ノート:大清皇帝功徳碑

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項目統合の提案[編集]

三田渡碑と重複している様ですので、お知らせします。-- 2005年11月27日 (日) 13:11 (UTC)[返信]

統合しました。記事名は迷いましたが、正式名称である大清皇帝功徳碑にしました。-- 2005年12月4日 (日) 08:11 (UTC)[返信]

3ヶ国語で書かれています。書いて内容は漢文と満州語で違います。満州語部分は史学研究会 「史林」VOL4で確認可能です。 日本が作成した記念レリーフを誤って、大清皇帝功徳碑として紹介するものが多いのですが、本来は亀の台座の上の碑が大清皇帝功徳碑です.この碑の1つは行方不明となっており、現状では1つだけです。

様々な数奇な運命で流出、発見、修復などを繰り返している経緯を示しました。--Lulusuke


外部リンクの写真が復旧記念レリーフであることを確認しました。--Lulusuke

碑はその後何度か水害等で流失したがとの記述の根拠が無いと思います。

経緯が誤っているので修正 住所を追加。 この記述に関しては韓国側の記述も自分勝手な嘘が多く、日本のサイトも誤ったWEBのCOPYでがあり、いずれも事実に反している。

王朝実録 アジア資料センターの資料と「史林」(歴史学会)の報告をもとに3者が合致しているものだけを書いている。 史跡の指定の年月日も間違っている。(1957.2.1指定)

宇山卓栄氏の言説を削除することについて[編集]

ノート:宇山卓栄において歴史学の非専門家である宇山卓栄氏の言説を削除することを提案しています。--らりた会話2022年11月30日 (水) 12:13 (UTC)[返信]