ノート:雨月物語

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加筆をさまたげるようで少し気がひけないこともないのですが、一読、上田秋成に説かれおかれるべきことが多々記されていること、なにもかもが微細に記されているようで知識の形をとっていないように思えること、高田衛に傾倒してはいまいかとの感想を得たと記しておきます。 Kzhr 2007年10月29日 (月) 16:48 (UTC)[返信]

下調べのいたらなさを表しています。いまよんでる本が長島やらご指摘の高田やら、なんですが、中村幸彦からさかのぼって読んでみないといけないか。所詮研究者ではないので、手近にある、うまくまとまっているものにひかれてしまってます。見切り発車の影響ですね。坂東の本を借りてきたので、どうにかそれを反映させてみます、が、いまよりさらにまとまりないものになる気もします。しかし、節分け、とりあげるべきトピックはこんなものかな、ともおもうのですが、どうでしょうか。これから、各話のあらすじをかいていく予定です。時間ないですし、とりあえず「完成」させようかな、と。--じゆにち (Mobnbka) 2007年10月30日 (火) 02:33 (UTC)[返信]
あらすじも重要な情報ではありますが、雨月の内部への探索を追求することよりも、外的な文学史的位置のほうが読者にあたえられるべき情報ではないかとも思います。その意味で各話がh2ヘッダであるのは異様ですし、序に説くところはもっとよそ、具体的には概要の部に分解してしまってよいでしょう。文学史的に、そうでなくとも読本史的に位置づけられれば記述もある程度はすっきりしていくだろうと思います。たまたま講筵につらなっている方の読み方と高田の読みとの違いは個人的には興味深いものですが……。 Kzhr 2007年10月30日 (火) 16:09 (UTC)[返信]
h2になってるのは、最初の構想としては、各話ごとに、いくつか触れるべきことをとりあげるときにh3をつかうことを見越していたのですが、まったく間に合わないことがわかって、そのままになっているものです。つまり、最初の構想のままで書いていたら、今以上に雨月物語そのものを掘り下げたものになっていました。文学史的位置づけはたしかに必要でしょうが、わたしが見るかぎりでは、解説本には、あまりそういったものはのっていないようでして、それでいま、大輪がすこしふれていたのをちょろっと書いているだけの状態なのです。文学史の本から持ってくる予定はあったのですが……、忘れてました。いまの「概要」は、はっきりいってあんまり概要になっていないので、「序」の部分をどうにかすればそれっぽくなるなら、それでもいいでしょうが、いまは序自体の解説になっているので、「概要」にもっていくなら、結構な工事になりますね。--じゆにち (Mobnbka) 2007年10月30日 (火) 16:29 (UTC)(追記)坂東の本を見ましたが、評価通りの詳細な読みの連続で、わたしの手に負えないものであり、これを元に書こうとすれば、より渾沌にみちた記事になるのは目に見えているので、反映させないことにしました。--じゆにち (Mobnbka) 2007年10月30日 (火) 16:38 (UTC)[返信]

著作権について[編集]

はじめまして。英語版ウィキペディアで日本の古典文学に関する記事を改善しているElvenscout742です。

さて、英語版ウィキペディアで、雨月物語を「Tales of Moonlight and Rain」と呼んでいますが、記事自体はとても短く、日本語版ウィキペディアから内容を少しずつ訳していけばいいのではないかと思いました。英語版の記事に完全になかった『派生作品』をまず訳したほうがいいと思いましたが、半分ぐらい訳したらちょっとパソコンから離れることになって、残っている日本語の部分を編集者にしか見れない en:WP:COMMENT (日本語がわからずごめんなさい)として載せました。 [1]

質問なんですが、これは、日本語版ウィキペディアの編集者達の著作権を破っているのでしょうか?要約に"Adding partial translation."というふうに書いて、ノートの最上に"Article contains a translation of « 雨月物語 » from ja.wikipedia."をも載せました [2] が、
日本語版の皆様から見たらどうでしょうか?

ご清聴ありがたく存じます。

Elvenscout742会話2013年2月6日 (水) 02:55 (UTC)[返信]

はじめまして、Mobnoboka と申します。この記事を大体書いたものです。日本語版記事から英語版記事への翻訳とのことですが、英語版の作法に則っていれば、特に問題ないかと存じます。どのようにしてライセンスに適うように翻訳するか、履歴を継承するかはそれぞれの言語版のやりかたがあると思います。私は英語版をよく知りませんので、特に口出しすることはありません。あと、en:WP:COMMENTは、日本語で「コメントアウト」と言います。--Mobnoboka会話2013年2月6日 (水) 11:56 (UTC)[返信]

参考文献の欄の有無[編集]

なんでこんなところでひっかかるのか全然意味わかんないんですが……。ひとまず、Wikipedia の作法(Wikipedia:出典を明記する)に則ってもらえませんかね。もしShundora さん推奨の方法を押通したいならWikipedia の方針文書を改正するところから始めるべきです。第一、どうして「関連項目」の欄が「参考文献」の欄を代用できると思うのか理解に苦しみます(『関連項目に記載されていることと脚注に記載している内容同じ』ってなに? 全然意味わからん)。なんにせよ参考文献の欄を除去することに反対します(「関連文献」の欄の除去には反対しません)。

また、これは関係ないですが、この編輯でなされた「参考文献」に註になく出典として明記されていない文献(具体的には井上泰至『雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体』)を載せるのはどうかと思うのでこれも除去いたします。--Mobnoboka会話2020年1月31日 (金) 23:28 (UTC)[返信]

コメント 1.個人の個性・特性に帰属する問題と、2.個人の見識に帰属する問題と、3.記事側の問題と、大まかにわけておそらく3つくらいの複合的な問題があるのだろうと思います。
まず1.ですが、Shundoraさんは初心者なんですね。なので初心者いじめになりかねないことはしない方がいいかと。Mobnobokaさんの個性・特性としても「なんでこんなところでひっかかるのか」と仰いつつ実質的には3rvやってますよね。ひっかかっているのが相手だけであるかのような仰い方には少し違和感を感じました。次に(私はShundoraさんと直接の面識がありますが)Shundoraさんの編集履歴から個性を見てもわかるかと思いますが、やや荒っぽい面があるかな、というのもあります。個人の個性・特性の中で一番大きいのはShundoraさんが「やりたいこと」と(現在持っている技術の範囲で)「できること」とのギャップなのだろうと思います。それもあって端から見ると荒っぽい編集をズバッとやってしまって周囲がギョッとする。
2.の個人の見識については、本文中の註へのリンク→簡易的な表記でabc集約型の「脚注」に回されて一体なんだか文献が判然としない→「脚注」中の簡易表記的部分の「書名」に相当する部分のリンクを踏むと「参考文献」に回される。よく使われる書き方ですし、実際、ルール上でも認められていますが持って回った形なのでイライラするというのは(私自身にも)あります。
なお、私としては脚注に延々と「90年史 2004, p.xx、yy.」という風に「90年史」という初見の人には意味不明な略称が続いているのを(まず最初に)見て〈第一印象として〉「ん?なにこれ?」と感じました(もしかするとShundoraさんもそんな感じで、バサッとやってしまったのかな、という印象を持ちました)。
3.の記事側の問題ですが「(節名としての)脚注」節の中で例えば「この描写は『水滸伝』第六回による。」のような「(文字通りの)脚注」に相当する文言と、「90年史 2004, p. 84.」のような「(出典表示に相当する)脚注」とが「(節名としての)脚注」節に混在するのが(Shundoraさんがどう感じているかは知りませんが、私個人は)なんだか気持ち悪いです。それについてはHelp:脚注#注釈リストと出典リストを分離したいときでも言及されていますから、割とそう感じる人も多いのかもしれません。更にこの「(節名としての)参考文献」節とは別に「(節名としての)関連文献」節がある。その「関連文献」節に掲げられている書物は「(節名としての)参考文献」節では引用・使用されていない。
Shundoraさんがどう考えているかはわかりませんが、他の記事ですと、このような状態でなんとなく出典を示したかのようにお茶を濁す傾向(かつてはこういう総括原価方式のような記述の方が一般的だった経緯があるようです。―私見ですが、もしかすると日本の著作権問題への配慮対応との難しい関係が背景としてあるのかもしれません。)「雨月物語」で現在明記されている出典の多さなら、お茶を濁すとまで非難されるべきほどの低いレベルではないと思いますが、他の多くの記事を頭に入れた上での一般論としては、どうも座りが悪い、と。「(節名としての)関連文献」に載せるなら、それもきちっと引用して「(節名としての)関連文献」の方に載せるのが筋だ、というような思考経路が働く余地はやはりあるかと思います。
結局のところ、Shundoraさんには「やりたいこと」と(現在持っている技術の範囲で)「できること」とのギャップがあるので、そこらへんを汲んで、できる人が(やる気があれば)手助けをしてあげてもいいのかな、というのが感想です(そして私には今、そのような気持ちの余裕がありません)。
また、「(節名としての)脚注」節はHelp:脚注#注釈リストと出典リストを分離したいときで示されるように分割した方が良い気がしました。更に(現在の)各節名がなんとなく座りが悪い。「(節名としての)脚注」節はさておき、新設する書名一覧を(たとえば)「出典一覧」として、現在ある「(節名としての)参考文献」節は(例えば)節名を「出典書名一覧」節に、そして現在ある「関連文献」節に掲げられた書名は出典として活用して「関連文献」節そのものを抹消するか、(たとえば)「関連文献目録」(これでは冗長かもしません)などとするか、いずれにせよ、お茶を濁して書名をザッと載せました的には受け取られ「ない」工夫があればいいのかな、と存じました。コメントは以上です。--タピオカヤスジ会話2020年2月5日 (水) 02:09 (UTC)[返信]