ノート:銃規制

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西村衆議院議員の意見に関する参考資料[編集]

第154回国会 法務委員会 第16号(2002/06/05)
○西村委員 これは副大臣とちょっとフリートーキングしたいんですが、アメリカ合衆国修正第二条は、規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持し、また携帯する権利は、これを侵してはならないとある。そこで、我が国憲法上も、国民がみずからを守ることは国民の基本権である、こう思いますが、副大臣、どうですか。
○横内副大臣 国民が自分を守ることについて、それは基本権かどうかということでありますが、正当防衛は、人間である以上これは当然保有している自然権的な権利であるというふうに思っております。
○西村委員 そうです。そのとおり。そして憲法十二条には、この基本権を不断の努力によって保持しなければならないと書いてあるわけです。
 さて、ここから始まるわけです。したがって、極道が、また犯罪者が武器を携行するのが常態となってきた現代日本において、今副大臣が言った、国民はみずからを守るという基本権を憲法十二条の趣旨に基づいて実効あらしめるために武器を保持することも、アメリカ修正第二条の理念のとおり、基本権ではないか、こう思いますが、いかがですか。

上記、西村衆院議員の発言は、2003年10月24日 (金) 20:27にIPユーザーにより本文に投稿され、私がここに移したものです。西村氏の発言に、現在は「要出典」タグが付いていますが、その出典はこれであり、タグを付ける必要はありませんでした。本文にチェックを入れる人は、当然にノートにも目を通してほしいと思います。
しかし、10年の時を経まして、上記の発言が日本の銃規制政策に特段の影響を与えなかったことは明らかになったと思います。本記事のような大きなテーマでは、個々の議員の発言をその都度とりあげるということはできませんし、西村氏の発言は特別である、というような認定をすることもできないでしょう。この議事録以外の出典がないようなら、今「要出典」が付けられている箇所「例外的に、西村眞悟(衆議院議員、元弁護士)が銃の携帯を国民の人権の一だと主張している。」を除去するほうがよいと思うのですが、どうでしょうか。--Kinori会話2014年4月7日 (月) 01:49 (UTC)[返信]
反対がありませんでしたので、除去しました。--Kinori会話2014年4月14日 (月) 14:06 (UTC)[返信]

リバタリアニズムとリベラリズムは別物でしょう。自由主義と訳すのは後者です。Kinori 23:41 2004年1月19日 (UTC)

手荷物検査と銃規制[編集]

刃物等を調べる際の客観的不審点及び厳格な区切り方が気になります。初はみパン 2007年12月15日 (土) 08:56 (UTC)[返信]

殺人の大部分は銃以外なのか[編集]

銃所持を擁護する立場からの大きな書き換えがありましたが、差し戻させていただきました。「アメリカの銃所持は(中略)1970年代に増加し、同時期に殺人件数も増えた」とあるのを、「この当時においても殺人の大部分は銃以外の凶器によるものが多数を占めた」などと書きかえましたが、米国司法省の統計[1][2]が示すように、現在でも殺人の大多数は銃によるもので、過去も同じです。よく知られた事実を否定してしまうのは、故意の嘘でないとしたら知識に偏りがあるせいではないでしょうか。「俺様流独善的ホームページ」なる個人サイト内の文章『服部君銃撃事件』の疑念が解けぬは、何の出典にもならないでしょう。こうなりますと、その他の中立性を欠く記述の信頼性も疑わざるを得ません。単により長い意見をもってとり換えるという加筆・書き換えではなく、銃規制についての本や論文を下敷きにした加筆・書き換えを期待したく思います。--Kinori 2009年6月26日 (金) 12:56 (UTC)[返信]

警告: :ユーザ Kinori による無為な差し戻し行為は単なる荒らし行為でしかない。[編集]

当方による編集は銃所持を擁護したものではなく、国家が国民の武装する権利を認めている国においては、銃規制という発想そのものが憲法に抵触する可能性の高い違法行為となる、という立場の違いを説明したものであり、“銃所持擁護論”などという表現自体が、米国の事象を語る上で、既に偏見を有した視点に立っている貴方の姿勢を示している。

その証拠に、当方は米国における銃規制論があたかも世論の多数を占めるかのような事実誤認を是正しただけであり、これに何らの反論も試みずに差し戻した点を見れば、貴方が自らの論旨が日本国内のメディア経由で得た情報しか持たず、これを補足する手段として米国内からの出典を都合よく引用しているだけ、という実態まで見透かす事が出来る。

貴方は『米国においても銃器規制派が多数派であり、一部ロビー団体によりそれが妨げられている』といった類の陰謀論を日本語版Wikipedia上で展開したいのかもしれないが、米国市民の圧倒的多数は銃器規制の進展に危機感を抱いており、その反映が2008年7月の連邦最高裁判所による明快な判決となっている。

同判決を以って米国における民間人の銃器所持禁止論は、米国においては一部の者以外の間で完全に終焉した政論となっているが、日本国内のメディアでこの事実を背景まで理解して報道している例は皆無に近く、貴方のような“被害者”が発生している訳だが...

さらに、今回の編集時には失念しており記述しなかったが、無差別銃撃犯が無防備であるが故に反撃される可能性の無い学校施設で好んで事件を起す事から、学校内(対象は学生が成人に近い大学や専門学校)での銃器携帯が要望されている事も、銃規制を肯定的に語る立場からすれば知っている筈の事である。

上記の内容に反論したいのであれば、米国において銃器規制論が優勢である事が事実と示された例を提示する事が必要になるが、信用のおけない世論調査結果や、日本国内で捏造されたような記事を除けば、そのような事例は存在しない事も明白であろう。

また、米国における民間人の銃器所持、とくに短銃の所持が急増したのが60年代末のヒッピーの徘徊と麻薬の濫用によるモラル破壊や、公民権運動が過激化した結果の人種間暴動に起因する点を削除により糊塗して、モラル崩壊とベトナム帰還兵と銃後の社会との軋轢が進展した1975年以降の統計を出典とするのは、明らかに対象年代の誤認もしくは意図的な情報操作の意図が見え隠れする。

また、バトンルージュ事件で射殺された少年が取った奇妙な行動は、事件直後から日本でも報道されており事実誤認では無く、彼をやむなく射殺した男性と少年の友人がともに一致する証言を述べており、男性の正当防衛が認められる大きな要因となった。

個人サイトの記述が出典として不適当であると主張したいのなら、少年は奇妙な行動など取らなかったと、出展を以って主張すれば良いし、まして貴方の独占物ではない公共の記事を、読者に何らの情報も与えんとして削除するような行為は言語道断である。

という事で、次回同様な行為(無為な差し戻し)を行った場合、特定の政治的主張にWikipediaを利用するための悪質な荒らし行為として、貴方の行為を告発する事になるであろう事を、良く認識しておくように。

今回はやむなく当方で差し戻しておくが、今後、当方論旨への反論する際には、必ず今回の非礼に対して謝罪する事も忘れないよう肝に銘じる事。

以上 --219.99.97.67 2009年6月26日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

私は荒らしをしたつもりはありませんので、謝罪はしませんよ。で、あなたは、米国の殺人件数は1970年代ではなく1960年代に急増したのだが、そのときには銃ではなくナイフなどが大部分だったと主張するわけですね。ところであなたは1975年以降は銃が大部分であったことを知っていたのですか。知らなかったのですか。知っていたなら、あなたは自説に都合の悪い重要事実を隠したことになりますし、知らなかったなら、ごく基本的なことについて無知であったことになりますが。--Kinori 2009年6月26日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
今後とも荒らし行為や特定の政治思想を宣伝する場としてWikipediaを使用しないと約束するなら、要出典厨のようなマネをして貴方の自由な活動を妨げる意思は当方には無い。
当方の編集は先に編集を行った人々の記述のうち、日本人の視点に基づく偏向と不正確さ改め、更に現実の米国社会における“銃規制”(米国人は銃器所有の権利への侵害・危機と捉えている)への認識と、バトンルージュ事件について日本では一方的に忘れ去られている事実を記しただけのつもりだ。
それを一括でリバートしたが故に貴方の行為は荒らしと認定された訳だが、勿論一事を以って全てを決するような狭量さで貴方に接するものではないので、こうしてノート欄を通じて真摯に対話している。
まず、米国司法省が提示しているグラフを万能の武器の如く提示した貴方が認識しなければならないのは、米国における故意の殺人が成功した件数と、暴力行為として一括して傷害事件にカウントされる“失敗した殺人”との総数を比較した上で、その主要な武器が銃器だったと証明しなければ、貴方の反論を補強する事ができない、という点だ。
銃器は殺傷力が高いため殺人に使われた場合の成功率が高く、他の武器は失敗して被害者が生存するケースが多いという、単純な事実を示さずに、単に殺人事件件数だけを比較対象に用いようとした点が、既に真実に対して偏見を加えてしまっている。
こうした統計を用いたレトリックを見抜く能力は、文献や資料を引用する上で必須であり、研究者と司書の決定的な違いであり、こうした視点での訓練を受けた者の前に、貴方が提示したようなビジュアルな訴求効果以外に何の史料価値も無い折れ線グラフを提示しても無意味である。
このグラフに示された殺人件数のうちに含まれる有罪件数の割合が比較されていない事は、送検後の起訴率と有罪率が異様に高い日本にしか身を置いていない人にとっては、想定外のレトリックかもしれない。
さらに、裁判にかければ高い確率で正当防衛が認められるようなケースであっても、発生した事実の特定が容易なバトンルージュ事件のようなケースが殺人で起訴される事も、前提知識として知っておかなければならない訳だが、貴方とのやり取りからはこうした知識の不在が確認できるのみである。
勿論、当方は知識の有無を編集の資格に問うている訳ではなく、偏見に支配された感情の吐露をWikipediaにぶちまける行為では、反論に耐えられないという単純な事実を改めて説明しているに過ぎないのだが、この点は貴方でも理解できるであろう。
かつてはこうしたグラフであっても高い説得力を有したのかもしれないが、現在の米国民の多くや議員達は、NRAによる地道かつ効果的な啓蒙活動によって、こうした視点を確保しており、哀しいかなそうした免疫の無い人々だけにしか影響を与えられなくなっており、その結果が民主・共和両党の議員が銃器所持の権利を制限する事に慎重となっている事に端的に顕れている。
勿論、こうしたNRAによる啓蒙活動を“資金力と票にモノを言わせたロビー活動”と見なす視点も銃規制派に存在する事も事実だが、それは単なる政治的主張でしかなく、Wikipediaの基本方針である中立性の確保からすれば、あえて削除される事はあっても、尊重される事の無い存在である事は、貴方にも良く理解できている点であろう。
また、米国においてはNRAが豊富な資金力と票を影響力行使のために駆使する事は“力に裏付けられた正義”として存在し続けるための必須の手段であり、同様の行為は現在のオバマ大統領も、クリントン国務長官も行っており、何らそれを以って批判されていない事から、国民もこれを支持している事が明白である。
米国において忌避されるのは、かつての禁酒論者達が出征兵士達の帰還を前に禁酒法を成立させたような、狡猾な手段を以ってなされる“力なき正義”であり、これは即ちは悪であり、バトンルージュ事件の際に、一部の日本人が行った米国に対する示威活動や請願活動は、まさしくこれに該当する。
当然ながら、貴方が反証を伴って記述を追加する事は自由に行って良いし、貴方が拘っている司法省の殺人件数統計について追加すべきと考えれば追加すれば良い。当方はそれに対する偏見除去の注意書きを読者に提供するかもしれないが、それは当方の正当な権利でもあり、また予備知識の無い読者に対する責務でもある。
勿論、貴方の編集が正しい内容であればそのまま残して行く。 それだけの事だ。--119.150.13.125 2009年6月26日 (金) 16:19 (UTC)[返信]
殺人の話をしているときに、なぜ「失敗した殺人」について証明しなければならないのでしょうか。もし、銃を使うほうが死にやすいなら、凶悪犯罪が銃で占められる理由が一つつく。ただそれだけでしょう。どうして、「この当時においても殺人の大部分は銃以外の凶器によるものが多数を占めた」という話になるのですか。殺人件数は、犯罪統計の中でもっとも固い事実とされます。犯罪統計を扱う人なら、「失敗した殺人」のような曖昧なものを相手にすることは極力避けると思うのですがね。ところで私が上でした質問に対する答えはありませんか。私はあなたが自説に都合の悪い重要事実を隠したか、ごく基本的なことについて無知である、と言っているのですよ。--Kinori 2009年6月26日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
Q “殺人の話をしているときに、なぜ「失敗した殺人」について証明しなければならないのでしょうか。”
A それが正確な比較の前提となるからです。
どうか、あまりに低いレベルから説明しなければならないような絶望を、当方に与えないで欲しい...
もし、一呼吸置いてもう一度考えて、それでも理由が分からないようであれば、統計の基礎について誰かに教えてもらってから、前掲のグラフを用いる事の妥当性を思案してほしい--122.145.85.21 2009年6月26日 (金) 17:04 (UTC)[返信]
さて、貴方自身にとっても、かつては“万能の矛”の如く無知な相手を沈黙あるいは納得させる事が出来た“ビジュアルな訴求効果以外に何の史料価値も無い折れ線グラフ”では、その論旨を補強出来ない事が充分に理解できた頃だと思われる。
これは当方から貴方への質問なのだが、“殺人件数は、犯罪統計の中でもっとも固い事実とされます。”とは、いかなる意味で使われたのであろうか?
貴方には統計について語るだけの知識が存在しない事が明らかとなっている訳だが、“犯罪統計”中の“殺人件数”とは、貴方にとって通常の統計学とは異なる理論に基づいた存在と認識されているのだろうか?
ある程度、統計の基礎が理解できたと自負できるのであれば、ぜひ教えてほしい。
また、いみじくも、“もし、銃を使うほうが死にやすいなら、凶悪犯罪が銃で占められる理由が一つつく。ただそれだけでしょう。”と貴方が自ら記した通り、貴方には“銃規制”に対する明白な立場と偏見があり、そのような視点からは中立的な記事など記述できない事が明白であり、同時に決定的な知識の不在も明らかである以上、今後は本記事への編集に直接参加しないことを勧める。
尚、荒らし行為の継続として添付されたタグは当方で削除させてもらい、出典など一部を追加して編集したので、良く確認しておいてほしい。--222.13.32.99 2009年6月27日 (土) 10:05 (UTC)[返信]

結局、私の質問には答えないのですね。それはつまり、IP氏が基本的な事実について無知であり、そうでありながら知ったかぶりの嘘をついて読者をだまそうとしたことを意味します。IP氏が私から指摘されるまで知らなかったことは、私が示した司法省の統計ページがたまたまグラフで表示されていることを異常に重視していることからも察せられます。私から示されるまでこの種の統計を見たことがなかったのでしょう。グラフや統計の陥穽はいろいろありますが、IP氏はこれだけ長い演説をしながら何ら具体的な問題を指摘しようとしません。

他の凶器では「失敗した殺人」になるのに、銃を使えば死に至るというのは、銃規制の有効性を支える論拠にしかなりません。死は負傷より重くない、というような奇妙な教義を信奉するのでなければ、負傷を含まないからといって殺人統計が無意味になるはずがないのです。IP氏のほうに統計をごまかそうとする意図があるか、深刻な無理解があります。ところがIP氏は「それが正確な比較の前提となるからです」以下のように、私に対する露骨な軽蔑を示すだけで、なんらまともな答えをしません。

IP氏の論調は、相手の短い(しかしとても基本的な)質問に答えようとせず、薄弱な論理による長演説で返し、相手をおとしめる発言を繰り返すものです。このような議論姿勢がウィキペディアで受け入れられることはないと信じます。

私は、この可変IPの加筆すべてを削除し、元の版に戻すことを提案します。2009年5月16日 (土) 03:28の版[3]は、出典が不足してはいますが、どちらかに肩入れすることなく淡々と事実を連ねたという点で、中立性が保たれています。ところが、IP氏の加筆[4]以降、殺人は銃以外の凶器が大部分だという嘘を手始めにして、2009年6月27日 (土) 10:03の版[5]に至るまで、既成反対論の演説場に向かって突き進んでいます。その中に嘘でないものが混じっている可能性は否定しませんが、嘘つきとわかっている人の独自研究をベースにして訂正するよりも、いったん元の版に差し戻した上で、確かな出典の確かな記述を積み重ねることで記事を発展させるのがが良いと思います。--Kinori 2009年6月27日 (土) 13:31 (UTC)[返信]


警告: ユーザ Kinori による荒らし行為の部分的再開について[編集]

ユーザ Kinoriが荒らし行為を部分的に再開したようだ。既に前回の荒らし行為における謝罪を明確に拒否し、更に今回の再開に及んだ以上、明確な悪意を自ら表明した、という事のようだ。
他の分野の記事における編集で長期間参加している者が、畑違いの分野で無知をさらけ出し、その憤懣から荒らし行為を働き、これを指摘した者を“嘘つき”などと言って罵倒し、他の参加者から侮蔑と憐憫をもって遇される...
Wikipediaにおける参加者同士が直接意見を交わすノート欄では良く見られる光景だが、その姿はまことに哀れなものだ。
当方は、万能ではない人類にとって“知識の欠如”は不可抗力だと考えているので、無知を憎む気持ちは持たない。ただ謙虚に学んで欲しいと願うだけだが、あまりに理解レベルの低い相手に多くを望むのは、時として本人にとって残酷な事、であるのも一面の真実である訳だが...
さて、貴方が“基本的な事実”と呼んでいるものが、“ビジュアルな訴求効果以外に何の史料価値も無い折れ線グラフ”でしかない事は、どうやら貴方にも薄々理解できたようだが、その絶望が憤懣となって、今回の荒らし行為となったという事のようだが、かつて有効だった、その“訴求効果”に縋り付いて自らの主張を強弁しようとする心理は、謙虚さとは真逆の態度と言わざるを得ない。
無意味な“折れ線グラフ”に固執する貴方の心理は当方が代弁しておいたが、同時にあまりの憤懣からか、その固執を正当化する強弁には論理性の片鱗すら欠如してしまっているようだ。
無意味な資料に対して“無意味だ”と答えた事が、私の回答でもあり、そのような資料を振り回して荒らし行為を正当化しようとする相手への憐憫の表明でもある。
なにより当方にとってショックだったのは、“グラフや統計の陥穽はいろいろありますが~何ら具体的な問題を指摘しようとしません。”と貴方が記している事で、これは貴方の本心からの言葉なのだろうか?
もしそうだとしたら、貴方は該当分野の編集においても致命的な“文章を読んで理解する能力”に重大な欠陥を抱えている事になる。
貴方は自らの欠陥に気付かずに今までの人生を送ってきたのかもしれないが、初対面の当方に指摘されるほどなのだから、既に貴方の周囲の人々はその欠陥に気付いている事だろう...
現代社会において必須と言える能力を欠如しながら、どのような生活が送れるのだろうか?という疑問が沸くが、これはこれで当方にとって別の意味で興味が持たれる点である。
もっとも、当方は田舎の代用教員のような教育的情熱を有している訳でもなく、婉曲な表現をもって尊しとする日本文化の影響下で育った者なので、直裁に貴方の論理をあげつらう事はしない。
ところで、貴方は旧版においてほぼ出典が存在しないまま記述が続いていた事が、ウィキペディアで受け入れられることだと思っているようだが、これもにわかには信じがたい発言だ。
これが貴方の本心からの言葉だとするなら、貴方には記事の編集に参加する資格が無い事を意味するのだが...
憤懣にかられて再度荒らし行為に及びたくなる気持ちが生じた事は、貴方の感情を推察すれば容易に理解できるが、度重なる荒らし行為がどのような結果を招くか、6年近くもWikipediaの編集に参加してきた貴方には、当方から説明せずとも理解できる事であろう。
貴方に残された選択は、当方が親切に記してさしあげた内容を逐一読んで理解し自らの無知を認識するか、この対話から逃げ出して再度荒らし行為を働くか、このどちらかしかない。
沈黙するという逃げ道もあるが、それは貴方の憤懣が許さない事であろうから、あえて挙げる事はしないが...--222.13.2.137 2009年6月27日 (土) 17:19 (UTC)[返信]
ご心配いただきましたが、この件では不思議と憤懣がありません。読むだけならむしろ不思議と愉快な文章ですからね。しかしそれも、散々に侮辱される状態が長く続くことはないと信じていればこそです。コメント依頼に出しました。一対一での対話ではいつまでたってもらちがあかないことは、既に明らかになったと思いますので、どうすればいいか、他の方の意見をうかがいたく思います。私の意見は、前の通り、いったん2009年5月16日 (土) 03:28の版に差し戻すことです。その後必要なら半保護その他の手段を講じるということです。その版が絶対に正しいというのではなく、正確性・中立性を回復するためにもっとも経済的だと考えるからです。より丁寧に行いたいとする方がいらっしゃるなら、邪魔はしないつもりです。--Kinori 2009年6月28日 (日) 03:59 (UTC)[返信]
貴方がさして憤懣を抱かずに済んだとの事で、なによりではある。
当方も貴方の精神衛生に多少は気を使い、洒脱な表現で編集した甲斐があったというものだ。
しかし、一方では“散々に侮辱される状態”と記しているようだが、どちらが本当の気持ちなのだろうか? 若干気になる部分ではある.
さて、貴方が言うところの“版の差し戻し”とは、荒らし行為を再開する宣言と取って良いのだろうか?
貴方が言うように、前版には米国における銃規制を理解する上で重要な情報が欠落しており、これらを補った当方の編集を荒らし行為で削除すると言っている訳だが、既に2回も荒らし行為を行った貴方にとっては、正邪の垣根はいとも簡単に越えられる高さまで下りてしまったという事なのだろう。まことに哀れむほかない...--121.111.220.85 2009年6月28日 (日) 05:45 (UTC)[返信]
コメント依頼から覗きに着ましたが、yournetとprinを併用していることから、Wikipedia:投稿ブロック依頼/フリービット可変IP広域ブロックによる演説の可能性があります。また広域ブロックがかかったようです。--ポコポコ 2009年6月28日 (日) 04:20 (UTC)[返信]
そういうことでしたか。指摘ありがとうございます。コメント依頼・ブロック依頼であげられた記事のいくつかを見ましたが、本文・ノートの記述傾向が同じ、レンジも同じですね。上の通り、広域ブロックの後も編集を続けていますので、ブロック依頼に報告を入れて、この記事には荒らしを理由に半保護依頼を出します。--Kinori 2009年6月28日 (日) 08:53 (UTC)[返信]
IPはすぐにブロックされましたが、保護依頼のほうは意見がつかないままです。他に意見がありませんので、提案した版に戻しました。別ユーザー・IPが編集・加筆を進めることは問題ありませんが、フリービット可変IPの活動を単純に継承するだけなら、荒らしのソックパペットか便乗・模倣とみなされる可能性がありますので、ご注意ください。--Kinori 2009年7月2日 (木) 06:37 (UTC)[返信]
その後再発しませんので、この議論は終わりでいいですね。ポコポコさんに感謝します。コメント依頼に出してよかったと思いました。IP氏がつけた「警告: :ユーザ Kinori による無為な差し戻し行為は単なる荒らし行為でしかない」といった見出しは一段下げておきます。--Kinori 2009年7月5日 (日) 09:01 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

本記事のアメリカ合衆国に関する記述をアメリカ合衆国の銃規制へ転記し、転記先への参照のみ残すことを提案します。--Ikkionline 2010年6月30日 (水) 19:41 (UTC)[返信]