ノート:日達

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外部リンクについて[編集]

「以下は根拠のない邪推によるものが多い」との記述がありましたが、これは「意見」であり、事実ではありません。百科事典的記述にはそぐわないと思われますので削除しました。「意見を書くな、事実を書け」Tetralemma 2005年9月10日 (土) 16:01 (UTC)[返信]

「血脈相承」について[編集]

いくつかの記事に、矛盾した点があることに気づきました。 私の見つけた範囲で引用します。

■[日達] の「略歴」項目 「1978年(昭和53年)4月15日、76歳の誕生日に第67世日顕に「血脈相承」の内証を付したとされる。しかし、創価学会、正信会僧侶を中心に、内証の確証はないという声も存在している。」

■[日達] の「本尊謹刻の認可を失念」項目 「その年に日達は後継法主を指名することなく急死した。」

■[日顕] の「略歴」の項目 「1978年(昭和53年)4月15日 - 66世日達より血脈相承の内付を受ける。(66世日達は日顕への付嘱を済ませたことを、側近の菅野慈雲師(現・常観院日龍能化)、長男・細井珪道師らに口頭で伝えている。)」

■[創価学会] の「沿革」内「1970年代」の項目 「5月3日 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに日達の不始末に起因する一連の宗門問題が終結する。直後に日達は次期法主を指名することなく急逝。」

■[血脈相承 (日蓮正宗)] の「概要」内「日蓮正宗教団での位置付け」の項目 「血脈相承は時と場合により、当分の間は公表しない内証形式がとられることがある。過去には3祖日目から4世日道へ、66世日達から67世日顕への相承が内証形式で行われたとされるが、日顕への相承については否定する者もいる。」 等、[血脈相承 (日蓮正宗)]記事内では全文にわたり上記[日達]、[日顕]、[創価学会]記事内での文面同士の矛盾点について説明を行う記事。


これらの状態から、日蓮正宗と創価学会との間にて、この部分がひとつの争点になっているように感じます。特に[創価学会]は編集合戦となりやすいようなのでこのwikipediaプロジェクトの性格上、ことさら中立的に表現する必要性を感じていますので、いつもざっと見ていただけでしたがここにノートを書くためIDを取得してみました。 どちらに分がある等の話ではなく、それぞれの記事に簡単な説明と[血脈相承 (日蓮正宗)]へのリンクを付ける必要があるのではないかと思いました。また断定的に書かれている部分については修正が必要ではないかとも思っています。 以下にその追加説明文の案を記述しますので、議論していただければ幸いです。

「なお、血脈相承の有無については、日蓮正宗の主張と創価学会の主張が異なっているため、[血脈相承 (日蓮正宗)]の項目にその相違点が記載されており、参照されたい。」

以上よろしくお願いいたします。--S888 2009年10月12日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

いろいろ気になったので資料を入手しました。 上記の文では「当事者」の日蓮正宗と「部外者」の創価学会を同列にしすぎているような気がしますし、異なる主張は他宗派についても同様ですので自己修正します。なお公式表明については「富士年表」(平成20年3月28日 増訂版 日蓮正宗宗務院発行)に「4.15 日達 法を日顕に内付す」とあり、当時の公式発表は「大日蓮403号」にて行われた旨が記載されていました。

「なお、血脈相承の有無については、日蓮正宗の公式表明と創価学会やその他宗派の主張は異なっているため、[血脈相承 (日蓮正宗)]の項目にその相違点が記載されており、参照されたい。」

以上よろしくお願いします。--S888 2009年10月13日 (火) 22:52 (UTC)[返信]

顕正会に関する記述は日達に関係ある部分だけにすべきではないか? 詳細はそれこそ顕正会の記事を見ればいい話であるし、日達死後のことまで書いてるのとか変でしょ。異論なきようなら暫くしてから編集します。岸本元--121.101.97.156 2013年4月30日 (火) 21:04 (UTC)[返信]

1ヶ月経っても異論なきようなので編集しました。どうしても日達の項目に顕正会のことを詳しく書きたいのなら、例えば破門に至る経緯などを日達をメインに書くことなどすべきだが、そうする気もなく、ダラダラと妙信講結成期から日達死後まで書いているのは大変煩わしい。岸本元--111.216.73.216 2013年6月1日 (土) 02:02 (UTC)[返信]