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ノート:聖ラヴラ修道院

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改名提案です。[編集]

英語版他の記事名を見てもわかるように「ブ」のところは(後に母音のない)「v」です。表記のブレの範囲の話なので、「ブ」でも間違いというわけではないのですが「ヴ」の方がよいと考えます。実は、文中に「ラヴラ」と書いている個所がいくつかあります。--Mythomania会話2022年2月28日 (月) 22:39 (UTC)[返信]

  • 原音主義的な立場からヴにすべきだと仰っているのでしたら賛成しかねます。Wikipedia:記事名の付け方では「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」の五基準を満たす記事名を付ける事を推奨しています。この五基準には現在のガイドラインでは番号が振られていますが、この数字は上下関係を定めたものではありません。しかし、現実的にほとんどのケースで最重要となるのは1番の「認知度が高い」です。
さて、訳語としてありえそうな名前を想像しながら検索をかけてみると、東大文学部の助教授である吉川斉氏が「19世紀英国における翻訳イソップ集に関する一考察」と言う論文の中で「アヤ・ラヴラ修道院」という名を使っている事が確認できます。また、岡市純平(当時は関西学院大学の博士課程だったそうです)氏は『「自由の賛歌」 : ヴィルヘルム・ミュラーの『ギリシア人の歌』について』という論文で「聖ラヴラ修道院」という表現を使用されています。このあたりが記事名の候補となるのではないでしょうか。もちろん、網羅的調査とは到底言い難いですから、さらに深く調べられる方がいらっしゃるのであればお任せしますが、現状では「アヤ・ラヴラ修道院」が妥当ではないですかね。--おいしい豚肉会話2022年3月6日 (日) 08:30 (UTC)[返信]
コメント 提案者がLTA:SUZUのソックパペットとしてブロックされたのでどうしたものでしょうか。おいしい豚肉さんが提案されたアヤ・ラヴラ修道院への改名提案に切り替えて(メギスティス・ラヴラ修道院とかもあるからその方が整合的に思えます)告知などもやり直すべきでしょうか…。--シダー近藤会話2022年3月7日 (月) 02:46 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:改名提案に「改名候補にアヤ・ラヴラ修道院を追加。」と記入してきます。それでまた最低1週間待って反対意見がなければ改名ということでどうでしょうか。--ねこざめ会話2022年3月27日 (日) 17:25 (UTC)[返信]

コメントラヴラ」によると「ラヴラ」だけで「修道院」「僧院」などの意味があるようで、「ラヴラ修道院」という表現は「馬から落ちて落馬」のような同じ意味の言葉の繰り返し(重言というらしい)になるようです。メギスティス・ラヴラ修道院という記事(訳語)もありますが、「ラヴラ」によると固有名詞とのことなので例外的な使い方であるように思います。なお、ご存じかと思いますが「アギア」あるいは「アヤ」はGOOGLE翻訳だと「聖」に翻訳されます。(アヤソフィアのアヤですね。)--164.70.157.39 2022年4月12日 (火) 20:47 (UTC)[返信]

他国語版を見るとアルメニア語版とフランス語版、それに本家というべきギリシャ語版は「聖ラヴラ修道院」に相当する語になってますね。語源がどうあれ、固有名詞化していると判断すべきとも思えます。あるいは曖昧さ回避みたいなものなのかもしれませんが。--シダー近藤会話2022年4月13日 (水) 00:08 (UTC)[返信]
  • 失礼しました。こちらを確認するのを失念していました。この記事からも言及されているパトラスのゲルマノスのノートでMcYataさんにギリシア語について教えて頂いたのですが、古典ギリシア語風の発音であればアギア、現代ギリシア風の発音であればアヤとなるようです。私から言い出したことで恐縮なのですが、g音とj音どちらもそれなりの妥当性があるという事で、あまり拘ることなく日本語文献からどう言及されているかで定めればよいように思います。この修道院は歴史的にはあまり重要な場所ではないようで(オスマントルコへの蜂起発祥の地となったのはあくまで伝説に過ぎない)、なかなか信頼のおける文献からの言及を発見できないのですが、確か『世界地名大事典 4 ヨーロッパ・ロシア 1 ア−コ』からは「アギアラヴラ修道院」の名で言及されていたはずです(後で確認します)。--おいしい豚肉会話2022年5月7日 (土) 00:45 (UTC)[返信]
コメント すみません、ちょっと気になる点があったので、記します。
おいしい豚肉さんが、「東大文学部の助教授である吉川斉氏が『19世紀英国における翻訳イソップ集に関する一考察』と言う論文の中で『アヤ・ラヴラ修道院』という名を使っている」と書かれていらっしゃいますが、論文中にその記述が見つかりません。どのページに掲載されているのかページ数を教えてもらってもいいですか?自分が見落としただけかもしれないので、もう一度要見返してみますが。
『世界地名大事典 4 ヨーロッパ・ロシア 1 ア−コ』の「アギアラヴラ修道院」は恐らく編集者の方が英語文献をチェックして、英語読みでそのカタカナ表記になってしまったのかなという感がします。というのはΑγίαの定番カタカナ表記はハギアだからです。もちろんだからといって、この記事の当該修道院の日本語表記でハギアを使用しているという事にはならないと思いますし、「「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」なので、「アギアラヴラ修道院」が日本語表記で定着してしまっているのなら仕方がありませんが。
ちなみにΑγία Λαύραは通称で、修道院の公式ページでは、Μονή της Αγίας Λαύρας表記です。意味的には「聖なるラヴラの修道院」といったところでしょうか(「聖なるラヴラの修道院」へ改名しようと提案している訳ではありません)。ラブラは名詞的に使われていますが、修道院にも様々な形態があり、その中でどのような修道院形態であるかを示すので形容詞的な意味合いもあります。ラヴラ(ラウラ)は、もともとパレスチナの地で発祥した狭い通路若しくは回廊がある修道院を語源としています(その後意味が変遷しているので、現代の意味はだいぶ変わってきてしまっています)。その辺日本語話者の間だと正教信者数が少ないために細かい違いを見いだせず、日本語訳の表記バラエティが少なくΜονήΛαύραςも訳的には修道院になってしまうので同じ意味の言葉の繰り返しみたいに見えますが、実際には重言ではありません。
改名自体は賛成しますが、今あがっている改名案はもうちょっと出典を探した方がいいのではないかと思いました。--AppleRingo777会話2022年6月13日 (月) 18:29 (UTC)[返信]

報告 2週間以上お待ちしましたが、『19世紀英国における翻訳イソップ集に関する一考察』のどのページに掲載されているのかについてお返事をいただけませんでした。ですので、ちょっと自分で調べてみました。だったら最初から自分で調べろよと言われるかもしれませんが、自分が見落としていた可能性があるかもしれないので、まず最初に伺って、お返事をいただいてからと考えておりましたので、今頃のタイミングになりました。

今まで見つかった文献の中では、内容的には馬場恵二氏の文献がこの記事の出典とするのがふさわしいのでしょうが、1981年に執筆されたもので、40年以上も前の文献なのが気になります。それ以降に書かれた文献の著者の方々は当然馬場氏の文献は少なくとも目を通しているでしょうから、後に続く方がいない事がもうその表現は使用されなくなってきている事を示唆しているのではないかと気になります。

個人的には「聖ラヴラ修道院」へ傾いています。それによって、どの言語のどの時代のどの方言の発音由来で、それをどう日本語の片仮名で表記するのかの論争を回避でき、かつ使用例があるので独自研究とはならないと思うからです。--AppleRingo777会話2022年7月3日 (日) 19:24 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:改名提案の改名候補に聖ラヴラ修道院を追加してきました。山川出版社の『ギリシア史』は町の図書館にあったような気がしますので時間がとれたら確認してみます。--ねこざめ会話2022年7月4日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
報告 桜井万里子編『ギリシア史』(山川出版社、2005年)を借りてきて調べているところですが、963年に設立されたアトス山のラウラ修道院については書いてあるのですが(191頁および巻末年表25頁)、961年に設立されたこちらについては今のところ見つかりません。なお桜井万里子さんのまえがきには表記法について書かれており、ビザンツ時代までは古典ギリシア語の表記法、オスマン以降は近代ギリシア語の発音で表記してあるそうです。古典ギリシア語で表記するのは、日本の“ビザンツ研究者たちの多くが慣例として採用している表記法”だそうです。ついでに周藤芳幸・村田奈々子共著『ギリシアを知る辞典』(東京堂出版、2000年)も借りてきたのですが、こちらもアトスのラヴナ修道院については見つけましたが(年表348頁)、こちらは今のところ見つかりません。--ねこざめ会話2022年7月7日 (木) 18:05 (UTC)[返信]
返信 ねこざめさん、わざわざ図書館にご足労下さった上に、調査をありがとうございます。
前にパレスチナ云々と書いた時に「ラヴラ(ラウラ)」について出典を付けていませんでしたが、日本語の文献でなくて申し訳ないけど、今回は出典を付けます。「ララ」は「ラヴラ」の語源となります。「ラヴ」は初めて聞きました。何が語源になっているのかちょっとわかりません。
ラヴラかラウラはどちらでもいいのですけど、歴史学の研究者の方たちはビザンツ時代とオスマン帝国のくくりで古典か近代ギリシア語を使い分けるとのことで、この辺が宗教学の専門家の方たちとは違っていて興味深いです。宗教学の専門家は時代で区別するのではなくて、まずは純粋主義的に語源になったパレスチナの砂漠にの中にある(あった)独住修道、若しくは半独住修道形態の隠修士の修道院を主にラウラと指し、その上でちょっと解釈を広げてパレスチナ以外の修道院ではパレスチナの修道形態に近いものも時にはラウラと呼ぶ傾向があります。(これも日本語文献ではなくて申し訳ない。)
それとアトス山の方の修道院はララ修道院表記になっていても、こちらの修道院を文献なしにララ表記にしていいものなのか疑問が残ります。
もしこの当該記事の修道院が歴史書(若しくは美術書)に登場するとしたら、絶対ギリシャ独立運動(革命)の時なのですが、史実でなくて伝説扱いで、日本人研究者の間ではもう掲載されないのでしょね。ギリシアでは教科書でも掲載されているそうですが、オスマン帝国、強いては現トルコ(テュルキイェ)に対する対抗心を植え付け愛国心を育もうという意図が見え隠れている気がします。
でもそうするとjawikiのギリシャ独立戦争の記事ではどこから「聖ラヴラ修道院」という表記を引き出してきたのかの謎がまだ解けません。その「聖ラヴラ修道院」が登場する一文に列記されている文献は、桜井氏以外のものはバルカン史か東欧史なので、あまり古典vs近代ギリシア語のどちらかを採択するかのなどビザンツ研究者のお決まりにあまり拘らない方々による執筆なのかなという気がします。
なんか全然解決に貢献しないことをつらつら書いてしまいすみません。--AppleRingo777会話2022年7月9日 (土) 23:06 (UTC)[返信]
返信 本のギリシャ独立戦争の記述のあたりを重点的に探してみましたが、やはり載っていないようでした。ラヴナについては、検索したところブルガリアのラヴナ修道院(en:Ravna_Monastery)くらいしか見つかりませんでした。以上報告まで。--ねこざめ会話2022年7月10日 (日) 21:36 (UTC)[返信]
返信 ねこざめさん、本当にお疲れ様でした。そして調査ありがとうございました。ねこざめさんの献身に敬意を表明します。
個人的には、やっぱり「聖ラヴラ修道院」が一番適しているという考えに変わりはありません。
「聖」という表現を好むのは前に説明したように、どの言語の、どの時代の、どの方言由来の発音を、今度はどう日本語カタカナ表記をするかの議論を回避できるからです。英語の文献ばかりに頼ってばっかりで申し訳ないのですが、例えばこの議論にも登場した有名なイスタンブールの「アヤ・ソフィア」ですが、英語ではビザンティン時代の東方教会の聖堂を指す時はギリシア語由来のHagia Sophiaと表記するのに対して(この場合gは発音しません)、オスマン帝国がビザンティンの聖堂をイスラム教の宗教施設に変更した後のモスクをAya Sophiaと表記し、同じ建物でもわざわざ区別して別表記をすることがあります[1]。ギリシャとトルコの対立は複雑なものがあって、そのような論争に巻きこまれる可能性がある「アヤ」という表現を語源がどうであれ使いたくないという思いがあります。それでもそれしか選択がないのなら致し方ないのですが、この修道院に限っては「聖ラヴラ修道院」を使用している日本語の文献が存在します。
ラウラかラヴラはどちらでも間違いではないので、どちらを採用するかと考えた時、ギリシャ独立戦争時のこの修道院でのエピソードが史実でなくて伝説というのなら、この記事は宗教施設・団体の記事の要素が強くなるので歴史専門家の見解より宗教専門家の見解が優先されてラウラでなくてラヴラでいいと思います。それに、他の修道院でラウラの表記が使われていても、この特定の修道院をラウラと表記している日本語文献は見つかっていません。
またラヴナ修道院の検索ありがとうございました。記事を読みましたら、ラブナはその修道院がある土地の名前がたまたまラブナということで、修道院の形態を表すものではないように見受けられました。
以上を持ちまして、今度は強く「聖ラヴラ修道院」への改名を提案します。--AppleRingo777会話2022年7月11日 (月) 18:07 (UTC)[返信]
賛成 日本語での出典がきちんと明示できるということから聖ラヴラ修道院への改名に賛成します。なおウィキペディア内を検索したところ、ギリシャ独立戦争で「聖ラヴラ修道院」、ギリシャの歴史で「聖ラヴラ修道院」(出典は柴宜弘 『バルカン史』山川出版社、1998年とあります)、ビザンティン建築で「961年に聖アナスタシウスがラヴラ修道院を建設」、アロアニア山で「アギア・ラヴラ修道院」とあります。ギリシャ独立戦争で「聖ラヴラ修道院」とあるのは柴宜弘 編 『世界各国史24バルカン史』山川出版社、1998年が出典かと思われます。--ねこざめ会話2022年7月13日 (水) 19:41 (UTC)[返信]
報告 柴宜弘編『バルカン史』(山川出版社〈新版世界各国史〉、1998年)の第4章「ナショナリズムの勃興と独立国家の形成」(執筆:佐原徹哉)の162頁、および、D・ジョルジェヴィチ、S・フィッシャー・ガラティ著、佐原徹哉訳『バルカン近代史 - ナショナリズムと革命』(刀水書房〈刀水歴史全書〉、1994年)の93頁で「聖ラヴラ修道院」の語を確認しました。以上、報告まで。--ねこざめ会話2022年7月15日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
返信 凄いねこざめさん!あなたは日本語版ウィキペディア編集者の鑑です。ありがとうございます。表記事のテンプレートにも「聖ラヴラ修道院」を追加しました。これで一週間待って反対意見(もちろん出典付きでお願いします)がなければ改名をしたいと思います。これって提案者がブロックされてしまった場合は、他の人が実行してもいいんですよね?--AppleRingo777会話) 2022年7月15日 (金) 17:23 (UTC)誤字修正--AppleRingo777会話2022年7月16日 (土) 15:43 (UTC)[返信]
返信 お褒めにあずかり恐縮です。きちんと出典を明示しているギリシャ独立戦争の執筆者と、本を取りそろえていた図書館に感謝、ですね。なお提案者がブロックされてしまった件ですが、提案のみでその後の議論には関与していませんし、特に問題はないように思います。提案者が改名しなければいけないという決まりも私が知る限りではないはずです。--ねこざめ会話2022年7月16日 (土) 17:48 (UTC)[返信]

報告 反対意見が出ませんでしたので、聖ラヴラ修道院への改名を実施しました。皆さま、長い協議お疲れさまでした。特にねこざめさんの貢献には頭が下がります。改名依頼者でない自分が申し上げるのもなんですが、再度お礼を申し上げます。ありがとうございました。--AppleRingo777会話2022年7月22日 (金) 19:21 (UTC)[返信]