ノート:無罪/無実と無罪

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「無罪」と「無実」の違いについて[編集]

Netanotaneさんは2007年2月8日 (木) 14:07 (UTC)の編集[返信]
>「無罪」が国家権力により罪がないと結論付けられる事象
と記載しましたが、Nekosuki600さんが自身のノートページの編集
>国家権力は「罪がない」と判断するのではなく、「罪があると立証できなかった」と判断して、無罪を宣告するのです。
という根拠を元に、2007年2月8日 (木) 14:07 (UTC)の編集を行っています。[返信]

私は、NetanotaneよりもNekosuki600の編集方針を強く支持します。--経済準学士 2007年2月13日 (火) 17:41 (UTC)[返信]

えー。
なんかどうもNetanotane氏は全然納得しておられないようなので、念のためにもうちょっと解説をしておきます。
Netanotane氏の編集による「国家権力により罪がないと結論付けられる事象」というのは、説明として失当です。国家権力が「罪がない」と結論した場合に「無罪」となるのであれば、「わからない」を含むそれ以外の場合には、無罪とはなりません。しかし現代法制では、国家権力が「罪がある」と結論した場合に「有罪」となり、「わからない」を含むそれ以外の場合には「無罪」となります。
この「有罪とされた場合以外は、無罪とする」という考え方は、一般市民的にはなかなか受け入れがたいもののようです(わかりにくいというよりは、受け入れがたいものなのでしょう)。そういう意味では、「国家権力により罪がないと結論付けられる事象」という定義は、わかりやすいものだと言えるでしょう。しかしながらこれの「有罪以外は、無罪」という推定無罪の思想は、現代法制の根幹をなす思想なのであり、ここで譲るわけにはいかないのです。
「有罪は、罪があると立証された場合」「無罪は、それ以外のすべての場合」という区分は、わかりにくい(世人には受け入れがたい)ものかもしれませんが、正しい。「無罪は、罪がないと証明された場合」という説明で代替できるものではありません。
そもそも、無実から無罪へのリダイレクトを作成するという発想が、おれにはよくわかりません。それが不適切であると指摘されて、無実との対比として「(無罪は)国家権力により罪がないと結論付けられる事象」という説明を作るという解決策を取るのは、もっとわかりません。--Nekosuki600 2007年2月14日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
・・・厳密にいうと、訴訟法上は「立証」するのは「罪」ではなく「犯罪事実」ですよ。「無実」と「無罪」は類似項目ですので、一つの記事にまとめてしまってよいのではないでしょうか。一編集の言葉尻にこだわりすぎるのはよくないと思います。皆で仲良く記事を少しづつ推敲していきましょう。--Crystalclear 2007年2月15日 (木) 14:14 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
あーどーも。
実は、さらにややこしくなるのがいやだったので避けたのですが、「有罪」となるのは3要素が揃った場合だけです。で、そのどれかが欠落したら、構成要件該当性があっても「無罪」になっちゃいます。んで、そのケースでは、一般市民的「無実」と法律的な「無罪」の違いは、ものすごくでかいものになってしまいます。「やってるのになんで有罪じゃないんだ」ということですねえ。だからってこう、そこらへんを強調すると、こんどは「灰色無罪」疑惑みたいなものをクローズアップしかねない。それはそれでまた刑法の根底を揺るがす誤解であるわけで、そちらにはつなげたくない。
やっぱそういうわけで、無実と無罪というのは、ものすごくむずかしい問題であり、あだやおろそかに手を出せるようなネタではないのではないかと思います。
なお、本件対立ですが、最初の指摘の段階で、指摘された方が自らの編集の問題点について指摘を真摯に受け止め、自ら修正する方向で考えてくだされば、対立には発展しなかったものと考えております。それほどわかりにくい問題点だとは思いませんし、指摘もクリアなものだったと思うのですが。--Nekosuki600 2007年2月15日 (木) 14:34 (UTC)[返信]
事情がよく飲み込めませんが、今の状態で特に問題はないように思います。ご本人か他の方(わたしも少し編集しましたが)が訂正されたのではないのですか?そうやって皆で記事を推敲できるのがフリー百科事典としてのウィキペディアの良い面だと思いますが・・・。何があったのかよく知りませんが、傍観者として、こういう場で個人攻撃はよくないと思います。みんなで仲良く記事の編集・推敲を致しましょう。^^--Crystalclear 2007年2月15日 (木) 14:53 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
あ、事情をご存知の上でのご発言なのだと思ったのですが、そうでないなら、さほど知って益があることとは思えませんので、ここまでということで。なお、現在の内容については、ぼくも修正には参加しておりますが、大きな問題はなくなっていると考えております。--Nekosuki600 2007年2月15日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
そうですか。それはよかった。裁判というのは普通の人には一生に一度縁があるかないかといったものなので、特定のトピックに特別の思い入れがある方もいらっしゃるのかもしれませんね。でも、もうこれで言い争いは終わりにしましょう。ここはオープンソースですから。--Crystalclear 2007年2月15日 (木) 15:11 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]

「無実」と「無罪」リターンズ[編集]

なんかこの話題も続くなあ。まあいいや。これから、以下の部分をカットしてきます。

厳密には、無実なら無罪になるとは限らず、容疑事実があっても無罪となることがないわけではない。

これは、無実と無罪関連ではなく、誤判関連で説明すべきことでしょう。そうでなくてもフツーのひとにとっては「無実」と「無罪」はとっちらかることが多いものです。そこに誤判による「無実有罪(いわゆる冤罪・誤判)」や、なんらかの事情による「有実無罪(日本ではたいていの場合、検察側のミスに起因する。また、このことは前節で説明されており、重複している)」 を持ち込んで話を更にややこしくする必要があるとは思いません。

この部分を入れることによって「無罪」についてどういう説明が付け加えられるのかが、しょーじきよくわかんないです。どのように説明が付け加えられるのか、どんなふうに読者の理解が深まるのか、ご説明いただけると幸いです。--Nekosuki600 2007年2月16日 (金) 15:36 (UTC)[返信]

あまりに迂遠な表現のため書き直そうと思っていた項目ですが、保護依頼のため私の案をこちらに記入します。【「無実」は犯罪事実がない=無実であることとに他ならない。しかし、おおよその先進諸国では、「疑わしきは被告人の利益に」の原則が採用され、確定的な証拠が無ければ無罪となる。有罪率が極めて高い日本ではほとんど見られないことだが、アメリカなどにおいては、訴訟手続きの問題や証拠の捏造の発覚等で濃厚な嫌疑がかけられたまま無罪となってしまうケースは数多く存在している。無罪をもって無実を示したことには全くならないのである。】以上となります。--打刀 2007年2月16日 (金) 23:33 (UTC)[返信]
無罪と無実が「似ている」という表現は混同を招きやすいと思いましたので、手を出しましたがご迷惑をおかけしたかもしれません。打刀さんの案がしっくりくるように思います。--みっち 2007年2月16日 (金) 23:43 (UTC)[返信]
日本語の「無罪」と「無実」の話をしているのに、なぜ外国の話になるのかわかりません。どうしてもアメリカの話をしたいのであれば(他の法律関連項目の記事との整合性からは不必要に思えますが)【「無実」は犯罪事実がない=無実であることとに他ならない。しかし、おおよその先進諸国では、「疑わしきは被告人の利益に」の原則が採用され、確定的な証拠が無ければ無罪となる。わが国においては起訴後の有罪率が極めて高く、事実上は無罪=無実に近い状態となっている。しかし、アメリカなどにおいては、訴訟手続きの問題や証拠の捏造の発覚等で濃厚な嫌疑がかけられたまま無罪となってしまうケースも少なくはないため、無罪をもって無実を示したことにはならないとされている。】くらいの記述のほうがよいと思います。それから、外国の話をするのであれば、独自調査や単なる伝聞情報でないことを示すために、信頼できる出典を示されたほうがよろしいかと思います。--Pourquoi 2007年2月17日 (土) 16:52 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
Pourquoiさんどうも。まず最初にWikipediaに関する基礎的な定義について。
えーと、Wikipedia日本語版は、日本語で記述されてはいますが、日本版ではなく日本語版であり、日本を前提として記述されるものではないということになっています(参考→Wikipedia:中立的な観点#アメリカ中心主義への批判。これはWikipediaの発祥の地がアメリカ合衆国なのでこういう表現になっていますが、要するにそれぞれの国に偏った書き方をするな、という意味です)。ここらへん、法律関係項目を書く場合にはまいどのように問題になる点で、外国法制に詳しいひとの加筆が、大半の項目で求められていたりします。
なので、「日本語における『無実』と『無罪』の話」ならば、それは表現手段としての日本語の制約を受ける部分がありますからある程度いたしかたありませんが、書かれる内容が日本の法制に限定されるという話はありません。「無実・無罪」と日本語で表現されるメタな概念を普遍的に述べることが求められているのだと考えるべきでしょう。日本ローカルな状況の記述は、メタな概念の説明よりは優先順位が低く、記述するにしても人類の平均的概念をまず記述し、その上で日本におけるその概念からの乖離を記述する、という順番になるべきです。たとえばの話が、「殺人」の評価を語る際に、現在の日本の視点で記述してしまうと、人類史上における「殺人」の解説はできなくなってしまいます(殺人が許容されていた時代の殺人の扱いを、現代日本の視点から断罪しても、意味がありません)。
とま、そういうわけで、「日本の現状を前提とする」という点については、ご再考いただけるとありがたいなあと思います。--Nekosuki600 2007年2月17日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
日本の話だけにするか、アメリカの話も書くか以前に、刑事裁判に関する日本の制度とアメリカの制度は明らかに異なりますから、アメリカの制度の話を用いて日本語の法概念の説明をするのはかなり無理があるということです。もしアメリカの話をするのであれば、アメリカの話はアメリカの話としてきちっと峻別した書き方が必要です。また、他国の話まで話を膨らませるのであれば、別途「無実」の記事を作成されたほうがよいのではないでしょうか。--Pourquoi 2007年2月18日 (日) 04:02 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
「日本の話だけにするか、アメリカの話も書くか」ではなくて、Wikipediaでは基本的に「国に依存した書き方をすべきではない」という指針がある、という話です。前述の通り、現実には比較法制の専門家とかはあんまりいないし、かなりむずかしい部分ではあるのですが(そこでしばしば、法律項目の冒頭部には「日本法に準拠して記述されていることに注意せよ(大意)」なんていう注意書きがあったりするわけですけど。参考例として人の始期なんかはいかがでしょうか。諸外国法制に詳しいひとの参加があまりないのでかなり苦労はありますが、それなりに日本POV(日本独自の Point of View)に陥らないようにという配慮のもとに編集が進んでいます。--Nekosuki600 2007年2月18日 (日) 04:38 (UTC)[返信]
保護依頼は出されていますが、現状保護はされていないみたいなんで、編集してもその内容がまっとうなものならば、問題はないと思いますよ。
ただ個人的には、打刀さんの文案は、「無実と無罪の概念的違い」を説明すべき場所に置くのが適切な内容だとは思いません。
無実と無罪の違いなんですが、これはおれの私見ですが、どうやら「わかりやすいかどうかよりも、受け入れがたいかどうかという点で、一般的には受け入れがたいと思うひとが多く、結果として理解されないことがままある」ということのように思われます。一般のひとは、法律に「わかりやすく黒白をつけるもの」であるという期待を抱いているようであり、法律(司法)が「よくわかんないんだよね」と言うことが許しがたいことであると受け止められているように思うわけです(たとえば冤罪無罪事件なんかで、被害者遺族が「これでは死者はうかばれない」などという感想を述べることなども、通底しているのではないでしょうか。誰でもいいから生贄にすれば死者が浮かばれるというものではないでしょうに)。
日本における、異常な有罪率の高さは、おれもなんかおかしいなあという印象を抱いています。しかしそれは、逆に言えば「厳選された被告人のみが告訴されている」ということであるとも言えます。言いかたを変えれば「諸外国では無罪となるような被告人はそもそも公訴されない」という制度の違いがあるように、おれには感じられます。その違いは、「無実と無罪」という枠内で扱うのではなく、別途「日本における有罪率(仮称)」などの項目を立ててそちらで解説すべきことなのではないでしょうか。少なくとも、「日本において、無罪はほとんど無実とイコールである」、反対解釈として「有罪になったやつは、まず間違いなく無実ではない」というような文脈で語るべきことであるとは思われません。--Nekosuki600 2007年2月17日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
ここで、改めて強く問題提起をしておきたいことは、「Wikipediaにおける法律関連項目は、法律専門家ではない一般市民のひとびとの目にも触れ、参考にされることである」ということです。
そのとき必要になることは、「必要十分な説明をなすこと」であると同時に、「複雑な要素を無闇に繰り込むことなく、どの範囲のことをここで説明し、どこから先は別項目としてまとめ、体系的な記述とするか」ということでもあります。Wikipediaでややこしいのは、それぞれの項目のことだけではなく、他の関連項目との連携も含めて全体としていかに適切な説明をなすか、ということであると、おれは考えます。
前述の通り、日本における有罪率の高さ(おれから見たらそれは諸外国の法運用と比べると異常な高さとしか思えませんし、また日本の法制が思想的背景としているはずの「疑わしくは被告人の利益に」というテーゼを持つ西欧近代法制との乖離がものすごく気になるわけですが)は、それはそれで記述するに足りる価値があるものだと思います。しかしながらそれを、「無実と無罪」という枠組みで扱うことが適切であるとは、どうしても思えないのです。--Nekosuki600 2007年2月17日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
私は書いていて何なのですが、なぜここまで丁寧に無実と無罪の区別をつける必要があるのかわからなかったというのが正直なところです。大元はリダイレクトが張られたことが原因なのですよね? そもそも概念が大幅に異なっていますから、無理して区別をつける記述は必要ないというのならそれに同意です。騒動がおきる前の状態に戻せば何の問題もないと思います。もちろん必要があって付け加えたいというのならそれはそれで良しです。--打刀 2007年2月17日 (土) 18:45 (UTC)[返信]
リダイレクトそのものはあっていいと思います。打力さんやNekosuki600さんは「無実」という言葉に相当強い思い入れをお持ちのようですので、そこまで言うなら、「無実」の記事を別途執筆されてはいかがでしょうか。記事が存在するならリダイレクトを貼る必要はないのですから。--Pourquoi 2007年2月18日 (日) 03:51 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
無実の項目はすでにあります。当初のリダイレクトはあんまりだということで無実は無実で紆余曲折があり、独立した項目となっています。であるがゆえに、なんだってまた無罪の方で無実への不用意な言及が必要なのかが、なおさらよくわからなくなっているわけです。--Nekosuki600 2007年2月18日 (日) 04:19 (UTC)[返信]
「どうしても思えない」というのは個人的な感情ではないのでしょうか?日本の刑事裁判は、その有罪率の高さも一要因として、いったん「無罪」が出た人をいつまでも疑惑の目で見ないというほうが一種の道徳的な社会通念として存在すると思いますが。--Pourquoi 2007年2月18日 (日) 03:56 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
個人的には、当該編集合戦の一方当事者である三太氏がノートでの議論に参加していないことについて、かなり奇異な感じを受けております。
ぼくは、「有罪率の高さなどについては、『無実と無罪』という枠組みで扱うべきものではなく、日本独自の法運用に基づく特徴として、別項目で記述する方が良いのではないか」「無実と無罪は、そもそもその軸のとりかたが全然違うんで(「無実←→有実(?)」という対立軸は真実の存在を前提とした判断基準であり、「無罪←→有罪」という対立軸は法的評価という判断基準であり、そもそも同一面にない)、あまり安易に言及すべきではない」と主張しています。その上で、「必要ならば日本の独自性については、『無実と無罪』だけではなく、有罪率の高さなどもひっくるめての総合的な項目を立ててそこで記述してはどうか」という提案もしています。そこらへんについて、当事者からのリアクションがないってのはどういうことなんだろうなあと思うわけですが。
で、えーと、「いったん『無罪』が出た人をいつまでも疑惑の目で見ない」というのが日本における道徳的な社会通念であるかどうかについては、ちょっと疑問があります。一方で、それはとても少ないケースであり、社会通念が形成されるほどの事例があるかどうかは疑問です。またもう一方で「無罪にはなったが、裁判にかけられた以上、ほんとはあいつがやっているに違いない」という視線もまた、少なからずあるように感じられます(つまり、無罪を勝ち得ても、それで問題解決にはなってない)。ときどきある、「刑事無罪・民事では損害賠償請求を認める」なんてやつだと、刑事で無罪になっていても世間様は「真犯人」扱いをやめませんよね。
このあたりまでひっくるめて考えると、記述が「灰色無罪=実は有罪」みたいな話につながらないようにという十分な配慮も必要でしょうし(別段「灰色無罪=無実」みたいな言いかたをする必要もない。どちらにも取られないような中立性が重要であるという話)、やっぱあだやおろそかに余計な記述をまぎれこませるべきではないと考えます。--Nekosuki600 2007年2月18日 (日) 04:38 (UTC)[返信]
ご指名がかかったようですので、ノートに初めて書き込みます。私は24時間ウィキペディアに貼り付いている引きこもりではありませんし、今日は休日ですから一日外出していたわけでして、たかが1、2日ここでの議論に気がつかなかっただけで「かなり奇異な感じを受ける」と言われるのは本意ではありませんね。
私は今の記述で中立的だと思いますが、Nekosuki600さんはどこが中立的でないと思われるのでしょうか?また、Nekosuki600さんの投稿履歴を拝見させていただきましたが、この記事以外に過去に法律関連の記事に積極的に投稿なさってる様子は見受けられないのですが、この記事においてそれほどまでしてご自身の編集に固執される理由は何なのでしょうか?
それから、どうも論点が拡散しがちなのですが、Nekosuki600さんの主張の要点は何ですか?アメリカでの無実と無罪の違いを追記したいということですか?会話調で発言の揚げ足をとっていくと論点が見えなくなってしまいます。あなたの主張の要点を端的に明らかにして下さい。--三太 2007年2月18日 (日) 10:36 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]
いきなり、なかなか敵対的なレスポンスをどうも。さて。
説明において重要なことは、「必要なことが説明されている」こととともに、「不必要なこと、余計なことが、書かれていない」こともあるだろうと、ぼくは思います。そういう視点から、おれがカットした部分を見てみましょう。
「厳密には、無実なら無罪になるとは限らず、容疑事実があっても無罪となることがないわけではない」
このカットした部分以外で「無実と無罪は、異なるフィールドで使われる言葉であり、意味が異なる」「混同されている」ということは、述べられています。
さて、このカットした部分ですが、要するに何を言っているかというと、「無実と無罪はイコールではない」ということを別側面から説明しています(前半は「無実有罪」、後半は「有実無罪」)。しかし、(1) 2つの異なるケースがあることを説明していることがわかりやすく述べられているのか、大いに疑問です。(2) それ以前の説明で、どのような場合に無罪判決が出るのかは説明されており、特に後半部は重複であり、しかも別段わかりやすくなっていません(いきなり「容疑事実」という言葉を出しても一般人向けの説明にはなり得ないでしょう)。
もともとこの「無罪」の項目に「無実」が混入してきたのは、無実から無罪に向けた無思慮なリダイレクトが作られたためです。この2つについて「混同してはまずい」という視点からの説明が行われることはわかりますしあってもいいと思いますが、これは法律分野と一般社会とのかなりの乖離がある部分でもあり、慎重な説明をこころがける必要があるでしょう。「説明をすりゃいいんだろ」ということでいろいろ付け加えることがわかりやすい説明をすることにつながるとは思われません。まあ、Wikipediaでは法律項目に限らず「とりあえず付け加える」ということが少なくなく、その結果としてぐだぐだな説明になっていることも珍しくないわけですが。
なお、もうおひとかた、対話拒否でブロックされた方もおれに対して「法律項目をたいして書いていないのに(大意)」と言っていましたが、それは調査不足ですね。法律スタブの大量生産などはやっていませんから目立たないかもしれませんがね(それ以前に基本的にスタブの大量生産なんか行わっておりませんので)。--Nekosuki600 2007年2月18日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
……それで、あなたは何を主張されたいのですか?あなたの発言にすべてコメントするといくら時間があっても足りませんので(不毛な議論は時間の無駄遣いですし、wikipediaはチャットルームではありません)、何について他人のコメントが必要なのか、端的に述べていただけませんか?--三太 2007年2月18日 (日) 15:39 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]

横入りして恐縮ですが、「無罪」の記事に「無実」についての言及があるのは特におかしくないと思います。例えば、「結婚」は男女間の法律的な結びつきですので、法律によらない結婚や同性同士の結婚は法律上の「結婚」には該当しないわけですが、「結婚」の記事には「同性結婚」にも「事実婚」にも言及されています。それとは別に「同性結婚」、「事実婚」は単独記事としても存在しています。「無罪」の記事に「無実」について触れられていることは、「結婚」のケースと同様、そのほうが記事が充実しわかりやすくなってよいのではないかと思います。--Baconegg 2007年2月18日 (日) 13:41 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]

Baconeggさんいらっしゃいませ。
誰も「無実と無罪を同一視するな」という説明まで排除しろ、とは言っていないと思います。リダイレクトの作成以降に行われた拙速な加筆が果たして説明として必要なものか、それがわかりやすい説明として機能するのか、という点が問題であると指摘しております。
なお、それ以外の部分(たとえば、極めて有罪率が高いといった日本の特異性や、それに基づく社会的感覚)については、まず基本的な現代法の概念としての「無実」「無罪」の切り分けを十全に行った上で考えるべきことであると思いますし、そもそもその要素が「無罪」の項目に書かれるべきことなのかという疑問もあります。
法律というのは、けっこう緻密なブロック細工のように体系が組み立てられているので、そのブロックの置き方を間違えたら、法律に詳しくないひとにわかりやすい説明をすることは不可能になってしまうのではないかという懸念があるわけです。--Nekosuki600 2007年2月18日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
「拙速な加筆」とはどの部分加筆のことを言っておられるのですか?「無罪」と「無実」の節については、今の記述自体、かなりシンプルなものになっていますので、第三者の目からは最小限の加筆に近いような印象を受けますが。それから、「拙速」というのは主観的な評価だと思いますので、他人の記述のことを言われているのであれば、もう少しマイルドな言葉を選ばれた方がよろしいかと思います。少なくとも私の目からはあえて「拙速」と表現すべきような記述は見当たらないです。--Baconegg 2007年2月18日 (日) 16:10 (UTC)※ソックパペットとしてブロック[返信]

フォローアップ[編集]

久々に見たところ、なんでここで議論が止まっているのかがわからない状態になっていたので、フォロー。

上記議論につき、Netanotane系ソックパペット(同一人物による複数アカウント)を使っての議論霍乱が発覚し、Netanotane氏は無期限でブロックされています。つまり、上記議論で、一方当事者は一人しかいなかったということが判明しており、それはWikipediaでは禁じられている議論霍乱であったために、これ以上議論する必要がないとして打ち切られたということです(ま、たったひとりの反対者がいなくなっちゃったら、議論はそこで止まるわなあ)。

いちおう念のための説明。ついでに、同一人物と判定されたユーザ群の発言には印をつけておきました。これ、残しておく価値があるとも思えないし、近々過去ログ送りにでもしちゃったのがいいかもしれません。--Nekosuki600 2007年11月19日 (月) 16:14 (UTC)[返信]