マーチ・87P

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーチ・87P
カテゴリー F1
コンストラクター マーチ
デザイナー ゴードン・コパック
ティム・ホロウェイ
アンディ・ブラウン
先代 マーチ・821
後継 マーチ・871 (設計ベース車両)
主要諸元
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) ロッカーアーム、プッシュロッド、コニ製ショックアブソーバー
サスペンション(後) ロッカーアーム、プッシュロッド、コニ製ショックアブソーバー
エンジン フォード コスワース DFZ 3.0 V8
トランスミッション マーチ, 6速 + 反転1速 MT,
燃料 Q8 / シェル
タイヤ グッドイヤー
主要成績
ドライバー イヴァン・カペリ
出走時期 1987年
初戦 1987年ブラジルグランプリ
最終戦 1987年ベルギーグランプリ
出走優勝ポールFラップ
2000
テンプレートを表示

マーチ・87P (March 87P) は、マーチ・エンジニアリングが開発したフォーミュラ1カー1987年F1世界選手権に投入された。マーチがF1に再参戦するにあたって、フォーミュラ3000マシンを元に暫定的な解決策として設計された。87Pは1987年の開幕戦、ブラジルグランプリの予選に参加したが、決勝はエンジントラブルのため参加できなかった。

背景[編集]

マーチ・エンジニアリングはビスター・カンパニーを元に、マックス・モズレーアラン・リースグラハム・コーカーロビン・ハードによって1969年4月に設立された。マーチは当時唯一の市販フォーミュラ1カーメーカーであった。多くのカスタマーチームがマーチ・701およびその後継マシンを購入した。また、ファクトリーチームとしても世界選手権に参戦した。フォーミュラ1での活動は1977年まで続き、その後は活動の場をフォーミュラ2フォーミュラ3、フォーミュラ3000に移した。80年代半ばに新たに設立されたフォーミュラ3000ではシリーズを支配し、シリーズ初年の1985年にはクリスチャン・ダナーマーチ・85Bでタイトルを獲得、翌年イヴァン・カペリマーチ・86Bでタイトルを獲得した。

いわゆるターボ時代、マーチはフォーミュラ1に関与していなかった。1981年1982年にマーチの名は再びフォーミュラ1に現れたが、ロビン・ハードと協力してマーチとして参戦したRAMレーシングのプロジェクトは、ハードが個人的に関与し、「マーチ」の名を持つ別組織によるマシン、という事情でマーチ・エンジニアリングと実際には法的な関係は無かった[1]。FISAが1986年10月に、1989年からターボエンジンを禁止することを発表し[2]、マーチは他のマニファクチャラーと同様にF1にステップアップすることを決定した。

マーチ・エンジニアリングはF1参戦のための子会社、マーチ・レーシングを設立したが、実質的にはメインスポンサーであるレイトンハウスから資金が供給された[3]ゴードン・コパックは1987年シーズン用に、自然吸気エンジンのコスワース DFZに合わせたコンパクトなマシン、マーチ・871を開発していたが[1]、完成が遅れていたためシーズン開幕には使用できなかった。マーチはエントリー時に全戦参加を約束していた。この義務を果たし、欠場の際のペナルティを避けるためにチームは開幕戦用にフォーミュラ3000マシンを改修したマーチ・87Pを発表した[4]。87Pが使用されたのはこのレースのみで、第2戦からは871の準備が整った。マーチ同様に翌年F1に参戦したBMSスクーデリア・イタリア開幕戦に予定していたマシンを準備できず、フォーミュラ3000用マシンを改修したダラーラ・3087を開幕戦に投入している[5]

開発[編集]

マーチ・87Pはゴードン・コパックティム・ホロウェイアンディ・ブラウンが設計した[6]。その内容はF3000マシンの87BとF1マシンの871の要素を組み合わせた物であった。シャシーは基本的に87Bの物であるが、ボディ及びストラット式サスペンションは871の物と同様であった[4]。F3000用シャシーの使用には燃料タンク容量の制限が影響した。87Pのタンクは小型で、160リッターの87Bの物が使用された。この容量はグランプリの距離には十分でなかった[1]。レース中の給油は禁止されていたため、予め完走を想定していない車であった。

87Pはハイニ・マーダーがチューンした3.5リッターのコスワース DFZが搭載された[7]。エンジンはカバーで覆われず、むき出しのままであった。

レース戦績[編集]

レイトンハウス・マーチ・レーシングチームはブラジルグランプリにイヴァン・カペリを起用して87Pを走らせると発表した。カペリは前年に国際F3000のタイトルを獲得し、以前にティレルおよびAGSからF1に出場していた。

予選でカペリは最も遅いドライバーだった。彼のラップタイム、1:43.58はナイジェル・マンセルウィリアムズ・FW11Bで記録したポールタイムより17秒も遅かった。カペリはAGSのパスカル・ファブルから4秒遅れの最下位となった。

マーチは決勝には参加しなかった。予選でDFZエンジンはひどく損傷し修理することができなかった。チームは予備のエンジンを持っていなかったため、カペリはスタートすることができなかった[1][6]

第2戦サンマリノGPからはマーチ・871が完成し投入されたが、87Pもスペアカーとしてピットに持ち込まれた。第3戦ベルギーGPでは1台しかない871に積まれていたマーダーチューンのDFZエンジンがウォームアップランで壊れてしまったため、スペアカーの87Pでカペリが決勝に出走。しかしこちらもエンジンが壊れリタイアとなった[8]。871の2台目が完成したため、87Pの出番はこのベルギーGP決勝が最後となった。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1987年 マーチ・レーシングチーム コスワース DFZ
V8 NA
G BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
西ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
MEX
メキシコの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1 13[9]
イタリアの旗 イヴァン・カペリ DNS Ret


参照[編集]

  1. ^ a b c d Hodges: A–Z of Grand Prix Cars. 2001, S. 147.
  2. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 369.
  3. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. 1997, S. 377.
  4. ^ a b Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. 1994, S. 167.
  5. ^ Anders als der March 87P war der Dallara 3087 ein reines Formel-3000-Auto, das keinerlei Veränderungen erfahren hatte; es verfügte auch über den 3,0 Liter großen DFV-Achtzylinder, der für die Formel 3000 bestimmt war.
  6. ^ a b Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2000, S. 387.
  7. ^ Übersicht über die 1987 verwendeten Motoren auf der Internetseite www.forix.autosport.com (abgerufen am 19. April 2013).
  8. ^ クソマーダーと別れの日も近い レイトンハウス日記 広報担当・安川実 F1GPX '87ベルギーGP号 28頁 1987年6月5日発行
  9. ^ 順位は後継のマーチ・871の成績も含む。

外部リンク[編集]