ノート:武田国信
武田国信(室町時代) 文明6年の和議に積極的に関わっていたため、一色氏に丹後守護職が与えられた時、国信は援軍を送ることができず、そのため丹後の武田軍は壊滅しました。その時の主将逸見真正を悼んで出家をしたと伝えられています。2006年4月10日 (月) 17:33 (UTC)
因幡国の武田国信について[編集]
- 出身が安芸武田氏と書かれていますが、何を根拠に書かれたのでしょうか?大方の史料では若狭武田氏となっていますので、訂正しておきます。--202.165.164.11 2007年12月29日 (土) 01:44 (UTC)