ノート:贈り物

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再構成[編集]

今回追加された「概要」ですが百科事典的に問題がありすぎるようです。まず概要というには長すぎます。出典が全くありません。有形/無形、自発的/儀礼的、物品/金銭、贈与の目的、といった概念の整理が明らかに足りません。一口で言って、エッセイとしか読めません。「…なんていうのはよくある話である。」って、こういう書き方はWikipedia的にどうなんでしょうか。

それ以前にあった「時期」も問題が多いようです。「クリスマスプレゼントは品物を指定できないが、誕生日祝いなら指定できる」といった独自見解。「(誕生日祝い)をあげることが大切である。」といった個人的アドバイス。これらも百科事典的(少なくともWikipedia的)とは思えません。

いきなりの大改稿ですみませんが、「動機」および「地域」で再構成しました。詳しい説明はリンク先の記事に任せて、この記事では独自研究に踏み出さないよう最小限の説明でいいんじゃないでしょうか。--HassakuSuzume 2010年7月9日 (金) 08:53 (UTC)[返信]

概要部を投下した側です。以前の版は、如何様に言っても未整理な羅列の域にあり、過不足著しく主体の説明になっていなかった(贈り物が成されるシチュエーションの一部列記)面もあり、ともすればWP:TRIVIA上芳しくない羅列記事と感じたため概要部を投下しました。また、概要は贈り物やプレゼントという観念をまとめたものであって、記事の要約ではありませんから「長すぎる」という指摘には異をはさみたいところです。また改稿版は以前の版ほどではないにせよ「要素の羅列」でしかなく、記事の主体とすべき事物を説明しきれていないと考えます。まあ「エッセイ」だといえばそうかもしれませんが、それは主体物の解説を「色々な展示物が並ぶギャラリーを見て回るように」一連の説明とするうえで、それらが連続性を持った文章として一連なりの「エッセイ的な記述」に落ち着くのは、断片的な要素を列挙してあるよりは説明的と考えています。なお、「なんていうのはよくある話である」という件は、ともすれば説明を文学的というかエッセイ的に偏らせた感を含むとはいえ、より通俗的で卑近な例を挙げることで、読者の実経験に基づいて理解を進めて頂こうという「小技」です。まあこの辺りは、まず概要の文で全般的な事柄や俗な事柄を、更に節を分けて専門分野への言及をする上での枕として機能することを期待しての概要節投下でしたが、別に掲載にはこだわりません。--夜飛/ 2010年7月9日 (金) 09:26 (UTC)[返信]
なお余禄として言えば、「短すぎる概要節は設置すべきではない」と考えます(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文)。--夜飛/ 2010年7月9日 (金) 09:29 (UTC)[返信]
改めて改稿版を拝見したのですが、やはり「整理の足りない羅列記事」(→WP:TRIVIA)の域にあると思います。HassakuSuzumeさんは「リンク先の記事に任せ」とはおっしゃっているのですが、果たしてリンク先の記事でどれほど「贈り物」に言及しているかは疑問で、まま行事に関連しては「この時期に贈り物が(どういう意味づけで)行われる」的な記述は見出されるとはいえ、読者は重み付けもまちまちな各々リンク先記事を一律に目を通さなければならないという点で、可読性が悪い…言い換えれば本項で説明すべき主体事物である贈り物の説明を放棄しているとしか思えません(そしてそれは百科事典的ではない)。せめて、その各々の要素がどういう形で贈り物という観念に関与しているのかを、要素のカテゴライズにあたる節見出しだけではなく、きちんとした文章で説明すべきかと考えます。--夜飛/ 2010年7月11日 (日) 02:04 (UTC)[返信]
夜飛さん、丁寧なコメントをありがとうございます。文献を元に加筆してみました。あまり図書館へ行く時間が無かったので、やっつけだったりちぐはぐな所もありますが、おいおい加筆修正してみます。--HassakuSuzume 2010年7月15日 (木) 11:08 (UTC)[返信]
文献調査と加筆お疲れ様です。ただ…うーん、こんなこと言うのも憚られるところなんですが、依然として主体である「贈り物とはどのようなものであるか」の中心となる文章に欠き、シチュエーションとか状況とか要素といった末の部分だけが肥大化していっているように思います。まあ文献から得られる情報がいわば「点」(著者の視点であったり時系列における時点であったり)であり、幾つかの同系統の情報を列挙することで2点間を結ぶ「線」が見えてくるとはいえ、それらで「面」として・全体像として描き出すのは難しいのかもしれませんが。ある程度は全般的で通俗的な話を盛り込んで、風呂敷広げるしかないのかなあと思います…「贈り物」という行為は、特殊で場所や時代に限定的な文化ではなく、また威厳や伝統などで様式の固定化された儀式でもなく、おおよそ人間の社会では極めて普遍的で俗な、かつ多岐にわたる行動様式なので。--夜飛/ 2010年7月15日 (木) 11:57 (UTC)[返信]