ノート:橘木・大竹論争

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この記事の特筆性について[編集]

2012年1月29日 (日) 22:40‎ のIP氏による編集で「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけで「論争」でもないし「橘木・大竹論争」という用語自体が執筆者の造語な気もします」という要約欄のコメンとともに特筆性のテンプレートが貼られました。初版作成者として、この記事に特筆性があると判断した理由を説明します。

まず、典拠として示している大阪市立大学の報告書(記述がある当該箇所へのリンクに改めました)や、まとめサイトで「橘木ー大竹論争」ないし「橘木-大竹論争」が表現として見られるので、「「橘木・大竹論争」という用語自体が執筆者の造語」というご指摘は誤解です。そこでは「経済学の分野では、「橘木-大竹論争」と呼ばれる議論があった」と述べられていますので、そう呼ばれる論争があったこと、あるいはIP氏の言う「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけ」のことを「論争」が呼ばれたことは、信頼のおける典拠に記されていると判断しています。

その上で、やはり典拠としている前市岡論文でも、「近年注目を集めている「経済格差論争」の中にあって、橘木俊詔京都大学教授と大竹文雄大阪大学教授は中心的な役割を演じている。」と述べているように、経済格差をめぐる議論の中で両者の「論争」ないし「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘し」たことは特筆性のある重要なことであったと考えます。

また、両者のやりとりは著作だけをみれば表示されている3冊となり、「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけ」と見えますが、実際には論文のやりとりや学会での議論なども交えられており、単純に「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけ」と総括するのはいささか危ういように思います。

なお、記事名については、今、考え直して見ると、厳密にいえば、ウィキペディアの記事名称のルールに照らせば「橘木=大竹論争」とした方が望ましかったかもしれません。そういう意味でのご指摘であれば、そちらへの改称に敢えて反対はしません。--山田晴通 2012年1月30日 (月) 07:31 (UTC)[返信]

特筆性テンプレートが貼られ、初版作成者の立場からこちらに特筆性についての説明をしてから1年以上が経過しました。特にご反論もなく、また、特筆性を理由とした削除依頼等も提起されておりませんので、テンプレートを除去します。--山田晴通会話2013年2月19日 (火) 08:49 (UTC)[返信]

大竹による橘木批判の起点について[編集]

2012年1月30日 (月) 15:44‎ のIP氏による編集で「句読点で文章をごまかしているが、どの論文(あるいはいつの学会発表)のことを示しているのか、あいまいな書き方。」という要約欄のコメンとともに「いつ」のタグが貼られました。

この部分の記述は、直後に示されている文献、大阪市立大学大学院経済学研究科 (2010-03-30). “あとがき” (PDF). 経済格差と経済学 ―異端・都市下層・アジアの視点から― 研究成果報告. 大阪市立大学大学院経済学研究科. http://www.econ.osaka-cu.ac.jp/CREI/seika_report_atogaki.pdf 2012年1月30日閲覧。 が典拠となっていますが、いったん句点が間に入っているためか、典拠のある記述であることが見落とされていたのかもしれません。

この典拠には「経済学の分野では、「橘木-大竹論争」と呼ばれる議論があった。橘木俊詔が...(中略)...貧富の格差が拡大していると論じたのに対し、大竹文雄は、2005 年の『日本の不平等―格差社会の幻想と未来―』(日本経済新聞社)に集成される研究を通じて、 ジニ係数の上昇は、主に高齢化と単身者世帯の増加が原因であり、直ちに所得分配の格差 が増大したと結論することは出来ないと批判した。」と記しており、記事の記述はこれを踏まえたものです。

大竹が『日本の不平等』にまとめる前に、いつ、どのような形態で最初の批判を行なったかは、手元に関連書籍がありませんのですぐには情報を補うことができません。したがって、「いつ」のタグは、今後大竹の主張の初出論文を確認できれば情報を補充して削除します。しかし、この記事の記述として、この「いつ」を明らかにする必要がどこまであるのかは正直なところ疑問にも思います。タグを貼られたIP氏には、なぜ、この箇所でことさら「いつ」を明らかにする必要があるのか、追加的にご説明をいただければありがたく存じます。また、「句読点で文章をごまかしている」とされているのが、どの箇所を指しておっしゃているのか分からないので、こちらも分かりやすくご説明いただければ幸いです。--山田晴通 2012年1月31日 (火) 06:23 (UTC)[返信]

>なぜ、この箇所でことさら「いつ」を明らかにする必要があるのか、追加的にご説明をいただければありがたく存じます。
ある人がある人の論文なり学説の間違いを指摘して終わったことを学問上は「論争」と呼びません。
この点について、"「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけ」と見えますが、実際には論文のやりとりや学会での議論なども交えられており、単純に「大竹さんが橘木氏の間違いを指摘しておわっただけ」と総括するのはいささか危ういように思います。"と書いております。
ところが本文を拝読する限り98年に橘木説が提示された→大竹氏がそれを批判する論文を出し(その論文も含めた書籍として最終的には出版し)た→橘木氏もそれを認めた、という構成になっています。
具体的に大竹氏がいつ橘木氏の論文(説)を批判したのか(さらにそれに対して橘木氏、もしくは橘木氏側がどう再批判するなど「論文のやりとりや学会での議論など」が展開されたのか)を示せないと「実際には論文のやりとりや学会での議論なども交えられて」いるという表現は書き手の脳内妄想の産物に過ぎないと判断されて仕方ないと思いますし(匿名掲示板では普通かもしれませんが、)百科事典の記述の根拠とするのはいささか危ういように思います。--114.22.29.108 2012年1月31日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
さて、上記より山田氏が日頃拘る2週間以上の期間が経過していますが未だ「大竹の主張の初出論文を確認」することができないという解釈でよろしいでしょうか?
大学教員・研究者(専門が何か不明ですが)の末席を汚している立場ならお分かりと思いますが論文を確認するくらい学部生でも1週間あれば必要十分です。この記事を立稿している時点で大竹氏の論文を当然拝見していると思うのですが、その出典になっている論文をさがすのに学部生以上期間がかかっている事に驚きを禁じえません。
なお「記事名については、今、考え直して見ると、厳密にいえば、ウィキペディアの記事名称のルールに照らせば「橘木=大竹論争」とした方が望ましかったかもしれません。」というのも理解不明です。
両氏のやり取りを「論争」と評している経済学者はいませんし、仮にいたとしても極めて稀でしょう。
山田氏と小谷野氏のやりとりを(wikipedia版東大の馬鹿騒ぎと呼ばれることがあっても)「小谷野=山田論争」と表現する学者がいないのと全く同等です。
「論争」などと騒ぎ立てずに岩田・翁論争みたいにきちんとした記事内で言及する「方が望ましかったかもしれません」と言うならまだ理解できますが。--114.22.37.215 2012年3月24日 (土) 12:13 (UTC)[返信]

(インデント戻します)

>「上記より山田氏が日頃拘る2週間以上の期間が経過していますがいまだ「大竹の主張の初出論文を確認」することができないという解釈でよろしいでしょうか?」
この記事の編集のための調査に時間を割いていませんので、その意味で確認はしていません。「できない」の解釈には揺れがあると思いますが、「やろうとしてできなかった」という意味ではなく「2週間以上の期間が経っても着手できていない」という意味であれば、「いまだ「大竹の主張の初出論文を確認」することができないということで間違いありません。
その上で、
  • ある人がある人の論文なり学説の間違いを指摘して終わったことを学問上は「論争」と呼びません。
  • 両氏のやり取りを「論争」と評している経済学者はいませんし、仮にいたとしても極めて稀でしょう。
といった記述は、このまま典拠が示されなければあなたの独自研究、あるいは根拠の示されない憶測に過ぎません。
>「記事名については、今、考え直して見ると、厳密にいえば、ウィキペディアの記事名称のルールに照らせば「橘木=大竹論争」とした方が望ましかったかもしれません。」というのも理解不明です。
この記事は、典拠となる文献があり、そこでの表現は「橘木-大竹論争」となっていました(大阪市立大学大学院経済学研究科 (2010-03-30). “あとがき” (PDF). 経済格差と経済学 ―異端・都市下層・アジアの視点から― 研究成果報告. 大阪市立大学大学院経済学研究科. http://www.econ.osaka-cu.ac.jp/CREI/seika_report_atogaki.pdf 2012年1月30日閲覧。 )。それを踏まえれば、本来ダッシュないしハイフンで結ばれているものなのでイコールに置き換えるという方法がよかったかもしれないという意味で書いたコメントです。ただし、他の誰々対誰々論争については「誰々・誰々論争」という形で記事名がつけられていますので、これはこれでよろしかったのではないかと思います。
いずれにせよウィキペディアは、既存の文献を典拠とし、特に2次文献の記載を重視して記事が執筆されるべきであると考えます。山田が記事の記述の根拠としてるのは、上記の文献であって、「書き手の脳内妄想の産物に過ぎないと判断されて仕方ない」推測などではありません。上記の文献を根拠とすることが不適切であるとお考えなのであれば、それを別の典拠でお示しになって、よりよい記事に編集する、あるいは、改名なり削除を提案するというのが、ウィキペディアにおいてとられるべき行動であると考えます。--山田晴通会話2012年3月24日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

2012年8月4日の編集について[編集]

IP氏によって不適切な編集がなされたと判断し、山田が差し戻しをしたところ、IP氏により「ノートは読みましょう」というコメントともに上記の編集が元に戻されました。編集合戦異なるのは本意ではありませんので、コメント依頼を出した上で、IP氏には、こちらでの議論に参加していただきたいと思います。IP氏の編集には以下の問題が含まれており適切なものではないと考えます。

  • この論争を論争ではないと主張されていたり、これを「俗称」と定義される根拠はIP氏の編集の際に何も提示されていません。これは独自研究であると考えます。
  • 差し戻された現状の編集では、本来は「橘木ー大竹論争」という用語を明確に使用している例である大阪市立大学の報告書が「また一切の反論がなかったため学術上の「論争」という性質のものもなく両氏の上記やり取りを「論争」と解釈している文献は少数である。」という記述の典拠であるよう誤解される可能性が生じるものになっています。
  • また、そもそも一例しか典拠がないことを捉えて「少数である」と断言できるのでしょうか? この「やり取り」について、「論争」という表現を用いずに言及している典拠の例が多数示されるのであれば「「論争」と解釈している文献は少数である。」と言えると思いますが、そのような文献の例は現時点ではまったく示されていません。また、「一切の反論がなかった」というのは何が典拠なのでしょうか?
  • 加えて、「俗称」という表現は、正式名称があるものについて卑俗な通称がある場合に使用されるのが普通ではないでしょうか?

以上、編集合戦をすることは本意ではありませんので、是非こちらできちんと議論していただき、納得できる説明をしていただきたいと考えます。よろしくお願いいたします。--山田晴通会話2012年8月4日 (土) 13:17 (UTC)[返信]

>加えて、「俗称」という表現は、正式名称があるものについて卑俗な通称がある場合に使用されるのが普通ではないでしょうか?
>この論争を論争ではないと主張されていたり、これを「俗称」と定義される根拠はIP氏の編集の際に何も提示されていません。これは独自研究であると考えます。
上記のノートを踏まえれば少なくとも「論争」として文章を結ぶのは不適切でしょう。「俗称」以外に適当な表現があれば直しておきます。
>差し戻された現状の編集では、本来は「橘木ー大竹論争」という用語を明確に使用している例である大阪市立大学の報告書が「また一切の反論がなかったため学術上の「論争」という性質のものもなく両氏の上記やり取りを「論争」と解釈している文献は少数である。」という記述の典拠であるよう誤解される可能性が生じるものになっています。
ご指摘のとおりですので時間があれば修正しておきます。
>また、そもそも一例しか典拠がないことを捉えて「少数である」と断言できるのでしょうか? この「やり取り」について、「論争」という表現を用いずに言及している典拠の例が多数示されるのであれば「「論争」と解釈している文献は少数である。」と言えると思いますが、そのような文献の例は現時点ではまったく示されていません。また、「一切の反論がなかった」というのは何が典拠なのでしょうか?
この点は井戸馬鹿とかコメント依頼で騒がず「橘木・大竹論争」という表現を用いている例、大竹氏の指摘に対して橘木が学術的な「反論」をしている例を立稿者が他に示せばそれでいいだけだと思います。
(さすがに少数の論文でしか使っていない表現を題目にわざわざ記事にしているのではないでしょうから挙げるのは簡単でしょう、なお。念のためですが、その上で、本項目自体必要といえるものかどうかは、別のレベルの議論が必要かと思います)
なお両者の論文のやり取りを論争と称している経済学者は皆無か、いたとしても少数です(違うというのならば例を挙げて反証してください)。
単なるデータの解釈の間違いの指摘は日常茶飯事です(し、まともな研究者にとってはアドバイザーやレフリーに金品を贈ること以上に普通は力を入れることです)。
それをわざわざ「~論争」で記事にしていたら学会発表があるたびにwkipediaに記事を書かないといけない(誰かが書いたら削除もできない)状態になりうると思います。
いずれにせよ気に入らない記事を安易に差し戻したり、自分勝手な記事にこだわることをやめていただくように切に願います。--114.22.28.239 2012年8月5日 (日) 06:03 (UTC)[返信]
誤解されているのではないかと危惧しますが、立証責任は記述をする、あるいは、記述を残すことをお求めの側にあるのが原則です。現状の記述を残したいのであれば、山田が事例として挙例している大阪市大の報告書のような例が「少数」であることを述べた典拠をそちらがお示しになるべきですし、大竹の指摘に対して橘木が学術的な「反論」をしていないと述べた典拠をそちらがお示しになるべきです。ご自身の立証責任をまず果たされることがなければ、たとえそれが事実であったとしても、検証できない即時研究に過ぎないと思いますが、いかがでしょう。
より具体的に述べれば、この「やり取り」を「論争」には価しないと述べている経済学者の公的発言や、大竹に対する橘木の応答が「反論」ではないと述べている経済学者の公的発言をお示しになればよろしいのではないでしょうか。また、「論争」ではないとして、別の表現でこのやり取りに言及した記述の例を(多数とはあえて言いませんが)複数挙例されれば、十分にあなたが記述したい内容の典拠となると思います。経済学については通じておいでのようですから、仰っていることが事実であれば、容易くお出来になることではないかと考えます。ぜひ記事の改善にご協力ください。--山田晴通会話2012年8月5日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
>山田が事例として挙例している大阪市大の報告書のような例が「少数」であることを述べた典拠
「大阪市大の報告書のような例が」少ない以上現行の記事以外に書きようがないのは自明でしょう。例を多数示した上でもとの記事に戻されることを期待しています。
>大竹に対する橘木の応答が「反論」ではないと述べている経済学者の公的発言
学会の雑談や議論に値しない発言をわざわざ取り上げて発言する暇人でもない限りは「反論」にもなっていない発言を逐一取り上げ「反論ではない」と公的発言する(経済)学者はいません。
これも大竹氏に反論している例を示した上でもとの記事に戻されることを期待しています。
>経済学については通じておいでのようですから
これは「検証できない即時研究」ではないでしょうか?いずれにせよ上記の指摘は本年1月でなされています。論文を確認するくらい学部生でも1週間あれば必要十分です。この記事を立稿している時点で大竹氏の論文を当然拝見していると思うのですが、その出典になっている論文をさがすのに学部生以上期間がかかっている事に驚きを禁じえません。--114.22.28.239 2012年8月5日 (日) 15:10 (UTC)[返信]
ウィキペディアにおいては、事実であるか否かより、検証可能であるか否かの方が重要です。あなたが、ご自身のご主張に関して未だに何の典拠もお示しにならないことも、こちらとしては、不思議を通り越して「驚きを禁じえ」ないことであるのです。こちらで見かけた典拠となりそうなものがあれば、ボチボチ加筆しますが、それより前に、そちらのご主張にしっかりした典拠を出していただければ、記述内容はそちらが求められている形ですんなりと決するでしょう。繰り返しますが、「Wikipedia:検証可能性」を満たす典拠の提示をお願いいたします。--山田晴通会話2012年8月5日 (日) 17:03 (UTC)[返信]
誤解されているのではないかと危惧しますが「2012年8月4日の編集について」を読み(投稿履歴を正常に見れる人には自明なように他のIPさんがした)「2012年8月4日の編集」の問題点などを指摘し「記事の改善に」「協力」したのが先の投稿になります。2012年8月4日の編集以前の編集に戻す選択肢もなくはないのですが出典ない記述のオンパレードのため「「2012年8月4日の編集」をもとに書き換えたことをご理解ください。いずれにせよ、今までのいい加減な記事ではなく辞書にふさわしい記事になることを期待します。--114.22.28.239 2012年8月6日 (月) 01:16 (UTC)[返信]
仰っている姿勢にはまったく同感ですので、出典なく記述されている要出典範囲の部分について、適切な出典を示されるか、自ら修正ないし削除されるようお願いいたします。「出典ない記述のオンパレード」を解消するために、協力して取り組みましょう。よろしくお願いします。--山田晴通会話2012年8月6日 (月) 09:39 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

>橘木(2006)では、ジニ係数の解釈について大竹の指摘を是とした上で、「高齢貧困者」の増加という論点を提起する「反論」を行った

”「高齢貧困者」の増加”というのは当初の議論とは無縁・無関係ですし大竹氏は何も反論・言及していませんから「橘木・大竹論争」という表題では書く必要なし。「橘木・大竹論争」で記事を書くならば両氏の論点を明確にして記事を書いてください。--114.22.3.122 2012年9月8日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

  • コメントありがとうございます。しかし、出典はお読みいただいておいででしょうか? 典拠とした<宇仁宏幸. “経済理論学会第55回大会共通論題報告 日本における賃金格差拡大とその要因” (PDF). 一橋大学経済研究所. 2012年8月5日閲覧。>には明確に「反論」という用語が用いられています。また、114.22.3.122さんのように、これは反論とはいえないとお考えの方もおいでであることを考慮して引用符をつけて「反論」と記しています。明確に出典のある記述を一方的に削除するのは、いかがなものでしょうか? いったん記述を戻りますので、もし、出典があるにもかかわらずこの部分の削除が必要であるとお考えなのであれば、ノートで合意を形成する努力をなさってください。
  • また、記事名の変更については、Wikipedia:ページの改名の手続きにそって提案をしてください。現時点では、改名を提案されているわけではないもののように見えます。--山田晴通会話2012年9月9日 (日) 02:53 (UTC)[返信]