ノート:岩井温泉

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西暦の不一致[編集]

通りすがりの門外漢です。「東源寺」節に「1686年(貞観3年)」とありますが、西暦と和暦が一致していないように思えます。--JapaneseA会話2015年8月2日 (日) 13:13 (UTC)[返信]

  • 当該部の執筆者です。出典を再確認したところ、「1686年(貞3年)」の間違いでした。(なお、出典には西暦・和暦が併記されており、一方から私が算出したもの、というわけではありません。)ご指摘感謝します。--柒月例祭会話2015年9月12日 (土) 08:05 (UTC)[返信]
チェック 修正ありがとうございました。--JapaneseA会話2015年9月12日 (土) 08:06 (UTC)[返信]

改稿に際して[編集]

いくつかの記述を改めました。

  • 「4軒の温泉旅館」に関しては「温泉街」とするにとどめました。昭和15年の文献では明石屋、岩井屋、花屋、越前屋の4軒とあります。1992年の『鳥取県の地名』でも「4軒」とあります。しかし、2015年に現地を確認したところ、3軒しかありませんし、旅館の女将も含めて何人かの現地人に聞いても今は3軒だと言っていました。メインストリート沿いで明らかに「明石屋」「岩井屋」「花屋」の3軒が営業しています(HPもあります)。文化財である元岩井小学校校舎の脇道の奥に、「越前屋」ではない「内湯旅館」の看板があったのですが、営業しているかはわかりませんでした。
  • 銀山があったころは、鉱員でごったがえし、芸者もたくさんいたけども、銀山が閉山になったあとは寂れた、というお話を現地で聞きました。が、出典を示して書くことは現時点ではできません。『岩美町史』のような文献が入手できればあるいは。
  • おそらくですが、「国道9号」はかつて温泉街のど真ん中を通っていただろうと思います。温泉街の真ん中で川を渡り、対岸に抜けていただろうと思いますが、これも現時点では出典がありません。--柒月例祭会話2015年9月12日 (土) 11:10 (UTC)[返信]

軽便鉄道について[編集]

これだけ熱心な鉄道ファンが多い現在の日本語版Wikipediaで、短期間存在しただけのミニ鉄道とはいえ記事がないのはおかしいと思って調べたのですが、もしかし「岩井軽便鉄道」というのは岩井町営軌道のことではないでしょうか。google検索してみても「岩井軽便鉄道」という名前は本記事およびそのコピペ以外に見当たらないので「岩井軽便鉄道」というのは通称であろうと思われます。--Loasa会話2015年9月14日 (月) 14:35 (UTC)[返信]

  • Loasaさんこんにちは。ご指摘ありがとうございます。ご指摘通りで間違いないだろうなと思います。念のため、もう一度出典を確認したうえで修正したいと思います。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 03:14 (UTC)[返信]

報告大きな話で言うと、やはりご指摘通り、岩井軽便鉄道=岩井町営軌道で間違いないでしょう。

  • 細かい話で言うと、名称がいろいろあってどうしたらいいかという感じです。結論は鉄道分野の方に委ねたいと思います。
  • 岩井町営軌道のほうには、この名称を裏付ける出典が事実上ありません。
  • 『鳥取県大百科事典』には「岩井軽便鉄道」という単独記事があります。
  • 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』には「岩井鉄道」という単独記事があります。
  • 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』では“町営の軽便鉄道岩井軌道”と表現しています。
  • 岩井町営軌道では国会図書館のデジタルコレクションが数点示されています。
  • 大正10年「岩井村営自動車軌道」
  • 大正14年「岩井軌道(岩井村営)」
  • 昭和10年「岩井軌道(岩井町営)」
  • 「岩井町営軌道」という表現は、外部リンクの個人サイトでしか示されていません。技術的な理由は不明ですが、私の環境ではそのブログを読めませんでした。個人サイトとはいえ、ブログ主さんは鉄道雑誌の編集長で、単独記事になっている方なので、鉄道分野では権威を有するのでしょう。
  • 「正式名称」でいうならたぶん国会図書館の出典を採用だし、その正式名称が何度か変わっていることを考えると「岩井鉄道」とか「岩井軽便鉄道」という記事名も悪くはないと、個人的には思います。まあ、今のままの記事名でも別に悪くはないとも思います。
もののついでで、いろいろ眺めているうちに小さなミスをみつけたり、芋づる式でいろいろ発見があって楽しかったです。ご指摘感謝します。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 12:53 (UTC)[返信]
岩井町営軌道がウォッチに入っていたので。とりあえず鉄道雑誌の編集長のブログを提示しておきます岩井町営軌道跡を訪ねる。(上),岩井町営軌道跡を訪ねる。(下)--Tamrono157会話2015年9月17日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
おお、ありがとうございます!
せっかくなのでお尋ねしたいのですが、このブログを出典として示すことは、鉄道分野の執筆者さんの感覚として、OKでしょうか?
私は普段はブログを出典にすることはあまりないのですが、Wikipedia:信頼できる情報源では、「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合」には、「OKかもしれない」ということになっていて、この方のブログはまさにそれに該当しそうだな、と感じるのですが、どんなもんでしょう?(無理なら無理なりにできます)--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 15:07 (UTC)[返信]
  • 温泉はともかく鉄道について詳細なことを書くつもりなら、出典として百科事典の類は不向きだと思います。『鉄道ファン』(交友社)の通巻397・398・399号(1994年5,6,7月号)に岩井町営軌道の詳細な研究記事が掲載されているようです。アクセス困難かもしれませんが、これ以上詳細に書くのなら同記事を参考にするのが一番よいと思います。--Loasa会話2015年9月17日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
ブログ主である名取紀之氏は著作もあり研究者としても著名な方ですので私は問題ないとおもいます。ほとんど廃線跡探訪記のようですが。実はブログにでている鉄道ファンの掲載記事が現在に至るまで唯一の岩井町営軌道に関する論文でして、他に車両についてくわしく書かれているものがあるだけです。そのため私は正直食指が動かなかったのですけど--Tamrono157会話2015年9月17日 (木) 16:09 (UTC)[返信]
お二方ともありがとうございます。詳しくはのちほどノート:岩井町営軌道のほうに記します。
Loasaさんのおっしゃることはもっともです、たぶんですが、私が書こうとしていることは「鉄道そのものの詳しいこと」ではなく、「鉄道によって地域におきたこと」みたいになると思います。使っている出典がそういうものですし、私の関心ももっぱらそちらですし、なにより鉄道そのものについて詳しくかける知識も能力もないです。仮に鉄道そのものの詳細な文献を手にしても、何が書いてあるかちんぷんかんぷんの予感。『鉄道ファン』誌は本屋さんでパラパラと眺めたことはあるのですが、かなり硬派な本格的なもの、という印象でして、それが3号もかけて詳述しているとなると、読んでも意味がわからない予感で胸がいっぱいです。(もちろんチャンスが有れば興味はあるのですが・・・)
いちおう弁解しておくと、『鳥取県大百科』は「鳥取県」に特化した1200ページコースのものでして全て署名記事で、執筆者は鳥取の大学などの学識者です。鉄道に詳しい方からすると不満足かもしれないのですが、地域史の文献としてはなかなかいけるのではないか、と思っています。名取氏のブログでは『鉄道ファン』の1994年記事が出るまでは詳細が不明だった、とあるのですが、『鳥取県大百科』や『日本地名大辞典』はそれに10年以上先立つものです。もしかして鉄道系の方々には知られていなかったかもしれないが、地域系の分野ではよく知られていた、という可能性もあるようにも思います。1982年とか1994年頃ではインターネットもありませんでしたから、畑違いの情報を検索するなんて不可能でしたし。
能書きはともかく、具体的にはノート:岩井町営軌道で。細かいレベルですが疑問点もいくつか出てきています。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:04 (UTC)[返信]
(追記)事情が変わりました(笑)。『鉄道ファン』にアクセスします。ただ、ちょっと時間がかかります。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 17:55 (UTC)[返信]