ノート:江刺昭子

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文献リストについて

会話:Opponentから移動】

参考文献を挙げるなとは言いませんが、精選できませんか?百科事典に載せるにはいくらなんでも多すぎます。本文より本の紹介の方が長い江刺昭子なんて冗談きついですよ。

そこで提案。本格的にやりたいなら、Wikipediaとは別に書誌のプロジェクトを立ち上げてはいかが?Wikipediaのデータ形式は、百科事典の記事のようにべたっと文章を書くためのものです。こんな機械に不親切なデータ形式は、書式の定まった書誌に向いていません。せっかくデータを入力するのだから、SQLあたりでデータベースを構築するなり、流行のXMLで半構造データにするなりした方が、検索の便を考えると良いでしょう。かぼちゃ 13:24 2003年11月30日 (UTC)


ひとこと。参考文献などを挙げることについては、とりあえずできるだけ多く挙げておくべきだと思います。Wikipediaは紙の百科事典と異なり、一つの項目の字数制限が厳しくない、と思われますので、書誌のルールに従って参考文献や著作一覧を作成しておくことは、それほど不都合ではなく、Wikipediaのプロジェクトに与えるマイナスの影響もほとんどないのではないでしょうか(この点、管理者の方々のご意見を聞きたいところです)。詳細な参考文献等の一覧が存在することは、Wikipediaにアクセスする人たちの利益に直結します。また、もし将来「別に書誌のプロジェクトを立ち上げ」ることになった場合にも、Wikipediaで詳細な文献一覧をつくっておけば、その資産をそのまま新しいプロジェクトに生かすことも可能です。かぼちゃさんが江刺昭子のページの文献欄を見て「冗談きついですよ」と思われるのは、かぼちゃさんにとって江刺昭子のページから情報を得る必要性がその程度の低いものに過ぎないのであって、ほかの利用者のなかには、文献欄から必要な情報を得て、活用している人もいることを想定するべきです。以上の理由で、Opponentさんの編集の姿勢・方法を支持します。IP利用者(12月1日)

「Wikipediaは紙の百科事典と異なり、一つの項目の字数制限が厳しくない」と仰るが、紙媒体との違いはむしろ字数制限ではなくレイアウトでしょう。紙の百科事典には小さな文字をつめつめに書き込むけど、ここではその必要がない。でも問題はそういうことじゃないんですね。百科事典に求められていることと言えば、「簡潔にまとめられていること」です。もちろんKnowledge in Depthという例外もありますが。
例えば、百科事典に長大な伝記を求める人はいないでしょう。そういう人は事典の記事ではなく本物の伝記を参照します。逆に伝記が書きたい人は伝記サイトを作るでしょう。百科事典に載るのは要約された情報です。しかしOpponentさんは、この要約という作業を、少なくとも書誌に関しては、まったく放棄しています。百科事典の方向性とは正反対なんです。求められているのは長大な文献リストではなく、本当に重要な数冊です。
「Wikipediaで詳細な文献一覧をつくっておけば、その資産をそのまま新しいプロジェクトに生かすことも可能です。」とありますが、私の前の投稿の後半部分を理解していただけなかったのでしょうか。書式が定まっているのに人間にしか扱えないデータじゃ使い勝手が悪いんですよ。「新しいプロジェクトに生かす」には人力でせっせと移さねばなりません。そんなことするぐらいなら最初に計算機が認識できる形にしておけばいいのにもったいないと私などは思うのです。かぼちゃ 16:33 2003年12月1日 (UTC)

かぼちゃさんは、過去投稿記事みれば分かるとおり、まともな記事を書いたことが無く、悪ふざけをするか、闇雲に論争を吹っかけるのを快とする方のようでつ。こんな方のコメントをまともに受ける必要もなく、スルーしませう。:-) 12:44 2003年12月1日 (UTC)

こんにちは。ちょっとおじゃまします。

僕は管理者のひとりですが、文献の量が多すぎるためにプロジェクトが法的な問題に巻き込まれ管理者が矢面に立つことになる可能性は、とりあえず思い当りません。そこで、この件は管理者の責任とか権限には関係がないと考えて、以下は単に一参加者の意見ということで書いてみます。

僕も文献の数が多い記事を書くことがあります。この時、「参考文献」が長くなるのは仕方がないと思っています。執筆の際に参考にしたのにリストしないとしたらその方が問題なので。

文献リストには他に、文筆家などの記事で、その人が著した「著作のリスト」と、「関連文献のリスト」とがあるわけですが、特に文筆家の著作リストについては、ミュージシャンにディスコグラフィーがあり、役者や映画監督にフィルモグラフィーがあるった方がよいのと同じで、あった方がよいし、原語と日本語のものについては網羅的でもよいと思います。関連文献リストは、主題にもよりますが網羅的にする価値がない場合もあると思います。

文学者や思想家を扱った研究書や全集であれば、その一部がその人の著作やその人を扱った文献のリストや解説に充てられることもあります。哲学系だったかの、専門の百科事典の中にも関連文献を解説したものがあったように思います。(哲学は百科事典ではないリファレンス系の共同編纂物が多いので、正確には百科事典ではなかったかも。)

専門家にも参考になるような情報がウィキペディアにあるのはよいことだ、と僕は思っているので、その点からは問題を感じません。

ただ、かぼちゃさんの指摘するような、精選されたものがリストされている、というのもそれはそれでよいと思います。(中立的に精選するのは難しい場合があるだろうとも思いますが。)一般読者向けには特に。

また、リストが長くても本文中で著作歴の簡潔な紹介があったり、何か「代表作」に相当するものがあるかどうか、どのような著作についてどのような評価を得ているのか、などの解説があるとよいだろうとも思います。

そういう記述がない状態で、一部の専門家にしか必要ないような情報だけがあり、入門者や門外漢の役に立つ情報がない状態、というのは、まあ有益さは限られますが、何もないよりはずっとよいと思います。

レイアウト上の配慮もあるに越したことはないと思いますが、対処としては、長くなったら独立させる(例えばモーツァルトの楽曲一覧のように)というのもありだと思います。もっとも、一覧記事自体をあまりよく思っていない方もいるようですし、これには反対意見もあるかと思いますが。

もうひとつ、英語版の音楽関連について、どこかで、ウィキペディア外のある特定のデータベースからデータの持ち込みをしない、という取り決めか提案があったのを覚えています。外部にかなりよくできたデータベースがあり、データがかなり自由に利用できるようなのですが、データベースは既に使いやすく、無料一般公開されているものでもあるため、それをウィキペディアにコピーしてくるよりもリンクを張って済ませる方がよいのではないか、というような話だったような気がします。(うろ覚えで済みません。)一般的に、外部のデータベースをどのように活用すべきかはウィキペディア日本語版でも考えてみてよいファクターだと思います。網羅的な文献リストを制限する理由があるとしたら、これが有力候補だろうとも。

そうした一般論以外に、Opponentさんの執筆・編集されている記事については、そもそもOpponentさんはバランスやレイアウトのことは承知の上で何か考えがあって執筆されているとか、単にまだ執筆途中であるとかいうだけのことである可能性もあると思います。(スタブである旨の断り書きもありますし。)

また、江刺昭子については、文献リストが長すぎるとは感じませんでした。これは個人差があるでしょうが。

あと、多少エディションや訳者が違えばそれをリストに含める、あるいは各言語への訳本も揃える、というのが網羅的なやり方だと考えることもできますね。アーカイブのようにそういう方針でコレクションをしているところもあり、そういう網羅的なリストが求められる場合もあるわけで(研究者は同一作品のエディションの間の差を分析したりするので)、Opponentさんにしてみればそれを避けて、一部のエディションだけに限って掲載しているのだ、ということになっているのかも知れません。(広田弘毅みたいにそうなっていないものもあるようですが。)

Tomos 21:35 2003年12月1日 (UTC)


どうも。ご丁寧に。どうも意見がすれ違いになりそうですが、その情報が有益かとは別に、やっぱり置き場としてウィキペディアを選ぶ理由はないと思います。本の一覧が欲しければWebcatなんかを使えばすみますから。かぼちゃ 15:50 2003年12月2日 (UTC)

同じくちょっとおじゃまします。かぼちゃさんのWikipedia観は、結局これまでの紙媒体の百科事典観とまったく同じで、インターネット上のオンライン百科事典、ということの意味を理解していないと思います。あらゆる点で分量制限の厳しい紙の事典であれば、「簡潔にまとめられていること」が条件になりますが、Wikipediaは、その条件から自由になったメディアではないでしょうか。それぞれのページの冒頭部分が「簡潔にまとめられて」あれば、そこから必要最小限の情報を得ようとする人たちは、その部分で目的を達し、それ以上の情報を求めている人たちは、冒頭部分に続く部分に記載された、詳細な伝記の記述や、膨大な文献一覧を活用する、という構成になっていることこそが、意味を持ってくるのだと思われます。そうした構成が、Wikipediaの大きな意義であり魅力なのではないでしょうか。「百科事典に長大な伝記を求める人はいない」というのは、これまでの常識ではあっても、これからの高度情報化社会では、「百科事典に長大な伝記を求める」ことが可能になった、と考える柔軟な発想が必要だと思います。かぼちゃさんは、自分自身の(紙の)百科事典とのつきあい方だけを基準に発言しており、その点で、百科事典の新しい可能性を追求しているOpponentさんへの批判はなんら説得力を持っていません。220.220.118.82 12月2日


また自作自演ですか。いい加減辞めてもらえませんか?あなたのくだらない自作自演の所為で執筆を辞める人が後を絶ちません。ここは「オンライン百科事典に記事を投稿する場」であってあなたの求める「自分だけの新しい百科事典」を求める場ではありません。そういう実験がしたいのであれば、自らサーバーなりを立てておやりなさい。
前から疑問に思ってたんだけど、なんでコテハンとIPユーザーが自分の庭汚してんのに本人出てこないの?  さんはリアルタイムで執筆してんのに。作為的なんだよね、この辺が。まあみんなにばれてるみたいだし、下手な事止めて退場して頂きたいものだ。
はてなの時から思ってたけど、誰でも調べられる物を膨大な時間をかけて検索してちんけな記事にする手腕は認めます(笑)けど、そんな暇なだけの人に偉そうにされて、尚且つ捨てハン自演なんかされるとみんな迷惑するんですよ。
私も捨てハンだけど、お互い様ってことで代弁。ちなみにかぼちゃではないから。( 2003年12月2日 . . ゴリ (代弁その2)

「自作自演」とはどういう意味ですか? まったく身に覚えがありませんが。言いがかりではないでしょうか? 「なんでコテハンとIPユーザーが自分の庭汚してんのに本人出てこないの?」と言われても……。冷静に対応しようと努めているだけですが。
- Opponent 04:39 2003年12月2日 (UTC)

同じく、「自作自演」とはどういう意味ですか? このページにOpponentさんを支持する文章を書いたのは、Opponentさんではない、IP利用者のわたくしです。もちろん、Opponentさんとは一面識もありません。証拠も挙げられないことで、言いがかりをつけるのはやめなさい。
また、Opponentさんには、わたくしがIP利用者であることで、無用で品のない言いがかりをつけられるようなことになってしまい、恐縮です。
220.220.221.17 12月2日

事実誤認があるようです。左利きのかぼちゃさんは一度も「自作自演」などとは言われていませんよ。むしろ崇さんの発言を無視してその上に書き込まれているぐらいですから。とりあえず「自作自演」を指摘している発言は無視しておけばよいのではないでしょうか?tanuki_Z 06:50 2003年12月2日 (UTC)

失礼。「最近更新」を下から見ていたもので。もう気付かれているようならそれでいいです。tanuki_Z 06:53 2003年12月2日 (UTC)

指摘されて批判するべき相手をまちがえました。かぼちゃさんには失礼しました。お詫び申し上げます。また、220.221.107.48さんには、この場でも御礼申し上げます。また、tanuki_Zさんもありがとうございました。上記の文章、訂正させていただきます。
220.220.221.17 12月2日

あらためまして、「自作自演」と言いがかりをつけてこられたゴリさん対して、ゴリさんの会話のページに下記の文章を書き込みました(こちらのミスで、tanuki_Zさんのお手をわずらわせてしまいました。お礼申し上げます)。
利用者‐会話:Opponentでのあなたの発言について。あなたゴリさんは、Opponentさんを「自作自演」と罵倒していますが、「自作自演」であるというはっきりとした証拠をこのページ、もしくは利用者‐会話:Opponentノート:江刺昭子のページで提示してください。また、「……自作自演の所為で執筆を辞める人が後を絶ちません」ということについても、その発言の根拠を同じように、はっきりと示してください。さらに、「作為的なんだよね、この辺が。まあみんなにばれてるみたいだし、下手な事止めて退場して頂きたいものだ」という発言についても、なにがどのように「ばれてるみたい」なのかもきちんと説明してください。もし、証拠も根拠もない、説明もできない暴言であるのならば、謝罪を要求します。
220.220.221.17 12月2日
ノート移動にともなう修正
- Opponent 23:25 2003年12月14日 (UTC)

以上です。tanuki_Zさんは「無視しておけばよいのでは」とおっしゃっていますが、無視することは相手の発言を認め、利用者‐会話:Opponentさんの名誉を傷つけることにもなると思いましたので、以上の抗議文を書き込みました。また、当初こちらの勘違いでご迷惑をかけたかぼちゃさんには、あらためてお詫び申し上げます。
220.220.221.17 12月2日

連れ立ってどうも。ほほう。柔軟な発想で百科事典の新しい可能性を追求ですか。何も個人的な実験をWikipediaでやらなくても、他にもいろんな場所がありますよ。自分でサイトを立ち上げてみるとか。技術的に難しいならBrionさんにwiki+bibliographyの新設を頼んでみるとか。かぼちゃ 15:50 2003年12月2日 (UTC)

かぼちゃ、おまえいい加減うざいんだよ。Tomosのようなお人よし以外がどうしてOpponentをスルーしてるかわからないのか。Opponentといくら議論しても無駄。がちがちに凝り固まった思考を変えれる者などいるわけないだろ。Opponentもフェミとか自分の領域にとどまっている限りたいして有害じゃない。だから放置に徹しろ。くだらん議論をふっかける暇があったらまともな記事を一つ二つ書いてみろ。


論争が長く続いているのでのぞいてみましたが、「参考文献が多すぎるのがダメ」なんて、ほとんどいいがかりですね。例で上げている記事も本文短いのは執筆者がわざわざスタブとかいているのを無視していますし。そもそも、このかぼちゃっていったい何者?自分では記事をほとんど書かないくせに論争だけは「勇ましく」仕掛けてくる。論争投稿マニアというか、まるでプロ市民みたいな方ですね。:-) True Light 22:47 2003年12月2日 (UTC) (発言の区切りが分かりにくく人違いをしている例もあるようなので区切り線入れました)


Ms. Plala

Opponent =Darjeeling =Guines =Jedi =Kim kim =Starbucks =True Light =いぐあな =田中正平 =肉牛 =218.47.219.236 =219.164.5.168 =219.164.209.135 =219.167.7.41 =219.167.8.4 =220.99.142.140 =220.108.131.145 =220.108.222.224 =220.220.118.82 =220.220.221.17

開いた口が塞がらないとは、まさにこのことです。ひとつかふたつのハンドルを詐称したと疑うのは無理もないかもしれませんが、これはあまりにも妄想の度が過ぎています。わたくしは 203.165.90.135 以外で書いたのは Opponent 以外に一度もございません。上の IP あるいはハンドルに同一人物が含まれているかどうかは存じませんが、少なくともわたくしではありません。正直申し上げて、これは一度病院に行かれた方がよろしいかと存じます。
- Opponent 09:30 2003年12月3日 (UTC)
- Opponent 09:33 2003年12月3日 (UTC) 「あるいはハンドル」の語句を付加。
ここまで粘着する連中もどうかとは思うが。Opponentさん、気にしないことが一番だ。目障りな書き込みはサクっと削除しちまいなよ。0null0 09:38 2003年12月3日 (UTC)
同じく開いた口が塞がらないと言いたい者です。今日は端末の関係で別のIPアドレスですが、このページでOpponentさんの姿勢を支持した者です。これ以上、なんら根拠もなく「自作自演」等のいいがかりをつけてくる利用者がいるのであれば、たとえばわたくしとOpponentさん、そしてTomosさん(もしくはほかの管理者の方)とのあいだで直接メールで連絡をとりあい、Opponentさんが「自作自演」をしているのではない、ということを管理者の方に証明してもらう、という方法も考えてよいのではないかと思います。それにしても、ある意見を支持する発言をすると、それを「自作自演」だと言い立てる利用者が横行していることは、議論の成立を疎外していると言わざるを得ません。219.167.6.230
通りすがりで恐縮ですが、たまたま通りがかってかなり気になる文面をみたので、意見を述べさせて頂きます。
219.167.6.230さんが、管理者の手によって自作自演でないことを証明してもらう、という提案をされていますが、以下の理由により反対します。
  1. 管理者はログインユーザのIPアドレスを直接知ることはできない。開発者に問い合わせて、ログから調査する必要があり、管理者の負担がかなり大きくなることが予想される。(TomosさんによるWikipedia:利用者ページの削除依頼の04:33 2003年10月11日 (UTC)の書き込みを参照して下さい)
  2. また、そういった証明は、おそらくウィキペディアにおける管理者のするべき仕事ではない。
  3. さらに、そういった証明作業は、個人の特定につながる可能性があり、安易に行うべきではない。
  4. 今回の事例でそういった証明を行った場合、それが前例となり、たびたびそういった証明作業が求められたり、あるいはエスカレートした要求が出てくることも予想される。
  5. そもそも、自作自演ではないことの証明はウィキペディアのログのみでは不可能。(後ほど詳細な説明をします)
以上より、「百害あって一利なし」な「自作自演でないことの証明」を求めるより、0null0さんの言うように気にせず無視する方がよいと思います。また、今後この粘着行為が続くことであまりにもウィキペディアの運営に影響が出るようであれば、他の方法(IPブロックなど)で対処することを検討すべきでしょう。
※自作自演ではないことの証明はウィキペディアのログのみでは不可能、ということについての説明:
  1. まずもって、上記で挙げられたIPアドレスが、同一人物の接続によるものか、あるいは他人によるものかについて、ウィキペディアのログのみでは特定が(限りなく)不可能であると考えられます。ブラウザのユーザエージェントの記録や、cookieの情報などについてまで保存しているのであれば、場合によっては「同一人物である」という特定が可能であることもあり得ますが、おそらく無理でしょう。
  2. また、上記の書き込みで「Ms. Plala」と揶揄されているように、上記で挙げられたIPアドレスは全てぷららのものとなっています。反面、Opponentさんが使用したことを言明している 203.165.90.135 はぷららのIPアドレスではありません。そのため、「自作自演でない」という証明になると思われる方もいるでしょう。しかしながら、この事実は「自作自演でない」ことの証明とはなりません。同一人物がネットへの接続環境を複数もっていれば同様のことは可能となります。もちろん、可能であるからと言って「自作自演である」と断定することもできません。
  3. 以上により、ウィキペディアのログからは「自作自演でない」とも「自作自演である」とも断定することは不可能です。
自作自演であるかないかの断定のためには、おそらく、個人の特定をしたうえで、その個人の契約ISPの調査、接続実績の調査、日常の行動調査(自宅以外でのネット接続を特定するために必要です。)など、膨大な調査が必要になるでしょう。そのようなことは不可能である、とは言いませんが、労多くして益少ない結果となるでしょう。それよりも、こういった粘着・荒らし行為は無視し、ウィキペディアにとって有益な活動にエネルギーを割いた方がよいと思います。Rona 17:30 2003年12月4日 (UTC)