ノート:檀林寺

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2006年 史跡・名勝・嵐山 京都埋蔵文化財報告書に、相違がある。[編集]

検証中なので、注意を喚起するのみにします。 史跡・名勝・嵐山 2006年の(財)京都埋蔵文化財研究所報告書に、このWikipedia記事と相違がある。 同報告では、檀林寺の廃絶を、鎌倉時代としていて、室町時代に廃絶したとするこのWikipediaの記事と相違します。 良く検証しないと問題かと思いますので、ここで、注意を喚起し、意見を募集します。--みぃにゃん会話2013年8月4日 (日) 15:05 (UTC)[返信]

ちゃんと資料があって、記事で示されている資料からは検証できない記述は、修正しちゃってよいですよ。--Ks aka 98会話2013年8月5日 (月) 05:39 (UTC)[返信]


ShikiHでございます。ちゃんと資料があればもちろん修正は構いませんが、みぃにゃんさんお示しの箇所はここですか?

鎌倉時代に作成された『嵯峨舎那院御領絵図』には、舎那院とされる寺院や他の建物・道路・耕地・ 溜池などがみられる。この図は、檀林寺など平安時代の寺院が廃絶した後の鎌倉時代初期における嵯峨の景観を示している。

ここだとすると、鎌倉時代初期よりも前に廃絶したのでこの地図に載っていないと書いてあるのであって、廃絶の時期が鎌倉時代と書いてあるわけではありません。国史大辞典(吉川弘文館)によれば、檀林皇后が承和年中(834)に創建し、平安中期に廃絶、元亨元年(1321年)再興、室町時代には京都尼五山の一寺となったが再度廃絶、とのことです。--ShikiH会話2013年8月5日 (月) 10:49 (UTC)[返信]