ノート:国鉄オハ31系客車

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オハ31980形およびオハフ34180形について[編集]

ナハ22000系焼失車の復旧車である両形式は、車体寸法や構造などが明らかに異なり、オハ31系の眷属と見なすのは難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか? 小生としては国鉄オハ30形客車として別項目とするのが妥当ではないかと考えますが・・・。--HATARA KEI 2007年5月30日 (水) 03:11 (UTC)[返信]

(ご報告)手持ちの資料を色々調べ直してみたのですが、どのような意味でもオハ31980形は本質的にオハ31系とは別物であると判断せざるを得ませんでしたので、国鉄オハ30形客車を新規作成し、本項とリンクする形態に変更いたしました。--HATARA KEI 2007年6月3日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
(お願い)できれば「手持ちの資料」について差し支えなければ明記していただけるようにお願いしたいのですが。--12425183 2007年6月3日 (日) 10:34 (UTC)[返信]
今回主に依拠したのは「鉄道史料」第78,79号となります。--HATARA KEI 2007年6月3日 (日) 13:36 (UTC)[返信]
ありがとうございます。いつもHATARA KEI氏の加筆には感心させられています。どこからその知識が出てくるのかと興味深いものがありました。--12425183 2007年6月3日 (日) 21:56 (UTC)[返信]
(インデント戻します)オハ31980形とオハフ34180形をこの項目に記述したのは僕です。
オハ31980形とオハフ34180形は両方とも17m級の車体、TR11の台車、窓の大きさや配置、座席の形や間隔などにオハ31系に通じる点があったのでオハ31系に属すると思っていました。
ごめんなさい。オハ31980形とオハフ34180形とオル31 26、27の項目の独立ありがとうございます。--218.230.32.216(元218.230.5.402007年6月10日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

分かりにくいところの詳細[編集]

国鉄オハ31系客車#寝台車の節のマロネ37300形の項目の床下の水タンクの件ですが、詳細はこちらの画像を拡大して文を全て読めば分かります。--218.230.32.216 2007年6月10日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

国鉄オハ31系客車#寝台車の節のマロネ37300形の項目にマロネ37形(1・2次形)と書き込みましたがこの「(1・2次形)」を削除した人がいました。
マロネ29形はマロネ37形だった頃、番台区分がありませんでした。それに、単に「二重屋根の」、「丸屋根の」と表現した場合、二重屋根のマロネ37形は4種類、丸屋根のマロネ37形は2種類あります。
以下にマロネ37形の詳細な区分表があります。
次形区分 1941年以前 1953年以降 備考
1次形 マロネ37300形 マロネ29形(0番台) 最初のマロネ37形である。
2次形 マロネ37300形 --※1 床下の水タンクが蒲鉾形断面に変更された。
3次形 マロネ37350形 マロネ29形(20番台) 大幅にデザインが変更された。※2
4次形 マロネ37350形 マロネ29形(30番台) リベットの数が減った。
5次形 マロネ37400形 マロネ29形(100番台・1次形) 屋根が丸屋根になり、床下も大幅に変更された。
6次形 マロネ37400形 マロネ29形(100番台・2次形) ノーリベット車になった。
7次形 --※3 --※4 マロネフ37形(旧マロネフ37550形)を改造した車両。
8次形 --※3 マロネ29形(140番台) マロネロ37形を改造した車両。
※1全車がマハ47形に改造され、復元されることはなかった。
※2床下の水タンクはほとんど変わっていない。
※3 1941年以降に改造された。
※4 1953年以降の経緯は不明である。
1・2次形はオハ31系、3~8次形はスハ32系に属する。
といった感じです。--218.230.33.232218.230.4.34(元218.230.32.216) 2007年8月26日 (日) 02:52 ~ 2007年10月6日 (土) 09:28 (UTC)[返信]

(インデント戻します)念のため、スシ37形に関する記述があります。
スシ28形などはスシ37形だった頃、番台区分がありませんでした。それに、単に「二重屋根の」、「丸屋根の」と表現した場合、二重屋根・丸屋根のスシ37形はいずれも3種類あります。
以下にスシ37形の詳細な区分表があります。

次形区分 1941年以前 1953年以降※1 備考
1次形 スシ37700形 --※2 最初のスシ37形である。
2次形 スシ37740形 --※3 大幅にデザインが変更された。※4
3次形 スシ37740形 スシ28形(0番台) 台車がTR73に変更された。※5
4次形 スシ37800形 スシ28形(100番台・1・3次形※6) 屋根が丸屋根になり、床下機器も大幅に変更された。
5次形 スシ37800形 スシ28形(100番台・2次形) ノーリベット車になった。
6次形 スシ37800形 スシ28形(150番台) 1両のみの存在で、車体構造はスハ32系を踏襲していない。※7
※1 1953年以降は1953年の称号改正時までスシ37形として活躍し、このときにスシ28形に改称された車両のみ記述する。他に最初はスシ37740・37800形である食堂車はスシ47・48形、マシ29・49形、スハシ37形(10番台)が存在したが、書き込むと冗長になるので割愛した。
※2全車がマハ47形に改造され、復元されることはなかった。
※3戦前はスシ37形(2次形)として活躍し、戦時輸送対応のためスハ48形に改造され、戦後、食堂車に復元された車両は冷房を搭載しマシ29形(0番台)になっている。
※4台車はTR74を装着していた。
※5他は全く変わっていない。
※6スシ28形(100番台・3次形)はマシ29形(100番台・1次形)を編入した。これらの車両は戦後改造してから冷房を搭載するまで、全車スシ47形(0番台)として活躍していた。
※7詳細は#スエ30 1の系列区分についての9月16日の218.230.5.33(僕)の文を参照。

1次形はオハ31系、2~6次形はスハ32系に属する。
といった感じです。--218.230.5.33218.230.4.34(元218.230.33.232) 2007年9月16日 (日) 06:04~06:18~07:12 ~ 2007年10月6日 (土) 09:28 (UTC)[返信]

スエ30 1の系列区分について[編集]

僕はアカウントを取得していませんが、コメントでは議論ができないと言われたので議論としてここに書き込みました。
車両の車体の振り替えですが、これらの節[1][2]を全て読めば分かりますが、改造直前・改造後問わず、振り替えられる前の車両の車歴を受け継いでいます。スエ30 1の場合、オハ34 45から改造しましたが、車歴はスニ9755の種車である鉄道作業局オハ225から始まっています。
本屋で読んだ、ある書物(書物名は忘れました)に書かれていましたが、鉄道作業局オハ225は1911年の称号改正でオハ9500形(オハ9500)に改称しています。
オハ9500形が属する9500系は機芸出版社の「陸蒸気からひかりまで」によると、木造で全車が魚雷形ベンチレーターを備え、丸屋根で、20m級で、3軸ボギー台車を装着し、最急行(特急の前身)に使われていた系列です。
国鉄9500系客車の項目が立ち上がったらスエ30 1の項目はそちらに移したいと思っています。
皆さんはどう考えますか。--218.230.33.232(元218.230.32.216) 2007年8月26日 (日) 02:52~02:57~03:07~03:22 (UTC)

移設そのものについては問題ないと思います。が、一つ指摘しておくとオハ225は1908年製なので鉄道作業局が帝国鉄道庁に改組されてから製造された車両となります。公刊書籍でもその手のミスは多いのですが、時系列のチェックはきちんとしておくべきです。後、この時期に設計製造された客車については、系列として安易にひとくくりにするのは省制式のスハ32系など以上に大きな無理があり(1910年まで国有化された日本鉄道や山陽鉄道などの各私鉄の独自設計客車の増備が続いており、3軸ボギー式でもそれらの形式番号が新橋工場製客車の形式番号と入り交じって9000番台に乱雑に押し込まれています)、以後の制式客車と同じような形での、1911年1月の称号改正によるオハ9500を基幹形式に据えた9500系という項目名での記事作成は不可能である(あえてひとまとまりとするならば「新橋工場製雑形3軸ボギー式客車」とするのが妥当ではないでしょうか)と小生は考えます。--HATARA KEI 2007年8月26日 (日) 03:45 (UTC)[返信]
僕は国鉄スハ32系客車の項目のノートで「物知らず」と書き込みました。実は木造客車の詳細はあまり知りません。なので、2冊の本で読んだことまで鵜呑みにしてしまいました。
また、車番の順番が乱雑に押し込まれていることを全く知りませんでしたし、「帝国鉄道庁」という言葉も言葉を知っているか知らないかくらいでした。
HATARA KEIさん、Template:国鉄・JRの客車の修正ありがとうございます。ついでに僕も見出しの色を統一し、細部の編集をしました。
話を変えます。追記です。
振り替えとは関係ありませんが、国鉄オハ35系客車#二等車(旧三等車)の節でオハ35系以外の系列から編入された車両もこの節で記述しています。オハ35 1314とオハフ33 627は台車・台枠・車掌室の位置(車掌室の位置はオハフ33 627のみ)はスハ32系、車体の構造はスハ43系の軽量形三等車に属します。また、オハフ33 630はスハフ42形を軽量化したので、なぜ「オハフ45形でなく、一世代古いオハフ33形に編入された理由は不明である。」と言いたいくらいです。いずれも、車体構造はオハ35系を踏襲していません。
項目未作成(作成するのなら国鉄スハ32系客車#食堂車(丸屋根車)の節)のスシ37818→スシ37 76→スハ48 31→スシ37 76(復元)→スシ28 151の場合、事故廃車になったオハ31系に属するスシ37728の台車と台枠を流用し、新製のスシ37850形(後のマシ38形)に準じた車体を載せたので、車体構造はスハ32系を踏襲していませんが、系列区分上ではスハ32系に属するので、国鉄スハ32系客車の項目に記述したいと思っています。
つまり、系列区分は形式に従って区分した方が分かりやすいと思います。
HATARA KEIさんが間違いを修正してくれたため、スエ30 1の項目は官設鉄道の客車の項目が立ち上がったら、そちらに移したいと思っています。
なお、スエ30 1の項目はスエ30形の1両として現在はこの項目に記述してあります。
他の皆さんの意見も待っています。--218.230.5.33(元218.230.33.232) 2007年9月16日 (日) 06:04~06:22~07:12 (UTC)
あれから1ヶ月以上が経ちます。よって、HATARA KEIさんの提案に倣い、コメントアウトを追記しておきました。--218.230.4.34(元218.230.5.332007年10月6日 (土) 09:28 (UTC)[返信]
そもそも1953年の称号規定改正の時点で鋼製制式客車の救援車はスエ30 1の1両しか存在せず(改正以前にやはりスハ32系のスヤ34 21が存在しましたが、この時点で建築限界測定車オヤ31 11に改造済)、オハ31系が救援車に改造されるのは1963年以降ですから、「オハ31系としての形式」という表現自体が誤りで、オハ31系改造車のほうが、当時1両しか存在しなかったスエ30形の続番として登場したというべきです。Polgoe会話2017年8月30日 (水) 06:19 (UTC)[返信]