ノート:蒲生賢秀

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

蒲生氏の信長臣従時期について[編集]

現在の記述だと『日本人名大事典 2 カ-コ』(平凡社)を出典に「(事実上の)六角氏滅亡後も忠義を通し、最後まで抗戦の意思を捨てなかった忠臣」という事になっているんですが、『信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)によると、「永禄11年(1568年)9月、信長が近江に進撃するに至っていち早く降り、その軍に加わる(足利季世記)」「元亀元年(1570年)5月、改めて信長から知行安堵を受け~」とあり、 信長の上洛軍に正規に所領安堵を受ける前に、真っ先に降伏して、その先兵となっている姿が記されているのですが、どちらが本当の姿なのでしょうか?--ポテンシャル0会話2015年1月13日 (火) 06:03 (UTC)[返信]