ノート:田原総一朗

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要出典タグの貼り付け&特に問題がある記述を削除しました[編集]

出典があまりに乏しいので、すべてにタグを貼り付ける気にはなりませんでしたが、目についたところだけ貼っておきました。 また、以下の記述を削除しました。

・ただし田原自身は技術一般に音痴であり、原子力をはじめインタビューした専門家の受け売りであることが多い。

個人的な感想でしかありません。

・本人は頭の回転が遅く他人の話を理解できないため、

もはや説明するまでもないでしょう。ただの誹謗中傷です。 --175.131.82.131 2015年7月19日 (日) 05:57 (UTC)[返信]

Akiran氏へ[編集]

あなたのやっている行為は[1]の9番に触れています。直ちにおやめなさい。デジタルチョコ 2006年2月5日 (日) 12:18 (UTC)[返信]

わたしに対するその指摘は全く不適切ですが、要約欄の「ウィキペディアは誹謗中傷サイトではありません」を実験的に石原慎太郎で採用し、在日系左翼系の反応を見守ってみましょう。基準さえ統一できれば混乱は軽減されるでしょう。--Akiran 2006年2月5日 (日) 16:00 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 07:13 (UTC)[返信]

ダブル不倫にて結婚。年金未納期間あり。はどこで聞いた話ですか?。教えてください どじっこめろーねTalk/Cont/Old Name2006年2月5日 (日) 23:27 (UTC)[返信]

一番の権威主義者?[編集]

「田原はいわゆる大物と言われる政治家に対しては厳しい質問をしない。逆に中堅や若手議員に対しては容赦ないまでに厳しい質問をするため、田原ほど権力に迎合しているジャーナリストはいない、権威主義は嫌いと公言しておきながら、一番の権威主義者と評される事も多々ある」とありますが、田原氏が「大物に厳しい質問をしない」というのと、一番の権威主義者と誰にどこで「評されている」のかいうのはソースが見当たりません。それに、宮澤喜一を失脚まで追い込んだことを考えると、大物に厳しい質問をしないというのは的を射ていないと思いますし、厳しい質問かどうかというのは完全に書いた人間の主観に頼るものではないでしょうか。明らかに、アンチの人間が書いた公平性に書ける記事だと思いますが。--Neofreak 2006年12月5日 (火) 10:33 (UTC)[返信]

確かに公平性に欠ける表現が散見されます。ただ記事全体のボリュームがそこそこあるので手を入れるのは疲れそうな予感がしますね。協力して少しづつ訂正していきましょうか。なお、本ノートにおける本項は私が見たときは1行目にありましたが時間軸にしたがってこの行に移動させていただきました。--Hotsuregua 2007年1月28日 (日) 14:44 (UTC)[返信]

誤植?[編集]

先程『詳しい』が重複していて日本語になっていなかった部分を訂正した者ですが、その部分についての質問です。直ぐ後にソースが提示されているのに『要出典』となっているのは誤植でしょうか?提示されている資料を読んだ事が無いので、もしかしたらソースには不十分な物であるのかもしれないと思って『要出典』の削除を控えたのですが……?218.223.197.216 2007年7月17日 (火) 10:34 (UTC)[返信]

いまさらですが「日本初のAV男優」に付けられていた『要出典』をはずしました。直ぐ後にソースとして提示されている浅草キッドの本に、確かにそのような表現があります。ただし、コメントアウトの形で付記しておきましたが、水道橋博士によるギャグ的な誇張が混ざっている可能性は否定できません。--125.202.92.88 2008年5月8日 (木) 06:11 (UTC)[返信]

学歴の点で、滋賀県の県立高校卒業なのか早稲田大学卒業なのか 統一したらどうでしょうか。 本人の意向なり事実なり決め方はあるのではないでしょうか。


上村

上田哲氏との関係[編集]

  • 上田哲氏は田原さんのクラスでの英語科を担当していません。上田哲さんから聞きました。面識があったので知っているとのことです。--

誤植[編集]

現状保護なのでここに書きますが、原子力潜水艦むつではなくむつ (原子力船)が正しいです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年5月11日 (水) 00:59 (UTC)[返信]

『爆笑問題のニッポンの教養』[編集]

現状では何に対して怒っているのかが分からないため、解除後下記ソースを使用されることを提案します。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年5月11日 (水) 01:25 (UTC)[返信]

http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/10/31/bakumon/index.html

特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ夢[編集]

第二次世界大戦中は、人並みな軍国少年で「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。 とありますが、出典をお願いします。田原の年齢と特攻開始の時期や、「ぶつかって」という自動詞を使っているのが不自然です。--49.253.11.25 2018年4月21日 (土) 15:42 (UTC)[返信]