ノート:四夷

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

中華思想でのやり取りに関連して[編集]

  • ノート:中華思想でのやり取りを読みましたが無期限ブロックを喰らったこのFree02とかいう荒らしアカウントは記事を重くさせるばかりかHi-liteさんや霧星小根さんの助言も聞く耳を持たないで強引に記事を改ざんしてブロックされたんですね。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないというガイドラインも守らずに強引に押し通そうとした荒らしの末路です
  • そのアカウントがしつこく主張している四夷は外国と同義[要検証]だという主張も半信半疑でにわかには信用できず甚だ疑問ですので、賛否両論を聞きたいので確認のため当該ページやコトバンクなど外部サイトの記述も引用して考察してみようと思います。その上で保護解除依頼を申請すればよいかと思われます。
    • 外国
      • 古代中世における当時の支配階層である貴族社会においては、大和王権朝廷)の支配が直接及んできた畿内及び近江国などその近隣地域のみが「日本国」(本朝神国)であり、大和王権によって征服されてその従属下に服した地域である東国及び西国は日本国とは見なされず、更にその外側にある異国夷国と同様に「外国」と見なされて、大和王権に対して穢れ災厄をもたらす地であると信じられていた。京都の公家が東国の武士(鎌倉幕府など)を「外国之武士」と呼称していた事は、慈円願文の中に記されている。
      • 江戸時代、「おくに」と言うと、出身の地域、日本(列島)の中での場所を指していて、「異国」と言うと、国境(くにざかい)の外、他のが治めている領域を指した。たとえば会津の人々から見れば、長州薩摩の人々は「異国」の人々だったわけである。当時は「くにざかい」には関所が設けられ、くにざかいを越えることはさほど容易なことではなかったので、それぞれの「おくに」では独特の「おくにがら」が発達したとされている。それが現在の県民性にもつながっている、とされている。
    • 帰化
      • 帰化とは、本人の希望により他国の国籍を取得しその国の国民となることをいう。
      • 日本の場合、古くとも大和朝廷という政権が成立した後に日本の住民となったことを指し[要出典]、いわゆる弥生人渡来はもちろん、天孫降臨が他国からの渡来または侵略であったとしても、大和朝廷成立前のことであるので帰化とは言わない。
      • 「帰化」という語句の本来の意味は、「君主に教化・感化されて、そのもとに服して従うこと」(後漢書童恢伝)で、歴史学的な定義としては、以下のものがある。
        • 化外(けがい)の国々から、その国の王の徳治を慕い、自ら王法の圏内に投じ、王化に帰附すること
        • その国の王も、一定の政治的意思にもとづいて、これを受け入れ、衣料供給・国郡安置・編貫戸籍という内民化の手続きを経て、その国の礼・法の秩序に帰属させる一連の行為ないし現象のこと
    • 夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)
      • 中華思想における漢民族以外の異民族のことを指す蔑称。「夷」は「東夷」、「狄」は「北狄」、「戎」は「西戎」、「蛮」は「南蛮」を意味し、それぞれ中国周辺で生活する異民族(主に遊牧民族)の蔑称である。夷狄戎蛮とは - はてなキーワード [1]より引用
    • 戎狄(じゅうてき)
      • 《古代中国で、西方の蛮人を戎、北方の蛮人を狄といったところから》辺境の民族や外国人を卑しんでいう語。戎夷(じゅうい)。戎狄/戎翟(ジュウテキ)とは - コトバンク [2]より引用
    • 蛮夷(ばんい)
      • 野蛮人。未開人。えびす。蛮夷・蕃夷(ばんい)とは - コトバンク [3]より引用
    • 夷蛮(いばん)
      • 野蛮なこと。未開なこと。また、その人。夷蛮(いばん)とは - コトバンク [4]より引用
    • 諸夷(しょい)
      • 卷五十四 列傳第四十八 諸夷には、倭国を含め、当時の東・東南・西・中央・南アジア諸国について記載がある。梁書より一部引用
    • 諸蛮(しょばん)
      • 彼は曰く、「西北諸蛮概して地を奪い疆域 (きょういき) を拓 (ひら) くを以て勢とす。…」と。“諸蛮”の読み方と例文|ふりがな文庫 [5]より例文を一部引用
    • 処蛮夷(しょばんい)
      • 新元史 列伝第一百四十五 雲南 (うんなん) 湖広 (ここう) 四川 (しせん) 等 (とう) 処蛮夷 新元史より引用
    • 異域(いいき)
      • よその国。外国。異国。異域(イイキ)とは - コトバンク [6]より引用
    • 外夷(がいい)
      • 外国や外国人をいやしめていう語。「外夷の患(かん)」外夷(ガイイ)とは - コトバンク [7]より引用
      • 外国または外国人に対する蔑称。外夷とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書 [8]より引用
    • 夷貊(いばく)
      • 「貊」(音読み バク・訓読み えびす)、意味 えびす。中国北方の異民族の名。北狄の狄とほぼ同義かな。「貊」の部首・画数・読み方・意味など [9]より引用
    • 島夷(とうい)
      • 中国で南方の異民族の呼称。古くは長江(揚子江)流域の住民、秦漢以後は貴州・雲南の住民をさすなど時代によって対象が異なる。島夷(とうい)とは - コトバンク [10]より引用
  • --天皇は日本の敵・征夷は日本人頃せの意会話2017年11月17日 (金) 18:07 (UTC)[返信]
上記、「引用」だけで引用者による「考察」がありません。著作権大丈夫ですか? --49.239.71.249 2017年11月23日 (木) 03:33 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。私見ですが私は四夷は外国と同義であるという命題についてはやや疑わしき部分もあると思われますが概ね正しいのではと考察します。また「著作権」に関してですが冒頭に考察のためと断りを書いてあるため問題ないかと思われます。 --天皇は日本の敵・征夷は日本人頃せの意会話2017年11月23日 (木) 04:56 (UTC)[返信]

「処蛮夷」について[編集]

本文中で四夷の別称として挙げられ、リダイレクトにもなっている「処蛮夷」ですが、このような言葉は存在しません。『漢語大詞典』や『大漢和辞典』にも該当する単語は見受けられませんし、ネットで検索をかけてもヒットするのはこの記事とこの記事を引用したページだけです。

そもそも、出典として挙げられている『新元史』の記述(というか巻のタイトル)は「雲南・湖広・四川等(などの)処(ところの)蛮夷」と訓じるべきもので、「処蛮夷」とは到底読めません。「〜等処」という表現は元代・明代に広く見られた表現で、「別失八里等処行尚書省」「阿母河等処行尚書」「嶺北等処行中書省」などに見られるように「〜一帯の/〜地方の」といったニュアンスの熟語です。もしかすると「諸蛮夷」という言葉と取り違えたのかもしれませんが、『新元史』「雲南・湖広・四川等処蛮夷」の中に「至元十四年五月、降旨付西川諸蛮夷部宣慰使昝順、使招思州田景賢・滬州可南番蛮王阿永・敘州筠連膽串・豕鵝・昔霞等処諸族蛮夷」とあるのを見ても、「処蛮夷」などという単語は存在しないことは明らかです。

現在記事が保護されていて私には編集ができませんが、この記述とリダイレクト記事を残しておくことは誤った知識を広げ、日本語版wikipediaの恥を晒すことに他なりません。どなたか然るべき措置を取られることを期待します。--カラ会話2017年11月22日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

  • カラさんへ
    • なるほど、とても勉強になります。お詳しいですね
    • では保護解除後、どなたかその部分を修正していただければと思います。ただし、依然として厳密な考察・検証が求められていることに変わりはありませんので冒頭に検証用のテンプレートを貼るか本文中の「外国と同義」という部分に下線を引いて要検証タグを添付することを推奨します
    • Free02氏がおっしゃっている聖徳太子の国書が太陽神月神New World Orderに関連するというのはいったい何のことを言っているのでしょうかね --天皇は日本の敵・征夷は日本人頃せの意会話2017年11月22日 (水) 15:18 (UTC)[返信]

出典[編集]

  1. ^ [1]夷狄戎蛮とは - はてなキーワード
  2. ^ [2]戎狄/戎翟(ジュウテキ)とは - コトバンク
  3. ^ [3]蛮夷・蕃夷(ばんい)とは - コトバンク
  4. ^ [4]夷蛮(いばん)とは - コトバンク
  5. ^ [5]“諸蛮”の読み方と例文|ふりがな文庫
  6. ^ [6]異域(イイキ)とは - コトバンク
  7. ^ [7]外夷(ガイイ)とは - コトバンク
  8. ^ [8]外夷とは - 歴史民俗用語 Weblio辞書
  9. ^ [9]「貊」の部首・画数・読み方・意味など
  10. ^ [10]島夷(とうい)とは - コトバンク

支那の呼称問題[編集]

「支那」の呼称問題をこのページに長々の書くのは不適切と思います。そういう議論があると紹介する程度で"支那"の記事に誘導でいいでしょう。--代言人(/) 2021年8月13日 (金) 08:36 (UTC)[返信]