ、記事を編集する際には相応の出典を明記していただきたいというだけです。--Nyurutan 2010年7月19日 (月) 14:04 (UTC)

Nyurutanさん、IonianWindです。

そうですか。図書館へ行かれましたか。嬉しく思います (^ ^

百科事典の記事の執筆には、既存の百科事典を、ひとつだけでなく複数熟読する作業が欠かせません。[2] 出版年が異なっている複数の百科事典を熟読すると、年々学会での主流の見解が変化してきていることも、おおまかではありますが、読み取ることができることがあります。ベテランの学者や学会の第一人者でも、事典や辞典類の記事を執筆する場合、既存の事典・辞典類は、ほぼ全部確認しているものです。学会の第一人者でもそうしているのですから、ウィキペディアンの場合、"何をか いわんや" です。特に自分はもしかしたら複数の視点を万遍なく吸収していないかも知れないと予感された場合は、絶対に既存の百科事典を複数参照するべきです。そうしないで百科事典の記事を執筆するのは、乱暴すぎます。既存の百科事典に基づいて骨格を決めておけば、拍手はもらえなくても、反発をくらう可能性が減り、「まあ、いかにも、という平凡な記述だけれども・・・・まあ、いちおう合格点だ」と大半の読者に納得してもらえる品質にはなります。そうして骨格を作っておいて、記事の脚注部や後半において、百科事典以外の出典を複数用意していろいろと多様な枝葉をつけたり色とりどりの花を咲かせてみせたり、多様な説をつっこんで紹介する、という形式にしておくと、記事全体としては破綻が生じず、かつ豊かさも両立できます。妙な編集合戦も防止できます。

他人のことを邪推することを避けるために、実際に自分で文献をお調べてみようと思われたその姿勢、その一歩については一応評価したいと思います。しっかりとコピーを手元に置いていただけましたか? また、平凡社の百科事典だけでなく、小学館のやブリタニカの百科事典などの【哲学】の記事も見つけてコピーし手元に置いていただけましたか? もしそれをなさっていないのでしたら、是非、そうしていただくことをお勧めいたします。

さて・・・・・ここからが申し上げにくいのですが・・・・、Nyurutanさんの上記のコメントでひとつ残念に思うことがあります。Nyurutanさんご自身で平凡社の百科事典を読んでいただいたことは、それはそれでよろしいのですが、上記のようなNyurutanさんのコメントのしかたでは、今、この「ノート:哲学史」を読んでいる人々に、平凡社『世界大百科事典』【哲学】の記事に、まるで私が言っていることが書かれていないかのような誤解を生じさせてしまいます。これはかなり問題があります。すでにWas a bee氏が、Nyurutanさんのコメントのことを、自分で確かめもせず「調査報告だ」などとして悪用し、人々の印象操作をしようと利用しようとしている者がいます[2]

このノートをご覧になっている皆様のために念のために申し上げておきますが、私は筆者の意図を正確に理解してそれを紹介しています。

私は、各文献を相当な時間をかけて誠意をもって熟読し、できるだけ正確に筆者の真意をWikipediaの読者に伝えようと常に務めています。各文献に自分の私見とは異なっていることが書いてある場合でも、反発などせず、素直に筆者が言おうとしていることを中立的に紹介するように努めています。その私に対して、まるで不正確に記述しているかのような、犯してもいない罪をきせるような言動は、今後は慎んでいただけないでしょうか。お願い申し上げます。[3]

こちらとしては、Nyurutanさんが悪意からなさっているのではない、単なる理解不足なのだと信じたいと思っています。善意で活動をなさっているおつもりのNyurutanさんに、このように申し上げるのは胸が痛むのですが・・・・やはり理解不足は理解不足だということをご理解ください。ものごとを不正確に理解したままに、声高にしゃべったり、文章を書いたりする人がいる場合は、そういう人は本人に自覚が無いままに他の人に相当な迷惑をかけているのだ、ということをどうかご理解いただけないでしょうか。

伏してお願い申し上げます。m(_ _)m。

学問全般について言えることですが、正確に筆者の真意を理解する能力、筆者の真意を理解して適切に要約する能力は必須です。百科事典等々の記事の執筆をする場合でも、それは同じです。<<筆者の文章自体が言おうとしている意味内容それ自体>>と、<<自分が文章を読んであれこれと連想したり個人的に意識することがら>>とは、しっかり区別して下さい。

さて当該の記事、平凡社『世界大百科事典』の【哲学】の記事は、第19巻p.142-145に掲載されています。【ギリシャにおける哲学】、【近代西欧の哲学】、【西欧哲学の現在】、【現代における哲学の課題と任務】の4章からなっていますが、それだけ伝えると、このノートを読んでいる人に誤解が生じます。次のようなことを伝えなければなりません。それぞれの文章量は次のようになっています。 (※以下「カラム」とは1列のこと)

  • 【ギリシャにおける哲学】約1カラム
  • 【近代西欧の哲学】約1カラム
  • 【西欧哲学の現在】0.7~0.8カラム
  • 【現代における哲学の課題と任務】 約 7カラム

比重としては【現代における哲学の課題と任務】が突出して量が多く(というよりも実に全体の7割ほどが【現代における哲学の課題と任務】に割り当てられており)筆者が【哲学】の記事の読者にしっかり伝えておきたいと考えていること、第4章の【現代における哲学の課題と任務】の内容であることが理解されます。

 その内訳もここで皆さんに紹介しておきます。

  • (話のきっかけをつかむような文)約0.3カラム
  • 「哲学史のとらえ直し」約0.5 カラム
  • 「西欧文明とイスラム文明」約0.6-0.7 カラム
  • 「<哲学>概念の再検討」約0.9カラム
  • 「世界国家と哲学の始まり」約0.7カラム
  • 「局所的文明社会から統一的文明社会へ」約1.2カラム
  • 「生命的世界感情と自立的主体性」約0.5カラム
  • 「意味組織系としての哲学体系」約1.8カラム

さて、何度も説明させていただきますが、文章というのは文脈の中に配置しないと筆者がその文章にどのような意味を持たせようとしているのか、正確に理解することができなくなります。妙な議論を避けるため、あるいはNyurutanさんのコメントを悪用しさらに濡れ衣を着せて印象操作を謀ろうとする方(Was a bee氏)が出てきたので、長くなりますが、引用せざるを得なくなりました。(Nyurutannさんが出典の文章を不正確に理解し、私の行為も不正確に理解し、(ちょっと分析すれば気づくであろう)私とOnyx氏が別人だという事実にも気づかず事態を不正確に理解し、不正確な憶測を書きまくり、Was a bee氏が他者のコメントを悪用して吹聴したり印象操作を謀り[3]、それを見て影響を受けた人が、また判断を誤り、という悪のループが起きていますが、そういうことはとても迷惑なので今後一切お止めいただけますか。)

ともあれ、あなたがたお二人が(悪気がある、ないはともかくとして)滅茶苦茶な誤解をしつつ、せっせと私に濡れ衣を着せようとしWas a bee氏が印象操作を謀るので、私としては、このノートをお読みの皆様の誤解を解くために、長文になりますが二つの節にまたがって、以下に引用せざるを得ません。

(以下、出典:平凡社『世界大百科事典』【哲学】第19巻 p.143)

[<哲学史>のとらえ直し] 従来の哲学史では、哲学は古代ギリシャに始まり、中世哲学へと一直線に進歩発展してきたかのごとく叙述するのが、学会でも思想界でも定説とされ常識とされてきた。しかしながらこのような叙述方式の基本的な枠組みは、19世紀初頭のヘーゲルの哲学史講義を出発点とし、19世紀中葉以降から20世紀にかかてしだいに整備され定式化された叙述方式によるものである。それは今日から見れば、19世紀西欧市民社会ならびにその哲学の自己主張に基づく、自己中心的な叙述方式であったといわなくてはならない。(中略) 20世紀前半には、西欧を中心に世界大戦が二度も起こり、戦禍は広くかつ深かった。以来、植民地の解放が広く行われるに至り、一方南北問題も起こった。今日の文明社会は、自然環境の破壊核力戦争の脅威に直面し、人口問題食料問題エネルギー問題を深刻な問題として意識するようになった。こうして近代文明社会を、人類史上最も進歩した至上のものとする従来の考えは、深刻な反省を強いられることになった。古代→中世→近代と、一直線に人類文化が進歩発展してきたとする単線的歴史観(※ いわゆるホイッグ史観のこと。[4])は批判され、哲学史の叙述においても書き換えが求められるようになったのである。

[西欧文明とイスラム文明] ここで改めて、ギリシャやローマは西欧でなく、地中海域先進文明圏に属するということを確認する必要がある。西欧というのは、本来はアルプス山脈ピレネー山脈以北の地域である。この西欧の地域に、紀元1千年紀の後半、地中海域先進文明圏からの刺激と影響とを受けて新しい文明が封建制とともに姿を現した。それが西欧文明dえあり、また西欧哲学の始まりであった。(中略)アラブ人は、やがて地中海域を制圧し、その勢力は東方ペルシャの古代文明圏の文化遺産を採用し育成し発展させてイスラム文明圏を形成し、古代先進文明の継承者となった。西欧は、このイスラム文明を介して先進文明の学芸を学んだ。イスラム文明と西欧哲学とは、兄弟関係にある文明であって、イスラム哲学西欧哲学も、ともにギリシャの哲学<フィロソフィア>を祖先とする。

(中略)

やがて西欧文明は、その兄文明であるイスラム文明を凌駕して世界征服の事業を押し進め、それは、19世紀から20世紀にかけて完成するに至った。西欧文明によるこの世界制覇の結果、西欧文明中心主義に基づく<哲学史>の概念や<哲学>の概念が生まれ、また<西欧>対<東洋>の概念、すなわち”前近代的 停滞的な” 東洋という概念が成立した。そして、これらの概念が、学問的検討以前の暗黙の了解事項として世界的に流布することになった。しかし、これらの概念はすべて<近代的>偏見に基づく歪曲的誤解である。


(以上、出典:平凡社『世界大百科事典』【哲学】第19巻 p.143)(下線部および※印はIonianWindによる)

いかがでしょうか? やはり実際に、私が皆様にお伝えしたことは書いてあるでしょう?

それと、何度でも、根気強く説明させていただきますが、このような見解、平凡社『世界大百科事典』の【哲学】の項目を執筆していらっしゃる山崎正一さんひとりの私見ではありません。大手の百科事典の記事は、複数の学者の査読を経ています。また、『岩波講座 哲学14 哲学史の哲学』(=日本の哲学研究者たちによるここ数十年の研究成果も踏まえた、総決算のシリーズ本)の第一章(基調演説的な章)で内山勝利氏が述べていることも、第二章で福谷茂氏が述べていることも、第三章で岩崎稔氏が述べていることも、同様の内容です。他にも同様の見解を示している学者たちを示すことをお望みでしたら、いくらでもありますよ。つまり、これだけ大勢の学者たちの共通で標準的な見解であり、すでに一私見ではありません。すでにこのような見解は学会では本流になってきていると見なしてよいものです。

このような、すでに学会で起きた大きな変化を、Nyurutanさんのように「それは、一私見だ」「まだ変化は起きていない」などと強引に主張するのは無理があります。また、もしそのように主張なさるのであるのならば、Nyurutanさんが「定説」「定説」と主張なさる説のほうが、19世紀にヘーゲルの一私見がきっかけになっていかがわしい説がまことしやかに流布したものにすぎないのだ、ヘーゲルたちが作りだした一種の神話フィクションで、前世紀の半ばごろまで多くの人々が信じ込まされていたにすぎない、ということにそろそろお気づきください。

ただし、ここで冷静になっていただきたいのは、私は、ヘーゲルなどの説(歴史の歪曲、神話フィクションの類)を一切消してしまったほうがいい、などとは全然申し上げておらず、その反対で、Wikipediaの中立性のルールを守りつつ、神話類・フィクション類も、作法にのっとって、当の主張者が言おうとしていたことにできるだけ忠実に掲載しておいたほうがよい、と申し上げているのです。WikipediaではWikipedia:中立性のルールによって、意見に関する事実も書くべきだとされています。そういう意見・神話・フィクションが存在したということを、ひとまず忠実に紹介するべきなのです。

また、私は個人的にも、出典に忠実な記述ならば、基本的に全部残しておいてあげたい、と考えるほうです。おおむね、いわゆるWikipediaにおける包摂主義者に該当します(ただし、著者が言おうとしていないことを書いてある箇所は別の話です)。話が本筋から離れ枝葉になってしまう部分は脚注などに送り込まれて末尾に表示されることがあるにせよ、それでもせっかくの貴重な情報は表示しておくほうがよいので、消すべきではない、と思っていますし、本文と脚注の仕組みを活用して、補足説明を脚注で重畳的に表示しておくと、読者にとっては興味があることについて選択的に深堀りできるので利用価値の高い百科事典になる、と考えています。

というわけで、Wikipediaというものの根本的な性質やWikipediaのルールに立ち戻っていただけますか? Wikipediaにおいては、Nyurutanさんが書いたようなスタイル、つまりシュヴェーグラーの私見、あるいはシュヴェーグラーの書いた内容をNyurutanさんなりのやりかたで解釈した記述だけで、Wikipedia記事本文の記述を組み立ててしまい、あたかもそれが絶対の真理であるかのような語り口で押し切ってしまうのは到底無理があって、ひとつの出来事にも複数の解説者が述べた、方向性の異なる解説を重畳的につけることで、Wikipedia:中立性を実現してゆかなければならないのだということをどうかご理解ください。お願い申し上げます。

--IonianWind 2010年7月25日 (日) 06:28 (UTC)



ちなみに、「(ヨーロッパ人などは)<<哲学の歴史>>と言いながら西洋哲学のことばかりを語る」とは言っても、英語等で書かれた哲学史であっても、イスラーム哲学史や東洋哲学を含めている本もあります。また、ドイツ人が著者の『絵で見る哲学史』においてもイスラーム哲学についても言及しています。Wikipedia英語版のen:History of philosophyにおいても、西洋哲学に加えて、イスラーム哲学の歴史についても、東洋哲学の歴史についても大量に記述されていますね。 --IonianWind 2010年7月15日 (木) 13:56 (UTC) (追加文 --IonianWind 2010年7月15日 (木) 14:52 (UTC)

IonianWind様。ありがとうございます。こちらももちろん知っています。ただ、これはカント以前の哲学史の状況とかきちんと記載しないと誤解を生むだけなので控えていただけです。--Nyurutan 2010年7月15日 (木) 14:58 (UTC)

節を新設することを提案させていただきます

たとえば「哲学史を巡る諸見解」「哲学史を巡る諸見解の変遷」といった名前の節を新設することを提案させていただきます。記事の末尾に配置してはどうでしょう。かつての歴史的な見解・視点も紹介することにすれば、ヘーゲルの見解も、ラッセルの見解も、近年の日本の研究者たちの見解も紹介することができます。奥行きのある、読み応えのある記事になると思われます。Nyurutan様もお読みになった『岩波講座 哲学 14 哲学の歴史』に記載されている様々な見解も、新たな節に記述してゆくとよいですね。内山勝利、福谷茂、岩崎稔、橋、嶋田義仁氏らが執筆していますね。

皆様のご意見、節名の案、他様々なアイディア等をお寄せいただければと思います。--IonianWind 2010年7月15日 (木) 13:56 (UTC)

IonianWind様。ありがとうございます。私も賛成です。名前は少々工夫する必要があると思います。ただ、私は当初より「シュベーグラーの見解の中には確かに古典的になった部分も多々ありますが、それは、ヴィンデルバントやジルソン以後の「哲学史」の学説を補うことで徐々に修正すればいいだけの話しで、すべてを両論併記で同時に行なわなければならないとは考えていません。必要ならラッセルも追加するつもりです」と記載し、同様の提案をしていました。これはシュベーグラー、ヴィンデルバント、ジルソン、ラッセルの「哲学史を巡る諸見解の変遷」を記載すべきだと趣旨であり、その用意もしてあるという趣旨です。IonianWind様のように聡明な方であれば落ち着いて読んでいただければその意味は十分に理解できたはずだと確信しております。--Nyurutan 2010年7月15日 (木) 15:18 (UTC)
Nyurutan様、では、これに関しては、節を新設する方向で進めるということでおおむね合意できましたね。節を設けたほうが、Nyurutanさんの思い入れがあるヨーロッパ人による19世紀的な哲学史観、20世紀前半の哲学史観も、気がねせずに、胸を張って解説できるので良いのではないでしょうか。活躍してくださることを期待しています。節名の候補について、より具体的にご提案いただけますか?--IonianWind 2010年7月15日 (木) 17:06 (UTC)

編集の基本的方向性の合意形成について

こんにちは。IonianWindさん。一方的な演説と罵倒を止めて一緒に解決策をみつけていただける気になっていただいたのであれば、それは大変喜ばしいことだと思います。やはり深呼吸って素晴らしいですね。それでは、編集の基本的な方向性について合意が形成される前に本文をどんどん編集するのは一時中断していただけませんか。こちらも編集合戦にならないように一切本文の編集を中止しているのですから。--Nyurutan 2010年7月12日 (月) 09:33 (UTC)
コメントIonianWindよりNyurutanさんへ。おおむね了解していますよ。ですのであまりに大きな変更はしないようには気づかっています。ただし、ノートで合意の形成をしようとしている状況でも、必ずしも全てが停止するわけではなく、次のようなことは一般に行われていますのでご了承ください。
  • 例えば、Wikipediaの3大ルール違反の文章に {{要出典}} タグや、{{観点}} タグ {{正確性}} タグなどを貼ることは大丈夫です。これは、3大ルールに属することですので重大性があり、個々のウィキペディアンがノートで話し合っている最中でも、貼り付けることができます。そうしないと、自ら怪しい文章を掲載しておいておきながら「議論して結論が出なければ、タグも貼り付けさせない」などと主張する者やグループが出てきてダラダラと相談を延ばしたりして、公式ルール逃れの温床になるからです。
  • {{要出典}} タグの貼り付けが許されるのと同様に、逆に、本文としてすでに掲載されていながら、出典の表示が不足している箇所については、通常、出典を補うことも行われています。それを認めないと、どの文には出典があるのか、独自の研究なのか、という判断材料が不足したまま放置されてしまうことになり、ノートで方針を相談したり議論する土台すらできない、ということになってしまうからです。
Was a beeさんへ。Was a beeさんも、そのあたりはよく理解しておいてください。どうも自分が気に入らない文章の大量消去の行為を行うクセがあるようですが、そういうことを繰り返すと、荒らしという判定になりますよ。既存の文章の出典の補記まで消去しようとする時は、理由を書いて、さらに私の同意を得てからにして下さい。--IonianWind 2010年7月15日 (木) 14:21 (UTC)
IonianWind様。ご指摘は一般論としてはそのとおりかと思います。しかし、本件はIonianWind様の多重アカウントが疑われた事案であり、そのような事案は一般論としては妥当なこともお控えいただくのが筋かと思います。なお、私のことをアスペルガー症候群と暗喩されるのはお控えください。そろそろ堪忍袋も限界です。--Nyurutan 2010年7月15日 (木) 15:22 (UTC)

私IonianWindが Onyxさんと多重アカウントだと「疑われている」と表現すべきではなく、他でもない、疑っているのは(より正確にいえば、誤解していらっしゃるのは)、実際上NyurutanさんとWas a beeさんくらいなのではありませんか。Calveroさんは、とうに別人だと気づいていらっしゃいますよ。ご自分の意識で選択なさった仮説(誤解)を根拠に(それだけでも他人に非常に迷惑なのです)、さらにそれに加えて、ルールに沿った編集まで妨害するのはお止め下さい。Nyurutanさんは(全然、自覚がないのかも知れませんが)二重の不正を行っているのですよ。Onyxさんは別人ですので、いいかげんに、誤解をするのは止めるように。あまりにしつこい誤解は、うんざりします。腹も立ちます。

Nyurutanさんは、どうしてそういう勘違いをしてしまうのか、よく分かりませんが、ともかくそんなことを許すと、適当に二つのアカウントを見繕って、「お前たちは、同一人物だろう」などと言いがかりをつけておいて、「だから、通常の編集は止めろ!」などと一方的に言うという、奇妙な言いがかりがまかりとおることになってしまいます。ちょっとは他人の立場に立って考えてみていただきたいものです。誰かが「NyurutanさんとWas a bee氏は実は同一人物ではないか?」との疑念を繰り返し表明してもよいですか?それを根拠に、半永久的にNyurutanさんやWas a bee氏による編集を妨害してよいのですか???? 自分の言っていることのルール違反の程度をよくご理解ください。

そういうことを防止するためにも、どのような状況であろうが、3大ルールに基づいた編集は優先されます。 --IonianWind 2010年7月15日 (木) 17:32 (UTC) 

リバートについて

各位 この度、私は哲学史の執筆から完全に撤退することにいたしました。理由は後述いたしますが、一度私が執筆する前の状態にリバートさせていただきます。はからずもlonianWind氏(以下「同氏」とします。)のみならず若干名の方の執筆された部分までリバートする結果になってしまい大変申し訳ありません。しかしながら、これから同氏は当該項目について誰に気兼ねする必要もなく、自由に執筆することができること、合意形成の途中であるにもかかわらずウィッキペディアの公式ルールであるから、議論の途中でもどんどん編集をしてもいいのだとの個人的な見解の下に同氏が編集を続けられたこと[4]、記録はすべて残っておりご自身が執筆した部分を戻す作業は上記の個人的見解の下では当然甘受すべき作業であることから、そのほうが同氏にもよいと判断いたしました。また、その他の方のは編集はロボットであったり、復旧のための作業としてはさほどではないことから、当然に甘受すべきものとは全く考えませんが、このようなやむを得ない事情ですので、ご容赦ください。お詫び申し上げます。なお、誠に勝手ながら、私が執筆した部分を戻される場合には、ご自身の文責でお戻しください。もちろん思慮深い同氏は私の拙文を再利用されることなどあり得ないと信じておりますし、IPユーザーの方も本件のような議論がなされていることに鑑みご遠慮をいただきたいとお願いします。今後、同部分についてのお問い合わせには私は一切応じられませんので、ご理解の上ご了承ください。

さて、上記の理由ですが、私は同氏と繰り返し対話を試みてきましたが、最終的には会話が成立しないと判断しました。このような状況では会話も執筆も全く無意味であり、これ以上多くある一つにすぎない趣味に時間をさくわけにはいかないと判断するに至りました。

私は、哲学史と哲学については、出典についてのローカルルールを作らなければ、当該項目は、アガサクリスティの小説のように「そして誰もいなくなった」という結果になってしまうと思います。詳細は、Wikipedia:コメント依頼/IonianWind 他をご覧ください。

私は、同氏のご主張のいわゆる「西洋的な人間中心主義の世界観に対する反省」というものが存在しないと述べたことは一度もありません。再三申し上げているので、もはや引用する気力もないので関心をお持ちの方はノート哲学史の全文をお読みください。

むしろそれがあるということを当然の前提に現時点の哲学の記述としてはともかく、哲学の「歴史」(きちんと古いことから新しいことへ順番に書かないと意味がわかりませんよということ。)としての記述としてはどうかと繰り返し述べてきました[5]。その意味に限っては争いはなく、書き方に問題があると私が指摘しているにすぎないことが同氏にどうしても理解できないようです[6]。だから、同氏が「いかがでしょうか? やはり実際に、私が皆様にお伝えしたことは書いてあるでしょう?」とご満悦でいわれても、そうです。それ(B)は書いてありますし、そのことは全く争っていないのです。私は、Bは書いてありますが、それは、「AしかしB」という順番で書いてあるそのことが論理的に決定的に大事なので、そこをご理解くださいという基礎的理解力以前の日本語能力に属することを再三述べているのです。これはもはや深呼吸をして落ち着けばわかるという以前の問題ですので、私としてはこれ以上の会話は無意味だと判断せざるを得ませんでした。

さらに具体的に述べると「○○年に○○が○○という論文を発表し、今までの西洋中心の世界観に対する反省を迫った」とかいうように書かないと「歴史」」(きちんと古いことから新しいことへ順番に書かないと意味がわかりませんよということ。)の文章としては意味不明になってしまうのではないですかということです。このように書けば、歴史的に、上記のような考え方がいつ、先行する哲学者の誰の影響の下で発生し、それが後のどのような哲学者に影響を与え、誰からどのような批判を受けているのかが明らかになるからです。

なお、この○○が誰かは、私が掲げた参考文献にはもちろんですが、比重の軽重はありますが、きちんとした哲学史の本(文庫とか新書は全部確認していませんが、それには記載されていない可能性が高いと思います。少なくとも同氏が出典とかかげる熊野純彦著『西洋哲学史』(岩波新書)には明確には書いてありませんでした。)ならどのような文献にも書いてあります。

やはり問題はインターネット上で第三者に直接確認できない当該記事より短い数頁の百科事典の記載を読み比べて執筆するという「ご神託」ないしは「啓示」にも似たやり方が許されるのかという点に帰着してしまうと思います。この点に関するローカルルールができないと本項目及び哲学には、もはや誰も新たに執筆する人はでてこないのではないでしょうか。私自身は、自分の執筆した内容に固執する気は全くありません。それゆえの少し大胆にすぎるリバートです。しかしながら、このような状況を見て新たに参戦する勇者(IPは除きますが)がいるとは思えません。同氏はそれで本当に気持ちいいのでしょうか?。私にはそうは思えないですが、最後の助け舟まで蹴られてしまった身としては何のコメントもありません。今後のご参考まで。長文失礼しました。--Nyurutan 2010年7月27日 (火) 13:48 (UTC)--Nyurutan 2010年7月28日 (水) 14:42 (UTC)

Nyurutanさんへ、意見させていただきます。
哲学史の3月30日版への巻き戻しを拝見しました。お気持ちは分かりますが、よろしくない対処方法だと思います。
  • 巻き戻し期間中の投稿者には、Nyurutan氏以外にIonianWind、Onix、Pirosikiなどの諸氏が改稿を行っています。Nyurutan氏はIonianWind氏に対してのみ、戻したいなら勝手に戻してくださいと述べておられますが、他の編集者のことを何故無視されるのでしょうか?
  • Nurutan=Onix多重アカウント説をNyurutanさんが信じていることは存じ上げておりますが、確認されたわけでもなく広く支持されてもいません。Pirosiki氏にしても、小規模かもしれませんが、編集をされています。そういう方々に一言も無く巻き戻されたことに、驚きを禁じ得ません。
  • 記事は投稿された時点で、執筆者のものではありません。ましてや、Pirosiki氏はIonianWind、Nyurutan、Onixらの諸氏らの編集を前提に、編集をつけ加えているのです。Nyurutan氏の都合で、こういった方々の編集も無に帰すことについて、何とも思わないのでしょうか?
  • Nyurutan氏の加筆部分はIonianWind氏が指摘するような瑕疵があったにしても、全体としては大変立派なものです。Pirosiki氏にしても、だから加筆しようと思ったのでしょう。そのことに敬意を払ってはいただけないのでしょうか。そして、Nyurutan氏と対立関係にあったとはいえ、IonianWind氏もOnix氏もこの記事への参加者なのであり、彼らだって、IonianWindさんの寄与を前提にして、あれこれ編集しておられたのです。第3者から見て、彼らの寄与を一気に白紙化したNyurutan氏の行為は一種の暴力行為です。
  • 今回の一件は、「執筆はしたものの、気に入らないやつが弄ったから気分が悪い。だから元に戻す」という極めて子供っぽい行為に過ぎないものと第3者には映ります。「俺の書いた部分は俺が消す。阿呆な書き込みは無視して構わない」というロジックなのでしょうが、寄与が如何に高かろうが記事はあなた個人のものではないのです。

心より忠告させてください。今回の巻き戻しは、Nyurutanさんの編集経歴に大きな傷を残します。本当にそれでよいのでしょうか?--おーた 2010年7月28日 (水) 15:53 (UTC)

おーた様。心よりのご忠告ありがとうございます。誠におっしゃるとおりだと思います。ご指摘のとおり「記事は投稿された時点で、執筆者のものではありません。」と私も思います。したがって、著作権は放棄しており、拙文を再利用いただいても全く問題ありません。ですから、ご自身の責任で戻されることには何の異議もございませんと記載させていただきました。でもその趣旨は戻した方に全責任を負ってほしいという意味ではありません。私はもう執筆しないので、おーた様の会話頁に書いたのが本心なのですが、残念ながら私はこれから議論に参加することができませんという趣旨です。だから乱暴だから戻すよと言われれば、それがどなたでも更にリバートする気は全くありません。また、Onix氏も含めてですが、他の方から謝罪を求められばそれは自分の責任において全力で謝罪します。本当に申し訳ないと思っています。現時点でもOnix氏には何の恨みもありませんので。ただ、今回のことが全面的に解決されなければ、誰も新たに執筆する者がいなくなるという状況に変わりがありません。しかし、本件が解決すれば、ノートに「本件は解決しました。」と告知をすれば、だから新規の方も積極的に議論に参加ができると考えました。私は本当に建設的な議論を楽しみにしているのです。その過程で無知を指摘されても恥ずかしいことは思っていません。しかし、ここまで状況が悪化した以上、誰かが率先して注意を喚起し、膿は出し切らなければいけないのです。その意味でどなたから、ご意見があるとは思っていました(おーた様か世界最強の魔術師さんかなと思ってましたが、やはり熱意が違いましたかね。)。おーた様。お手数かけて申し訳ありませんが、せっかくのご縁ですので、腹切りの介錯だと思っておーた様がリバートしていただけないでしょうか。--Nyurutan 2010年7月28日 (水) 16:30 (UTC)--Nyurutan 2010年7月28日 (水) 16:36 (UTC)

哲学の項目にて「編集経歴に大きな傷を残した」Kazu 62です。おーた様への応答です。ここで繰り広げられた非生産的で退屈な議論(少なくとも建設的でエキサイティングとは言えない議論)を見てきましたが、一連の議論でNyurutan様は編集の意志を喪失したことを明確に示しました。したがって、一介のボランティアでしかないNyurutan様にこれ以上の作業を強制することはできません。その点はおーた様も留意してコメントするべきだと主張しておきます。どれほど暴力的で強引なリバートであったとしても、それを本人に修正させるのは完全撤退した今となっては手遅れです。それにおーた様じゃなくても誰かが自由に編集すれば済む話です。まあリバート回復については問題がなければ私がやってもいいのですが、私ではいろいろと不適格かもしれないので、どなたかいらっしゃれば原則として最後の作業はそちらに委ねたいとは思います。--Kazu 62 2010年7月28日 (水) 17:12 (UTC)
私はNyurutanさんに、なんらかの作業を強制した覚えはありません。Nyurutanさんが行った巻き戻し編集が、編集経歴に傷を残すと忠告さしあげただけです。今なら、数回のクリックで済む程度の作業を厭ってNurutanさんが、記事を巻き戻し状態のままになさるのであれば、それはそれで構いません。そういう編集経歴の責任はNyurutanさん自身が負うべきものだからです。私としては、ここで議論に参加なさっている方々が、我を張ることばかりに熱心で「誰のものでもないWikipedia」の記事の発展を犠牲にしていることが残念でなりません。--おーた 2010年7月29日 (木) 12:29 (UTC)


Nyurutan様へ、IonianWindです。お疲れ様でした。 Nyurutan様の最初の動機が、記事を良くしようと思ったということは信じております。 ともかくも、お疲れ様でした。[5] --IonianWind 2010年7月28日 (水) 19:03 (UTC)


おーた 様へ IonianWindです。

  •  本来なら、問題ある自分の投稿箇所(シュヴェーグラー本を加工・改変?した文章群)だけを そっとコメントアウトする、というのが、人間としてまともな行動だったはずです。他の人が出典に基づいて加筆した箇所まで一緒にリバートしたのは、第三者から見れば、暴挙や<荒らし>としかいいようがないと思います。Wikipediaの管理者の方々が客観的に判断すれば、アラシそのものと判定される行為でしょう。
  • ですが、今さら再リバートはしないほうがよいだろうと思います

ヘタに再リバートして一連の問題含みの シュヴェーグラーの??あるいは シュヴェーグラーのものとは言えないがシュヴェーグラーが言ったかのように表示されてしまっている文章群まで 再掲載してしまい、(投稿した方の心情に配慮するあまり、除去もできなくなってしまうよりも)、出典が正しく示せる文章のみをじっくり検証して選び出して(救い出して)して、(数時間ほど作業がかかるかも知れませんが)記事をある程度再構築して、そこを土台に作業を進めたほうが、すんなり進みます。

善意でやっていらっしゃるNyurutanさんには誠に申し訳なく、胸が痛むのですが・・・、第三者であれ、再リバートなどされると、シュヴェーグラーが言っていない内容の文章(独自の研究、もしくは 出典捏造)までが、(1箇所だけではありません、複数が)再度織り込まれてしまうので、作業が複雑化しますので止めたほうがよいのです。

また、これを機会に、ここにはいない新たな面々を加えて哲学史の記事の作業を進めてゆくのもひとつの方法だと思っています。この哲学史の加筆することもできる力量があるであろうウィキペディアンについても、ある程度目星をつけております。そういう方々にもお声がけをさせていただいて、進めてゆくことも可能です。私のほうで音頭をとらせていただきます。また、私自身も、出典にできる文献(候補)も上に挙げておりますし、私は複数の文献を用いて出典を示しつつ、公式ルールを守りつつ、中立性を確保しつつ、正確に・大量に書く方法も心得ています。「執筆者がいなくなる」と言う方は、たぶん「自分にしか書けないはずだ」と思われているのでしょうね・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ふぅ。 Wikipediaというものの性質上、実際には執筆者は他にもおりますので、そういった心配は無用です。 --IonianWind 2010年7月28日 (水) 19:03 (UTC)

  • コメントこんにちは、was a bee です。現在提出されていますコメント依頼の方で、IonianWindさんからのコメントを待つ形で、議論を停止して待機しています。上で述べられましたようなこと、かいつまんで、一度コメント依頼の方へお寄せいただきますようお願いします。--Was a bee 2010年7月28日 (水) 23:49 (UTC)

IonianWindさんへ、

今後のこの記事に関して「私のほうで音頭をとらせていただきます」とのことですが、正直に申しましてそれはお止めになったほうがよろしいでしょう。

  • まず、IonianWindさんにはコメント依頼Wikipedia:コメント依頼/IonianWind 他が出ており、議論の進め方や対話姿勢に強い疑義が出されています。この状態で、議論を仕切ろうとするならば、更に紛糾することは目に見えています。
  • ことに、その疑義の中には多重アカウントの適切でない使い方を指摘するものがありますから、事態は深刻だと思います。
  • 被依頼者(この場合はIonianWindさん)のコメントが強要されるわけではありませんが、あのコメント依頼の中で出されている私を含む皆様の疑義をスルーし続けて、渦中の記事の仕切りを行おうとされるのであれば、対話拒否とみなされるでしょう。
  • このノートでも、対話相手をアスペルガー症呼ばわりするなど、IonianWindさんの議論の姿勢は、大変に問題とされるべきものです。今後、投稿ブロックなどが議論されるときには、これはかなり致命的なものになると予想されます。
  • 一連の議論を拝見しましたが、IonianWindさんにこの分野の深い学識があるようには見受けられませんでした。もちろん、記事によっては百科事典と入門書あたりを使って、上手にまとめられたものもありますが、ここまで編集者間で非生産的な議論が続く記事の場合は、その程度の典拠と知見で議論を仕切ろうとするのは、蛮勇といってよろしいのではないでしょうか。

IonianWindさんが、この記事のことを考えていただけるのであれば、手を引いて他者に委ねるのが一番です。ここで、編集を強行なさることによって事態がさらに拗れるならば、「コミュニティを疲弊させる利用者」との認識を広めることになるでしょうが、それ はIonianWindさんの本意とするところなのでしょうか?さらには、疑惑のアカウント群ごと編集ブロックを受ける可能性も高くなるでしょう。編集ブロック期間中の多重アカウントは、確実にルール違反ですし、きつく咎められています。そういう方向に進んでしまう可能性がかなり高いと私などは見ていますが、それでよろしいのでしょうか?これらを考慮していただくことと、コメント依頼における皆様の疑義に答えることを切に希望します。--おーた 2010年7月29日 (木) 12:15 (UTC)

脚注

  1. ^ Wikipedia:中立的な観点
  2. ^ 百科事典の記事の執筆者選びというのは、出版社から普段から構築している各学会の学者についてのデータベース、人脈などを活用して、各学問分野でトップ5、トップ10に入れてよいような人物を選び、慎重に選定し執筆を依頼するわけです。依頼された執筆者のほうは、普段自分が主張している自説については、ある程度脇においておいて、誰でもが読むであろう百科事典の記事として何を書いておかなければならないのか、熟慮を重ね、限られた文字数の中でそれをコンパクトに表現するのか頭を悩ませることになります。百科事典の当該記事は、それを専門分野とする日本全国の学者たちが何かの機会に読んだり眼にしたりするものですので、変なことは書けないものです。
  3. ^ これは誤解にもとづいた、一種の誹謗中傷やデマの類でしょう。ちなみに、私は中・高・大学で文章読解力の点数がいつも高得点で、指導してくださった先生がたからも私の読解力の高さと読みの緻密さについて、お墨付きをいただいておりました(こういうことを書くと、「自慢しやがって」「鼻持ちならない」などと感じる方がいらっしゃるのでしょうが、テストの点数というのはそれなりに客観的なものです。自惚れとかどうとかということではなく、誹謗中傷やデマの類を書かれてしまっては、自慢話ととられようが何であろうが、こういうことも書かざるを得ません。
  4. ^ 歴史の歪曲、捏造。神話の一種。非学問的な歴史。自分に対する自惚れと、他者に対する悪意が塗り込められたフィクション
  5. ^ もし(仮に)、他の投稿者が、時間をかけ調査し、出典を正しく表示して掲載した文章まで「膿」と呼んだりしているのなら、非常に問題のある発言になりますので、どうかお気をつけください。

ご報告。User:IonianWindは無期限ブロックされましたので返答はないでしょう。--Was a bee 2011年12月3日 (土) 04:56 (UTC)