ノート:末松謙澄

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徴兵忌避の件[編集]

「徴兵忌避者」という記述について調べてみましたが、「伊藤博文」(無可有郷主人、明29)の記述[1]あたりがネタ元かと思います(明治八年…伊藤の推挙に由りて太政官御用掛を命ぜられ(当時の法、官吏は総て徴兵を免る)…云々)。しかし、これだけだと、当時の官吏は皆徴兵忌避者ってことになるんでしょうか? ちょっとそぐわない感じがしました。 --忠太会話2014年8月25日 (月) 12:40 (UTC)[返信]

出典は明記してありますが、一応説明します。出典には第二部第四話に徴兵忌避と蒸発という項目があり、徴兵拒否の実例が挙げられております。そこには『名士の徴兵』として政友会総裁、ついで末松、その他高名な人物について説明があります。末松について「これも徴兵忌避者であって」と明記されており、当時末松が勤務していた新聞が末松が代人料を県庁に納めようとした云々と記事にしておりおります。したがって仰る本はネタ元ではありません。著者の松下は徴兵制の専門家(学位論文のタイトルをご確認ください)です。なおこれ以上の議論が必要であれば、明記している出典を確認のうえでお願いします。--Stingfield会話2014年8月26日 (火) 14:03 (UTC)[返信]
丁寧なご教示ありがとうございます。出典を確認してみます。 --忠太会話2014年8月29日 (金) 12:38 (UTC)[返信]
松下氏の著作を確認しました。「当時末松が勤務していた新聞が末松が代人料を県庁に納めようとした云々と記事にしており」ということから、徴兵忌避を目論んでいた、とは言えると思います。ただ、太政官に雇われたこととの因果関係が今一つ明瞭ではないように感じました。例えば、Aという人がBを憎んでおり、知合いに「あいつを殺してやりたい」と言っていたところ、しばらく経ってBの変死体が発見された、とします。真っ先にAが疑われるのはやむをえないでしょうが、その発言(状況証拠)だけをもって真犯人と決めつける訳にはいかないでしょう。
本文中では、まして何の説明もなしに、いきなり「徴兵忌避者」と断定されていますので、違和感を覚えた次第です。 --忠太会話2014年9月12日 (金) 14:25 (UTC)[返信]