ノート:日本統治時代の朝鮮人徴用/過去ログ1

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「日本人拉致問題」は、主題である「朝鮮人強制連行」と関係が薄いので短くします。

「日本人拉致問題」は、主題である「朝鮮人強制連行」とはほとんど無関係なので、短くします。(まったく無関係ではないが)--やましたやすひろ会話2013年7月30日 (火) 03:03 (UTC)

関係はあります。拉致問題を認めたあとに「朝鮮人強制連行」の新説を発表したわけですから。短くするのは(短くし具合によりますが)かまいませんが、サブ節の区切りをなくすだけでかなり「短く」はなりますよ。--210.234.18.108 2013年7月30日 (火) 10:57 (UTC)

ほとんど関係ない。無意味な編集をしないでいただきたい。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 16:45 (UTC)

強制連行とほとんど関係ない部分

  • 日本人拉致問題と朝鮮人強制連行
  • 日朝首脳会談による北朝鮮の謝罪

1970年代から80年代にかけて多数の日本人が拉致され行方不明になっていた一連の事件について北朝鮮政府の関与が問題視されてきたなか、2002年9月17日に行われた小泉純一郎金正日による日朝首脳会談で、北朝鮮側が正式に日本人拉致事案を認めて謝罪した。

  • 拉致問題と対北朝鮮世論の変化
それまでは日本人拉致について朝鮮総連は事実無根のでっちあげと主張し<ref朝日新聞東京31面 2001-10-3</ref、旧社会党社民党民主党などもそれに同調、 東京大学教授の和田春樹も拉致の断定はできないと主張したり<ref『世界』2001年1月および2月号「『日本人拉致疑惑』検証する」</ref、日弁連会長の土屋公献にいたっては「拉致問題は存在しない」と主張するなどしてきた<ref朝鮮時報 2001年4月13日</ref。しかし、日朝首脳会談で北朝鮮自身が認めたことで、拉致問題を捏造と主張していた人々は事実認識の誤りを訂正して謝罪を迫られる状況になり、日本や韓国で世論が変化し、北朝鮮への非難が増加していった。金時鐘は「植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなった」<ref部落解放2003年1月</ref「拉致事件に対置して『過去の清算』を言い立てることがいかに、冒してはならない民族受難を穢すことであるかを私たちはこころして知らねばならない」と述べた<ref金時鐘「わが生と詩」(岩波書店2004)pp144</ref。

--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 17:56 (UTC)

事典節

事典、辞書が冒頭に来ていますが、やはり情報の羅列であって、冒頭の導入部分としては不適切でしょう。「概要」節のなかに組み込みましょう。--210.234.18.108 2013年7月30日 (火) 10:51 (UTC)

理由が意味不明である。このwikipedia自体が「情報の羅列」である。3次資料である辞典・辞書の内容は、高度にまとまっており、複数の研究の成果である。最初にもって来るのが当然である。またこれはこの分割の際の条件である。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 16:50 (UTC)

「朝鮮人強制連行に関する論文」節の組み込み

「朝鮮人強制連行に関する論文」節ですが、これらは当時の実態に関するものなので、「歴史」節のしかるべき場所に組み込む方がいいでしょう。「批判」節のなかの、事実に関するもの(すなわち、意見や解釈の度合いの少ないものなど)も同様に組み込むといいと思います。--210.234.18.108 2013年7月30日 (火) 10:54 (UTC)

>「批判」節のなかの、事実に関するもの<とはどの部分の事か具体的によろしく--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 18:10 (UTC)

概要冒頭文

やました氏が意味もなく短縮していたいので復帰[1]。冒頭文を「批判」節に移動するのは無意味。冒頭文になにが足りないのか、書き足したかったこと(裁判関係のことか?)はなにか明示したうえで、議論に応じてください。--210.234.18.108 2013年7月30日 (火) 13:32 (UTC)

  • 冒頭部分なので、簡潔に全体を説明する必要があるでしょう。「・・・批判も多数ある」「・・・が批判している」と重複して書いており、また「批判も多数ある」と書いた出典はどこにあるのか?「多数ある」と言っても、数冊しかないし、歴史学者が書いたものは皆無です。(名称に対する考察と批判はあっても「強制連行(強制的労働動員)があった事を否定するようなものは無い)
  • これに対して、強制連行の内容を研究した論文、著作は数百は存在しており、それがメインになる事はいうまでもないでしょう。

IP氏は批判する著作ばかり読んでいるようですが。

  • 私は批判も必要だと考えていますが、冒頭で書くようなことでもないでしょう。

この問題は、教科書問題とともに歴史論争、政治論争のテーマになっている。強制連行という言葉の概念が統一されないまま議論される事を危惧する声は朴慶植の頃からあったが[9]:45、政治的な論争の渦中で、「強制連行」の概念に対する批判も多数ある(強制連行#概念・定義参照)。

また、在日韓国・朝鮮人が「強制連行」の被害者であると主張されることが、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)以降なされるが、これについては鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書2004年)が批判している。

は何を出典としているのか?まさかウィキの記事を出典としているわけではないでしょう。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 18:42 (UTC)

  • さて、鄭大均の『在日・強制連行の神話』ですが
  • 「朝鮮人強制連行の記録」には
「一九四五年八月一五日・・・・・朝鮮人労働者は懐しい故国に向って先を争って帰国した。・・・・こうして八月一五日から一一月三○日までに自発的、集団的帰国者五二万五、○○○名を数えた。」(p98)

と書かれている。 大多数が帰国したのであり、この事は金賛汀の『証言 朝鮮人強制連行』(1975)でも、

進駐米軍も、朝鮮人強制連行者を帰国させる以外にこの混乱を収拾する方法がないことを認め、彼らの帰国が再開された。・・・強制連行者の多くは、この時期に帰国した。」(p121~122)
  • と書かれている。つまり鄭大均が書く「強制連行の神話」とは何か、さっぱり分からない。個人的には、参考にさえならない文献だが。
  • しかしまあ歴史学者でもない鄭大均が『証言 朝鮮人強制連行』を批判したのは確かだから、本文の中で言及すべきだが、冒頭部分にもってくる必要など無いだろう。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 18:59 (UTC)

誰も否認していない

やました氏の編集をみていて、裁判での事実認定などを書きたいのかもしれませんが、やました氏が根本的に理解されていないだろうことは、「強制連行の批判」は「強制連行の否認」ではないということです。「強制的な徴用や斡旋、または過酷な労働環境があった」のは事実でしょう。しかしそれを「強制連行」という概念で説明するのはどうかというのが金英達、鄭大均や木村幹らの見解であり、強制性の事例があったということを否認したものはほとんどないでしょう。--210.234.18.108 2013年7月30日 (火) 13:38 (UTC)

  • 「強制連行」に関する調査や歴史学者の著作、歴史学以外の著作は山のようにあるという事だ。はっきり言えば数百冊は存在しており、研究雑誌に掲載されただけの論文を加えれば、膨大な数になる。しかし、その全てをここに掲載する気はない。
  • 一方「強制連行」に対する批判の著作はほんの数冊であり、そのほとんどが「強制連行批判」ではなく「現在の在日が強制連行の子孫である」という説への批判である。
  • 田中明や小倉紀蔵は、そういう批判だろう。
  • ところで、この「現在の在日が強制連行の子孫である」という考えは、ごく少数だが確かに存在していた。しかし、「強制連行」を研究した著作物にはおそらく一つも登場していないだろう。
  • これらはちゃんと整理する必要がある。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 10:38 (UTC)
加筆は大歓迎ですが、研究の発表された年代というのも注意されれば、と思います。現在は入手しやすい外村大氏の新書もありますから、まずはそこから基本的な情報(最新の研究情報)を紹介することで「整理」されればいいのでは。(もちろん、むかしの研究だから掲載されてはならないというわけではありませんが)あるいは「研究史」という節をつくって、年代順にまとめるのも可能でしょう。ただ、研究の紹介は、私が新設した「労働現場の実態と事例」のように、当時の実情の諸相については本文として記載された方が、研究の羅列よりも好ましいでしょう。
おっしゃるように「現在の在日が強制連行の子孫である」説への批判が多いですね。それもすでに記事には書かれていますが。ただし、金英達、鄭大均や木村幹らの批判と見解は「強制連行」の概念そのもの、およびその適用に関する批判であるし、この三人以外の批判のなかにもそこに踏み込んでいる批判もあります。--210.234.18.108 2013年7月31日 (水) 12:42 (UTC)

題名を考えるべきでしょう。以前指摘しましたが、「「強制連行」への批判」と「「現在の在日が強制連行の子孫であるという説への批判」は、違うものなのでそれぞれ分離すべきでしょう。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 18:13 (UTC)

出典を欠落させないように

IP氏は記事を移動させる度に出典を無くさないようにしてください。すでにこれは以前に指摘しているはずです。出典が分からないなら質問してから、移動させればいいでしょう。

  • (例)
君島和彦は「こうした戦時強制連行については、抵抗運動があった」と書き、遠藤公司の『戦時下の朝鮮人労働者連行政策の展開と労資関係』[46]や山田昭次の『朝鮮人強制連行研究をめぐる若干の問題』[47]を参考文献に挙げている。

君島がいつどこでこれを書いたのか?元の記事にはあったものがいつの間にか欠落している。--やましたやすひろ会話2013年7月31日 (水) 18:07 (UTC)

検証可能な出典をお願いします

  • 朝鮮人強制連行#労働現場の実態と事例における
  • >勤労奉仕隊は無給だったが、朝鮮人労務者は賃金報酬があり、1日に白米7合、他に麦やトウモロコシなどが配給されるという破格の待遇であった<

ですが、この文章の出典は、

  • 「大本営犠牲者追悼碑を守る会記者会見 ”松代大本営の朝鮮人労働者への食料配布は1日7合と判明”.」

になっています。

池田信夫ブログ出典による「616万人」説

  • 池田信夫は、「国家総動員法にもとづいて国民徴用令が出され、616万人が軍需工場などに徴用された」という新説を書いている。<ref「韓国はなぜ男性の「強制労働」を問題にしないのか」2013年05月21日http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51857067.html</ref

というNobunaganoyabou 氏の編集ですが、確かに池田信夫は「616万人」という具体的な数字を上げていますが、まったく根拠を述べておらず不適当です。そもそも池田信夫は歴史学者ではなく経済関係の専門家であり、「強制連行」の著作などもなく、ただ有名人がブログに書いたというだけで、出典とする事は問題がある。この事はすでに「ノート:強制連行#池田信夫のブログは出典として妥当か?」で言及している。--やましたやすひろ会話2013年8月1日 (木) 15:59 (UTC)

冒頭部分の文章

>また、在日韓国・朝鮮人の日本への渡航理由ともされるが、「強制連行」の意味と実態については研究者間で争点ともなっている。<

ですが、出典もなく「日本への渡航理由ともされるが、「強制連行」の意味と実態については研究者間で争点ともなっている」という文章は意味が通らないので書き換えます。--やましたやすひろ会話2013年8月1日 (木) 17:46 (UTC)

強制連行とまったく関係ない記事です、大村収容所事件には出典がみあたらない

>韓国による在日朝鮮人密入国者送還拒否[編集] 1952年5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国に強制送還したが、韓国政府は125人の引き取りを拒否し日本に送り返したため、逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は収容所からの即時釈放を要求、これに在日朝鮮統一民主戦線が同調して「逆送還者奪還闘争」が開始され、1952年11月11日には暴動が発生した(大村収容所事件)。 1955年(昭和30年)12月8日の第23回国会衆議院法務委員会では、韓国は日本政府が摘発した密入国者や犯罪者の送還を拒否し、さらにこれらを日本国内で釈放し居住させるよう要求していたことが明かされた[67]。同会議で入国管理局長内田藤雄は、当時日本の刑務所にいる犯罪者約6万の1割が朝鮮人であり、凶悪な犯罪者は出入国管理令二十四条第四項リ号に基づき退去強制したが、韓国政府が「戦前からいる朝鮮人は日本に永住権があり、日本が一方的に退去強制するのは妥当でない」として引き取りに応じないため収容が長期化していると語った[67]。当時、通常の国家であれば一月以内に相手国が引き取るので収容生活は短期で済んだ[67]。また、李承晩ラインを超えたとして拿捕抑留された日本人漁民を韓国は引き渡さないという背景もあるなか、韓国は日本人漁民の釈放と引き換えに朝鮮人犯罪者を釈放せよと要請した[67]。内田入国管理局長は「こういうことで一歩退いて一つの既成事実を作られますと、それを種にして将来非常に悪い朝鮮人でも退去させることができない、実際上これらの者に対する管理行政上非常な支障を来たすおそれがある」ので、当局としては反対すると答弁した[67]。<--やましたやすひろ会話2013年8月1日 (木) 18:09 (UTC)

宣伝(プロパガンダ)」を行う<などと書くのは間違いだろう

このような中、韓国や在日韓国人が「在日コリアンの大部分は第二次世界大戦に日本が強制的に労働させるために連れて来たという宣伝(プロパガンダ)」を行うようになり、外務省は#朝鮮人渡来等に関する外務省発表(1959) を発表するにいたる[67]。<強制連行#戦後
  • だが、
  • 外村には「宣伝(プロパガンダ)」を行う」などという文言はないし、そう解釈できるような記述もない。
  • 出典となっている「外村大「在日コリアンと強制連行―1959年発表の「外務省資料」をめぐる議論に関連して―」には、
念のために付け加えておけば、このような"在日コリアンの大部分は強制連行で日本にやってきた"といった主張が民族団体や在日コリアンの間で現在も大々的に行われているわけではない。"

と書いている。--やましたやすひろ会話2013年8月1日 (木) 19:16 (UTC)

出典のページ番号の記入をお願いします

1944年12月に広島市の東洋工業に徴用されたある徴用工は、月給140円という高給を受け、なまこやあわびを食べ酒を飲んで宴会をするなど食生活も豊かだった。工場勤務も厳しいノルマなどなく、日本人の女工達と楽しく過ごしていた。夜には寄宿舎から外出して、日本人の戦争未亡人と愛人関係になっていた
また、1945年3月に大阪府の吉年可鏻鋳鉄工場に徴用された別の徴用工は、徴用工の隊長とケンカで殴り合いを繰り返し、宿場を抜け出し鉄道で東京の立川へ行き、「自由労働者」として働いた。朝鮮人の親方の飯場で雇われ、半日仕事で日給15円もらった。仕事を休み東京見物もしていた。さらに別の飯場に移ると日給20円に上がった

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月18日 (日) 09:21 (UTC)

  • 西岡力 『正論』2015年9月号
西岡力は、朝鮮人徴用工自身が書いた手記を元に、朝鮮人徴用工の待遇は良かったとしている

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:35 (UTC)

まず手始めに鄭忠海『朝鮮人徴用工の手記』を読んでみました。ぼやきっくりさんの引用は正確です。ただ、ウィキペディアへの転記の仕方が不正確だったようです。ある徴用工というのは同書の著者鄭忠海さん (智山さん)なのですが、なまこやあわびを食べていたのは鄭さん本人ではなく、他の人々です。鄭さんたちの宿舎の食堂では牡蠣が良く出されたようですが。また、鄭さん本人は「愛人関係」という言葉を使用していませんが、岡田和江さんとは男女の関係にあったというのは文面から読み取れます (鄭さんの妄想でなければ)。それと、見出しが「待遇」となってしまっているのですが、これだとすべての半島応徴士の待遇が良かったかのような印象をもたれてしまうかもしれませんので、「待遇がよかった例」あたりにしておいたほうがいいのではないかと考えます。鄭さんのケースは、あくまでも「いい待遇」の例なのではないかと思います。鄭さんは岡田さんの御蔭だったと繰り返し書いていますが、大阪に派遣されたときには食べ物に困ったようで、待遇はその土地土地の事情や事業所の方針などに左右された感じを受けました。これらの例だけをもって見出しを「待遇」にしてしまうのは、(徴用と戦時性暴力と比較するわけではないので、適切な例かどうかはわかりませんが) 例えば、ソ連軍の満洲侵攻 (記事は無いみたいですね)で、大西敦子さんの『ソ連軍が満州に侵入した日―日本軍女子職員が見たソ連兵士たち』 (作話じゃないかと思ったくらいラッキーな例)だけをソースとして使用して書いたうえで、その見出しを「日本人女性の待遇」としてしまうようなものではないかと感じました。そもそも、鄭さんは、強制連行されたのかという疑問がありまして、半島応徴士 (朝鮮応徴士とも)のエピソードを朝鮮人強制連行という記事で使用していいものなのでしょうか? Takabeg会話2015年10月26日 (月) 04:43 (UTC)

出典の記入をお願いします

西岡力は、これらの手記は、戦後補償を求める運動が韓国で本格化するずっと以前に書かれたものである点で史料価値が高いとしている。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月18日 (日) 09:09 (UTC)

「でしょう」ということは推測でしょうか?「正論」のページ番号記入をお願いします。--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月20日 (火) 10:42 (UTC)

利用者:番組の途中ですが名無しですさんへ。まず、Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱いを読んでみてください。本件に関しては、巻数が間違っていたり、ページ番号がなかったりして、利用者自身が検証していない可能性が大であるため、お気持ちは解らないでもありませんが、ノートで指摘してすぐに削除というのは乱暴な行為であると考えます。差し戻しておきますので、{{要ページ番号}}や{{要検証}}などを添付して、ご自身でもソースをあたりながら、しばらく待ってみてください。なお、「金山正捐ノ手記」を含む「逃亡セル集団移入半島徴用工員ノ諸行動二関スル件」は、第4巻ではなくて、『在日朝鮮人関係資料集成 第5巻』 (1976年に三一書房から出たやつ。戦後編 第5巻というのもあるので注意してください)に掲載されています。今は現物が手許にありませんので、google books で覗き見したところ、当該箇所は50ページに書かれているようです。おそらく、ネット上のブログ (ぼやきっくりさんとか)から転記したため、間違いも間違いのままコピーしてしまったのだと思います。Takabeg会話2015年10月20日 (火) 13:39 (UTC)

ノートに書き残しておけば記述を除去しても後で出典やページ番号を見つけて記載することができます。他の利用者を考慮してのことであり、乱暴ではありません。出典の揃っていない記述をすぐに除去することもルール上問題ありません。--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月21日 (水) 10:24 (UTC)

巻数の件は完全に西岡力さんのミスでした。ぼやきっくりさん、ごめんなさい。『在日朝鮮人関係資料集成 第5巻』の現物を確認したら、ありました。西岡力さんは、『日韓「歴史問題」の真実』PHP研究所、2005年6月6日、の60頁にも『在日朝鮮人関係資料集成 第四巻』と書いていて、『正論』の論文「歴史戦争の認識なき外務省がもたらす禍根―「戦時徴用工」と第二の「慰安婦」にしてはならぬ」の150頁のところにも、第四巻と書かれています。同論文は『日韓「歴史問題」の真実』の要約みたいな仕立になっているので、チェックを怠ったのではないかと思います。それと、論文の「待遇」がらみのところの小見出しは「かなりの高待遇も」 (というのがミソです)となっています。全員が高待遇というニュアンスではないですね。Takabeg会話2015年11月11日 (水) 12:15 (UTC)

花蝶風月雪月花警部へ

私が記述したのは、「『現在の在日は強制連行の子孫』説への批判」の項目ですよ。木村光彦氏は、戦後共産党員は密出入国を繰り返し、済州島四・三事件・麗水・順天事件以後の政治状態の不穏状態から、朝鮮人数十万人が密入国して、在日は「潜水艦に乗ってきた」と言うのは、密入国してきたことを意味していると言っているんですよ。また野口裕之氏は、済州島四・三事件以後、膨大な数の難民が日本に逃れ、そのまま居座った非合法・合法の人々が在日と言っているんですよ。つまり在日は戦後に密入国して来た人々と言っているんで、まさに「『現在の在日は強制連行の子孫』説への批判」になっている--101に拘る男会話2017年3月5日 (日) 13:42 (UTC)

コメント 文章を読む限り、前者は戦後の朝鮮人の密入国、後者は済州島四・三事件・麗水・順天事件への言及だが、いずれの出典も「現在の在日は強制連行の子孫」説には言及していない。--花蝶風月雪月花警部会話2017年3月5日 (日) 14:52 (UTC)

考えてみると、済州島四・三事件、麗水・順天事件、在日韓国・朝鮮人の項目が適当なので移動することとした。--101に拘る男会話2017年4月24日 (月) 19:33 (UTC)

タイトル変更議論

朝鮮人の強制連行ではなくて

「日本統治時代の朝鮮人徴用 」

のが適切だと思います。下でわざわざ 徴用を「強制連行」と呼ぶことに異論があるのだから、よりこの表現のが中立的です。 日本統治時代の朝鮮というページもありますし適切だと思うですが Jougosui会話2017年8月3日 (木) 16:59 (UTC)

もう少しで一週間ですが他に意見は無いのでしょうか?Jougosui会話2017年8月8日 (火) 03:34 (UTC)

削除依頼が出てますが、タイトルに関しても「日本統治時代の朝鮮人徴用」ではなく、「日本統治時代の朝鮮における朝鮮人徴用」くらいにしないと意味が通らないのではないでしょうか。--ロリ会話2018年11月6日 (火) 13:42 (UTC)
「徴用」がタイトルでは、「徴用」開始(1944.9)以前の労務動員募集による諸形態(個別渡航(1938-40)、集団渡航(1939-42)、官斡旋(1942-45))や軍用員の動員(兵力動員)を含まないので反対。下節でも問題提起しています。--Dalaibaatur会話2020年8月14日 (金) 06:37 (UTC)

日本植民地時代の朝鮮人労務者動員

植民地であり労働力としとて募集、官斡旋、徴用という三形態により、拉致誘拐を含む強制、苛酷な環境、賃金未払い、暴力による管理という事実を記載すべきであり、事実と離れた学者たちの文書は 記載する必要はありません。 Osamu angel会話2020年8月1日 (土) 08:11 (UTC)

トークページ参照。 -- ansui*.T/C 2020年8月1日 (土) 08:13 (UTC)
「募集、官斡旋、徴用という三形態」とまとめるのは、外村大による間違った要約です。朝鮮半島に対する日本の戦時動員は、募集徴用の2形式です。官斡旋は1942年から1945年まで行われた募集の1形式です。--Dalaibaatur会話2020年8月6日 (木) 19:45 (UTC)