ノート:皇別摂家

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四條家の現状について再確認しました。醍醐家から入って四條家を継いだ隆生のあと、侯爵の四條家は、隆謌-隆愛-隆徳と続き、隆徳さんが昭和52年に亡くなって男系が絶えています。男爵の四條家は、隆謌の弟の隆平が分家して立てた家ですが、隆平に実子がなく、二條家から養子(隆美)を迎えて後継者としていますので、やはり男系は絶えています。

皇位継承問題が提起された時期については、皇室典範に関する有識者会議の設置が決まったのが2004年12月で、これはその前月の11月に自民党の憲法調査会が女性天皇容認(女系天皇容認ではない)の方針を打ち出したことを踏まえていると考えられるので、本文のように記述しました。

徳大寺家が2軒あるのは、単に『平成新修旧華族家系大成』でそれぞれ別項目になっているのを踏まえたものです。特に代案もないので、ひとまずこのままで。--呆庵入道 2006年11月8日 (水) 14:14 (UTC)[返信]