ノート:L・M・モンゴメリ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

不適切かつ間違いの指摘[編集]

  • 「放送禁止用語 処女作」で検索したら、約 24,000 件ヒットしたが、トップのリンクを紹介します。
放送禁止用語一覧
  • 『風の少女エミリー』の、以下の編集コメントは、間違ってはいないですよ。自分が編集した記事の過去の編集[1]ぐらいは見ましょうよ。
  • 英語のLucy Maud Montgomeryは、別段ここの個所を間違えていません。正確に訳しましょう。。以上の署名の無いコメントは、Tolena(会話履歴)さんによるものです。Pica
だ・か・ら! 「我、思う。ゆえに我、正しい」っているのは、議論にも何にもなってないって。ちなみに、あれは私の編集じゃない。まあ、編集履歴を見てないのは、再認識させられたが。
『赤毛のアン』の前に作品を出してるから! エミリーの話もその辺が詳しく書いてあるだろって、ああ、そうか。「私はモンゴメリの著作を読んだことはありません」だから(下記参照)アンやエミリーの記述で説明すれば、解り易いだろうと思った努力は無駄だったわけね。議論しても無駄な相手かな。 Tolena 2007年8月29日 (水) 14:48 (UTC)[返信]
つまり、最初に発表された短編が処女作で、『赤毛のアン』は処女長編、あるいは長編の第一作ということでしょうか。--Pica 2007年8月29日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
私は、「記事を執筆するからには、調べてかいてもらいたい。Pica 氏にも、それができるはずだ。話せば解って貰えるだろう」と期待してノートで指摘させていただき、ご自分で調べてもらえればと思っていたのですが (黙って書き換えると編集合戦になりそうな相手でもあるし) でも、まあ、本当に。「調べて書く意思などない。早く教えろ」といった事のようですね。
どうでしょう? Pica氏が「もうモンゴメリ関係の記事の編集からは一切、手を引く」と約束するなら、『赤毛のアン』より前の作品に関する情報をお教えしますがね。どうでしょう? 自分で調べる意思はないのでしたら、それで編集されて回られても迷惑なので、検討してみてください。Tolena 2007年8月29日 (水) 15:30 (UTC)[返信]
教えていただけたらありがたいのですが、教えたくないということでしたら、あきらめます。しかしTolenaさんの言いたいことは分かったように思いますので、後日訂正したいと思います。--Pica 2007年8月29日 (水) 15:55 (UTC)[返信]

「教えて君」を脱却できない人間に他人が手取り足取り教えてあげても無駄かと思います。調べた上で記事を改善する目的で記事を書き換えられるようにならなければ、と思ったのですが。書いてもらいたいわけでもないし。結局、これだけ色々ノートで話しても

In 1908, she published her first book, Anne of Green Gables.

を、たとえば、

1908年に彼女は最初の小説、『赤毛のアン』を出版した

などと普通に訳せなかったわけね。これなら

  • 間違った記述には当たらず、これで正しい。
  • わざわざ放送禁止用語のような言葉を使っておらず、無用な議論とは無関係でいられる。(結論も出ていないような事で再度議論をしてまで使う価値のある用語ではない。第一、間違っているのだし)

のですが、事実に反しない他の表現でも別に構いませんが。 英語のページは、作品リストに 1988 - Akin to Anne: Tales of Other Orphans と載っているから、『赤毛のアン』より前に短編を出している事は把握した上で書いていますね。

というか、記事を書くなら、その程度は常識になっていないとねぇ。

小説の形で出版されたのは『赤毛のアン』が最初だ、と。これが first book と書いてある事の意味。

"first book" を間違いなく翻訳できないようですから、『赤毛のアン』より前に短編を出している事に関しては、英語のページを紹介するのはやめます。 (後述) Tolena 2007年8月31日 (金) 15:33 (UTC)[返信]

そのあたりはすでにIP氏によって訂正済みのようです。--Pica 2007年9月2日 (日) 12:42 (UTC)[返信]
Pica 氏が IP ユーザーの編集を受け入れてくれるなら何よりです。あなたは過去の行動を見ると、自分の意見と異なる編集をしようものなら、編集合戦→連続リバート→保護せざるを得ない状況に持ち込むパターンが多いようですから、あなたの書いた部分は「触らぬ神にたたりなし」のように感じていたので。 Tolena 2007年9月2日 (日) 13:08 (UTC)[返信]

私はモンゴメリの著作を読んだことはありません[編集]

これ↑はノート:アンをめぐる人々 の Pica氏の 2007年8月29日 (水) 00:34 (UTC) のお言葉。

これを見て私は「こういう人が Wikipedia を編集するのか」とガッカリしました以上の署名の無いコメントは、Tolena(会話履歴)さんによるものです。Pica

観点についての議論[編集]

(アン・ブックス)は10冊が刊行され・・・英語の記事を中立な立場で訳したなら、8冊になるでしょう?Pica 氏の自ら「Category:アン・ブックス」を2007年8月24日に新設し、必死にそこに加える記事を増やそうと編集しまくっているようで、何がアンの本か、あるいは、そうではないかは色々な考えがあり、モンゴメリが9年近くも裁判で苦しむ事になったアンの偽書を、アンの本にするのはおかしい。経緯に関して調べる意思の無い読者レベルであればどうでもいい事かもしれないが(あなたは読者でもないのでしたっけ)百科事典なら正確を期すべきである。知らずに間違いを書くならともかく、『モンゴメリ書簡集〈1〉G.B.マクミランへの手紙』 宮武潤三、宮武順子訳 篠崎書林 1992年 ISBN 9784784104963 PP. 172-179 を見れば、『アンをめぐる人々』はアンの偽書だと解りますがね。

私は、「Tolena がそう言うなら、図書館を探して確認してやる!」というぐらいの根性を、議論する相手に期待しています。別のところでも似たような事を書きましたが、「あなたの考えが聞きたいわけではありません」。「信頼のおける文献を調べ、事実は何か」なら、話し合う価値があると思います。調べた上で、やはり『アンをめぐる人々』はアンの本だという根拠を見出したというなら、議論しましょう。調べる気が無いなら、おわりにしたいです。

別の観点として、後の時代に誰かが「あれもアンの本だ」と言えばアンの本が増え、「あれは違う」と言えば減るのでしょうか? それでは際限が無くなり、いつまでたっても何がアンの本か決められない事になりますね。Tolena 2007年8月29日 (水) 12:45 (UTC)[返信]

en:Lucy Maud Montgomeryにはアンブックスが何冊であるかの記述はなく、「アン・シリーズは10冊」との記述は日本語版独自のもののようです。日本語版の初版からこの記述はあり、一方同時期の英語版にはそのような記述はありませんので、これは初版作成者のTrek011さんのご意見ということになります。
なにをもって「アン・ブックス」とするかについては、ノート:アンをめぐる人々でもお話を伺いましたが、Tolenaさんのご意見は、もっともなものだと思います。しかしながら、現在の出版の状況から考えて、10冊についてはアン・ブックスとして扱うのがふさわしいと思います。--Pica 2007年8月29日 (水) 14:21 (UTC)[返信]
英語版の Wikipedia では『アンをめぐる人々』と『アンの友達』短編集と扱われているが?ええと、結局あなたの編集コメントの「en:Lucy Maud Montgomeryから、生涯の節を翻訳。息子まで。」を、その通りだと思ったのだが、それは事実ではないという事ですか? 「日本語版の初版からこの記述はあり」と回答しているという事は。Tolena 2007年8月29日 (水) 14:48 (UTC)[返信]
その短編集も含めて、一つのシリーズと認識されているように思います。
翻訳については、日本語版に元からあった記述については、ほとんどそのまま残しています。--Pica 2007年8月29日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
相変わらず「思います」という返事以外に返ってこないですねぇ、、、、
アンの娘リラその他では、『虹の谷』と『リラ』はアンブックスと見なされていないという見解が書かれていますけどねぇ。
だから、何がアンシリーズかは現に色々な考えがあるというのを理解してもらったうえで、他の記事との整合性も考えてくださいね。
これら他のページを書いた人は、あなたとは違う考えを持っているのです。(ゆえに、私は作者の意向で分類するのがベもっとも正確であると考えている所以でもありますが) Tolena 2007年8月29日 (水) 15:37 (UTC)[返信]
アンの娘リラの「アンブックスと見なされていない」という記述は、en:Rilla of Inglesideには見られません。しかし日本語版におけるこれも、IPユーザー氏による一つの見解ではあると思います。ウィキペディアでどのように受け止められているか、という話をすれば、英語版では短編集も含めて、一つのシリーズとして受け止められているようです。--Pica 2007年8月29日 (水) 15:55 (UTC)[返信]

相変わらずですね。ノート:赤毛のアンに2007年7月3日に書いた事でもあるけれど[2]、『虹の谷』と『リラ』は海外ではアン・ブックスとは見なされていないというのは、村岡花子訳の『アンの娘リラ』のあとがきに書いてある事なので、「IPユーザー氏による一つの見解、ではない」という点は指摘させていただきます。

あなたは一事が万事「我思う、故に我、正しい」で書き換えておられますが、他の人間もそうだと決め付けない方がいいでしょう。『虹の谷』と『リラ』はアン・ブックスから外すというのは、それなりに根拠があって書かれた事です。日本でモンゴメリ作品を広く紹介した村岡花子が、訳本のあとがきに書いている事だから。だから、それと異なる主張をするからには、それを上回る証拠を提示する必要があります。(私はアン・ブックスでそうしたつもりです。それでも、村岡花子の見解を全否定はしていません。それは考え方の一つとして尊重しています。ただ半世紀近く前に読者のために良かれと思って書いた事でも、その後のモンゴメリ研究が進展した現状から見ると、当時の情報不足の状況も考えれば、未来永劫、村岡花子の書いたことを神聖視するのは行き過ぎでしょう)

繰り返しますが、あなたが「思う」というのは、何べん繰り返した所で、そしてどんなにあなたが確信していようと、何ら根拠にはなりえません。 Tolena 2007年9月1日 (土) 03:20 (UTC)[返信]

『赤毛のアン』以前の作品に関しては、証拠能力は高いけれど英語のページを示す代わりに、個人の研究家のページになりますが、日本語の情報を紹介しましょうか。

アンのクリスマス」ここには、1899年に雑誌に発表された作品から1900年代初頭の作品が多い旨が書かれています。

ところで『アンのクリスマス』もそうですが、『アンの仲間たち』(Akin to Anne- Tales of Other Orphans はどうする気ですか? アン・ブックスに入れるの? 入れないの? これは回答をお願いします。この分野の権威者ではない (というか「私はモンゴメリの著作を読んだことはありません」と言ってはばからない人間だから) 「あなたの考え」を聞いても、学術的な価値はありませんが、でも、どういう方針で編集する気なのかぐらいは聞いておきましょうか。「アン・ブックスではないと思います。私は知りませんから」のような、見て悲しくなるような返事は勘弁願いたいですが。

米国で販売されているアン・ブックスのセットである The Complete Anne of Green Gables Boxed Set には、『虹の谷』と『リラ』は入っていて、『友達』と『めぐる人々』は入っていませんがね。これは作者の意図通りのラインナップですね。国によって違う出版事情により、何がアン・ブックスかも変わる、というわけですか? それではおかしくありませんか?

ですから、こういう、意見の分かれている内容に関しては、扱わない、または、「こういう意見がある。一方、別の意見もある」と書くのが中立的というものでしょう。 Tolena 2007年8月31日 (金) 15:41 (UTC)[返信]

様々な意見ががあるようですが、アン・ブックスで取り上げられている10冊については、「アン・シリーズ一覧」の表を貼って、相互に参照できるようにすべきかと思います。アンをめぐる人々にこの表を貼ることを避けるのは、不自然なことかと思います。
「アンの仲間たち」については、そのような議論があることをTolenaさんがご存知ならば、記載なさったらいかがでしょうか。私は「アンの仲間たち」については何も知りませんので、どのような意見もありません。--Pica 2007年9月2日 (日) 12:58 (UTC)[返信]
「何も知りません」じゃ議論にも何にもならないですね。それでいて「出版の状況から考えて、10冊についてはアン・ブックスとして扱うのがふさわしいと思います」という理屈で押し切る、と。「出版状況から考えて」というのは、あなたが知っている新潮社と講談社の出版都合を、普遍的な物だと思い込んでいるだけでしょう?
あなたの論法の一番の問題は、「出版の状況」がアン・ブックスとする理由だというなら、『アンの仲間たち』(Akin to Anne) や『アンのクリスマス』(Christmas with Anne) を、アン・ブックスではないとする根拠が無いので (両方共にアンの名前の付いた短編集だから) これもアン・ブックスに含めなければ不公平になるが、それに関してはどうなのか、となれば返答出来ない程度の物でしょう。篠崎書林の本は仲間外れにでもするのですか? (くもん出版のコミックなら「アンの愛情」までがアン・ブックスになりますがね)
アン・ブックスの定義が出版社の都合で変わるなら、新潮社と講談社の出版都合にあわせて Wikipedia に「10冊」と決め打ちして書くのはおかしいので、この事はこの記事では扱わないか、どうしても書きたければ複数の見解を載せるべきではないのか、というだけの話なのだが、私が削除したりすれば Pica 氏の過去の行動からすればリバートやら編集合戦をやり出すから、こうして時間をかけてノートで議論してるんですよね。
でも「知りません」のような答えしか返ってこず、調べる気も無いようなので、もう議論はそちらが放棄したと見なしていいですか? Tolena 2007年9月6日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
『アンをめぐる人々』についての議論が、当ノートとノート:アンをめぐる人々に分かれてしまっているので、この件については、コメント依頼を行ったノート:アンをめぐる人々で話し合いたいのですが、いかがでしょうか。「2007年9月6日 (木) 14:36 (UTC)」のTolenaさんの発言もコピーして移動したいと思うのですが。--Pica 2007年9月6日 (木) 15:35 (UTC)[返信]
ルーシー・モンゴメリーの記事中の『赤毛のアン』シリーズ(アン・ブックス)は10冊が刊行されという記述が中立な観点ではなく特定の意見を支持するものであるのでルーシー・モンゴメリーの記事から削除するか、どうしても書きたければ、複数の見解を載せなければ中立ではない、という事であるので、この場で決着すべきではないか。 Tolena 2007年9月6日 (木) 15:50 (UTC)[返信]
それではこちらで続けましょう。
私は『アンの仲間たち』や『アンのクリスマス』の出版の経緯や収録作品については存じませんので、Tolenaさんがこれらの本を、「アン・ブックス」に含むべき、とするならば、今のところ反対する理由はありません。
「10冊が刊行され~」という記述についてですが、私としてはアン・ブックスへのリンクがあることで、その他の見解への誘導は出来ていると思いますが、「他の見解もある」と一文を載せて誘導するのもよいかもしれません。
「アン・ブックスの定義が出版社の都合で変わる~」についてですが、これは一般的にどのように見られているか、という点を考えると、変わる、と言って差し支えないと思います。シリーズとして出版されているものについては、同時に紹介することは、おかしなことではないでしょう。
カナダのアマゾンを見てみたのですが、「The Anne of Green Gables Series」という括りで、10冊が取り上げられています。「アン・シリーズ一覧」のテーブルにあるものと同じ順番になっていますので、英語版の編者はこちらを参考にしたのかもしれません。これもまたTandem Libraryやアマゾンの都合でしかないのかもしれませんが、多くの人にはこのようなかたちで目にとまっているのではないかと思います。--Pica 2007年9月6日 (木) 16:37 (UTC)[返信]
「定義が出版社の都合で変わる…と言って差し支えないと思います」ですか。あなたが支持する定義では収拾がつかないですね。未発表の短編は沢山ありますよ。アンの名前を付した本が一冊出る都度、議論するのですか。
  • 『アンをめぐる人々』と『アンの友達』をシリーズに加えているリストを探して示した所で、それらはアン・ブックスに含めないという別の見解が存在する事は何ら否定できていない。
  • そのリストに従えば、サリバンフィルムのアンの映画を元に Fiona McHugh が書いた本をアン・ブックスに加えなければいけないのか、というおかしな話になる。
ここは主にモンゴメリについて書くページであり、『赤毛のアン』もアン・ブックスのページも別にあるのだから、見解の一つに過ぎない、「10冊」と、ここの記事で決め打ちする必要は無いでしょう、と言っているのですがね。「10冊」を全否定はしませんが、見解のひとつに過ぎない「10冊」を、唯一の定義みたいに書くのはやめにしたら、というだけですが、何をいくら議論しようとあなたは「10冊」以外は理解しない、と。
もういい加減、内容を充実する方に使わさせてもらいます。 Tolena 2007年9月7日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
「アンの名前を付した本が一冊出る都度」についてですが、議論があるのなら、それを記載するか否かは話し合うべきでしょう。
Fiona McHughについてですが、映画のノベライズとして載せる分には、なんの問題もないと思います。
「ここの記事で決め打ちする必要は無いでしょう」についてですが、それはかまわないと思います。「アン・シリーズ一覧」についての話はまた別のことではありますが、リストは増えることはあっても、減ることはないのかな、と思っています。--Pica 2007年9月7日 (金) 22:14 (UTC)[返信]
「アン・ブックス」についてはノート:アン・ブックスで議論することにして、ここまでの議論はログ化しませんか。--miya 2007年10月4日 (木) 06:59 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

なぜか「モンゴメリー」と「ー」が付いているのですが、これを「ルーシー・モンゴメリ」に改名することを提案します。「L・M・モンゴメリ」とか「ルーシー・モード・モンゴメリ」も考えたのですが、記事名のつけ方に従って、ミドルネームを省いて記事名にするほうがよいと思いました。いかがでしょう。--miya 2007年10月4日 (木) 06:59 (UTC)[返信]

初版編者の方はMontgomery姓の一般的な日本語表記と、記事名のつけ方にしたがって、「ルーシー・モンゴメリー」としたのでしょう。
作家モンゴメリについては、たんに「モンゴメリ」とするか、ミドルネーム混みで表記されることが多いので、ミドルネームを省くことにこだわる必要はないかと思います。C・S・ルイスや、ハリー・S・トルーマンのように、ミドルネームを省くとかえって分かりにくくなる人物のひとりでしょう。
当記事へのアクセスの経路を予想しますと、「モンゴメリ」で検索して曖昧さ回避のページから着くか、「赤毛のアン」のリンクからたどることになるかと思います。その際のリンクを短く表記するほうが好ましいと思いますので、「L・M・モンゴメリ」が最もよいと考えます。--Pica 2007年10月4日 (木) 10:31 (UTC)[返信]
「L・M・モンゴメリ」に賛成します。山本史郎訳『赤毛のアン 完全版』1999年も「L・M・モンゴメリ」としていますね。--miya 2007年11月24日 (土) 00:33 (UTC)[返信]
改名しました。--Pica 2007年12月15日 (土) 17:50 (UTC)[返信]

削除依頼[編集]

Wikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおけるコピー・アンド・ペーストWikipedia:著作権/2008年7月13日までの文書対象#ウィキペディアにおける翻訳の要求を満たさない編集があります。具体的には、2007-09-7日 (金) 15:52の版における差分で追記した作品リストの節が英語版18:48, 5 September 2007からのコピーペースト&翻訳だが要約欄に翻訳元の記載無し。当時既に日本語記事には複数の言語間リンクがあっため翻訳元言語が英語ひとつには決められず、履歴が追えないためGFDL要件を満たさない。作業に当たっては英語版のソースを実際にエディタにコピーし、置換コマンドでリストをテーブルに直し、対応する邦訳を追記すなわち翻訳に準ずる事をしています。

民法709条の不法行為に抵触する懸念[編集]

リストの著作物性が1999年2月25日に松本清張・映像化リストの著作権侵害事件で否定された事を根拠に作品リストなら誰が作っても同じなのでGFDL要求は満たさなくとも著作権侵害にはあたらないので存続すべきという主張をjawpで見かけますが、私は民法709条にいう不法行為に抵触する恐れを指摘したく思います。Wikipediaでは著作権さえ侵害しなければ他の法律を犯しても良いわけではありません。例えば反抗予告を書き込む事は著作権侵害にはあたりませんが即座に削除されています。同様に著作権だけではなく民法709条の不法行為に抵触する恐れがある記述もやはりWikipediaから削除されるべきだと考えます。そうでなければ大阪地裁2002年7月25日判決のように訴訟を起こされた場合「賠償する責任を免れない」となるリスクがあります。もっともこれは全てGFDLでライセンスされていた英語版の内容なので、GDFL要件を守って記事に用いていれば何ら問題は無かった話ですが、条件を守っていないために発生させてしまっている法的リスクです。誠に申し訳ありません。これらの理由により、2007-09-7日 (金) 15:52の版以降の特定版削除依頼を提出させて頂きます。編集対応はできないと思いますが、一縷の望みを託し作品リストの節は削除致します。--Tolena 2008年10月13日 (月) 14:14 (UTC)[返信]

モンゴメリの自殺説の削除理由[編集]

御存知の人もいるかもしれませんが、その後で情報に変化がありました。ただ、それとは異なる意見もあり、この件で一部の英語資料だけで書くと一方的な内容となってしまうので、御存知ない方であればリンクを紹介する事はいたしません。私の予想では、日本のモンゴメリ関連書籍では扱われないかもしれません。Lucy Maud Montgomery: The Gift of Wings, Mary Henley Rubio, p.575 あたりの内容を良くご覧になり、挑戦してみたい方はどうぞそうなさってください。(ただし独自研究と言われる可能性があります)-- Tolena 2010年1月23日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

両親の国籍[編集]

スコットランド系とイギリス系とあるが、スコットランド系とイングランド系の誤りか?--以上の署名のないコメントは、202.255.60.27会話)さんが 2015年11月29日 (日) 23:13 (UTC) に投稿したものです。[返信]