ノート:薄熙来

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部長島耕作[編集]

島耕作是日本漫畫家弘兼憲史所創造出來的一個漫畫人物,他升職到公司""部長""(日本公司職稱)到中國上海工作的時候有遇到一個中國公司2號人物,其際遇驚人的相似!也是預謀奪取原公司,並私下抽鴉片玩女人,並和黑道掛勾!........Encolpius(留言) 2012年4月11日 (三) 10:51 (UTC)ENCOLPIUS

泉州大夫惟宗朝臣氏による「不当な白紙化」について[編集]

泉州大夫惟宗朝臣氏は[1]荒らし行為不当な白紙化)を行ないましたので、rvしました。特に、「出典のある情報や重要な検証可能な参考文献が、要約欄に正当な理由を書かずに除去」しておられます。ノート欄で議論する等、正当な手順を踏んで下さい。また、この記事は現在進行中の事象を含んでおり、Wikipedia:最新情報の反映にあるように、「速報的な編集には出典を」必ずつけて下さい。--114.181.204.150 2012年10月1日 (月) 00:06 (UTC)[返信]

私の編集をよく読みたまえ。箇条書き的な、到底百科事典とは言えない記事スタイルを文章化しましたが、その際に出典も付加しています。むしろ、以前のもの以上に付加しています。IPユーザー氏に荒らし呼ばわりされる筋合いはありません。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年10月1日 (月) 02:50 (UTC)[返信]

泉州大夫惟宗朝臣氏、あなたのこのリバート[2]Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに反しています。直ちに元にお戻しください。私が言いたいのは正当なプロセスで合意を形成すれば「記事スタイルを文章化」しても良いですよということです。あなたは薄熙来氏の経歴を削除なさっていますが、経歴は(文章の後ろにでも)残すべきです。あなたの文章内には経歴が残されておらず、「記事スタイル修正および加筆。」にはあたらず、虚偽申告になっています。つまりこの「Blind Delete」(Wikipedia用語です。Wikipedia:Criteria for speedy deletion/Explanations)が、荒らし行為不当な白紙化)なのです。経歴はこの時[3]に中文版から正当なプロセスで継承されているので、経歴を削除するのであれば記載内容が間違っている箇所を証明するソースが必要です。なぜなら、繰り返しますが、この記事は現在進行中の事象を含んでおり、Wikipedia:最新情報の反映にあるように、出典を必ずつけるというWikipediaで合意形成されたルールがあるからです。あなたの記述内容が正しくとも、面倒であろうとも、ルールは守るべきです。--114.181.204.150 2012年10月1日 (月) 04:31 (UTC)[返信]

コメント IP:114.181.204.150さん、こんばんは。Ashtrayと申します。主に、東アジア周辺の人物記事などを書いているユーザーです。
まぁ、とりあえず、落ち着きましょう。
日本語版ウィキペディアには、「安易に荒らしと呼ばない」という条項もございますし、言葉を選びながら、対話を進めてゆきましょう。
さて、泉州大夫惟宗朝臣さんの編集を拝見したのですが、大幅な改変を伴うもので編集前後の違いを追うのは大変でした。しかし、問題があるような編集は、とくに見受けられませんでした。
確認しますが、IP:114.181.204.150さんが問題であると感じているのは、編集前の「経歴」節にあった、"1968年北京四中卒業" から "2012年9月28日中共中央は…(中略)刑事訴追することを決定" までの年表部分が消えたこと、でよろしかったでしょうか?。他にもあれば、お教え願います。--Ashtray (talk) 2012年10月1日 (月) 12:18 (UTC)[返信]
Ashtrayさん、お忙しい所を有り難うございます。さっそくですが、泉州大夫惟宗朝臣氏の作業以前の中文版から翻訳された経歴では「
1978年2月 - 1979年9月 北京大学歴史系世界史学部(四年制)で学習
1980年10月 中国共産党入党
1982年 中国社会科学院研究生院卒業、修士号を取得
」という記述がありました。泉州大夫惟宗朝臣氏の文章では、ソース無しで、「1977年2月、北京大学歴史系世界史専攻に入学。1979年9月、中国社会科学院研究生院(大学院に相当)国際新聞(報道)専攻に入学。1982年8月に修了して修士号を授与された。」に変えられています。
ここには3カ所のソースの無い記述が入っています。「1978年2月->1977年2月」の変更、「1979年9月・・・入学」、「(1982年)8月(・・・卒業、修士号を取得)」です。これは、ソース無しで独自研究で作文なさった結果起こったことなのか、単にソースを添付し忘れただけなのかは判断出来かねますが、少なくともソースがあるのであれば添付するべきで、ソースがなければ元に戻す・削除です。
つまり、年表部分が消えた「Blind Delete」だけでなく、ソース無しの追加・改竄の記述も問題なのです。さらに、対話を促しても拒否して何の説明も無く、その後も追加の記述を泉州大夫惟宗朝臣氏は[4]で強行されました。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに反しています。これまで本項で積み上げられてきた正確な履歴継承を著しく損ねる行為に猛省を求めます。--114.181.204.150 2012年10月1日 (月) 16:08 (UTC)[返信]
コメント IP:114.181.204.150さん、こんばんは。ご返事ありがとうございます。
いろいろお話したきことはございますが、一点だけ誤解があるようですので、今日はそのことだけ。
まず、他言語版からの翻訳に際しては、GFDLライセンス条項に基づき、きちんと履歴を継承(要約欄に翻訳元と時間を明示)せねばなりません。確かにその通りです。
しかし、他言語版の翻訳元にソースがなければ、翻訳後も結局はソースがなく、「Wikipedia:検証可能性」に反することには変わりがありません。きちんとソースが示されねばなりません。
まぁ、これは過去の私自身への反省でもあるのですがね(^^;;。
私も昔はよく「○○語版には参考文献がなく、でも記事として存続しているのだから、それを翻訳しても問題ない」という考えを持って、多くの翻訳記事を量産していました。しかし、それは誤りでした。
今は反省し、そのような記事を訳す際には、日本語の文献を調べて、付け足す様に心がけています。
ところで、IP:114.181.204.150さんがご指摘されました、泉州大夫惟宗朝臣さんによる「1978年2月->1977年2月」等の編集は、ソースはおそらく参考文献の『中国重要人物事典』ではないでしょうか。--Ashtray (talk) 2012年10月3日 (水) 11:41 (UTC)[返信]
「Template:独自研究」を貼りました。ソースを添付して下さい。--114.181.204.150 2012年10月3日 (水) 21:20 (UTC)[返信]

Ashtrayさん、お疲れ様です。泉州大夫惟宗朝臣です。コメントを賜り、ありがとうございます。仰る通り、件の編集は『中国重要人物事典』をソースとしております。先ほど、ページを出典として追加しました。このため、「Template:独自研究」は不要ですので撤去しております。ご確認ください。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年11月29日 (木) 02:24 (UTC)[返信]

コメント 泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。お疲れ様です。
件の編集を拝見いたしました。ソースが明確化されるとともに、異なるソースについてもきちんと言及されており、問題ないと思います。IP:114.181.204.150さんも、この部分は納得して頂けるのでは、と期待します。
まぁ基本的に、人物伝における「19XX年、○○の職に就いた。」という程度の簡単な経歴ならば、General Reference(参考文献節にソース本を載せておき、注釈は無し)で十分だと思います。
個々の経歴に注釈を付けるとすれば今回のように、複数のソース間で情報が異なる時、ノートで出典を求められた時、で良いと思います。
例えば極端な話、「薄[1][2][3]は、中華[4]人民[5]共和国[6]の政治家[7]。」なーんて事になっては、笑えない笑い話ですからね。--Ashtray (talk) 2012年11月29日 (木) 13:21 (UTC)[返信]

泉州大夫惟宗朝臣氏による「中央直轄地」書き込みについて[編集]

泉州大夫惟宗朝臣氏によって、執拗に「中央直轄地」という字句が書き込まれています。中華人民共和国憲法をみれば明らかなように、中国の一級行政単位は省、自治区、直轄市、特別行政区だけであり、中央直轄地は存在しません。依拠した出典にあるからといって、明らかな誤りを正確さが何よりも重視される百科事典に書き込むその理由が理解できません。自分の記述が他人に書き換えられるのがイヤ、という態度は、百科辞典執筆者としてふさわしくありません。--無名氏会話2012年12月19日 (水) 05:54 (UTC)[返信]

先ほど本文の要約欄にも書きましたが、富坂氏があえて「中央直轄地」と出典元に書いている可能性もあるのです。ならば、本文を執筆するさいに彼のレポートを引用した私としては、出典先に合わせる必要があるのです。確かに重慶市は「直轄市」です。だから、無名氏の指摘を受けて、脚注で「行政単位としては直轄市」としました。これ以上の修正は不要と私は思います。「自分の記述が他人に書き換えられるのがイヤ、という態度」などという無名氏の暴言は到底受け入れられません。
私がこのコメントを書いている最中に、また無名氏が勝手に表記を書き換えました。この態度こそどうなのでしょうか。いったん、差し戻します。そのうえで、このノートで決着をつけましょう。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年12月19日 (水) 06:10 (UTC)[返信]

富坂氏の出典元を読んでも、「直轄市」を(四番目の)「中央直轄地」とする必然性はありません。単なる誤記、誤植の類と考えられます。また百科事典の記述は出典元の記述を丸写しすることではありません。妥協して「直轄市(中央直轄地とする人もいる)」とし、第三者の判断を仰ぐことにしましょう。--無名氏会話2012年12月19日 (水) 06:17 (UTC)[返信]

貴方が富坂氏のレポートを読んで必然性を感じなかったとしても、それは貴方の捉え方。誤記、誤植とするのも、貴方個人の考え方。富坂氏の考え方とは違うかもしれませんね。まあ、我々が富坂氏の考え方を忖度しても仕方がないですね。私としては現状が妥協点ですので、貴方の「直轄市(中央直轄地とする人もいる)」は受け入れられません。そんな書き方をすると、文章がおかしくなりますから。それに、私に対する暴言に対する謝罪もないですし。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年12月19日 (水) 06:25 (UTC)[返信]
ああ、また決着もついていないのに自分の意見を本文に反映するのですか。わかりました。貴方は私と対話をするつもりはないのですね。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年12月19日 (水) 06:27 (UTC)[返信]
ジャーナリストが政治情勢を主題とした記事として商業誌に書いたもので、中国の行政単位について「あえて」実在しない単位を用いて表記したたとしても、それを常識的な判断で修正することなく百科事典の記述に採用する理由はないと思います。そこらへんは、原典原理主義みたいにならず、その分野の知識やメディアリテラシー的な常識で判断していくべきことだと思います。正誤については無名氏さんが既に示しています。泉州大夫惟宗朝臣さんが「あえて」の部分の根拠を示す番だと思いますよ。--Ks aka 98会話2012年12月19日 (水) 06:28 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、コメントありがとうございます。たしかに、あなたの仰る通りです。少々熱くなっておりました。確かに地方行政単位として重慶市は「直轄市」であるというのは、無名氏に指摘されるまでもなく存じていました。ですが、出典先には必ず合わせたほうがよかろうと思い、かような仕儀と相成りました。本文の表記を「直轄市」に合わせるのには同意します。ただし、それは無名氏の私に対する暴言への謝罪(この節の「執拗な」というタイトルの取り消しも含む)と、まだ合意もしていないのに、編集を強行した件についてのコメントを得てからのことです。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年12月19日 (水) 06:40 (UTC)[返信]
はい。では、上の節でのやりとりも含めて、互いに礼儀を忘れずに、対話をするよう心がけください。双方とも、自分の正しさを信じ、他者の意見や考えを聞かずにいるように見えました。論点を見出し、なぜ自分の判断が妥当なのかの説明を相手に理解できるようにすれば、多くの論争は防げます。解決しなくとも、意見の齟齬であれば、コメント依頼などで第三者の参加を促すことができるでしょう。引き続き記事の発展にご協力ください。--Ks aka 98会話2012年12月19日 (水) 07:02 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、コメントありがとうございます。私としては泉州大夫惟宗朝臣さんが本文の表記を「直轄市」に合わせるのに同意するのであれば、これ以上論争を続ける必要はありません。私も少々熱くなっていたことを認めます。泉州大夫惟宗朝臣さんに失礼な表現があったことはお詫びします。この節のタイトルは修正します。ただ「編集強行」については、合意が困難であるので保護依頼に出し第三者の意見を聞いたわけで、今回はやむを得なかったという気もしますが、コメント依頼という方法もあったのかと思った次第です。今後は円滑なウィキペディア書き込みに努めますので、よろしくお願いします。--無名氏会話2012年12月19日 (水) 07:25 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、ご仲介ありがとうございました。今般の件は大いに反省し、今後の糧として参る所存です。今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。
無名氏さん、こちらこそ失礼致しました。同じ分野に関心ある方とお見受けいたします。これからも色々貴方からご指摘を受けることもあろうかと思いますが、その時は何卒お手柔らかによろしくお願い致します。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年12月19日 (水) 08:18 (UTC)[返信]
泉州大夫惟宗朝臣さん、暖かい発言ありがとうございます。同意が形成されましたので、さきほど保護依頼を取り下げてきました。本文は合意に基づき更新しました。私も今回の件はいろいろ反省するところがありました。どうか今後ともよろしくお願い申しあげます。--無名氏会話2012年12月19日 (水) 08:50 (UTC)[返信]

節「失脚」と記事「薄熙来事件」について[編集]

利用者:泉州大夫惟宗朝臣さんはこの編集で「薄熙来の人物伝に欠くことのできない重要な記述」としてrevertされましたが、具体的には何でしょうか?

私の編集でも以下のことは記事「薄熙来」ではっきりと記載しています。

  • 2012年2月に側近の王立軍がアメリカ領事館亡命未遂事件を起こしたこと
  • これに端に発し、薄熙来に絡み、妻による英国人実業家殺害、一族の不正蓄財、マフィア撲滅運動における拷問問題などの数々のスキャンダルが明らかになったこと
  • 王立軍亡命未遂事件発覚後も薄熙来は暫くは政治的地位を保っていたこと
  • 2012年3月に薄熙来が重慶市代表を率いて全人代に出席したこと
  • 2012年3月8日に第11期全人代第5回会議での「刑事訴訟法修正案」の審議の際、薄熙来は会議を欠席したこと
  • 2012年3月9日に薄熙来が記者会見に応じたこと
  • 2012年3月15日に薄熙来が重慶市共産党委員会書記を解任されたこと
  • 2012年4月10日に薄熙来が共産党中央政治局委員・中央委員の職務を停止されたこと
  • 2012年9月28日に薄熙来が中国共産党党籍を剥奪されたこと
  • 2012年10月26日に薄熙来が全国人民代表会議代表資格を取り消され、全ての公職から追放されたこと

「薄熙来の人物伝に欠くことのできない重要な記述」させたとのことですが、例えば「薄熙来失脚劇の取材目的に米国新聞が中国高官等に接待攻勢していた」という記述の復活は人物記事「薄熙来」において「薄熙来の人物伝に欠くことのできない重要な記述」とは思えません。事件記事「薄熙来事件」で書けば十分ではないでしょうか?--TempuraDON会話2013年4月10日 (水) 08:40 (UTC)[返信]

温家宝が全人代の記者会見で薄熙来を批判した件は、薄の人物伝において欠かすことはできないでしょう。また、王立軍亡命未遂事件は薄が失脚する契機となったので、なぜ王が亡命を企てたのかも含め、この記事にもある程度詳しく載せておくべきです。貴方が重慶事件(薄熙来事件)の項目を立項されるのは喜ばしいことですが、それならばこの薄熙来の項目以上に詳しい内容を当該記事で執筆されれば結構ではないですか。何もこの記事から転記などせずとも宜しいでしょう。なお、貴方が仰るように、現状の「失脚」の節の最後の一文の削除には同意します。--泉州大夫惟宗朝臣会話2013年4月10日 (水) 16:58 (UTC)[返信]
泉州大夫惟宗朝臣さんの意見も参考にし、節「失脚」について以下のような時系列にしてみました。
  • 2011年11月の英国人実業家の死亡発覚
  • 当初は急性アルコール中毒としていたが、死亡者が禁酒家であったため、殺人の疑惑が急浮上
  • イギリス政府による中国政府への英国人実業家死亡事件の全容解明の要請
  • 王立軍が捜査責任者として英国人実業家死亡事件について再捜査
  • 薄熙来の妻と薄熙来の生活秘書が英国人実業家を毒殺したこと及び英国人実業家が薄一家の不正蓄財した財産の海外送金に関与した疑惑
  • 王立軍の重慶市公安局長解任
  • 王立軍亡命未遂事件
  • 王立軍事件による薄熙来のスキャンダルのメディア報道
  • 薄熙来に対する専門調査グループの設置の噂
  • 2013年の薄熙来の重慶市代表を率いて全人代に出席
  • 第11期全人代第5回会議での「刑事訴訟法修正案」の審議の際、薄熙来の欠席
  • 3月9日の薄熙来による記者会見
  • 3月14日に温家宝首相が記者会見で薄熙来の「唱紅・打黒」運動を文化大革命になぞらえて批判
  • 3月15日の重慶市共産党委員会書記解任
  • 事件発覚による妻・谷開来の身柄拘束
  • 4月10日の中央政治局委員・中央委員の職務停止
  • 9月28日の党除名及び刑事告発
  • 10月26日の全国人民代表会議代表資格取り消し
これらのエッセンスを維持した上で、記述を再編してみました。
また「薄熙来失脚劇の取材目的に米国新聞が中国高官等に接待攻勢していた」は同意があったとみなして、除去しました。--TempuraDON会話2013年4月11日 (木) 01:29 (UTC)[返信]
概ね結構かと思いますが、薄一家の不正蓄財についても詳述が必要です。また、3月15日の重慶市党委書記職解任について、中国共産党中央組織部は「重大な党規律違反」という表現は使っていません。4月10日の新華社による谷開来の司直への送致公表と薄の政治局委員職務停止発表は、当時の薄のおかれた状況をダイレクトに表しています。この3点は以前の記述に戻してください。また、重慶市党委書記解任後、大連時代の関係者が摘発されたことは、それこそ薄熙来事件の項目で記述すればよいでしょう。削除を求めます。--泉州大夫惟宗朝臣会話2013年4月11日 (木) 02:27 (UTC)[返信]
>薄一家の不正蓄財についても詳述が必要です。
「薄一家の不正蓄財」の「詳述」とありますが、以前の文章では「また、この事件の捜査過程において、薄夫妻には数十億ドルにものぼる不正蓄財があり、それを海外送金していた疑惑も明らかになってきた」くらいしかなかったように思います。私には「数十億ドルにものぼる」という金額について記載されているかされていないかぐらいの違いしかわかりませんでした。「数十億ドルにものぼる」という金額については以前の文章にならって記載しました。「薄一家の不正蓄財」の「詳述」について他にも見落としてた点がありましたら、お願いします。
>3月15日の重慶市党委書記職解任について、中国共産党中央組織部は「重大な党規律違反」という表現は使っていません。
失礼しました。王立軍亡命未遂事件に絡む政治的責任という言葉に修正します。
>4月10日の新華社による谷開来の司直への送致公表と薄の政治局委員職務停止発表は、当時の薄のおかれた状況をダイレクトに表しています。
個人的には、薄熙来が「3月15日の重慶市共産党委員会書記解任」「4月10日の中央政治局委員・中央委員の職務停止」「9月28日の党除名及び刑事告発」「10月26日の全国人民代表会議代表資格取り消し」と政治的地位が失われていく過程を淡々と記載しているのが望ましいと思ってます。そんな中、妻とはいえ別人格の人間の「司直への送致公表」を急に割り込ませる形で記述するのは、どうも文章が美しくないように思います(まあ、私が当初編集した文章でも、薄熙来本人以外の人間が摘発されたことを割り込ませていたので、私の文章も「薄熙来が政治的地位が失われていく過程」に急に割り込ませる形で「別の人間が摘発されていった」ことは記載していたので、美しくはなかったのですが)。だけど、泉州大夫惟宗朝臣さんの意見を尊重し、薄熙来が政治的地位が失われていく過程を淡々と記載する文章の途中で、急に割り込む形で「妻の司直への送致公表」を記載することにしました。
>重慶市党委書記解任後、大連時代の関係者が摘発されたことは、それこそ薄熙来事件の項目で記述すればよいでしょう。削除を求めます。
前述に絡むことですが、私は個人記事「薄熙来」で妻とはいえ別人格の谷開来の司直への送致公表を記載だけされる一方で、他の人間については一切記載されていないのが、不自然に思っていました。なので、他の人間についても記載した方がバランスが取れると思ったので、あのように書きました。個人的には薄熙来本人以外に摘発された人間について「妻の司直への送致公表」だけ記載することには違和感が残りますが、泉州大夫惟宗朝臣さんの意見を尊重し、「大連時代の関係者が摘発されたこと」を除去しました。
以上、編集しました。--TempuraDON会話2013年4月11日 (木) 05:52 (UTC)[返信]
TempuraDONさん、ご配慮いただきありがとうございます。谷開来の事件は、薄が失脚する原因の引き金になったので、この記事でも執筆しておく必要があると思います。今般の4月10日の記事の扱い方では、私の望む形にはなっていません。申し訳ありませんが、こちらで旧に復します。また、「失脚」の節の最後の一文の書き方では「誰によって」と突っ込まれますよ。出典が掲出されないのであれば、こちらで削除いたします。--泉州大夫惟宗朝臣会話2013年4月11日 (木) 17:10 (UTC)[返信]
>また、「失脚」の節の最後の一文の書き方では「誰によって」と突っ込まれますよ。
すいません。「職権乱用」「収賄」「女性との不適切な交際」はCNNで報じられていましたが、読売新聞や産経新聞の報道では刑事訴追される可能性があるのは、「職権乱用」と「巨額の収賄」であり、「女性との不適切な交際」はありませんでした。
元の記事では「刑事訴追することを決定」とあるだけで薄熙来について具体的な罪状について記されていないので、(訴追不訴追の判断が下されていない現時点の)暫定的な記述として読売新聞の報道を根拠に「「職権乱用」と「巨額の収賄」での刑事訴追の可能性」」として、記載させていただきます。
「女性との不適切な交際」は刑事訴追対象ではありませんが、CNNの記事を根拠にスキャンダルの1つとして記載させていただきます。--TempuraDON会話2013年4月11日 (木) 17:57 (UTC)[返信]
TempuraDONさん、出典を整備していただき、ありがとうございます。ただ一つ疑問が…。現状ですと王立軍亡命未遂事件発覚の段階で女性問題が公になったと読めるのですが、それは正しいのですか?--泉州大夫惟宗朝臣会話2013年4月11日 (木) 18:05 (UTC)[返信]

>谷開来の事件は、薄が失脚する原因の引き金になったので、この記事でも執筆しておく必要があると思います。今般の4月10日の記事の扱い方では、私の望む形にはなっていません。申し訳ありませんが、こちらで旧に復します。
個人的には元の文章のエッセンスは殆ど取り入れたつもりでしたが、確かに見落としてました。個人的にはエッセンス的な見落としは2つ(「新華社による公表」「ニール・ヘイウッドは他殺であり」)の違いしかわかりませんでした。他にも私が把握していないエッセンスの見落としがあったのかもしれませんが、「4月10日の記事」については、泉州大夫惟宗朝臣さんの編集は「ニール・ヘイウッドは他殺」「事件に薄熙来の妻・谷開来らが関与」「谷開来らがすでに司法当局に身柄を送られたこと」「新華社がこれら3つを公表」「薄熙来に重大な規律違反があったために中央政治局委員・中央委員の職務を停止したこと」「党中央規律検査委員会に審査をゆだねたこと」「同日に党中央がこれら2つを公表」というのが主なエッセンスということでよろしいでしょうか?
もしそうでしたら、「4月10日の記事」について、私は泉州大夫惟宗朝臣さんの編集のままでいいと思います。
>現状ですと王立軍亡命未遂事件発覚の段階で女性問題が公になったと読めるのですが、それは正しいのですか?
私は「薄を巡る数々のスキャンダルがメディアで報道」について王立軍亡命未遂事件発覚段階に限定したつもりはなかったのですが、確かに人物記事「薄熙来」は「経歴」の中では時系列形式にそう読まれる可能性がありますね。
なので、「女性との不適切な交際」は事件記事「薄熙来事件」に移転させていただきます。王立軍亡命未遂事件発覚後に関する記述においては、「女性との不適切な交際」について「スキャンダル」という曖昧な文言におさめ、「女性との不適切な交際」という言葉は事件記事「薄熙来事件」にゆだねる形にします。--TempuraDON会話2013年4月11日 (木) 18:23 (UTC)[返信]

TempuraDONさん、ご配慮いただき、誠にありがとうございます。これで一旦解決ということで宜しいのではないでしょうか。後は私もより勉強して、当時の胡錦濤指導部と薄熙来の路線対立の面から重慶時代と失脚の節の記事をブラッシュアップしていきたいと考えています。その折にはご意見を頂戴できればと思います。どうもありがとうございました。--泉州大夫惟宗朝臣会話2013年4月11日 (木) 18:34 (UTC)[返信]
>これで一旦解決ということで宜しいのではないでしょうか。
それでは、告知を取り下げます。ありがとうございました。--TempuraDON会話2013年4月12日 (金) 02:17 (UTC)[返信]