ノート:物質主義

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現在のこの項目の説明は、中立的説明ではなく、全面的削除されるべきものと考えます。「財産の所有、使用、獲得を、ほかの事よりも優先させる姿勢」をとると、なぜ、「物質的なものに、心がとらわれ」、高慢になり、「物質的でないことを軽視したり失念してしまう」と言えるのですか。「その点で否定的に見られがち」なのではなく、元々否定的に見ているこの著者の個人的な主張でしょう。欧米において、materialismという言葉ををこのように記述されたものとして使う人たちは居るのかもしれません。materialismを通俗的用法で、あるいは宗教人が通俗を批判するのにこのような意味で使われてるのかもしれません。とするなら現状の説明は、いわば、差別用語をこのように差別する時に使うのですよ、としているのに変わらないと考えます。言葉として、辞書にもあるものだとするなら、materialismの否定的な訳語としてあるという記述は欠かすことはできないでしょう。石井彰文 2007年2月24日 (土) 01:52 (UTC)[返信]

取り立てて反応がないようなので、書き換えを実行しようかと思います。そうしないと意見が出ないようですね、wikipediaの投稿者の特徴でしょうか。内容を百八十度反対のものにします。——この項目は、批判用語を示しており、批判者は、批判対象者を以下の記述のように見なしている。云々と。石井彰文 2007年3月13日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
石井さんはこの項目を書き換えするのは止めておいたほうがいいと思いますよ。日本語の「物質主義」は基本的に「materialism」の訳語ではないから。(誰が英語を添えたから知らないがおかしいでしょう)。存在論にばかりこだわっている石井さんは、この項目への加筆については全然向いていないと思いますよ。この項目の軸は存在論ではなくて、石井さんの意識から脱落しがちな別の要素だから。  Lettic 2007年3月16日 (金) 13:35 (UTC)[返信]
冒頭部の書き換えと、「唯物論」へのリンク削除で、項目としての削除要求は取り下げます。しかし同意できるのは最初の二つのパラグラフまでです。「こういう人はこうなる」と言う決めつけは無くなっていますが、全体の構造は変わっていないのです。かといって、以下をすべて削除すると、この項目を立てた方は納得できないでしょう。目次以下のことを書きたい、と言うことであろうと思います。その内容を問題としているのではなく、批判的見地であることを明記するべきだと思うのです。中立を装った、「広くは、..こともある。」という記述ではなく、「かくなることへの批判(あるいは説教でも構いませんが)として使われる。」と言った立場的限定があれば、事典として妥当な範囲に納まることは出来る、と思います。なお、「物質主義」は「materialism」の訳語でしょう。英和辞典にもあるように。石井彰文 2007年3月18日 (日) 01:31 (UTC)[返信]