ブルンジ虐殺 (1972年)

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イキザ
場所 ブルンジ
日付 1972年
4月8月
攻撃手段 大量虐殺
他の被害者 100,000〜300,000
犯人 ツチヘマ人独裁政権
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イキザ、またはブルンジ虐殺(カタストロフィー、ウブウィチャニーとも)は、1972年にブルンジで発生したフツツチ間の民族対立が激化し虐殺へと繋がった事件(ジェノサイド)で、保守的な推定では、この事件による死者数は10万人から15万人の間であるが、死者数は30万人に達するという推定もある。

概要[編集]

1972年4月〜8月にかけて起こった出来事で、フツ人が反乱を起こし1万人のツチ人を殺害したというものである。その報復措置で、フツ・パワーによる15万人~30万人のフツ人が虐殺され、相応に痛手を負った。報復措置は、当時の政府であり、社会主義路線を敷いていたミシェル・ミコンベロ政権が直々に支援を行っていたが、この事実は外部には漏れず、西側諸国はこの虐殺に対する措置をしていなかった[1]

歴史的背景[編集]

20世紀、フツ、ツチ、トゥワという三つの民族グループが「混住しており」、ドイツ領東アフリカ時代にはツチ優遇政策が採られ[2]、フツは依然として細々と暮らすことを余儀なくされていた(中には親ツチ寄りで独自の王家であるガンワと呼ばれるグループも存在した)。しかし、時間の経過とともに、この区別の政治的顕著性は低下し、カテゴリーはツチ族のグループに包含された[3]

脚注[編集]

  1. ^ Kuper 1981, p. 164.
  2. ^ Melady 1974, pp. 43–44.
  3. ^ Turner 2012, p. 40.