ラギオール

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ラギオール


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オクシタニー地域圏
(département) アヴェロン県
(arrondissement) ロデーズ郡
小郡 (canton) ラヨール(小郡庁舎所在地)
INSEEコード 12119
郵便番号 12210
市長任期 ヴァンサン・アラザール
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Aubrac-Laguiole
人口動態
人口 1243人
2011年
人口密度 20人/km2
住民の呼称 Laguiolais(e)
地理
座標 北緯44度41分06秒 東経2度50分53秒 / 北緯44.685度 東経2.84805555556度 / 44.685; 2.84805555556座標: 北緯44度41分06秒 東経2度50分53秒 / 北緯44.685度 東経2.84805555556度 / 44.685; 2.84805555556
標高 平均:1000 m
最低:868 m
最高:1342 m
面積 63.06km2 (6306ha)
ラギオールの位置(フランス内)
ラギオール
ラギオール
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ラギオールの街並み。

ラギオール (Laguiole) は、フランス南部のオクシタニー地域圏アヴェロン県にある人口1,200人あまりの小さな村。商品名などでは、ラギュオールライヨール、ライオル、ライオールなどの表記が見られるが、地元で使われているオック語の発音は「ラヨール」である。チーズの名前では「ライオル」が用いられている。

位置[編集]

ミディ=ピレネーオーヴェルニュラングドック=ルシヨンの3つの地域圏にまたがるオーブラックと呼ばれる地方に位置し、海抜800〜1300mくらいの山岳地帯である。5つの村(コミューン)からなる人口2500人ほどの小郡(カントン)の庁舎がある。

チーズ[編集]

ライオル・チーズは、アヴェロン県(ミディ・ピレネー地方)、カンタル県(オーヴェルニュ地方)、ロゼール県(ラングドック・ルシヨン地方)の3つの県の境界線上の地域で作られるセミハード・タイプのチーズである。牛乳から作られ、45%の脂肪を含み、6〜12か月熟成された後出荷される。1961年にAOCの指定を受けている。ライオルチーズ製造組合Jeune Montagne が1960年から生産を行なっている。

刃物[編集]

辺鄙な山村であるため、自給自足の生活を強いられ、そのために家内工業としての刃物生産が行われていた。ナイフなどの刃物は、この村のものがデザインが優雅で機能的であるとして、19世紀の初めから知られるようになった。

そのため、近代になってからラギオール(ラヨール)を名乗るブランドが続出したが、刃物に関しては、ワインやチーズなどのような原産地名統制制度 (AOC) もなく、法的にはフランスの裁判で“ラギオール”という名称は、ナイフの中の一つの種類の一般名詞であるという判決が下されたため、ブランド名としては商標登録ができない。そのため、例えば”本物・ニセモノのシャネルのバッグ”とは言うことができても、”本物/ニセモノのラギオールのナイフ”と言うことはできない。したがって、ラギオール村以外で製造されたナイフでもラギオールとして販売することは違法ではなく、フランス国外で生産された廉価なラギオールも販売されている。

ラギオールナイフを選ぶ時には本物かニセモノかという基準ではなく、ナイフとしての質自体を見極めることが大切なのはそのような背景がある。

現在ではフランスのラギオールナイフの主な生産地はラギオール村から160kmほど北東にあるティエール市である。ティエール市は刃物産業で有名で、フランス産の刃物の1/3を生産している。ソムリエナイフのブランドとして有名な”シャトー・ラギオール”もティエール産である。

1987年、ライヨール村にライヨールナイフ工房を復活させるため、”フォルジュ・ド・ライヨール” (Forge de Laguiole) が設立された。

ラギオールナイフのシンボルとされている、取っ手の上の部分の昆虫は”蠅”という説と“ミツバチ”という説があり、どちらかはっきりしていない。フランスのナイフ用語ではその取っ手の上の部分を“ムッシュ”(mouche)と呼んでいるが、フランス語の蠅に当たる言葉も”mouche”なので、それに由来するという説もある。

人口動静[編集]

ラギオールの人口推移[1]
1793年 1800年 1806年 1821年 1831年 1836年 1841年 1846年
1833人 1973人 1928人 2177人 2128人 2178人 2174人 2020人
1851年 1856年 1861年 1866年 1872年 1876年 1881年 1886年
2115人 1934人 1837人 1996人 1989人 1984人 1930人 1914人
1891年 1896年 1901年 1906年 1911年 1921年 1926年 1931年
1941人 1871人 1890人 1885人 1767人 1576人 1647人 1509人
1936年 1946年 1954年 1962年 1968年 1975年 1982年 1990年
1612人 1468人 1366人 1262人 1282人 1291人 1231人 1264人
1999年 2007年 -
1248人 1261人 -

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]