ノート:金沢文庫

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「金沢文庫(かねさわぶんこ)」の読み方は正しいですか、「かなざわぶんこ」だと思いましたけど、私は日本語のnative speakerではないので、直せません。ところで、「かなざわぶんこ」と言う人の名前もありますか。--ペーター 2006年2月17日 (金) 05:57 (UTC) 今、最後の行を読みました。日本語はやっぱり難しいですね。--ペーター 2006年2月17日 (金) 09:14 (UTC)[返信]

 「金沢」は、鎌倉時代には、「かねさわ」と呼ばれていました。「かなざわ」という呼び方が定着したのは、江戸時代中期以降だと聞いています。 111.104.45.160 2011年7月7日 (木) 13:48 (UTC)ヒロ 2011/7/7[返信]

疑問いろいろ[編集]

「発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。」とのことですが、この根拠を示してください。阿字ヶ池は、発掘調査されましたが、金沢文庫跡は、対象となっていないのでは。 「室町時代には上杉憲実が再興している。」についても、根拠を示してください。上杉憲実は、金沢文庫本を大量に持ち出したとは聞いておりますが、「再興」というのは、初耳です。 日本語として、手術不一致など不適切な表現があります。たとえば、「名称の由来は、…建立。」「…再建された金沢文庫は、…復興された。」 「金沢文庫の蔵書」とは、何を指しているのでしょうか。「金沢文庫本」と呼ばれるものは、ほとんどが持ち出しされており、現在収蔵されているのは、聖教がほとんどだと聞いております。また、「蔵書(?)」だけではなく、称名寺などに伝えられていた仏像や美術品も保管されています。 また、「…称名寺大宝院跡に再建された」は、「大宝院の境内」ではないでしょうか。 111.104.45.160 2011年7月7日 (木) 14:12 (UTC)ヒロ[返信]

  • 現在の県立金沢文庫を建設する前に、発掘調査が行われています(本文に追記)。「大宝院」の名はgoogle地図にも載ってますが、小さな堂が1つ残っているのみのようです。
  • 関 靖『かねさは物語』(1938)[1] 稱名寺(104コマ)、金澤文庫(127コマ)
この筆者によると、上杉憲実が再興したという説は疑わしい(足利学校と混同?)、むしろ書籍を足利に持ち出したのでは、という。
  • 鎌倉時代の文庫と現在の県立の文庫は違いがわかるよう、もう少し加筆する予定。

 --忠太会話2021年10月27日 (水) 15:17 (UTC)、2021年10月26日 (火) 16:43 (UTC)、 2021年10月26日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

その他[編集]

  • 角川文庫『江戸名所図会』(p337)によれば、林羅山が文選、左伝、群書治要、斉民要術、律令義解、本朝文粋、続日本紀などを(称名寺で?)見たとか(丙辰紀行)。また同ページの(注)によれば北条実時が筆写した本が11種知られているという(文選、左伝、群書治要、斉民要術、律、令義解など)。

 --忠太会話2021年10月26日 (火) 16:43 (UTC)、 2021年10月26日 (火) 13:39 (UTC)[返信]

  • 「金沢学校」…[2]『唐柳先生集』に「正和元年(1312年)九月廿七日於武州六浦金澤学校書写畢」と奥書がある。

 --忠太会話2021年10月30日 (土) 12:47 (UTC)[返信]

  • 金沢文庫本の定義…文庫印があるもの、or金沢氏の奥書がある写本。(多くは漢籍。仏典は少ない)
  • 貞顕?は称名寺に一切経を寄進した。

 --忠太会話2023年3月19日 (日) 14:31 (UTC)[返信]

赤城神社年代記[編集]

赤城神社『年代記録』の正和5年(1316)の記事に「金沢文庫」とあるらしい。しかし、年代記でネット検索すると貞和元年(1345年)-明治5年(1872年)の記事だとの話[3]もあって不審である。また、当時書かれた記事そのままなのか、ちょっとよくわからない。  --忠太会話2021年10月31日 (日) 09:39 (UTC)[返信]

ブラタモリでの発言[編集]

ブラタモリ(2024.2.10)に県立金沢文庫の方が出演していて、"金沢文庫は11万点、うち国宝が2万点"と言ってたように聞こえたので、蔵書が11万冊あったのか?と驚きました。国指定文化財等データベース[4]で検索すると、国宝に指定されている典籍(金沢文庫本)は3点ヒット(金沢文庫所蔵の『文選集注』、天理図書館の『宋刊本欧陽文忠公集』、前田育徳会の『両京新記巻第三』)。他に古文書の「称名寺聖教/金沢文庫文書」(国宝)が「員数:16692点、4149通」とあるので、「2万点」というのは主に古文書の数字かもしれませんが、11万点の根拠は不明です。  --忠太会話2024年2月12日 (月) 15:31 (UTC)[返信]