ノート:押野村

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押野村に「大字」を冠した集落があったのか? 無かったはずです[編集]

ここが投稿すべき場所かどうか分からないのですが、各位にはご検討下さるようお願いします。

表ページの歴史の節1956年(昭和31年)の項に、「大字」が廃止されたとあります。「石川県押野村史」(昭和39年)の118pに、『これまでの村を字(あざ)とし、「押野」「押越」「野代」「八日市」「御経塚」「八日市出」「八日市新保」「森戸」「矢木」「矢木荒屋」「太郎田」の11字(あざ)からなる押野村として第一歩を踏み出したのである。』とあります。大字(おおあざ)についてはどこにも記述がありません。押野村史の編集委員には、当時の押野村の住人や有力者、五大学会の学識者などが名を連ねており、上記の記述には間違いはないと思われます。実際に、同村史の中で「明治23年7月 石川郡押野村字御経塚 65名連署」(211p)や、「石川郡押野村字森戸小作同意者」(213p)など、字(あざ)付きで書状の差出人名が登場していますが、大字(おおあざ)は見当たりません。 また、「押野、その歩みと流れ」(平成2年 金沢市押野公民館発行)は、押野村で生まれ、青壮年期を押野村で過ごした人々が執筆者ですが、同書中でも押野村の「字(あざ)」については「石川県押野村史」の記述をそのまま引用しています(39p)。 「大字」の記述は、「字」に訂正すべきと考えますが、各位のご意見を賜りたいと存じます。 --野路耿一会話2021年3月19日 (金) 13:06 (UTC) [1] [2][返信]

以上を書き終えてから、決定的な事を知りました ウィキソースに町の区域設定の届出 (昭和31年石川県告示第23号)の原文があり、そこには大字が無かったことが明記されています。 --野路耿一会話2021年3月20日 (土) 06:14 (UTC)[返信]

  1. ^ 石川県押野村史、昭和39年(1964年)、編集:高堀勝喜、発行:石川県石川郡押野村史編集委員会
  2. ^ 押野、その歩みと流れ、平成2年(1990年)、発行:金沢市押野公民館